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2013年12月16日
「殉死」 司馬遼太郎  後半「腹を切ること」編
 書評は一冊につき記事一本にすべきだが「殉死」に関しては前半・後半で区切るべきだと思い記事を分けた。

 司馬が乃木のことを生理的に嫌悪していることは前半部「要塞」や「坂の上の雲」を読めばすぐにわかる。しかしこの後半部「腹を切ること」を読むと乃木への批判がやや薄れたかのように感じられる。あたかも、自分の首を切った恨み尽くしても足りない上司についてふと彼の立場を思い、押し黙るようなものである。

 「腹を切ること」は@乃木夫妻の交流A日露戦後の乃木B乃木の内面思想C殉死の経緯、が内容となっている。乃木とその妻静子の結婚生活は現代ならば週刊誌で騒がれるであろうほどに奇妙なものだ。乃木の悪所通いや、軍隊生活を家でもし家族をそれに従わせる点などは、とうに愛想を尽かされてもいいほどである。日露戦後の乃木は学習院の院長となる。そして彼は陽明学徒でもあったと、乃木の精神描写が多くなる。乃木と明治帝、昭和天皇の交流譚や殉死前に彼が終わらせたかった仕事が描かれる。

 乃木が日露戦の復命書を読み上げる場面は象徴的である。他の司令官と違い、乃木は自身の手で誰のものよりも名文で、感動的な復命書を書き上げ、奏上する。途中、彼はうなだれ、嗚咽し始めたため明治帝と乃木そして児玉を残して他の将官たちは退室する。凱旋後、服を着かえる余裕は十分にあり宮中ということで他の者どもはみな華麗な礼服を着用していた。その中で乃木だけが泥と硝煙の染みついた戦闘服のまま参加した。司馬は言う「希典はつねに劇的であった」。この明治帝と郎党・乃木との劇的場面にいた児玉は日露戦の疲労により、泣いたり座を外す気根も心の弾みもなくなってしまっていた。明治帝は日露戦で陸軍最大の功労者と言ってもいい児玉ではなく、希典の劇的なたたずまいの方を好まれた。

 劇的性格の人間はある母体があれば否応なく存在するものだ。大方の場合は承認欲求や実現欲求を変に拗らせている場合が多いものだが乃木はどうか。司馬が乃木の内面を描くに持ち出した材料は陽明学(さらに狭めれば山鹿素行の系譜)である。司馬作品では「峠」「世に棲む日日」でおなじみの思想であるが司馬は今回乃木の自律のみならず国家観への言及でこれを持ち出している。乃木が日露戦で時折見せた自殺的行動や劇的行動は、「陽明学的体質」の者に「陽明学」が触れたために起こったと彼は言う。

 「旅順のときも大石橋のときも、死は美であるとしか希典には考えられなかったのであろう。そのことは、陽明学的な純粋発想からすれば正しいのであろう。動機が美でさえあれば結果をさほど重視せずともよいということであろう」

 現実問題としての彼の死は戦局の混乱を招くばかりか、外国にも伝えられ戦費調達を阻害し、戦争自体の遂行・成否にかかわるものである。しかし彼の心にはあまり関係がなかった。と司馬は書く。

 このような人間がどうやって出来上がるのか。司馬は陽明学についてやや安直に解釈をしがちだが、乃木に関してはその強引な解釈で充分合うように思われる。さらに初めの方で「乃木自身がそうである以上に彼を見る周りの人々の目がいっそうにその風姿を劇的に仕立てようとした。」この文はかなり良い。これのおかげで個人的にはすんなりと読了できた。

