「たあいのないことを話す」を英語やフランス語でどういうのかな。
フランス語なら parler de tout et de rien なんていう表現があって、まさに徒然なるままに、という感じ。
英語では「たあいのない」というのは trifling, insignificant や trifle, something of little importance or value という形容詞があるけれど、。
私なら簡単に to have a small talk ですませちゃう。しかし、長々と電話でどうでもいい話をするのとは少し感覚がずれてしまうかな。
「時々彼女と長々とどうでもいいことで電話をする。」なんて英語のこんな例を見かけた。
Sometimes we stay on the phone for hours without realy talking about anything.
フランス語だとこんな感じ。
De temps en temps je parle de tout et de rien au téléphone avec ma copine pendant des heures.
話は変るけれど、英語の諺で「転がる石に苔むさず」というのがあって、昔、ある結構真面目な本に、この諺は欧米では「転がる石」は「常に向上を求めて変化する人」で「苔」はむしろ不要なものとして比喩されていると読んだ事があった。「苔」は「低迷」を比喩し、それを避けるために敏速に行動するのが良いという意味合いをこめている、と。しかし、この諺を説明する英文に「成功しない人、責任を取らない人」の行動パターンに例えてあるのを多く見かける。どちらも正しいみたいだ。16世紀の意味では「苔」をネガティヴに捉えている。
A rolling stone gathers no moss
A person who never settles in one place or who often changes his job will not succeed in life ; one who is always changing his mind will never get anything done.
http://www.englishdaily626.com/proverbs.php
さて、英語がビジネスシーンで公用語化している現状に不安と反発を覚える人もいるんじゃないだろうか。日本に基盤を置く会社が海外進出のために社内のミーティングや大事な契約書やなんかを英語にしてしまう。そういう環境の中で置き去りにされた気のする日本人の社員もいることだろう。
言葉は伝達の道具であり、心を映す水のようでもある。
英語の発祥地イギリスの歴史の中でも英語はヴァイキングの北欧言語やフランス語やラテン語を取り入れながら現在の英語へと変化してきた。
時代が必要とする方向へと言葉は常にその姿を微妙に変えていく。人間が生き延びるために姿を変えていく。
反発や不安も一つのエネルギーだから、そのエネルギーを前向きに使った方がいい。
不安がいい方向へ向かえば、慎重さに向かう。反発は不正を正す力に向かう。不安や反発が悪い方向へ向かうと、排他主義に陥る。
フランスで日本語を学ぶ大学生たちのテキストのレベルの高さを知って驚いている私。もっとも話すとなるとどの程度かはわからない。知人にも日本語が少しわかる人がいるが、細かいところでぼろぼろになり、自由に話してもらうと文法はでたらめになり、適切な単語を使えないのでしまいには意味不明になっていく。日本語がある程度わかる人も、「公演」と「講演」の使い間違いをしたり。
日本人が中級英語で対応すると彼らのような状況に出会うのだろう、と思う。そんな会社員たちが大事な契約書を英語でチェックしながら仕事を進めなくてはいけない。が、失敗しても次がある、と経験を重ねていく。それに同じ日本語でも要点をつかめない話し方や文書を書いてしまう傾向のある人はそこから直す努力をすれば英語も伸びる、と私は信じている。
私は基本的に日本の会社なら日本語で通してほしい、と思う。世界には真面目に日本語を学ぶ学生達がいる。インドネシアにもアメリカにもフランスにも。国籍にこだわらずそういう学生達を日本で起用すれば良いのである。
思うに母国語が日本語で英語の先生をしている人たちが一度日本語を学ぶ学生達の授業に参加してみる機会があるといいと思う。別の視野での英語教育があると感じる瞬間を味わえるからである。