2021年06月09日
Avril Lavigne の『Slipped Away』…最愛の人を亡くすということ。
自分にとって大切な人が亡くなる、同じ世界に居なくなってしまう。
どれくらい悲しいのだろう。
どれくらい寂しいのだろう。
自分の心の支えの人が亡くなってしまったら。
どれくらい不安なんだろう。
どれくらい心細いのだろう。
一体どんな気持ちなんだろう。
Avril Lavigne の『Slipped Away』という曲は、彼女の最愛のおじいさんが亡くなられた時に作ったようです。
おじいさんの死に立ち会えなかった彼女は
slipped away=そっと居なくなる、そっと姿を消す
というような意味のタイトルをつけて
歌っています。
Avril Lavigne 『Slipped Away』
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令和3年4月22日、大好きなおばあちゃんが亡くなりました。
令和3年6月9日が49日で、一ヶ月半くらい喪に服していました。
4月19日におばあちゃんが意識不明になって救急車で運ばれ入院中との連絡があり、でも自分では意外なくらい、冷静な自分でした。
いつもおばあちゃんのことは想っていたけどコロナが蔓延してから余計に会えなくなってしまい、
手紙や贈り物をあげてもし感染源になったら嫌だからそれも送らなくなっていました。どんなに小さなリスクでも作りたくなかったから。
それで二年くらい全く会えず気持ちも伝えられなくなり、少し前から“おばあちゃんシック”になっていて、「おばあちゃんどうしてるかな。色々身体が痛いところだらけだけど、それなりに元気でいてくれるかな。」と度々考えるようになっていた時の連絡でした。
一度おばあちゃんの意識が戻り、父親だけコロナ対策で消毒とかしっかりやって面会していると連絡が入り…
愛知から茨城へ帰るのが間に合うか分からないけど、帰省しようか考えました。
でも帰っても面会はできないとまた連絡があってすぐの4月22日の朝、母親からのCメールでおばあちゃんの訃報を受けました。
その日は珍しく朝早くの大事な用事があり、出かける身支度をしていたのですが
おばあちゃんが意識不明になった時に、もうどうなるかは全て受け入れようと一度覚悟した後だったから、まだショックは小さかったのかもしれません。
自分の中にはよく分からない感情がありました。ぼーっとしてるような、「そうか」って言葉だけですごく落ち着いている。心が凪いでいるような…。
強い悲しみも、寂しさのような衝動も沸きませんでした。
私ずーっとおばあちゃん大好きだったのに、居なくなったら立ち直れないんじゃないか、くらいに思っていたのに…自分って冷静って言うか冷たいのかな…とか考えられるくらいでした。
4月下旬のその日も朝の日の出が早くなっていて、窓から眩しい光が気持ち良く入ってきていて。
言葉がすごくおかしい気がするけど、ただ清々しいような感じでした。間違いなく、嬉しい訳ではありません。
でも世界って本当に美しいなって感動して、「おばあちゃん、こんなに気持ちの良いお天気の日に旅立てて良かったね」っていう気持ちだけが沸き上がりました。
あまり気持ちに浸ってしまい急に泣けてきたら、用事が済ませられないから
その時はもう考えないようにして出かけました。
帰宅して、また明るい静かな部屋でぼーっとしていたら、何故か無性にあるお寺へ参拝に行きたくなりました。
そのお寺は自宅から車で40分くらいで、この数年、初詣に行っているところです。
そして温泉があり、気持ちをリセットしたい時や浄化したい時にもたまに伺っています。
