2017年01月29日
維新の志士達を鍛えた薩摩独特の郷中教育
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「議を言うな」・・・・薩摩の士分の青少年の間で、よく使われていた言葉です。現代語に直すと、「つべこべ小賢しい理屈を言わず、先輩の言うことには従え。」というような意味でしょうか。
藩政時代の薩摩では、城下の武家の居住地をいくつかの区域に分け、その区域ごとに子弟の教育にあたりました。
区域のひとつひとつを「方限」(ほうぎり)とか「郷」(ごう)と呼び、その教育機関として、郷の相中(あいなか)略して「郷中」、つまり現在の学区にあたる制度を設けていました。
郷中教育では、幼少の頃から肉体的にも精神的にも徹底した鍛錬教育が行われ、特に上下関係は厳しくしつけられました。「議を言うな」「年長の者には従え」という暗黙の了解はそういう土壌で培われたと思われます。
他には「弱いものをいじめるな。」「嘘をつくな」といった人間としてあたりまえな事を徹底的に教えられました。
薩摩藩の城下には、江戸時代末期の頃で33の郷中があり、中でも加治屋町郷中は、高麗・上之園・上荒田の三郷中と並んで、幕末から明治にかけて多くの逸材を生み出したことで有名です。
偉人傑士として、西郷隆盛や大久保利通、西郷従導、大山巌、村田新八、東郷平八郎、黒木為驕iためもと)他、明治維新を成す上で欠かせない人物達も皆、郷中教育で鍛えられ、日本近代化への原動力となったことを如実に物語っています。
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