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2015年01月30日

インドの旅14

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いつも通りの暑い朝を迎えた。今日は、そろそろバナラシの観光でもしようかと人間の死体を焼いているマニカルニカーガートへ向かう事にした。朝食は、毎日同じ所の日本食レストランで取り、友人とマニカルニカーガートへ向かおうとした所、また関西弁を話すインド少年に出会った。少年にマニカルニカーガートへ行く事を教えたら、連れて行ってあげる。と言うので連れて行ってもらう事に決めた。道は細く、自分達では地図を持っていても辿り着かないと感じるほど迷路になっている。途中、あまりの暑さにジュースを飲む事にして、少年に飲むか?と聞いた所、要らないと断られてしまった。土産を買って欲しいのか、それとも炭酸が飲めないのか分からないが、一気に飲み干して少年に再度ついて行く事にした。宿から20分以上歩いた所でマニカルニカーガートに着いた。死体は白い布で覆われているが、火の中に焼いている死体が見えて複数人の身体が見えた。思わず写真を撮ろうとしたら少年に止められた。インドでは死体の写真を撮ってはいけないみたいで、撮っている所が見つかったら、かなり面倒な事になる。と言われた。死体を焼いているのを見ているインド人は100人ほどいたであろうか。死体は焼き終わったら、ガンジス川に流すと少年が教えてくれたが、やはり人間を焼いている臭いがキツイので長く居られずにマニカルニカーガートをあとにした。その後、ダシャシュワメードガートに戻り、少年が必至に売っている商品のラインナップを見せてもらったが、旅では不要でゴミになるような物しかなかったので購入に関しては、気が引けたが断った。でも、少年はくじけずに、バナラシを出る時は買ってね!と言って、他の客を探しに去ってしまった。


2015年01月29日

インドの旅13

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テラスには相変わらず、バングラッシーでぶっ飛んでいる日本人バックパッカーの集まっていた。ようやく夜のテラスにも馴染んできたのか、夜の話す相手の顔ぶれが分かってきた。自分の部屋で倒れている日本人男性の話をした所、女性バックパッカーが「あの人、ガンジス川で沐浴してから下痢が止まらなくて体調が悪いみたいだよ。」と教えてくれた。自分はピクリとも動かないので死んでいるのかと思ったと話したら、みんな笑い出した。どうやらラッシーのせいかもしれないがブラックジョークにもならなかったようだ。でも、病院とかに行かないといけないのでは?と思ったが、ここに来ているバックパッカーは自己責任で沐浴をしたり、ラッシーを飲んだりしているので、あんまり他人に関与しないのが決まりみたいになっていた。宿の掲示板には、尋ね人のビラが何十枚にも重なるように貼ってあり、相当の人数が行方不明になっている事が分かった。インドに旅に出た息子が帰って来ないので、親が捜索して貼ってあるビラも何枚もあった。明日にでも、親に手紙を送ろうと思いつつも、バングラッシーの効果で解放感に満足して明け方まで話こんだ。女性バックパッカーが多いにも関わらず、恋愛感情が全く沸かなかったのは不思議であり、日本に置いてきた彼女の事が本当に好きであった証でもあった。随分と連絡を取っていないが、日本に帰ったら一緒に住んで結婚すると決めていたが、それは自分だけの思い込みになっていたとは知るよしもなく旅を続けた。


