2014年11月07日
タイの旅13
バンコクの暑さに毎日が苦痛であったが、それを除けば楽しい毎日でもあった。洗濯物も外に1時間も干せば乾いてしまう。驚異的な速さの天然乾燥機だ。暑くてたまらないので、毎日通う店があった。それは、フルーツをジューサーに氷と一緒に混ぜて、スムージーにする飲み物が美味しい。値段は日本円にして100円ほどの安さであり、毎日通うようになってから店主とも仲良くなったりした。夕方になると、セブンイレブンに行ってビールを買い飲みほす。ただビールを飲むと暑さで汗が倍増して出てくるのでシャワーに入って体を綺麗にする。夜は屋台で、またビール。タイの醤油と言える、ナンプラーにも慣れてきて、食事の時にナンプラーがないと何か物足りなく感じる時もあった。だんだんとタイの食事(辛い物)にも慣れてきたが、3人ともバンコクに飽きがきているのも感じており、ミャンマーの話が出始めてきていた。残念な事にカオサンで知り合った日本人の中では、ミャンマーに行った人がいなくて情報に乏しかった。これから軍事主義の国に入るのに治安などの情報が欲しかったが、手に入る情報は安宿の場所と地図くらいで、あとは空港でFECと言う外人用の通貨を300ドル以上の強制交換しないといけないと言うネックがあった。ミャンマーで300ドルも実際に使わないだろうと思い、そこの情報も欲しい所だったが行ってみないと分からない状態で不安があった。
2014年11月05日
タイの旅12
バンコクへ戻ってきた。のんびりした島とは違い喧騒と活気に満ちた町での生活となった。てっちゃんと西森さんは相変わらずゲストハウスにいて、どこにも動いていなかった。1週間ぶりだが、なぜか懐かしく思えた再会であった。やはりバンコクは大都市であり、昼も夜も楽しい町だけにバックパッカーが集まるのも分かる。再会記念として、夜の屋台街へと行ってみた。屋台が密集していて、どこに座り、どれを食べていいのか迷ってしまうほどだ。適当に座り、適当に品物を見て買って食べてみるのが一番。あとはアルコールがあればいいだけなので、再会記念と称して、その夜は弾けた。しかし、若い者達が世界に出て行くのはいいのだが、働くのが嫌で物価の安い所に行って夜な夜な遊んで暮らして、日本に帰ったらアジャスト出来るのかと心配にもなった。いくら日本の景気が良くなくて定職に就けなくても仕事はあるのだから、日本に生まれて良かったと思わないといけないのかもしれないが。たまに旅をしていて、そう思う事があったが、月日が増す事に脳裏によぎる事が増えて行った。この1週間、てっちゃんと西森さんはバンコクで新しい物でも見つけたのかな?と思ったら、どこにも行かずに宿とカオサンの行き来だけと聞いてビックリした。とにかく、2人に再会出来たのは嬉しかった!
2014年11月04日
タイの旅11
結局、マリファナで捕まった日本人2人が護送されて強制送還となり、島を離れて行った。それでも欧米人は町の中や海で吸っている。欧米人にしてみたら、強制送還ごときでは軽い刑と見て完全に警察を舐めている。警察も昼は動かずに夜に行動するのも後で知った。宿の白人からフルムーンパーティーの誘いがあり、丘の上でパーティーは行われ人数にして200人ほどが集まっていた。大ボリュームの音楽に、みんなはドラッグをして盛り上がっている。それを見ているだけでも楽しかった。夜中も人数が減る所か増える一方で警察も来ない。朝方まで続いて終わりとなるが貴重な体験をしたと思ったのと同時に、もうパンガン島でやる事もなくなったので、バンコクに戻る事に決めた。海は透き通って綺麗で、ジャンキーばかりの島での生活も充分に満足した。次の日にバンガローをチェックアウトして、パンガン島をあとにした。
2014年11月02日
タイの旅10
筋肉痛だったが、疲れてすぐに寝る事が出来た。夜中に、外でタイ人が来たみたいで何か話しているが全く分からなく、自分のバンガローとは関係ないみたいなので、ミネラルウォーターを飲んで再度寝た。早朝に隣のバンガローの友人のドアをノックしたが中々出て来ない。やっと出てきたと思ったら、寝不足だったらしい。昨夜は、そんなにドラッグをやってブッとんだんですか?と聞くと、バンガローのウッドデッキで日本人3人でマリファナを吸っていた所にタイ警察が、いきなり懐中電灯を点灯して、吸っていた所を現行犯逮捕されてしまったと言う。友達は、とっさに消してデッキの隙間から落として捨てたので、吸っていないと強調して捕まらなかったみたいだが、物音無しにいきなり電灯が点いたので2人は拘束されてしまい、その隣のバンガローから見ていた欧米人が、金を払え!持っている現金すべてを払うんだ!と言われたらしく、みんなの金を出したがタイ人警官は、その手には引っかからなかった。タイでは違法ドラッグの取り締まり強化が始まったばかりで、警察に捕まると即刻強制送還されるらしい。昨日、自分が足を怪我していなければ、その1人として日本に帰されていたかもしれない。ある意味、ラッキーでもあった。そして、友達は傷心しきってしまい、拘束されている2人の荷物を警察に持って行き、パンガン島が嫌になったみたいでチェックアウトしてバンコクへ戻って行った。
