2014年10月15日
カンボジアの旅12
次の日に白人がチェックアウトして行く中で、昨夜の事件の事を思い出した。欧米人の1人が、どうもアンコールワットに行く時は悪路で、帰りが舗装されている道で、チケットも記念に欲しいんだがくれないんだよね。と言う話があった。でも、アンコールワットへの送迎は無料だからいいんじゃないかな?と思ったがカラクリがあった。チケットは使い回しをしていて、裏の入口と宿の店主は仲間なのであった。アンコールワット3日間チケットが、40ドルだとすると正規チケットではないので山分けになる仕組みだ。舗装された所の入口は厳重な警戒をしているので、チケットの使い回しは出来ない。なるほど、どこの宿も格安過ぎるのはアンコールワットへの闇ルートがあるから、安宿の割に設備が整っていたりするのかと分かった。それを知ってでも、店主からチケットを自分達は買ってバイタクを呼んだ。さぁ、世界遺産で有名なアンコールワットへいざ出陣!
カンボジアの旅11
バイタクの兄ちゃんが連れてきてくれたのが、アプサラホテルと言う名前の宿であった。自分達が泊まりたかったのが、チェンラホテルだったのだが歩いて3分ほどの近さであった。アプサラは小部屋と大部屋の二つあるのだが、小部屋は欧米人、大部屋は日本人と自然に分かれたようだ。もちろん、小部屋に行きたければ日本人も利用出来るが、大部屋の料金が一泊1ドルと安いのが魅力だった。宿の真ん中にはレストランがあった。チェックインをして昼過ぎに街を歩いてみた。比較的大きい川があり、そこを渡ると市場があるのだが、川沿いに4軒のぶっかけ屋があった。その名の通り、ご飯に好きな具材を選んでぶっかけて食べるのだが、日本円にして50円ほどの安さであった。シェムリアップにいる時の昼御飯は毎日通っていた。市場では特に目新しい物もなく宿に戻ってノンビリしていたら、店主がアンコールワットに行かないのか?と聞いてきたので、今日は行かないけど、明日か明後日には行くと答えたら、宿でチケットを買って欲しいと言われたのでオッケーした。夜になり、治安も良くないので宿のレストランで食事をしてアンコールビールを飲んでいたら、バイタクの兄ちゃんが流暢な英語で酔いながら話かけてきた。君達は、いくら持っているのか?100ドルなんて安いもんだ!とか、やたらお金の話をするのだが酔っているだけなのかと話を聞いて、現地の兄ちゃんと友達になったと思っていた。夜の10時になり、3時間位飲んでいると小部屋から白人女性が大泣きしてレストランに来た。なんと、パスポートや現金500ドルが盗まれたと叫んでいる。レストランは満員状態で大混乱になった。みんな自分の貴重品を確認しに部屋に戻ったりしていた。どこで発覚したのか分からないが、さっきの兄ちゃんが犯人だとバイタクの兄ちゃんが言い出した。あいつは今朝から酒を飲んでお金の話をしているから怪しいとなった。その兄ちゃんの言う通り、犯人のバイクのメット入れの底からパスポートと現金が出てきた。そこからが大変だった。宿の株はガタ落ちに、みんな明日チェックアウトすると言い出し、店主は犯人に大激怒。竹の棒を持ってきて、殴る蹴る叩くで犯人の身体と顔は一気に腫れ上がった。このままでは死んでしまうと思い、宿泊者で、その場を止めたが犯人は息をするのがやっと。生まれて初めて人間が殺されそうな所までを見てしまった。カンボジア人にとってみると実際に殺されてるひとを見ているから平気なのだろうが、被害者は大丈夫だから殴るのを止めてと言うほど酷かった。犯人は警察が引き取りいなくなったが、恐らく警察で拘留され無事に帰って来れないと思うとバイタクの兄ちゃんが言っていた。しかし、宿でこんな事件があったので次の日にチェックアウトする白人は多かった。
2014年10月14日
カンボジアの旅10
プノンペンの日本橋から北へちょっと行った所に、シェム・リアップに向かうボート乗り場があった。
高速ボートは意外と綺麗で、おそらくカンボジア製ではないだろう。中も100人程度入れる席があり、