山の上にあるお寺。
新緑が本当に眩しくて、ツツジも美しく盛んに華やかに咲いていて。
空がまた青々として、真っ白な雲が本当に映えて。
再び世界の美しさに感動しました。
温泉はそこまで広くないけどきれいで、もともとそんなに混雑しないけど平日の日中だから数人しか他に人が居なくて。
大きな窓が全開になっていて、露天の雰囲気で入れる浴槽があります。
裸の自分で、山並みが見える空に近い場所できれいな空や緑を見ていたら…
この光溢れる景色の全てが、おばあちゃんの愛の輝きのように感じられました。
ああ、私が悲しくないのは、おばあちゃんが満面の笑顔で私に光を放っていてくれてると言うか、胸の内側からも温かくなるような感じがするからなんだと分かりました。
「おばあちゃん、私は大丈夫だよ」
「おばあちゃんを近くに感じるよ」
「世界って本当にきれいだね」
そんなことを心で話していたら心地好い風が吹いて、私の頬を優しく撫でていきました。
おばあちゃんが返事をくれたような気がしました。
入浴してる人が他に1人か2人くらいで露天エリアに居るのは私だけだったので、涙流すのを自分に許可しました。
それから数日後、お通夜・告別式のために帰省。早い時間というのもあったけど、緊急事態宣言のもと駅はやはりガラガラ。
いつも帰省する時は電車の移動だけで5時間くらいかかるから音楽をずっと聞いていくけど、今回はぼーっとしながらのんびり行きました。
実家に帰宅して、おばあちゃんの遺影と棺の中の遺体に対面。
昔の私だったら、多分かなり正気じゃいられない状況だと思います。
でもこの数年、スピリチュアルの話に色々と納得がいくようになっている自分は
「肉体は地球上、現世での仮の姿。魂が本体で輪廻転生している。」というお話がしっくりくるようになってきたおかげで、
「目の前のおばあちゃんは仮の姿でもう脱け殻なんだ。本体の魂は近くに居てくれてるんだ。」と思えて、冷静で居ることができました。
そして何より、おばあちゃんの遺影も遺体も、本当に良い顔で笑っていたのです。
おばあちゃんは98%くらい、いつも笑顔だったというのが私の記憶です。
最期に会えた姿がもう本当に「わが人世に悔い無し」と誇らしげに笑っているようで、
遺影も満面の笑顔で、美人なおばあちゃんに薄紫のきれいな着物が本当に良く似合っていて、
「流石おばあちゃんだね。おばあちゃんの式に涙で湿っぽいのは似合わないよね。おばあちゃんの人生万歳だよ。」と心で話しました。
紫が良く似合って好きだったおばあちゃんの、式で飾られた花。きれい。
告別式が終わって荼毘の会場に向かう前、花やお別れの品を棺に入れられる時間がありました。
私は久しぶりにおばあちゃんへの手紙を書いておいて、この時に一緒に納めました。
荼毘が終わって納骨の時にふと気づいたのですが、私は本当に手紙を書いて良かったと思いました。
それは、おばあちゃんが遺骨となって骨壺に納められる時、業者の方が最後に残った灰をかき集めているのを見て…
「おばあちゃんと私は半永久的に一緒に居られるんだ」と気づいたからです。
私の書いた手紙の灰もおばあちゃんの遺骨と一緒に骨壺に納められた。そしてそのままお墓に入り、子孫が途絶えて永代供養になっても、お墓が朽ちる程時が過ぎても、地球が寿命を迎える時も一緒だと。
帰省する日の朝が早いから前日の夜は早く寝たかったけど準備で遅くなり、手紙を書くか実は迷いました。
でも書いて本当に良かったです。思い出や、感謝、大好きを沢山書きました。その時はやっぱりむせび泣きました。
多分、一番怖かったおばあちゃんとの別れ。
実際にその時を迎えた私にある一番の感情は何か?