2015年01月28日

インドの旅12

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夜になる前に、もう一発バングラッシーを飲みに行こうと3人で、同じ店に行く事にした。3日もいるとバナラシにも慣れてきて、インドに入る前の不安はどこかにすっ飛んでしまっていた。バングラッシーの店に辿り着いた時には、店は大繁盛しており待ち時間が10分ほどあった。違う隣の店も繁盛しており、やはり欧米人がかなりの人数で来ていた。待っている間は、ミディアムにするか、ストロングにするか、それともスーパーストロングにするか迷っているのも楽しかった。みんな、ストロングで決めて注文し、空いた席に座って出来上がるのを待つ事にした。アルコールを買った彼に、アルコールは何時飲むのか聞いた所、アルコールよりバングラッシーの方が楽しいのでバナラシを出た後の街で飲むと言っていた。バングラッシーが出来上がったと同時に一気に飲みほぐして、彼は自分の宿へと帰って行った。自分達も宿に帰り、シャワーを浴びる事にした。部屋に戻り、シャワーを浴びる準備をしていたら、チェックインをした時から気になっていた事があったのだが、友人が先に口を開いた。部屋に入って3番目のベッドに寝ている日本人はピクリとも動かないが生きているのか?と言ってきたので、自分も不思議に思っていた。と返答。実は、体調が悪いなら少しは動くはずだが、うつ伏せになったまま動いている姿を見た事がないのだ。見た感じは、まだ旅慣れていないような真新しいTシャツとチノパン姿でバックパックも新しく綺麗な状態で置いてある。とにかくシャワーを浴びて、その話はあとにしようとシャワー室へ入った。シャワー室は薄暗くて水しか出ないので、最初に浴びた瞬間がヒヤリとする。一日の汗を洗い流して部屋に戻ったらバングラッシーが効いてきた。シャワーから友人も戻ってきたのでテラスへと向かった。外は暗くなっており、満月の夜だった。


2015年01月27日

インドの旅11

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夕方になったので、早めの夕食を取る事にした。宿を出てベンガリートラの小道に出れば点々とバックパッカーが通う日本食レストランがある。遠くまで歩くのが面倒だったので、近くの日本食レストランに入る事にした。レストランに入り、各々注文をして、喉が乾いたのでコーラも注文。ミャンマーやインドではコカコーラがなくて、スターコーラと言うまがい物のコーラやスプライトがある。いわいる偽物である。日本ではジュースはバラエティーにとんでいて色んな物があるが、東南アジアの日常は、ミネラルウォーター・炭酸・コーヒー・お茶くらいしか飲む事が出来ない。こんなに暑いとポカリスウェットみたいな物が欲しくなるのだが、直近で飲む事が出来たのはタイくらいしかなかった。さすがに炭酸ばかりでは飽きて来るが、それしか安く飲めないとなると我慢するしかないのだ。注文した、からあげ定食やかつ丼が出てきた。意外と安いので味には期待しないが、これが意外と美味しいのでビックリするほどだ。食事を楽しんでいると、今日見かけた学校に行けない日本語使いのインド少年がお土産を買わないか?と関西弁で話掛けてきた。少年は自分を見て思い出したのか、バナラシを出る時に買って欲しいと言ってきたが、自分に売っても買わないよ。と返答した。ここで普通は帰るのだが、さすがインド人なのか、レストランの店主から追い出されても、道の向こう側で待っていて食べ終わって店を出ると、また話掛けてきて、しつこく付きまとう。最初は無視していたが、少年の必至さに負けそうになりそうだった。この少年には、毎日会うのが日課になるとは思わなかった。