ボートの上で風を切って乗るのもOKとの事。早速、西森さんは上に昇り風を楽しんでいた。
自分とてっちゃんは、席にゆっくりと座り、途中心地よさに寝てしまった。シェム・リアップまで、3時間程度で着いてしまい以外と早く着くのにはビックリした。シェム・リアップに着くと安宿の勧誘が凄まじかった。どこの宿にするかは決めておいたので、その名前を言うとバイタクの兄ちゃん3人がそこまで連れて行ってくれると言う。しかも無料で!これは宿からお金が貰えるみたいで、どこの宿でもいいから旅行者を連れて行きたいのだろう。しかし、そこは日本人バックパッカーで満室であった。仕方ないので、その通りが安宿街なのでバイタクの兄ちゃんと一緒に探してもらう事になったが、すぐに見つかった。
カンボジアの旅9
プノンペンに来て、初めてツアーに参加してみた。キリングフィールドを観光バスで行くものだった。
広大な敷地で芝生も綺麗に生えているので公園かとおもいきや、ここで処刑された人達の頭蓋骨が、その辺に
沢山あるではないか。一体、内戦が激化していた時は、どれだけの人達が殺されたのかと思うと怖くなってくる。プノンペンに2週間ほど滞在していたが、そろそろ次へ行こうと言う話も、ここキリングフィールドで出て、3人とも次なる町のシェム・リアップを目指そうとキリングフィールドから帰ってきた際にチケットを購入した。シェム・リアップへは高速ボートで行くのだが、今回の旅ではボートで移動というのは初めてだったので楽しみであった。
2014年10月13日
カンボジアの旅8
最初にプノンペンに来た時は、無政府状態の国が怖かったが、一週間もすると慣れてきた。あんまりにも細かい日本社会よりも楽に感じた。日本人は勤勉だが、民間人も公務員みたいに固い。ここでは公務員が、いい加減。金さえあれば物事がスムーズに進む。自分には、カンボジアの方が向いているかな?と感じた。電車が3分遅れて怒るような民族よりも、心が豊かなカンボジア人の方が合っていた。剛に入れば郷に従えと言う言葉があるが、その通りだとも感じた。足がない人や腕がない人を見ても目を背ける事はなくなったが、慣れは怖いとも感じた。でも、何か失っていた物を取り戻した。それは言葉では言えない心の奥底に忘れてしまっていた感情であった。
2014年10月12日
カンボジアの旅7
悪徳警官達から逃れたあとに、日本商店を見つけた。日本の雑誌や醤油、ポカリスウェット、ほとんど何でも揃う。どこの都市でも日本商店は大なり小なりでもあるもんだが、プノンペンで良くやるなと感心した。内戦が起こりやすい場所で経営すると、店ごと取られる恐れもあるのに。それだけ在プノンペンの邦人がいて、需要があると言う事であろう。日本の商店近くに、外人専用のスーパーがあった。そこは現地カンボジア人は入れない為、セキュリティーの人が見張っている。自分達も汚い格好はしていたが、一応外国人。セキュリティーを突破するのは簡単で中に入ると、日本では普通だが品物が豊富、建物も綺麗で空調が効いていて涼しい。このスーパーを見つけてから、毎日通うようになってしまった。それは涼しいのと、飲料水が炭酸か水しかないので、ここだとパックの牛乳が手に入るので身体が自然と欲しくなったからだ。スーパーの周りはバイタクの兄ちゃんが、全員指を一本立てて待っている。1ドルで乗らないか?と言う意味であるが、プノンペンに慣れてくると1ドルは高い。リエルで安く乗れる事を知ったので、足としてかなり使った。
2014年10月11日
カンボジアの旅6
