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2014年11月30日

ミャンマーの旅19

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インレー湖からバスに乗りヤンゴン北部にあるバゴーを目指した。バスは相変わらずの日本でお払い箱になった車両であるが、エアコン付なので長距離移動では助かる。東南アジアでは、かなり後進国ではあるが治安が良くて、移動も楽なので嬉しかった。バゴーには次の日の早朝に着いた。まだ、5時と言う早朝にも関わらず宿の客引きが集まっていた。バスを降りると客引きが宿の値段で勝負してくる。一番安い宿の客引きについて行ったが、いざ!チェックインと言う時に値段が違った。英語で一番汚い言葉を吐いて宿をあとにしたら、違う客引きが、また寄ってきたが、アテにならないので近くの宿に直接行ってみた。客引きの取り分がないので安くてエアコン、バス、トイレ付で部屋も綺麗。すぐにチェックインをして、エアコンを18℃にして朝寝をした。エアコンの付いている宿では、すぐに最低温度にするのがクセになっていて、その寒い中で布団に包んで寝るのが最高の幸せであった。9時頃になるとエアコンの電源が落ちたので一気に部屋が暑くなり起きる事になってしまった。停電になってしまい、部屋の電気は発電機で点灯するのだがエアコンが動かなくなる。この電力の供給が不安定な所にいるとイライラしてきた。朝ご飯を食べに近くの店に行ったら可愛い女性がニコニコして片言の日本語で話しかけてきて、ヒマワリの種を大量にくれた。店にはキムタクのポスターが貼ってあり、話しているとキムタクのファンだと言う。とりあえず朝飯を食べれる所を聞いて、遅い朝食を取った。


2014年11月29日

ミャンマーの旅18

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早朝にボートに乗りインレー湖を爽快に走った。高温多湿の土地で風にあたるのは気持ちが良かった。数十分ほど走っていると、水上生活している人やお寺が見えてきたので、お寺で一回下ろしてもらい、中を見学してみた。お寺の僧侶が中を案内してくれて指定された所に座るように言われた。どうやら、お経が始まるみたいで周辺住民も座っているので見よう見まねで、その場をしのいだ。しかし、水上に建てているお寺は外から見たら、すぐに倒れそうに感じたが中は柱もしっかりしており頑丈に作られていた。なぜ、水上生活するのかは分からなかったが東南アジアでは良く見かける光景であった。お寺と水上生活している所を訪問すればインレー湖の目的が終わってしまい、あとはボートに乗ってバックパッカーが溜まる場所まで行ってもらうだけであったので、その町に向かった。町と言うより村に着いたが、安宿が何軒かあり、その周辺には英語で書かれたレストランなどがあった。その他には何もなくジャングル地帯に入った感じで、なんでバックパッカーが集まるのか不思議だったが、とりあえず安宿に入って値段と部屋を見せてもらいチェックイン。早速、欧米系レストランへ行き、メニューを見たら意外と豊富に揃っていた。ハンバーガーからピザまでと手頃な値段で提供している。残念ながら日本食っぽいのは見当たらなかった。ハンバーガー&フレンチフライを注文して、外をボーッと見ていたら、白人のカップルが通った。それ以降、バックパッカーを見る事はなく、日本人も見なかった。ここは秘境なのか、日本人バックパッカーは来ない所なのか、それとも閑散期なのか分からなかった。ハンバーガーが出てきたが味は普通で合格点。この村は最強に見る所がなくて、チョコチョコと観光する自分には向いていない場所だった。安宿のテラスで喋ってビールを飲むくらいしかなくて、特に思い出にもならなそうだったので早々に、この土地をあとにする事にした。


