2013年05月22日投稿。
「なぁに、お紀伊ちゃん」
紀伊がじっと見つめてくるので、お愁は首を傾げた。
すると、ぐっと着物の裾を握って、なぁー、なぁー、と声をあげた。
「なぁに? お着物、欲しいの?」
こくこくこく。
お愁の言葉に、紀伊は思いっきり頷いた。それを見て、お愁はにっこりと笑う。
お愁は、ずっとこの長屋に住んでいる小さな童女である。肩までの髪の一部を三つ編みして、きらきら飾り紐で結わえている、どこにでもいそうな童女だ。身体は僅か三尺余りしかなく、紀伊よりも少し小さく見えるぐらいである。二人にさして差はないのだが、やはり紀伊は角がある分お愁より大きく見えるのだ。
お愁は自分の着物を見た。赤に桔梗の入った、可愛らしい着物だ。
座長がここを買い取ってくれた時、これからお世話になるねとくれた、上物の着物だ。
大好きな座長に貰ったものだから、それだけでも嬉しゅうて嬉しゅうて、お愁はとても大切に着ていた。
そんな着物が、お紀伊ちゃんも欲しいのね。
そう思うとお愁は嬉しくなって、紀伊の頭を撫でて言った。
「お兄ちゃんに頼んでみようか」
すると紀伊は嬉しそうににこにこして、それからぎゅっとお愁に抱き着いた。それを優しく撫で撫でしてから、お愁は紀伊の手を取って、ぽてぽてと離れへと歩いていった。
離れに着くと、普段は茶室の中にいるか縁側でひなたぼっこをしている座長が、今日は珍しく離れの前で煙管を燻らせていた。
「あぁ、お愁、お紀伊、どうしたんだい」
言うと、座長は優しくお愁の頭を撫でてやった。
それにお愁が嬉しそうに目を閉じるのを見て、紀伊も座長をじっと見る。すると、今度はその手が紀伊の頭を撫でるので、紀伊は嬉しそうに喉をごろごろと鳴らした。
「お紀伊ちゃん、お兄ちゃんみたいね、ごろごろごろごろ、可愛い」
お愁は嬉しそうに笑った。
「さて、二人とも、どうしたんだい?」
そんなお愁をもう一度撫でてやってから、座長は尋ねた。
すると、紀伊はお愁の着物を引っ張って、じっと座長の顔を見る。
それに少し首を傾げて、
「ん、どした?」
座長はもう一度尋ねた。
すると、やっぱり紀伊は同じように着物を引っ張って自分を見るもんだから、座長は困ったように苦笑いを浮かべた。
それを見てお愁は、口を挟む。
「お兄ちゃん、お紀伊ちゃんね、お着物が欲しいみたいなの」
「着物?」
お愁は自分の着物を広げて見せた。
「お紀伊ちゃんも、お着物が着たいみたいなの」
「はぁ……、」
すると座長は困ったように腕を組んだ。
「着物、ねぇ……、」
そして溜め息を吐くと、紀伊をまじまじと見つめる。
「つまりあれかい、反物のお召しを着たいってことかい」
座長がぽつりと言うと、紀伊はこくこくと頷いて、またお愁の着物を引っ張った。
お愁は上目遣いで座長を見る。
「お兄ちゃん、お着物買ってあげて」
すると座長はもう一度溜め息を吐き、こつんとお愁の頭に拳を置いた。
「お愁、この子はお前と違って成長途中なんだよ。だから上物の着物を買ってやっても、すぐに着れなくなっちまうんだ。それに……、」
言い掛けて、口を閉ざす。
それにね、お愁、この子はまだ性別がないんだよ。
銀に育てさせて銀と一緒に風呂に入って、そんなこの子は、きっとそのうち男の容姿をとるだろう。自分が言うのもなんだが、そんなこの子が童女の恰好を、ねぇ……。
そう思うと先が憂えて、また、自然と溜め息が出た。
すると、お愁も紀伊も同じようにしょぼくれた目をするもんだから、また、溜め息が出る。
「そうさねぇ……、」
「お兄ちゃん……、」
まぁ、したい恰好をすることに反対はできないさね。
あまりにしょげる二人が可愛らしいもんだから、座長は肩を竦めた。
お古でよければ用意してやれんこともないか。
そう考え直すと、
「うっし、何とかしたら。おいで」
もうすっかり煙の落ちた煙管の屑を捨て、それを懐にしまった。
「じゃあ、ちょっと見に行ってみようかね。見るだけだよ、今日見て、どうしても欲しけりゃ、これからちゃんと手伝いを頑張るんだ、そうしたら、お前の頑張りによっては、買ってやらんでないよ」
言って、座長はまた、紀伊の頭を撫でてやった。
すると二人が顔を見合わせあまりに嬉しそうに笑うもんだから、座長は、まぁ、たまにはいいかと苦笑いを浮かべるのだった。
さて、どこぞ行こうかね。
そう思って、ふと、紀伊を見る。
あぁ、これじゃあ、外には出せないねぇ……。
座長は溜め息を吐いた。
そう、ここに来てから二週ばかりになるのに、紀伊は来たときのまんま、青肌に角と、誰から見ても鬼子の姿なのである。感情表現こそ多くはなったものの、喋ったりもしないし、このままじゃ、外に出ても人に忌まれるだけである。
「お紀伊、外に行くにはそのまんまじゃあ、ダメだ」
「なぁ?」
紀伊は不安そうに座長を見る。
そんな紀伊に、座長はお愁をぽんぽんと叩いて見せる。