プノンペンでは、ゆっくりと観光をした中で、王宮へと足を運んでみた。その途中は裏道を通るのが近道であったが、その裏道に軍人数名と出くわしてしまった。嫌な汗が出てくる。顔を合わせないように通り過ぎるが、人通りがないので、呼び止められてしまった。軍人の1人が日本人か?と聞いてきて「ありがとう。」「おはよう。」と簡単な日本語を話してきただけだった。悪徳軍人だと金を支払わないといけないので助かった。王宮に着いたが外壁がボロボロで塗装もはげている。ここに国の王様が住んでいるとは思えなかったが、カンボジアの状況からすると仕方ないのかなと感じた。王宮の前は広大な公園になっているが人影が少なく閑散としている。その足で、外人向けスーパーに行ってみる事にした。バイクが物凄い勢いで引き返して行く所に差し掛かった。そこには悪徳警官が4人いて、適当なバイクを停めてカツアゲをしている。その横を知らないフリして通り過ぎたが、やはり声を掛けてきた。ここは無視して逃げた。情報ノートに手書きの地図で書いてあったのを思い出したが、きちんと頭に入れておけばよかった。
2014年10月10日
カンボジアの旅5
バイタクの兄ちゃんとも仲良くなり、郊外に綺麗な建物の置屋があるから行ってみないか?と誘われて、みんな興奮気味になっていた。昼間でも大丈夫らしく、じゃあ行ってみようとプノンペンの北をバイクで走り続けた。約30分ほど走った所で街に着いたが、街と言うか村なんだが、コンクリートの建物が多くて4階〜5階建てがばかりだ。確かに昨夜のボロ小屋とは違う。上のベランダから物凄い多い女の子達が、自分達を見ている。バイタクの兄ちゃんに促されるまま、1番綺麗な造りの建物に入ってみた。好きな女の子をピックアップして値段交渉するのだが、女の子達は私を選んで欲しいと近づいてくる。そのアピールが物凄く激しい。稼ぎが悪いと店主から体罰でも受けるのかと思うほどであった。1人好みの子を選んで値段を聞いてみたら、7ドルだと言う。ここからは交渉でどこまで値下げ出来るかの問題だが、やはり70thストリートみたいに3ドルでは無理だった。自分は止めて、その辺をブラブラしようかな。と思った時に、店主も自分があんまり興味ないのが分かったのか、自分達は4ドルでいいからどうだ?と話してきた。その話に乗っかって各々個室へと入っていった。部屋はベッドとシャワーが付いていて6畳ほどだろうか。窓がなくて照明はピンク。自分が選んだ子は20才くらいで、ゆっくりと脱がされて、女の子も脱いだ。シャワーで汗を流してくれて、ベッドに入ると始まった。肌の色は、まさにクメール人の色。慣れた手つきで、さすがプロ。終わると寝っ転がりながら手話をして終了。さすがに昼間なので外に出ると眩しい。西森さんは目の前でコーラを飲んでいた。こういうのが目当てでくる旅行者が多く、沈没する原因が分かった。日本からすると破格な値段で売春が行われているので、それを知っている風俗好きな日本人が来るんだろう。バイタクの兄ちゃんは宿からリベートらしき金を受け取っていた。だから、ここまでのバイタク料金が安かったのか。とお金の流れの仕組みを知った。てっちゃんが中々戻ってこなく、やっと戻ってきたと思ったら、楽しいから手話で話続けてしまったとの事。全員揃ったのでプノンペンのマーケットまで戻って、中華レストランへと入った。ここは、女とドラッグの街であり、ちょっとしたお金で1日を満喫出来る沈没国であった。プノンペンに唯一ナイトクラブが1つだけあり、朝までオープンしている情報が入ったが、自分は断った。朝まで飲んでいられるか分からず、しかも室内と言え夜の外は怖い。西森さんは1人で行ってみるとクラブへ夕方から行ってしまった。その夜、どこかで飲んできた日本人旅行者2人が宿の前で襲われた。夜の11時頃に宿の前に着いたらパンツ以外はすべて脱ぐように言われて銃を突きつけられたと言う。幸いに所持金5ドル程度しか持ってなく、パスポートも宿に置いてあるから助かった。自分もパスポートは宿に置いてコピーを持ち歩いていて、現金も少量しか持たないようにしていた。これはプノンペンにいる旅行者は、ほとんどが同じ事をしている。プノンペンで被害に遭う人が多いので旅行者が身に付けた知恵でもあった。
2014年10月09日
カンボジアの旅4