それは『感謝』でした。そしてこれまで以上に、おばあちゃんの愛を確信して、やっぱり「ありがとう」の言葉ばかりが出てくるのでした。
Avril Lavigne の『Slipped Away』の歌詞カード。
その和訳からの引用です↓
この『Slipped Away』が収録されているアルバム「Under My Skin」はリリースが2004年5月ということで、私は大学2年つまり一人暮らしをちょうど始めた時に入手しました。
そしてAvrilが最愛のおじいさんを亡くした悲しみを歌っていて、自分も精神的支えのおばあちゃんが居なくなってしまったらどれだけ悲しい、寂しい、不安だろうかと怖くなりました。
でもそれは20歳になってからではなく…
おばあちゃんはずっと、私にとって居なくなってしまうのが一番怖い存在だったように思います。
乳幼児の時の記憶があります。私が2階の部屋で畳に敷いた布団で一人寝かされていて、おばあちゃんが上機嫌な感じで鼻歌を歌いながら階段を下から登ってきた時のこと。
「さぁて…良い子で寝てるかねぇ」みたいに言って、満面の笑顔で私の方を覗き込んできて、本当に太陽みたいな温かさであやしてくれました。
私はそれがどんな気持ちか、その時はもちろん言葉に変換して理解はできなかったけど、とにかく心地好くて、まだ“人”という言葉も知らなかったけどおばあちゃんが来るとすっごく楽しい人だと感覚で理解していました。
幼稚園生の時、おばあちゃんは嘘をつかない。本当のこともしっかり見抜いてくれる。信頼できる大人だと思いました。それで一人暮らしする20歳まで、嫁姑問題の調停で神経擦り減らしたり母親への遠慮はあったけど、心の中でおばあちゃんはずっと大きな精神の支えでした。
おばあちゃんは「読んだら捨ててね」と書いていたけど、おばあちゃんが時々くれた手紙が全部捨てられずにとってあります。
おばあちゃんが介護福祉施設に入所してからは私が時々手紙を書いて、おばあちゃんも時々返事をくれました。
でも私が大学生の頃はおばあちゃんが時々手紙をくれていたのでした。人間不信、進路、父親との関係でだいぶ疲れていた私のプレッシャーにならないように「返事はくれなくて良いよ、おばあちゃんが気晴らしボケ防止に書いてるから」と言葉を添えて。
20歳以降は一人暮らしでおばあちゃんになかなか会えなくて、その手紙の存在がおばあちゃんも確かに実家に存在している証みたいに感じていました。
私が一人暮らしを初めてする時に、おばあちゃんがタオル、お皿、万能ハサミなどを持たせてくれて、それもおばあちゃんの存在を確かめるお守りみたいでした。タオルもボロボロになるまで使って、お皿は割ってしまったから仕方なく処分して、万能ハサミもボロボロまで使って今年の4月22日の数週間前に「本当にずっーと長い間お世話になりました。ありがとう。」と処分したばかりです。
おばあちゃんが万能ハサミを持たせてくれた昔、「こんなゴツいハサミ使うことあるのかな」とも思ったけど、数回した引越しの荷解きや金属ゴミの分解とか、もちろん普段使いにも正に万能に役立ってくれて、「流石おばあちゃんは何でもお見通しだなぁ」と何回も思いました。
ここ数年、断捨離を少しずつ続けているのですが、おばあちゃんの万能ハサミにお別れできたのが
ある意味「精神的におばあちゃんから卒業できてきた」、そしておばあちゃんはそれに安心して…ということなのかもしれません。
引き寄せの法則がけっこういい感じでやれている自分だから、色々と都合良く考えてしまうのかもですが…
一人暮らしも、おばあちゃんが介護福祉施設に入所したのも、コロナで会えなくなったのも…全ては段階的に私がおばあちゃん離れできるように流れが作られていたみたいで。
そして、おばあちゃんが90歳以上まで長生きしてくれたのは、私をずっと気にかけていてくれていたから。
おばあちゃんが一度意識不明になってから、意識を取り戻し、それから亡くなったのも、私のショックを和らげるためにおばあちゃんがそうしてくれたんじゃないか。
そんな都合の良い妄想をしてしまいます。でも、やっぱりそんな気がするのです。
多分、おばあちゃんと私の別れは、すごく幸せで満たされた形のように思います。
不慮の事故とかで突然、何の前触れもなく、とかあまりにも早い別れだったら
悲しみや後悔がすごく大きくて
受け入れられるまでにも時間がかかってしまうかもしれません。
でも私はおばあちゃんとの別れをずっと恐れてはきたけど、
楽しい思い出を忘れないよう心に留めたり、
少しでも交流できるよう手紙やプレゼントを続けたり、