2015年01月26日

インドの旅10

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ダシャシュワメードガートを見てから、バングラッシーを飲みに大きい交差点まで歩いていた所、日本人の男性に話掛けられた。どうやら、政府公認のアルコールを売っている店があるらしいのだが、この辺りはゴチャゴチャしており道に迷っているとの事であった。自分達もアルコールを売っている店は知らないが、その男性が地図を持っていたので一緒に探す事になった。地図を見てみると、確かに店は近い。人混みの中を一軒一軒探す事にした。探す事、約10分でそれらしき店を見つけた。店の中に入ると確かにアルコール(ウイスキーなど)が置いてあり、看板に「政府公認」と英語で書いてあった。その男性はウォッカみたいな透明なアルコールを購入。その男性に自分達はバングラッシーを飲みに行く所と告げると一緒に飲みに行きたいとの事だったので、3人で行く事に決まった。バングラッシーの飲める所まで歩いて行き、友人と自分はストロングを注文し、その男性はミディアムを注文した。昨日と同じ所で飲んだせいか店主が自分達を覚えていてくれて、英語で「君たちはバングラッシーが好きだな!」と笑っていた。店の中は、10名少々入れば満員なのだが店に来るのは欧米人や日本人ばかりみたいである。店主が言うには、夕方にバングラッシーを飲みに来る人が多いと言う。3人で自分達の宿に戻る事にした。アルコールを購入した男性は、自分達の宿を見てビックリしていた。彼は安宿ではなくて、中級クラスの宿に泊まっていて安宿が嫌いで、自分達の宿の汚さにビックリしたのである。でも、テラスから見るガンジス川には感動したらしく、ジーっとガンジス川を見ていた。長い時間見ているなーと思ったら、バングラッシーが効いてきたらしく、インドに来ている実感がなぜか嬉しいと笑い出した。自分達もバングラッシーが効いてきて話が盛り上がった。他の日本人バックパッカーも話に入ってきて、色んな話題で盛り上がり、あっと言う間に夕方になっていた。


2015年01月23日

インドの旅9

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食事も終わり、彼と出掛ける事にしたが、自分の宿に誰かチェックアウトする人がいないか確かめに宿へと戻ってフロントに聞いてみた。そしたら、ちょうどドミトリー(大部屋)でチェックアウトした人がいたとの事でチェックインを済ませて、彼の宿へ行きチェックアウトして自分の宿へと来た。なんと、通された部屋は自分と同じ部屋でビックリした。ベッドは3つ隣だったが、バナラシにいる時は親友になった彼と一緒に遊べるようになって安心した。自分の宿にチェックインをして荷物を出したりしていたせいか、昼前に出掛ける事になってしまい外は35℃に達していた。こんなに暑いと何にもする気がなくなると一緒に街をブラブラしてバングラッシーを飲みに出かけようと言う事になった。出掛ける前に自分は軽くシャワーを浴びたが、外に出た瞬間に汗が出てきて、シャワーを浴びた意味が全くなかった。ダシャシュワメードガートに行き、インド人が沐浴をしている所を眺めていて、自分達は川の水を手ですくってみた。ガンジス川は糞尿や死体や生活用水が流されているので、神聖な川と言われても手ですくう事くらいしか出来ない。到底、猿岩石みたいにガンジス川で体を洗う事なんて出来なかった。ダシャシュワメードガートに1時間くらいいて喉が乾いたので、早速バングラッシーを飲みに行く事にした。


2015年01月22日

インドの旅8

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朝起きたら、清々しい気分だった。よっぽどバングラッシー効果に疲れて深い眠りについてのだろう。睡眠薬や安定剤として使えば病院でも使えるのでは?と思ったが、マリファナ自体、病院で使われているとアメリカ留学時代に聞いた事があった。宿では朝食が付いていないので、細い路地のベンガリートラに出て朝食を取る事にした。この細い路地には、色んなレストランや汚いコンビニが点在している。日本食もあり、店の前には「かつ丼」なんて表記している所も少なくはなかった。ふらっと近くの日本食レストランに入って、かつ丼を注文。店内は汚いが、一体どんなエグイかつ丼が出てくるんだろうと待っていた。待っている間は、ベンガリートラを行きかう人達を見ていたが、日本人バックパッカーや欧米人のバックパッカー、そして地元のインド人が狭い通りを行き来している。日本人は自分が入った店にも入って注文したりしていて、かなり人気なレストランなのかなと思っていた所、昨日に友達になった彼が目の前を通ったので声を掛けた。どうやら、彼も朝食を食べに歩いていたみたいなので、一緒に朝食を取る事にした。彼は、自分の宿が空くか確認してチェックインするとの事だった。今日も一緒に行動しようと話していると、かつ丼が出てきた。見た感じは、日本のかつ丼と全く一緒だが、レストランには日本人従業員がいない。どうやって日本食を学んだのか不思議だったが、一口食べてみた。ん!美味しい!味付けも良くて、ここまでの味を出せるなんて凄いと思い一気に食べてしまった。彼も同じくかつ丼を食べてみたが、美味しいと絶賛だった。ベンガリートラを歩いている少年が声を掛けてきた。なんと、完璧な日本語で、しかも関西弁!これにはビックリしたが、学校には行かないのか?と聞いてみると、カーストの低い身分では学校に通えないので、土産を売って商売して家計を助けているとの事だった。何とも可哀想な話ではあるが、ここまで旅をしてきた自分は、どの国でも見てきた事で不要な土産を買う気にはならなかった。少年は、土産の品を見せて来たが要らないと断ると、あっさりどこかへ消えてしまった。彼が、こんな可哀想な子がいるなんて・・・と話していたが、まだ旅が浅いせいなのか、あんまり同情しない方がよいとアドバイスをしておいた。この先、嫌でも同じ事を見るので感情が入ってしまうとバックに土産だらけになり、後で後悔するよと話しておいた。食事も終わり、出掛ける事にした。朝の時点で30℃を超える暑さだった。