タイの旅9
体が軽くなってきて、レストランの音楽も斬新に聞こえる。この感覚は味わった事がなくテンションが明らかに違うが自覚があるので、テンションと気分がいいからと言って調子に乗らない方が身の為とも思えた。まさか、自分が頼んだ物にマジックマッシュルームが入ってるとは思わなかったし、自分はマッシュルームごときでブッとぶ人間ではないと思っていた。この和式の畳のような床でよかった。体が重たくて横になりたくなるので助かった。2時間ほど飛んでいただろうか。まだテンションは高いが町に出て見る事にした。バンガローを出れば、すぐに町に入りたいして広くないので20分で店は見切れてしまう。海に出て見ると欧米人が多くいて、見るからにドラッグをやっているテンションそのままだ。自分は町を歩いている時に、マジックマッシュルームが切れたみたいなので、海にある崖を少し登って見ることにしたが、筋肉マンではないので中々登る事も出来ずに、逆に50センチほど落ちてしまった。落ちた所が悪かったのか、かかとから血が出てきた。時間が経つにつれて痛くなるので宿に戻り手当をして、夜は宿のレストランで取り、仲間にドラッグをやらないか?と誘われたが足が気になり、普段使わない筋肉を使ったのか筋肉痛で先に寝させてもらう事にした。
2014年10月30日
タイの旅8
海での移動は、この旅では初めてだったので新鮮だった。パンガン島に向かう船は20代の欧米人ばかりだった。こんな若い同年代の人達が1つの島に集まると言うことは喧嘩があっても当たり前だと感じた。特に血の気が多い白人が多いからだ。船は乗って3時間ほどでパンガン島に着いた。島に着いた所から、吹いている風はジャンキー島と感じた。港にはトュクトュクやバイタクが待っていて、自分達はトュクトュクで島の中心地へと向かった。所々にバンガローや安宿があって、主に白人が泊まっているみたいでレンタルバイクを宿の前に置いてある。20分ほどで島の中心街にきた。大きい町ではないが欧米系のカフェばかりしかない。まずは宿探しで、バンガローに泊まろうとなった。こんな島でも客引きは多いので助かる。バンガローと告げると歩いて5分の所に一泊300円であると言うので行ってみて部屋を見せてもらった。トイレ、シャワーは共同だがバンガー自体は悪くなくウッドデッキにはハンモック。そこから海が見える最高のロケーションだった。すぐにチェックインをして宿のレストランへと2人で向かった。ちなみにバンガローは1人1部屋を与えてくれた。これが、のちに自分が助かるとは思わなかった。
レストランは床が竹で出来ていて寝っころがる事も出来る日本人にはありがたい所だった。メニューを見ると色々あるがオムレツがやたらと多い。ここの名物なのかな?と思っていたら、他の日本人が横になっていて、ムクッと起き上がって言った。メニューにはハッキリと書いてないが、マジックマッシュルームが入ってるのと入ってないのがあるからオムレツのメニューが多いんだよ。俺はさっき入ってるのを食べてぶっ飛んでる所だけど楽しいよ!とビックリしたが、さすがジャンキー島だ。2人でマジックマッシュルーム入りのを頼んで食べてみたが、ボーッとするくらいでたいして気分がいいとは思わなかった。それから1時間後、急に身体が軽くなってきた。
タイの旅7
バンコクを離れて、久しぶりに1人となりパンガン島へとバスで向かった。
バスの中は快適だが話す人がいなく、どこか寂しい所もあった。夜になってもハードリンに着かない。
自分では、その日にパンガン島に着くのかと思っていたが、ハードリンの港に着いたのは、日が変わって
夜中の4時であった。港には休憩場所があって、そこで船を待つ事となった。バスで一緒だった日本人がいて、バスでは席が決められていたので話せなかったが、日本人は自分ともう1人の男性がいた。年は自分と同じ年で、パンガン島に着いたら一緒に宿探しをしよう。など色々と気が合う人と友達になれた。夜が明けて、船も到着してパンガン島へと向かった。空は真っ青で海は透き通るようなマリンブルー、気分は最高点に達していた。