大切な人との接点を失わないようにする努力は意識的にしてきました。
だからおばあちゃんとお別れになってしまっても、「もっとやれたことがあるんじゃないか」という後悔はありません。
貰い過ぎなくらい沢山のものをおばあちゃんから貰ってきました。もう充分過ぎるくらいに。
おばあちゃんの肉体は無くなってしまっても、いろんなところにおばあちゃんを感じます。
眩しい景色の中とか。おばあちゃんの生前の姿として感じるのではなく、エネルギーみたいに、そこ、かしこに感じます。
あ、でも告別式を終えて愛知に戻ってから、またふと思い立って車で40分くらいの場所に藤を見に行った時はおばあちゃんを車の後部座席に乗せてドライブしているみたいでした。
それは私の一つの夢みたいなものでした。社会人になって車を運転できるようになったら、おばあちゃんと一緒にきれいな花を見に行きたかった。
でも実家と離れているし、おばあちゃんが施設に入ってから余計に難しい状況になってしまったのでした。
目的地に着くまでの道のりも新緑が美しくて眩しくて、
「おばあちゃん緑がきれいだね。ずっとこんな風に、おばあちゃんを乗せて一緒にドライブしたいって思ってたんだ。ついに夢が叶ったよ。」
って、本当におばあちゃんが居るみたいで、でも悲しくないのに何故か涙が出てきたりしました。
平日だから人もまばらで、もともと静かな感じの場所で、ゆっくり藤を見られました。
その後も、おばあちゃんからのメッセージみたいな出来事がちょくちょくあるのですが、
かなり長いお話になってしまったので今回はここまでに致します。
Avril Lavigneの音楽のご紹介でありながら、SAIが書きたかったおばあちゃんへの想いばかりが長くなりました。
いつもお付き合いくださる皆様、本当にありがとうございます。
SAIは身も心も元気です。おばあちゃんが、むしろ今までよりそばに居てくれるようにも感じます。
皆様の大切な人と、一つ一つの時を大切にお過ごしください。
どれくらい悲しいのだろう。
どれくらい寂しいのだろう。
自分の心の支えの人が亡くなってしまったら。
どれくらい不安なんだろう。
どれくらい心細いのだろう。
一体どんな気持ちなんだろう。
Avril Lavigne の『Slipped Away』という曲は、彼女の最愛のおじいさんが亡くなられた時に作ったようです。
おじいさんの死に立ち会えなかった彼女は
slipped away=そっと居なくなる、そっと姿を消す
というような意味のタイトルをつけて
歌っています。
Avril Lavigne 『Slipped Away』
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令和3年4月22日、大好きなおばあちゃんが亡くなりました。
令和3年6月9日が49日で、一ヶ月半くらい喪に服していました。
4月19日におばあちゃんが意識不明になって救急車で運ばれ入院中との連絡があり、でも自分では意外なくらい、冷静な自分でした。
いつもおばあちゃんのことは想っていたけどコロナが蔓延してから余計に会えなくなってしまい、
手紙や贈り物をあげてもし感染源になったら嫌だからそれも送らなくなっていました。どんなに小さなリスクでも作りたくなかったから。
それで二年くらい全く会えず気持ちも伝えられなくなり、少し前から“おばあちゃんシック”になっていて、「おばあちゃんどうしてるかな。色々身体が痛いところだらけだけど、それなりに元気でいてくれるかな。」と度々考えるようになっていた時の連絡でした。
一度おばあちゃんの意識が戻り、父親だけコロナ対策で消毒とかしっかりやって面会していると連絡が入り…
愛知から茨城へ帰るのが間に合うか分からないけど、帰省しようか考えました。
でも帰っても面会はできないとまた連絡があってすぐの4月22日の朝、母親からのCメールでおばあちゃんの訃報を受けました。
その日は珍しく朝早くの大事な用事があり、出かける身支度をしていたのですが
おばあちゃんが意識不明になった時に、もうどうなるかは全て受け入れようと一度覚悟した後だったから、まだショックは小さかったのかもしれません。
自分の中にはよく分からない感情がありました。ぼーっとしてるような、「そうか」って言葉だけですごく落ち着いている。心が凪いでいるような…。
強い悲しみも、寂しさのような衝動も沸きませんでした。
私ずーっとおばあちゃん大好きだったのに、居なくなったら立ち直れないんじゃないか、くらいに思っていたのに…自分って冷静って言うか冷たいのかな…とか考えられるくらいでした。