2015年01月21日

インドの旅7

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ついつい話こんでしまったせいか、外が暗くなってきたので、自分の宿に帰る事にした。友達になった彼が自分の宿まで同行してくれる事になった。近いので、自分で帰れると思ったが彼が自分の宿も見たいとの事だったので、一緒に行く事にしたが、まだバングラッシーが効いていたので外に出た瞬間方向が分からなくなってしまっていた。正気に戻って記憶の中で帰り道を考えたが、全く分からなくなってしまった。道を歩いているインド人に聞きながら歩く事10分、やっと宿に戻ったと思ったが、なんと宿の名前が一緒の別の宿に着いてしまった。これはマズイと思い、ガートの川を歩きながら自分の宿へと戻る事にした。外は真っ暗になっており、不慣れな場所で迷って歩いていたが、ようやく自分の宿を見つける事が出来た。扉を手で叩いて開けてもらったが、夜は治安が悪いので早く帰って来るように宿の人に言われて、何とか自分の部屋まで辿り着く事が出来た。一緒に同行してくれた彼に感謝をして、部屋を見せて屋上のテラスに行ってみた。欧米人や日本人のバックパッカーが集まって話をしている。この宿のいい所は、このテラスが最高に気持ち良くて知らないバックパッカー達の集いの場所となっている所であった。これ以上遅くなると彼が事件に巻き込まれる可能性が高くなるので、フロントで別れを告げた。自分は再度、テラスに戻り日本人バックパッカーと話す事にした。この宿には女性のバックパッカーが多いみたいで良くインドに1人で来るなー。と感心した。話込んでいる内に、何か波長が合うなと思っていたが、みんなバングラッシーを飲んでいる事に気付いた。ここでは当たり前みたいで、女性が多いのもバングラッシーを飲みに来ている人がほとんどであった。話は夜中まで続いたが、眠たくなった人は自分の部屋に戻り、残っている人で話を続け夜明けまで話をしている人も多いとの事だった。自分も途中で眠たくなってきて、深夜にベッドに入り寝る事にした。今日一日を振り返ってみると、バングラッシーの面白さと怖さを知った1日となった。


