熊本で生まれ30数年暮らしてましたので、就職して定年まで熊本から出ることは
ないだろうと思ってました。
全国に支社はあるものの、特に希望するか、組織の要求があれば転勤ということは
有りますけど…
ところが結婚した頃に上司から転勤を打診されたのです。子供が生まれたばかり
だった事もあり、せめて、子供が1歳になるまで待ってくださいと断りました。
今回、断れば自分の代わりに他の誰かが転勤になるのでこの話は終わったなと
思ってましたし、忘れてもいました。
しかし、1年後にまた同じ上司から転勤を打診されました。律儀に1年前の約束を
覚えていたらしく、「1年後ならいいと言ってたよね」と切り出され、宮仕えの
身としては仕方なく、承諾したのです。
そう言う経緯で転勤したのですが、なぜ1年待ってでも転勤させられたのかと言う
と当時はパソコンのスキルの高い人があまりいなかったのも理由の一つです。
当時はワープロ全盛時代でしたので、文書作成に長けた人が重宝されてました。
しかし、パソコンでも一太郎とかの日本語ワードプロセッサと言うソフトが
ワープロ専用機を凌駕し始めておりました。
ワープロ専用機は、新しい機能の追加などは新機種にならないと搭載されません。
高い買い物なので買い換えることは中々出来ません。
ですが、一太郎などのソフトはワープロ専用機に比べれば安いです。それに花子
なんて言う図形が作図できるソフトと連携出来たりして使い勝手や拡張性では
ワープロソフトに敵わずにやがてワープロ専用機は衰退していきました。
そういう顛末になるものの当時はワープロ専用機の天下だったのです。そんな時に
いち早くパソコンに目をつけていた私はパソコンそのものに詳しかったのです。
それが転勤先が私を欲しがった理由でした。その転勤先は研修施設で100台近くの
パソコンがあるとの事でその運用管理の人間が欲しかったのです。
研修施設は東京にありましたので東京に転勤となりまして、蓋を開けてみると
パソコンの運用管理だけでは済みませんでした。
研修施設なのですから、当然、全国から社員が研修に来るのです。その研修の準備
に伴う機材のセッテイングなども仕事でした。
運用管理のグループは5名なので結構忙しかったですね。
で、気がついたら12年ぐらい過ぎてました。
まあ、仕事は楽しかったですね。IT関連の展示会などには情報収集と称して毎月
出掛けてましたし、所属部課の研修で全国各地に出張したりして充実はしてました。
できる事ならずっと同じ仕事を続けたかったのですが、仕事?(職務)の特性上、
長く(4年以上)同じ勤務場所にはいられないので配属されて3年を過ぎた頃から
異動の希望は毎年出すことを求められました。
しかし、本人の希望は最大限に尊重はしてくれます。ですから、私は同じ職務を
12年半続けることができました。
そして、そこでやる事は全てやった感はあったので満足でした。
12年もいるのですから異動の話は毎年ありました。でも、私の方は子供の学校の事が
気掛かりでしたし、会社も私の後任を見つけられずにいました。
まっ、親も高齢でしたしね。帰省するたびに戻れるなら戻った方がお互いに安心かな
と思ってはいました。
ちょうど、長男が小学校を卒業するというタイミングになったので、前向きに異動を
希望したわけです。
転勤は半年後という時間的には余裕はない中で進められていきました。そういうわけ
なので、こちらも希望を言いづらかったのですが、当時の課長が努力してくれまして、
11月頃には熊本、福岡、大分のどこにするのかというところまで詰めました。
家族に相談したり、希望先の職場の状況などを考えて年末には福岡に決まりました。
熊本には戻れませんでしたが福岡に転勤できましたので、東京から帰省するよりは
はるかに距離的にも時間的にも近いわけですから、とりあえず良いかなと。
そして、桜咲く3月下旬に12年半ぶりの九州に帰ってきたのです。
もう転勤はないので定年までこの福岡で暮らす事になりました。