自分だけ良ければよいという利己的な考え方で経営を行い、結局は破綻していった企業がたくさんあります。
とりたててどこの企業という必要もないほど、多くの企業の破綻を報道で知るに至ります。
稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第5講 大義
「企業とは本来、多くの人との関わり合いを持ちながら、世のため人のために貢献することをもって、この社会で活動することを許されている存在です」(「日経ビジネス」2005年10月31日号107頁)
個人の場合も、多くの人々との関わりの中で生活しているという感覚を忘れてはならないでしょう。
毎日の食事にしても、その作物を作った人、加工して製品にする人、流通に携わる人、小売りを担当する人、また、商品を購入するための金員を扱う金融等々、たくさんの人がおり、数え上げればきりがありません。
そもそも、自分だけ良ければよいということはあり得ないことです。
あり得ないことを基にして活動していれば、おかしくもなるでしょう。破綻するのは明らかです。
ある時、「自分だけ幸せになろうとしている」と言って人を非難する人がいました。
おかしなことを言う人だなと思っておりました。
その人は、やや単純な思考回路の持ち主であるので、思慮不足な発言をしているのだろうと、その時は考えておりました。
確かに、思慮不足なのでしょうが、それだけでは、何かが抜けていると感じ、いろいろと考え、また、その人の行動をよくよく観察してみると、その人自身が「自分だけ幸せになろうとしている」人だったんですね。
その後、その人は「俺の人生は何だったのか」と嘆いていたということですが、真面目に生きていけばよいのにと思ってしまいます。
あり得ないことを基にしているからおかしくなるのでしょう。
つまり、人が他者を非難する時は、自分自身の卑しいところをそのまま相手にぶつけてしまうのですね。
悪口にしても、自分自身の卑しいコンプレックスを吐露しているだけのように思われます。
非難や悪口ではなく、世のため人のために貢献する生き方をしたいですね。
そうでなければ、何しに生まれてきたのかと心ある人に叱られてしまうでしょう。