夕刻に宿へ戻り、マーケットで買った物を部屋に置いてバイクタクシーに乗って70thストリートへと向かった。バイクタクシーには英語使いもいて大きい橋が右手に見えてきた。それは日本のODAで造られた橋であり、英語でジャパニーズブリッジと呼ばれていると話してくれた。その橋を渡らずに左に入ると置屋街へと入っていく。ピンクのネオンが広がっており、化粧をした女性が異常なほどいる。各店によって人数は異なるが、この異様な光景と女性の多さにはビックリさせられた。他の2人はどこかへ消えてしまい、自分も適当な店を選ぶが言葉が通じないのでバイタクの兄ちゃんにどこがいいのか聞いて入ってみた。店先で店主と交渉。とりあえず、初めての経験なので3ドルで店内に入る事にした。まずは女の子を選ぶと個室に入れられた。可愛いが、そういう気分にならないが女の子は服を脱ぎ始めた。裸体の細さに栄養失調なのだと分かりやすいが、どうも気が進まないので手話で話し始めてみた。その子も性行為がないと分かったのか、ベッドに横になり話し始めた。全部が理解出来たか分からないが、どうやらベトナムから連れて来られたらしい。まさに人身売買で来た感じを受けた。その時、置屋のドアとシャッターの閉まる音が聞こえた。もしかしたら、自分は閉じ込められたのかも!と部屋を飛び出したら、バイタクの兄ちゃんもバイクを店に入れて店内にいた。どうやら、軍隊が来たので店を閉めたとの事。軍人は無料とノートに書いてあったが、店側は抵抗出来ないから無料になる訳だ。小窓からストリートが見えたが、店を閉めるのが一瞬遅れた置屋が狙われて数名の軍人が入っていった。なんと非情な所なんだ。軍隊が引き揚げて行ったあとに、自分はバイタクの兄ちゃんと宿へと帰った。プノンペンに来て色んな意味で熱い所だとつくづく感じた。自分が帰ってきたあとに続いて他の2人も宿へ帰ってきた。
カンボジアの旅3
キャピトルホテルの1階で食事をしていると、旅行ノートが置いてあった。
日本人旅行者が好きな事や情報を書けるノートである。それを読んでいた西森さんが、70thストリートって
ところに置屋街があるみたいだよ!と興奮して言ってきた。置屋って知らなかったので聞いてみると、
ソープランドだよって教えてくれて、行こうよ!と誘ってきました。てっちゃんも行きたいみたいで、じゃあ夕方にでも行ってみようとなり、外国人料金3ドル・現地人1ドル・軍人無料とノートに書いてあった。
軍人無料?しかも、値切れば1〜2ドルにもなる。とノートに情報を書いた人は、相当通い詰めたんだろうと感じた。時間は、まだ朝なのでマーケットに行ってみようと、歩いて20分くらいの所なので散歩がてら行く事にした。
マーケットはドーム型になっており、中も意外と広く色んな雑貨から貴金属まで売っており、自分のTシャツがヨレヨレに
なってきたので半ズボンとTシャツを購入。カンボジアの人は、ぼったくるイメージが強かったのだが、
何故か激安価格で金額を提示してきたので、ちょっと値切ってみたところ、すぐにOKとの事。ほとんどタダに近い値段で買う事ができた。貴金属のショーケースを除くと店員さんが暇なのか、すぐに声を掛けてきて、
見ているだけと英語で伝えても分かってもらえないので、早々とマーケットから出て行く事にした。
マーケット周辺には冷たいドリンクや食事も出来る屋台が至る所にあり、100%ジュースを飲んで休憩。
カンボジアの最高気温は、35℃まで上がるのが普通で高温多湿の為、タオルを常時持参しないと汗ダラダラに
なる状況。昼食は、マーケット近くに見つけた中華レストランで取る事にして入ってみたら、メニューには中国語で書かれていて店員さんも全部中国語で話している。クメール語が話せないみたいで、簡単な中国語で注文したら、店員にビックリされ、炒飯と餃子を注文したが味は中々良かったので、何回か通う事になる。
マーケット周辺でブラブラしていると、いつの間にか夕方になっており、宿へ一回戻ろうと歩いていた時に、
現地の兄ちゃんから女の子は要らないか?と英語で言われ、建物の奥へ興味本位で入ってみると、50人近くの
女の子達が座っているではないか!3ドルでいいよ!と言われたが、ちょっと怖くなったので、また来ると言って、その場から逃げるように宿へ戻った。