「人の容姿になれなきゃ、外には出られないんだよ、お紀伊」
人とはね、そう、お愁みたいに角がないんだ。肌だって、お愁と同じ色なんだよ。
「お前、人に化けられるだろう。外に出るときは、お愁みたいにならなけりゃいけない。ほら、やってごらん」
紀伊はお愁を見つめた。
そんな紀伊を見て、お愁も言う。
「お紀伊ちゃん、お角、ないないよ、ないない」
お愁が自分の頭を叩いてしめすので、紀伊も自分の頭に手をおいて、角をぽんぽん触ってみた。
確かに、これはお愁にはないものだ。
なぁー、なぁー。
紀伊は目を瞑って、頭をぽんぽん叩いてみる。
すると、するすると角が小さくなって、しまいには本当に消えてしまったもんだから、これにはさすがに座長も驚いた。
なぁー、なぁー。
そして次には、肌の色も、お愁のように人と同じそれになって、しまいには髪も真っ黒に変えてしまったもんだから、感心して頭を撫でてやった。
「お紀伊、やればできるじゃないか」
すごいねぇ、こんな変化が、ちょいと教えただけで出来ちまうなんて。よくもまぁこんなものを作れるもんだよ、あれは。
座長はまじまじ紀伊を見つめながら思った。
そんな紀伊を見てお愁もはしゃぐ。
「お紀伊ちゃん、私たち、お揃いね」
そんなお愁を見て、紀伊も、嬉しそうになぁーなぁー鳴いた。
そんな二人を見て、ならまぁいっかと肩を竦め、
「じゃ、遅れないようについて来るんだよ」
と、先々歩き出した。
それを見て、お愁と紀伊も、嬉しそうに手を繋いでついていった。
そうして外に出て、三人いろいろ呉服を見て回ったが、やっぱり童用の上物の着物なんて、今時分どこに行っても見当たらない。
「小さい子も最近は洋装をすることが多いからねぇ」
呉服はめっぽう売れいきも悪くなったから、童女用の小さな反物は仕入れなくなったんでさぁ。
言われて、お愁も紀伊もまた、しょぼくれた。
当の座長はというと、まぁそんなもんだろうと鼻を鳴らして、じゃ、他を当たるよとそのまま店を後にするもんだから、お愁も紀伊も仕方なく、ぽてぽてとついて歩いていくしかなかった。
何軒か回った後、座長はふと立ち止まる。
急に立ち止まったりするもんだから、紀伊はそのままぶつかってしまい、なぁーなぁーと抗議の声を上げた。
すると座長は一軒の店を指差した。
「蜜豆だ、あそこのは美味しいんだ、どれ、ちょっと休んで行くかね」
そう言って二人の手を取って、座長は甘味屋ののれんをくぐった。
「主人、蜜豆三つ、」
座長は言いながら近場に腰を据える。
それに倣って二人も座長の前に腰掛けると、そわそわと辺りを見回しながら蜜豆を待つものだから、つい、座長の顔も綻んだ。
「いやぁ、驚いた。そらお仙さんの子供かい?」
暫くしてから蜜豆を運んできた若い男が、吃驚して声を掛ける。
それを聞いて、お仙は、くすくすと笑った。
「いややわぁ、文治郎はん、私にそんな宛があるわけないでっしゃろう?」
一座で預かってる子です、そう言うと、文治郎と呼ばれたその男は慌てて顔を真っ赤にし、いやぁそうですよね安心しました、と、わけの分からないことを呟いて店の奥に引っ込んでいった。
それを見てお愁はぽつり、
「お兄ちゃんって本当に……、」
と言って肩を竦めてみせた。
それにまたくすくすと笑いながら座長は、蜜豆美味しいねぇと優雅に口に運ぶもんだから、お愁もそれ以上は言わないことにしておいた。
そうして蜜豆を食べ終わる頃、座長は言う。
「さてね、これだけ歩いてもう見つからなかったからね、今日はもうお開きさね」
その言葉にお愁も紀伊もまたしょぼくれるけれど、座長はくすくすと笑って言った。
「お紀伊、せいぜい頑張って銀の字の手伝いをしてやんな。お前の頑張りによっては特注で仕立ててやるから」
そうしてすくっと立ち上がると、座長はまた先々行くもんだから、お紀伊ちゃん、お着物はまた今度だね、と、お愁は紀伊の手を引いて、座長に続いて、ぽてぽてと家路についたのだった。
「お仙、どこ行ってたんだい」
長屋にお愁と紀伊を送っていざ離れに戻ろうとすると、お妲が嬉しそうに抱き着いてきた。
本当に気儘に何処かに行っちまうんだから、寂しいったらないねとお妲があまりにもじゃれるので、お仙は肩を竦めて言った。
「お紀伊が着物が欲しいって言うもんだからね、ちょいと街を歩いてきたんだが、良いものは見つからなくてねぇ」
疲れ損だよ。
言うと、お妲はきょとんとした目でお仙を見つめる。
「着物? なんだいそんなもの、アタシのお古でよければなんぼだって紐解いてやったのに! 馬鹿だねぇ、お仙」
それを聞いて、お仙は口をあんぐりと開けた。
そんなお仙を見てお妲はくすくすと笑い、まぁたまには散歩もいいもんじゃないかと言うもんだから、お仙も肩を竦めて、そうさね、と返すしか出来なかった。
続く
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