2014年11月27日

ミャンマーの旅17

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マンダレーに5日ほど滞在して、インレー湖に向かった。最初はインレー湖に行く予定はなかったのだが、移動のペースが速くて途中で観光地を寄って行こうとなり、その場所を選んだ。インレー湖には水上で暮らしている人達がいるというので中々興味が沸いてくる所だねと感じバスで移動。深夜のバスに乗り、次の日の早朝にインレー湖まで着いた。インレー湖の畔にある町で1泊する事にしたが、かなりの田舎で小さい市場を取り囲むように低い建物が並んでいた。町からちょっと歩くと安宿があったのでチェックインをして、また市場へと出かけてみた。特に欲しいような物はないが、市場の人達がフレンドリーで退屈はしなかった。喉が渇けば瓶のジュースを買って飲み、市場を散策した。また市場の周辺も歩いてみたが、湖が果てしなく大きいので、水上に家を建てて住んでいる人は湖畔から見る事が出来なかった。明日にボートに乗ってインレー湖に入るのでボート乗り場と値段を下調べをして、町に戻りちょっと早めの乾杯をした。見た目は、この食堂大丈夫かな?と思ったが注文した料理の美味しさにビックリ!ビールをガブ飲みしながら料理を堪能した。外人用に英語表記のメニューがなかったので、ジェスチャーと片言の英語でお勧め料理を頼んだのが良かったみたいだ。思い出してみれば、ヤンゴンでは停電ばかりだったが、マンダレーやインレー湖に関しては、ほとんど停電がなかった。たまたま自分達が訪れた時が良かったのか分からないが電気の供給が安定していると、なぜか嬉しくなる。明日はインレー湖をボートに乗り楽しめるので、心はウキウキな気分になっていた。


2014年11月25日

ミャンマーの旅16

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マンダレーの安宿から歩いて1分の所に日本人が経営している「おやじ食堂」なるものを発見し、毎夜通っていた。屋台なのだが、味は日本人好みになっており、バックパッカーが多く集まり夕食を食べバックパッカーの同志で情報を集める場となっている。通年なのか、それとも自分が訪れた季節だけなのか分からないが、屋台の周りには「蚊」が大量発生していて、おやじ食堂の店主は、そこらじゅうに蚊取り線香を炊いているのだが、ミャンマー製なのか蚊は死なないで逃げていくだけ。カンボジアでも経験したが、日本の蚊取り線香は殺傷能力が強いので煙にあたると蚊はパタパタと倒れていくのだが、東南アジア製には殺傷能力がなくて蚊は逃げるだけで、また戻ってくる。なので、煙があたらない人は蚊に刺されながら食事をしないといけないのが不便であった。蚊に刺されながらでも食べたくなるのが「おやじ食堂」であった。
マンダレーに着いて数日が経過したが、特に王宮に訪れてみたいとか思わなく、ただ時間だけが悪戯のように過ぎていき、ここにいても新しい発見もなさそうなので、てっちゃんと西森さんと話合い、次の町へ移動する予定を始めた。


2014年11月22日

ミャンマーの旅15

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バガンの遺跡を堪能し、ニャウンウーの町が好きになり、もっと滞在していたかったが先を目指す為に町を後にした。また長距離移動となるが、マンダレーに行くためにバスに乗り込んだ。相変わらず日本のお払い箱になったバスだったが、古くても日本車はダントツに造りがよくて乗り心地が良い。バスは未舗装の道路が多いミャンマーでも快適に走り続けた。ミャンマー最北の最大都市マンダレーには、次の日の早朝にマンダレーのバスターミナルに着いたが、市内からは離れており地元のローカルバスに乗り込んだ。中心地の王宮の西側に安宿がある情報を持っていたので、そこでバスを降りて宿にチェックインした。マンダレーは1日中暑く湿度も高いのでヤンゴンと同じだった。マンダレーに着いたのはいいが、特に訪れたい場所もなく街の中を歩いて散歩する位しかする事がなかったが、やたら日本好きなのか声を掛けられる。と言うのも、このマンダレーには昔、日本の軍隊がいた歴史があり、戦場にかける橋の場所として有名で、今でも日本人が好きな人が多いらしい。ご先祖様は、この僻地まで侵攻して来て、この土地で友好関係を築いてくれたのには感謝したい。
市内を歩いていると、朝からバーがオープンしていた。特に朝ご飯を出している訳でもなくて、ビールをメインに軽いツマミがある程度だが、なぜ朝からやっているのに疑問を抱いたがフラッと入ってみた。大通りに面しているので人の往来を見ながらビールを飲んでいたら、背の高い老人が入ってきてビールを頼んだ。現役を引退した軍人といった所だろうか、やたら筋肉が付いていてゴツい。自分の隣に座ってきて「日本人ですか?日本語を話すのは久しぶりです。」と話しかけてきた。ほとんどパーフェクトな日本語だが、若い時にはペラペラだったみたいだが話さなくなると忘れてくるので久しぶりに話せて楽しいみたいだった。その老人いわく、このマンダレーには昔に関東軍が駐留していて、この街のインフラ整備や教育を現地のビルマ人にしたりして、かなり友好の絆を作っていったらしい。日本は侵略をする為にマンダレーにいたのではなく、白人からの侵攻をアジア各地で抑えようと抵抗していたのだった。その老兵は、日本人から教えてもらった事や、ここでの活動などを詳細に教えてくれた。むしろ、昔の話をしたかったのかもしれないが、かなり日本と日本人が好きな人と言う事が分かり嬉しかった。話とビールが進んで行ったが、話の終わり頃に「ところで、◯◯少尉は元気ですか?」と聞いてきたが、自分に言われても、その方が生きているのか、どこにいるのかも分からず、その老兵には悪いが嘘をつくしかなかった。元気にしてます。と。久しぶりの日本語が話せる事と、過去の話を話せる事の喜びが老兵に見えてしまい、そのお世話になった日本兵が生きているのか知りたいと言われて困惑したが、その老兵の話にピリオドを打ちたくなかったので、◯◯少尉は生きていると言わざるを得なかった。これほどの生き証人がいるのに、日本政府は過去の話は聞きたくないのか。と思ってしまったが、かなり重要な話をフラッと入ったバーで聴けるなんて嬉しかった。二度と会う事はないだろうが、日本に近いうちに行ってもらいたいと思った。その老兵は、凄い楽しい時間を過ごした。と言い自分の分まで払ってくれてバーをあとにした。