2015年01月20日

インドの旅6

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勢いでバングラッシーを飲んでしまった為に、早く宿へ帰ろうと人混みの中を歩いている時に、日本人男性から声を掛けられた。「すいませんが、日本人ですか?唐突に申し訳ないですが知っていたらバングラッシーの飲める店を教えて欲しいのですが・・・」と言われた。即答で、自分は今そこで飲んできたばかりですよ!と答えて、もし良かったら店まで同行しますよ。と、ほぼ同じ年の彼を店まで案内をした。自分は、どこで記憶がなくなったりするのか不安だったが、とりあえず日本人のバックパッカーといれば何とかなるだろうと考えたのだった。店は4軒横並びにあり、自分が行った店を案内して中に入ったが店主が、また来たのか!と言うので自分は飲まない。と答えたのだが、友達を連れてきてくれたので、自分の分は無料との事で、またミディアムを飲む羽目になってしまった。彼もミディアムを一気に飲んで、一緒に宿に帰る事にしたのだが、彼は昨日にバナラシに着いたばかりで日本人の話相手を探しているので宿に来ないか?と誘われた。断る理由もないので、彼の宿に遊びに行く事にした。彼の宿は自分の宿から近いのを確認して、部屋へと入った。個室のワンベッド、テーブルと椅子があり、自分は椅子に座った。彼は日本からバンコク経由でバナラシに来て、旅を初めてまだ1ヶ月経ってない人であり、自分がどこを旅してきたのか話をしていると、なんか急に体と頭がリラックスしてきて、何を話しても面白くて仕方なくなってしまった。その5分後、彼も突然笑いだした。意識はハッキリしているのだが、なぜか可笑しくて笑いが止まらない。バングラッシーを飲んだあとの帰り道でジュースを買ってきたのだが、これが美味しくて癖になりそうだった。聴覚、味覚が敏感になっているのだろうと感じた。彼との話は盛り上がり、部屋のファンでは暑くてたまらなかったのだが、そんな事も忘れて話こんでしまった。


2015年01月16日

インドの旅5

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ダシャーシュワメード・ガート近くまでリキシャに乗ってきた。ダシャーシュワメード・ガートまでは乗り物が入れなく手前で降ろされ宿を探す事になった。ガートまで行って、そこにある階段を川沿いに歩いてすぐの所にビシュヌ・ゲストハウスと言う所を発見。以前、バナラシを旅した日本人からの情報もあり、そこの宿の名前を思い出したのだった。ちょうどよく、1名分空いているとの事だったのでドミトリー(大部屋)に入る事になった。かなり汚い宿だが、部屋は横に長くて10個ほどのベッドが並んでいて、ベッドの頭の所に窓がありガンジス川を見る事が出来る。ベッドのマットを上げると貴重品入れになっており、鍵を貸与してくれた。これで1泊30ルピー(約90円)は、かなり安いが汚さから言って妥当かなと思った。さて、チェックインも済ませた事だし、街に繰り出すか!と意気揚々と宿から出たのはいいが、川沿いを歩いてきて分からなかったが道に出たら、かなり狭い。と言うか無茶苦茶せまい!ベンガリートラと言われる、この道は狭くて、牛に遭遇したら周り道をしないといけない位、臭くて細い通りであった。所々に店があるのだが、とりあえず大通りに出たくてガートを目指した。ガートの付近まで出て、さきほどリキシャで降ろされた所まで出てくる事が出来た。しかし、どこを見ても人・人・人である。ガンジス川から逆の方向に歩く事10分で大きい交差点に出た。交差点には警察官が数名いて、ここまで来れれば大体の街の構成が分かったのでガートに戻ろうとした所で、店の人に呼び止められた。何の話をしているのか分からなかったが、ここに来る目的の日本人が多いので自分が道に迷ってるのかと思われたみたいだった。よく見たらラッシーの店であり、暑くて喉も渇いていたので1杯注文してみた。店頭でラッシーを作るので中に入るように言われ、ミディアム・ストロング・スーパーストロング?と聞かれたので意味が分からず、ミディアムと返答。出てきたのは、ラッシーに何やら緑の色が混ざった飲み物であった。店の人にガンジャと言われて、あっ!!!と思った。これは有名な「バング・ラッシー」なのであった。まさか、話で聞いていた物を間違えて頼んでしまったのか!と後悔も出来ないので、一気に飲み干した。人によっては、かなり効くらしく路頭に迷ったら怖かったので、店主に別れを告げて宿に帰る事にした。


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