4月下旬のその日も朝の日の出が早くなっていて、窓から眩しい光が気持ち良く入ってきていて。
言葉がすごくおかしい気がするけど、ただ清々しいような感じでした。間違いなく、嬉しい訳ではありません。
でも世界って本当に美しいなって感動して、「おばあちゃん、こんなに気持ちの良いお天気の日に旅立てて良かったね」っていう気持ちだけが沸き上がりました。
あまり気持ちに浸ってしまい急に泣けてきたら、用事が済ませられないから
その時はもう考えないようにして出かけました。
帰宅して、また明るい静かな部屋でぼーっとしていたら、何故か無性にあるお寺へ参拝に行きたくなりました。
そのお寺は自宅から車で40分くらいで、この数年、初詣に行っているところです。
そして温泉があり、気持ちをリセットしたい時や浄化したい時にもたまに伺っています。
山の上にあるお寺。
新緑が本当に眩しくて、ツツジも美しく盛んに華やかに咲いていて。
空がまた青々として、真っ白な雲が本当に映えて。
再び世界の美しさに感動しました。
温泉はそこまで広くないけどきれいで、もともとそんなに混雑しないけど平日の日中だから数人しか他に人が居なくて。
大きな窓が全開になっていて、露天の雰囲気で入れる浴槽があります。
裸の自分で、山並みが見える空に近い場所できれいな空や緑を見ていたら…
この光溢れる景色の全てが、おばあちゃんの愛の輝きのように感じられました。
ああ、私が悲しくないのは、おばあちゃんが満面の笑顔で私に光を放っていてくれてると言うか、胸の内側からも温かくなるような感じがするからなんだと分かりました。
「おばあちゃん、私は大丈夫だよ」
「おばあちゃんを近くに感じるよ」
「世界って本当にきれいだね」
そんなことを心で話していたら心地好い風が吹いて、私の頬を優しく撫でていきました。
おばあちゃんが返事をくれたような気がしました。
入浴してる人が他に1人か2人くらいで露天エリアに居るのは私だけだったので、涙流すのを自分に許可しました。
それから数日後、お通夜・告別式のために帰省。早い時間というのもあったけど、緊急事態宣言のもと駅はやはりガラガラ。
いつも帰省する時は電車の移動だけで5時間くらいかかるから音楽をずっと聞いていくけど、今回はぼーっとしながらのんびり行きました。
実家に帰宅して、おばあちゃんの遺影と棺の中の遺体に対面。
昔の私だったら、多分かなり正気じゃいられない状況だと思います。
でもこの数年、スピリチュアルの話に色々と納得がいくようになっている自分は
「肉体は地球上、現世での仮の姿。魂が本体で輪廻転生している。」というお話がしっくりくるようになってきたおかげで、
「目の前のおばあちゃんは仮の姿でもう脱け殻なんだ。本体の魂は近くに居てくれてるんだ。」と思えて、冷静で居ることができました。
そして何より、おばあちゃんの遺影も遺体も、本当に良い顔で笑っていたのです。
おばあちゃんは98%くらい、いつも笑顔だったというのが私の記憶です。
最期に会えた姿がもう本当に「わが人世に悔い無し」と誇らしげに笑っているようで、
遺影も満面の笑顔で、美人なおばあちゃんに薄紫のきれいな着物が本当に良く似合っていて、
「流石おばあちゃんだね。おばあちゃんの式に涙で湿っぽいのは似合わないよね。おばあちゃんの人生万歳だよ。」と心で話しました。
紫が良く似合って好きだったおばあちゃんの、式で飾られた花。きれい。
告別式が終わって荼毘の会場に向かう前、花やお別れの品を棺に入れられる時間がありました。
私は久しぶりにおばあちゃんへの手紙を書いておいて、この時に一緒に納めました。
荼毘が終わって納骨の時にふと気づいたのですが、私は本当に手紙を書いて良かったと思いました。
それは、おばあちゃんが遺骨となって骨壺に納められる時、業者の方が最後に残った灰をかき集めているのを見て…
「おばあちゃんと私は半永久的に一緒に居られるんだ」と気づいたからです。
私の書いた手紙の灰もおばあちゃんの遺骨と一緒に骨壺に納められた。そしてそのままお墓に入り、子孫が途絶えて永代供養になっても、お墓が朽ちる程時が過ぎても、地球が寿命を迎える時も一緒だと。
帰省する日の朝が早いから前日の夜は早く寝たかったけど準備で遅くなり、手紙を書くか実は迷いました。
でも書いて本当に良かったです。思い出や、感謝、大好きを沢山書きました。その時はやっぱりむせび泣きました。
多分、一番怖かったおばあちゃんとの別れ。
実際にその時を迎えた私にある一番の感情は何か?