2014年11月21日

ミャンマーの旅14

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午後に、再度遺跡を見に行く事にした。全く雑音がなく聞こえるのは風が吹いた時に聞こえる風の音と鳥のさえずりだけで、自然と調和された遺跡は歴史を感じるだけでなく自分が素直な気持ちになれる場所でもあった。バガンの遺跡はアンコールワット以下だと思っていたが、単に遺跡だけで比べる事の出来ない価値があった。1つの遺跡に登っては、ボーっとしている。そして、また違う遺跡に登る。これだけでリラックスが出来るのは素晴らしい事であった。この秘境の地に入る前は、この国に入国しても自由が保障されていなかったストレスを感じていたが、実は自由がたくさんある事に感動し、ミャンマーと言う国が好きになっていった。夕方になり、太陽が沈んでいく中で、バガンの遺跡は赤く色を変え、また違う遺跡を見ている感じにもなれた。なんて美しい所なんだと感動を受けて、宿へと戻った。
宿には、今日到着した日本人バックパッカーが数人チェックインして来たので、夜ご飯を日本人の仲間と共に食べ、ビールで乾杯もした。てっちゃんと西森さんと話をして、明日1日滞在をして明後日のバスでマンダレーを目指そうと誓い深夜まで飲み明かした。
次の日、マンダレー行きのバスチケットを買い、ニャウンウー最後の日を満喫して、この最高にいい思い出しかない町を惜しむように出て行く事になった。


2014年11月20日

ミャンマーの旅13

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ニャウンウーでの2日目を迎えた。朝食を取って、町へと出かけてみたが町が小さいので1日も掛からないが川へ行ってみた。のどかで、川もゆっくりと流れている。時間もあるので、遺跡でも描いてみたが、絵を書く事にした。絵を描いて1時間もすると現地の子供達が物珍しそうに寄ってきたので言葉が通じない中でジェスチャーをしながら遊んでみたが結構楽しかった。日本の都会の子供達と違い、テレビゲームなどに没頭しているのではなくて、そこには貧しいながらでも目が輝いている裸足の子供達が元気に遊びまわっていた。その光景に、日本は恵まれているが何かを失っていたものを見つける事が出来た。それは人間のありのままの姿であり、いつしか日本には「心」「人」と言うものが無くなっていったのではないだろうか。散歩がてらに出かけた外で、こんな大事な事を忘れてしまっていた自分が情けなくも思えてきた。絵も描き終わり市場へと足を伸ばしたが、朝一に行かないと活気がないみたいで閉まっている所が多かったので、宿へと帰った。
宿にチェックインした時にいた日本人の男性が、何にもないニャウンウーで長く滞在しているのは、ここにはストレスもなくてミャンマー人がスレテいないからだと話してくれた。その意味を十分に理解が出来た。外人を見てボッタくる行為が、ここでは存在しなかったのである。日本人や欧米人を見つけるとボッタくるのは当たり前なのだが、その行為がない所は旅をしていて初めてだったので、自分もニャウンウーの町に魅力を持ち好きになった。


