2017年01月19日
川辺清水の磨崖仏群
今は南九州市の一部になりましたが、旧川辺(かわなべ)町の清水という場所に、「清水の磨崖仏」と呼ばれる史跡があります。
川沿いの道を歩くと、岩肌に仏や梵字、五輪等などが400〜500Mにわたって刻まれています。
彫られた年代も平安時代から江戸時代までにおよんでいて、中でもあちこちに刻まれている五輪塔は、亡くなった人の供養のために彫られたものといわれていますが、はっきりとしたことは解明されていません。
清水磨崖仏群には、現在200墓の供養塔、仏像や梵字が確認されていますが、写真の大五輪塔はその中でも最も古く、最も大きなもので、日本一の大きさだそうです。
彫られたのは平安時代から鎌倉時代の初めごろと考えられ、下から地輪・水・火・風・空という五つの形でできていて、これは仏教で世界を作る5つの要素と考えられていました。
下から「ア・バン・ラン・カン・キャン」と読み、一つのお経となっています。今でもだれが、何のためにつくったか、はわかっていません。
一帯は近年整備され、夏場は川をせき止めてプールになり、涼を求めて訪れる子ども連れが多くなりました。
川沿いの道を歩くと、岩肌に仏や梵字、五輪等などが400〜500Mにわたって刻まれています。
彫られた年代も平安時代から江戸時代までにおよんでいて、中でもあちこちに刻まれている五輪塔は、亡くなった人の供養のために彫られたものといわれていますが、はっきりとしたことは解明されていません。
清水磨崖仏群には、現在200墓の供養塔、仏像や梵字が確認されていますが、写真の大五輪塔はその中でも最も古く、最も大きなもので、日本一の大きさだそうです。
彫られたのは平安時代から鎌倉時代の初めごろと考えられ、下から地輪・水・火・風・空という五つの形でできていて、これは仏教で世界を作る5つの要素と考えられていました。
下から「ア・バン・ラン・カン・キャン」と読み、一つのお経となっています。今でもだれが、何のためにつくったか、はわかっていません。
一帯は近年整備され、夏場は川をせき止めてプールになり、涼を求めて訪れる子ども連れが多くなりました。
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