それは『感謝』でした。そしてこれまで以上に、おばあちゃんの愛を確信して、やっぱり「ありがとう」の言葉ばかりが出てくるのでした。
Avril Lavigne の『Slipped Away』の歌詞カード。
その和訳からの引用です↓
“あなたが恋しい ものすごく恋しいの”
“それはまやかしじゃなかった 現実に起こったこと”
“もうあなたはいない 仕方ないわ もうあなたを取り戻すことはできない”
この『Slipped Away』が収録されているアルバム「Under My Skin」はリリースが2004年5月ということで、私は大学2年つまり一人暮らしをちょうど始めた時に入手しました。
そしてAvrilが最愛のおじいさんを亡くした悲しみを歌っていて、自分も精神的支えのおばあちゃんが居なくなってしまったらどれだけ悲しい、寂しい、不安だろうかと怖くなりました。
でもそれは20歳になってからではなく…
おばあちゃんはずっと、私にとって居なくなってしまうのが一番怖い存在だったように思います。
乳幼児の時の記憶があります。私が2階の部屋で畳に敷いた布団で一人寝かされていて、おばあちゃんが上機嫌な感じで鼻歌を歌いながら階段を下から登ってきた時のこと。
「さぁて…良い子で寝てるかねぇ」みたいに言って、満面の笑顔で私の方を覗き込んできて、本当に太陽みたいな温かさであやしてくれました。
私はそれがどんな気持ちか、その時はもちろん言葉に変換して理解はできなかったけど、とにかく心地好くて、まだ“人”という言葉も知らなかったけどおばあちゃんが来るとすっごく楽しい人だと感覚で理解していました。
幼稚園生の時、おばあちゃんは嘘をつかない。本当のこともしっかり見抜いてくれる。信頼できる大人だと思いました。それで一人暮らしする20歳まで、嫁姑問題の調停で神経擦り減らしたり母親への遠慮はあったけど、心の中でおばあちゃんはずっと大きな精神の支えでした。
おばあちゃんは「読んだら捨ててね」と書いていたけど、おばあちゃんが時々くれた手紙が全部捨てられずにとってあります。
おばあちゃんが介護福祉施設に入所してからは私が時々手紙を書いて、おばあちゃんも時々返事をくれました。
でも私が大学生の頃はおばあちゃんが時々手紙をくれていたのでした。人間不信、進路、父親との関係でだいぶ疲れていた私のプレッシャーにならないように「返事はくれなくて良いよ、おばあちゃんが気晴らしボケ防止に書いてるから」と言葉を添えて。
20歳以降は一人暮らしでおばあちゃんになかなか会えなくて、その手紙の存在がおばあちゃんも確かに実家に存在している証みたいに感じていました。
私が一人暮らしを初めてする時に、おばあちゃんがタオル、お皿、万能ハサミなどを持たせてくれて、それもおばあちゃんの存在を確かめるお守りみたいでした。タオルもボロボロになるまで使って、お皿は割ってしまったから仕方なく処分して、万能ハサミもボロボロまで使って今年の4月22日の数週間前に「本当にずっーと長い間お世話になりました。ありがとう。」と処分したばかりです。
おばあちゃんが万能ハサミを持たせてくれた昔、「こんなゴツいハサミ使うことあるのかな」とも思ったけど、数回した引越しの荷解きや金属ゴミの分解とか、もちろん普段使いにも正に万能に役立ってくれて、「流石おばあちゃんは何でもお見通しだなぁ」と何回も思いました。
ここ数年、断捨離を少しずつ続けているのですが、おばあちゃんの万能ハサミにお別れできたのが