2014年11月19日

ミャンマーの旅12

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まずはバイタクの兄ちゃんとの交渉から始まった。こういう交渉は当たり前になっていたので苦に思わなかったが、あっさりと1日3ドルと言われたのには拍子抜けした。最低5ドルは取ると思っていたが、ミャンマーでボッタくると言う行為が氾濫している訳ではなかった。バイク3台でバガン遺跡に向かい20分ほどで入口に着いたのに入場料など無し。勝手に見ることが出来るが、バガンの遺跡は至る所に点々としており、バイタクの兄ちゃんが眺めの良いスポットや大きい遺跡を案内してくれた。自分はペンと手帳を持っていたので、遺跡の絵を描いてみた。これが結構楽しくて飽きなかった。見事に絵は完成出来たが中々個性のある絵になった。バイタクの兄ちゃんは、次に行こうと言うまで待っていてくれるので助かる。昼近くになってくると、さすがに暑くなってきたが、遺跡巡りは終わりにしなかった。アンコールワットに比べるとバガン遺跡は劣るが、なぜかバガン遺跡に愛着が出てくる。それは、内戦や反乱で遺跡が壊されたりしてなく保存状態がいいからなのであろう。昼飯も食べずに夕方まで遺跡を見続けた。宿に戻ると、さすがにお腹が空いたので宿の前にある食堂に入った。バックパッカー御用達の店なのか分からないが、日本食も置いてあり、カツ丼と書いてある。ハンバーガーからカツ丼まで種類は豊富であり、値段もリーズナブルで味はまあまあであったが、こんな僻地で日本食が食べれる事に感謝でもあった。夜は宿のバルコニーで宿泊している人と話をして、その日を終えた。


ミャンマーの旅11

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早朝にバガンに到着したが、まだ4時半。眠気と意外な事に肌寒く安宿のある町まで距離があった。偶然、ロバに荷台を引かせているオジサンに出くわして、ニャウンウーの町まで乗せてもらう事にした。もちろん有料だが数十円で行ってくれたので大変助かった。ロバに引かれて行く事、30分でニャウンウーに到着した。朝日が出てきて幾分寒さもなくなってきた。
オジサンは1軒の安宿の前で自分達を降ろしてくれたが、立派な宿で安宿とは思えなかった。中から店主が出てきて、1泊朝食付きで3ドルを提示してきたので泊まる事に決めた。早朝にも関わらず、チェックインをされてくれて部屋は綺麗でエアコン付。最高のバガンを楽しめそうで良かった。2時間ほど睡眠して朝食の時間になった。テラスでパン・コーヒー・フルーツと美味しく頂いた。宿から遺跡までは、どうやらバイクタクシーを使わないといけないらしいが、これはアンコール・ワットで体験したので承知の上の事だった。宿には、日本人男性が1人泊まっていたので情報も、その人から得る事が出来た。
その人はバガンに1週間ほど滞在しているらしく、遺跡は見尽くしたのでノンビリとニャウンウーの町で過ごしているらしいが、ほとんどやる事や行く所がないので飽きてきているようだった。ここは寒暖の差が激しくて日中は35℃以上になり、夜は15℃以下まで下がるらしく、夜は良く眠れるとの事だが、折角エアコンが付いている宿に泊まれたのに、勿体ない感じがした。ヤンゴンと違って田舎ではあるが停電が、ほとんどなく電力の供給はいいらしい。
宿の前にはバイクタクシーの兄ちゃん達が集まってきたので、早速交渉してバガンの遺跡に出かける事にした。


2014年11月18日

ミャンマーの旅10

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ヤンゴンの朝を迎えた。相変わらず朝から暑いが、バガンに出発の朝でもある。自分はバガンの事を知らなかったが、てっちゃんが遺跡があるから訪れた方がいいと教えてくれたので行く事にした。ホワイトハウスをチェックアウトしてバスターミナルに向かい、バガン行きのバスを見つけた。とりあえず、ミネラルウォーターだけを買ってバスに乗り込んだが、なんとバスは西武ライオンズからのお払い箱になったものでライオンズのマークが剥げてきていた。席に着くとミャンマー人も乗り込んできて満員になって、朝9時に出発した。日本からのお払い箱になったバスでも席はゆったりして、エアコンもガンガンに効いている。どちらかと言うと寒いくらいで自分には天国だった。ヤンゴンを抜けると、すぐに田舎になり田んぼや森林地帯に入る。途中に休憩を取りながら、バガンに進んで行くのだが、休憩場所での食事が意外と美味しかったのにはビックリした。ここ数ヶ月のバスでの移動の中で一番快適でリクライニングもかなり倒れてグッスリと寝る事が出来た。


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15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
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