2017年01月25日
洋式紡績所の英人技師7人の居館「異人館」
「西洋の進んだ文化や技術を積極的に学ぶべし」。薩英戦争で西洋の技術力を見せつけられた薩摩藩は、1865年(慶応元)国禁を侵して使節と留学生19人をイギリスに派遣しました。
向学心に燃える青少年達を引率した、新納久修(ひさのぶ)・五代友厚らには、もう一つの重要な任務が託されていました。新時代にふさわしい産業の導入と、その技術を教える技師の招聘です。
薩摩藩最後の藩主・島津忠義は、先代・斉彬の意志を継いで、近代的な紡績工場の建設を計画しました。
五代らはイギリスの工業地帯むを回り、梳綿機(そめんき)10台、精紡機6台を買い付け、技師7人を招くことに成功しました。
1866年(慶応2)11月、まず始めに司長のイ=ホーム一行4人が到着。翌年の正月には工務長ジョン=テットロウ、ついて技師2人が加わり、工場の完成に先駆けて白いペンキ塗りの木造2階建の宿舎が完成しました。
後に異人館と呼ばれたこの技師居館は、日本最初の洋式紡績工場とともに、先進地・薩摩のシンボルともいうべき存在になりました。
維新後、鶴丸城跡に移され、七高造士館本館として使用されましたが、再び元の位置に戻され、現在は国の重要文化財として保存されています。
仙巌園の道路向かいですので、是非セットでご観覧下さい。
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