ある意味「精神的におばあちゃんから卒業できてきた」、そしておばあちゃんはそれに安心して…ということなのかもしれません。
引き寄せの法則がけっこういい感じでやれている自分だから、色々と都合良く考えてしまうのかもですが…
一人暮らしも、おばあちゃんが介護福祉施設に入所したのも、コロナで会えなくなったのも…全ては段階的に私がおばあちゃん離れできるように流れが作られていたみたいで。
そして、おばあちゃんが90歳以上まで長生きしてくれたのは、私をずっと気にかけていてくれていたから。
おばあちゃんが一度意識不明になってから、意識を取り戻し、それから亡くなったのも、私のショックを和らげるためにおばあちゃんがそうしてくれたんじゃないか。
そんな都合の良い妄想をしてしまいます。でも、やっぱりそんな気がするのです。
多分、おばあちゃんと私の別れは、すごく幸せで満たされた形のように思います。
不慮の事故とかで突然、何の前触れもなく、とかあまりにも早い別れだったら
悲しみや後悔がすごく大きくて
受け入れられるまでにも時間がかかってしまうかもしれません。
でも私はおばあちゃんとの別れをずっと恐れてはきたけど、
楽しい思い出を忘れないよう心に留めたり、
少しでも交流できるよう手紙やプレゼントを続けたり、
大切な人との接点を失わないようにする努力は意識的にしてきました。
だからおばあちゃんとお別れになってしまっても、「もっとやれたことがあるんじゃないか」という後悔はありません。
貰い過ぎなくらい沢山のものをおばあちゃんから貰ってきました。もう充分過ぎるくらいに。
おばあちゃんの肉体は無くなってしまっても、いろんなところにおばあちゃんを感じます。
眩しい景色の中とか。おばあちゃんの生前の姿として感じるのではなく、エネルギーみたいに、そこ、かしこに感じます。
あ、でも告別式を終えて愛知に戻ってから、またふと思い立って車で40分くらいの場所に藤を見に行った時はおばあちゃんを車の後部座席に乗せてドライブしているみたいでした。
それは私の一つの夢みたいなものでした。社会人になって車を運転できるようになったら、おばあちゃんと一緒にきれいな花を見に行きたかった。
でも実家と離れているし、おばあちゃんが施設に入ってから余計に難しい状況になってしまったのでした。
目的地に着くまでの道のりも新緑が美しくて眩しくて、
「おばあちゃん緑がきれいだね。ずっとこんな風に、おばあちゃんを乗せて一緒にドライブしたいって思ってたんだ。ついに夢が叶ったよ。」
って、本当におばあちゃんが居るみたいで、でも悲しくないのに何故か涙が出てきたりしました。
平日だから人もまばらで、もともと静かな感じの場所で、ゆっくり藤を見られました。
その後も、おばあちゃんからのメッセージみたいな出来事がちょくちょくあるのですが、
かなり長いお話になってしまったので今回はここまでに致します。
Avril Lavigneの音楽のご紹介でありながら、SAIが書きたかったおばあちゃんへの想いばかりが長くなりました。
いつもお付き合いくださる皆様、本当にありがとうございます。
SAIは身も心も元気です。おばあちゃんが、むしろ今までよりそばに居てくれるようにも感じます。
皆様の大切な人と、一つ一つの時を大切にお過ごしください。
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