2014年10月29日
タイの旅6
バンコクの夜な夜な遊びにも満喫した所で、どこかに移動したくなった。他の2人は、まだ遊び足りないみたいで自分はバックパッカーの島と言われているパンガン島に行く事に決めた。サムイ島など有名な所は嫌だったので、ディープな場所に行きたかった。
パンガン島は、日本人と欧米人が多くいて、ハーフムーン及びフルムーンパーティーが毎夜のように行われているらしいと聞いたので行きたくなった。早速、カオサン通りでチケットを買ってミャンマーのビザを受け取ったら行く予定にした。このまま南下してシンガポール、マレーシアのコースでもよかったのだが、その先がないのでパンガン島に行ったら、またバンコクに戻ってくると2人に告げた。日中35℃近くあるのに、カンボジアからそうだったのだが、シャワーが水しか出て来ない所ばかりに泊まっていて、最初の水を浴びるのはヒヤッとして身体が一瞬凍る思いをする。ほんの一瞬なのだが、それだけが嫌だった。でも汗をかいてシャワーを浴びないと気持ち悪いので仕方なかった。カオサン周辺を毎日歩いていると店や屋台によっては顔見知りになってきて、昼から焼鳥の屋台が出て1本30円だが大きいので、3本も食べるとお腹いっぱいになるので昼になるのが楽しみだった。それと、シンビールを買って宿で食べるのが最高の贅沢であった。宿にいたバックパッカーもチェンマイ、カンボジア、ミャンマー、帰国といなくなっては新顔が入ってくるので情報が新鮮で特に日本から来たばかりの人の情報は面白かった。後進国にいると日本の情報は入りにくい。楽しい時も終わりに近づきミャンマーのビザが発給されて、次の日の早朝にパンガン島へと向かう為にバスへと乗り込んだ。
タイの旅5
中国から陸路でベトナム、カンボジア、タイと来たが、タイが唯一の休憩場所となった。
他の国と違い自由が多く、ここで旅を終わらせても満足のいく国でもあった。
カオサンに着いてから1週間動く事はなかった。朝起きて、粥を食べに行き、昼には紀伊国屋に行って冷房の効いた所で日本の本を立ち読み。そして、バンコク市内をブラブラして、夜になるとチャオプラヤーやパッポンに行き、アルコールを飲みながら女の子と遊ぶ。日本なら何十万も飛ぶような遊び方をしても、数千円で済んでしまう。毎夜が楽しく、ムエタイの試合を見に行ったりと自由を満喫していた。そろそろ、次の国のミャンマーのビザを取りに行こうと3人でミャンマー大使館へと向かった。ミャンマーのビザを取りに来ているのは、どう見てもバックパッカーばかり。。。中には、欧米人で上半身裸でビザを取りに来ている者までいたが、案の定、セキュリティーに止められて友達が申請を済ませたら、Tシャツを借りて入館して行った。ミャンマーのビザ取得までは3日掛かった。
2014年10月28日
タイの旅4
カオサン通りの夜は昼とは違う顔を持っていた。夜はなんと言うか活気があり、エネルギーが放出されている感じだった。バンコク都市部全体が活気があるのだが、カオサンの活気は好きだった。カオサン通りはどちらかと言うと欧米向けのカフェが多いが一本裏の通りは日本人向け料理の店が多い。西森さんはカオサン通りに昔旅をした時に通った店があると言い、その店に行ってみた。確かに日本人バックパッカーが多くて女の子も多い。店のメニューは日本語もあるので分かりやすく、西森さんに任せてオーダーしてもらった。炒飯、肉と野菜の炒め物、トムヤムクンなど色々と出てきた。どれも日本人向けの味になっており美味しかった。3人でシェアして食べてるので、1人当たりの料金が200円ほどと安い。それにしてもカオサン通りの裏通りでも賑やかでネオンが多くて、カフェからの音楽が混じり合ってうるさいが、それがタイなのだ。夜ご飯を食べた後にカオサン通りでTシャツを買いに行き値切って3枚買ったが、もちろん旅の最中に着るのである。旅に出るとTシャツは、すぐに真っ黒になる。洗っても落ちない土砂の汚れで途中捨てるしかない。ここまで旅をしていると値切るのが当たり前になり慣れてくる。しかし、夜になっても暑さは変わらず、出店のカットされたパイナップルを買ってウィンドウショッピングを楽しんだ。タトューの店も多くあったり、偽の学生身分証も作れる。旅の思い出に1枚作ってみた。紙に生年月日、国籍、名前、在籍の学校名を記入して写真を撮る。ただそれだけで偽インターナショナルスチューデントカードの出来上がり☆学割のあるような所で使えるが、1回も使わずに終わった。日本人バックパッカーが多く見られるが、まだ旅を始めたばかりの人、かなり旅慣れている人、見た目で分かるようになっていた。