 自身を劇中に動かす乃木。彼の劇は相方の明治帝を中心に成り立っている。その相方が居なくなった以上、幕切れしかない。

 乃木が妻にさえ殉死の決意をぎりぎりまで伝えない所と言い、彼は変なやつである。三島の「憂国」、進化生物学、深層心理などを絡めて考えても面白いかもしれない。

 「殉死」ジャンルがあるならばトップ2には入るであろう良作。

乃木希典 明治天皇 軍神






2013年12月16日
「城塞」 司馬遼太郎
 この作もメインの主役を置かずに群像活劇の様相を呈している点「関ヶ原」の系譜を継いでいる。「関ヶ原」から十数年が経ち、前作の登場人物たちも変わった。反豊臣のラスボス家康はそのままとして謀臣正信は息子正純に代わり、三成の位置には大野治長が、島左近に代わり小幡勘兵衛が登場する。福島政則・加藤清正はまだ存命だが老いてしまっている。真田では昌幸が没し幸村が登場する。また講談などで有名な毛利勝永・後藤又兵衛・木村重成らも登場する。描写は勘兵衛が徳川方の諜者として大野家に潜入するところから始まり、家康・勘兵衛・幸村らを中心に展開していく。

 この作品も面白い。ただ「関ヶ原」に比べ人物の魅力に欠ける。これは司馬の筆力のせいではなく、「関ヶ原」とは何もかもが違うからであろう。

 第一家康とその政府の権力が相対的に増大しすぎてしまったがために、家康の謀略が荒くなっている。釣鐘事件の件など、チンピラの難癖同様の恫喝が彼の外交の主流となる。対する治長は三成ほど芯のある男ではない。三成も決断が鈍ることが多々あったが、徳川が絶対的な敵であるという危機認識は変わらなかった。しかし治長や城中の女どもは家康の策略に容易に乗り、乗るたびに徳川は自分らの味方だと錯覚する。城内の統一認識どころか個々人レベルでも危機認識に一貫性が無いところが致命的である。勘兵衛は諜者でありながら、治長のことをどことなく気にかけている。もう少し勘兵衛が積極的に歴史に介入するところを期待してしまうがそうすれば創作がメインになってしまうからやむを得ないのだろうか。幸村はじめとする牢人武将たちの活躍はさすが生き生きとつづられている。胸がすく展開はここだけだろうか。

 この作品は「関ヶ原」という勢力争いゲームの分水嶺を経て誕生した閾値を超えた「相対強者」が「絶体強者」となり「支配者」となる過程を描いたものである。そのためあまり激動が無く、結果が分かりきった展開となるのも仕方がない。

 徳川方の諜者である勘兵衛が時折「大坂方について勝たせてやろうかな」と思うのも面白い。勘兵衛は他の城将と異なり山っ気で入城しているわけではないが、それでも時折心が動くのである。このあたりの自負心・実現欲求などが諜者のロイヤリティー・アイデンティティーの本質なのかもしれない。

 また、秀頼を囲む女や小姓どもが権力を有している描写も面白い。「胡蝶の夢」では多紀楽真院ら漢方の奥御医師たちが大奥とつるみ権勢を振るう様が描かれていたが、それに似る。権力が自然発生的にどういったところに根付くかが分かる。

 ラストは「関ヶ原」ほどではないものの、考えさせられる。

司馬遼太郎 大坂の陣 小幡景憲






2013年12月15日
「関ヶ原」 司馬遼太郎
 関ヶ原−日本人なら誰もが知っている戦国最後の大合戦である。五大老トップ徳川家康と五奉行トップ石田三成、両者が如何にして対立構図となり戦端を開くに至ったかが生き生きと描写されている。司馬遼太郎の作品の中では「明確な主人公がいない」群像活劇のパターンということで「城塞」に通ずるものがある。

 この話の主人公格は石田三成・その謀臣島左近・徳川家康・謀臣本田正信である。準主役として福島政則や真田昌幸、黒田官兵衛らがぞろぞろ出て来て心躍る。

 三成に過ぎたるものと評され、軍勢を指揮したならば天下で三指に入るといわれる島左近。彼は自身の主、三成の自覚無いままに敵を作りやすい性格にあきれつつも、彼のその人柄に惚れ込み奔走する。家康とその待臣本田正信は秀吉死後、表裏ありとあらゆる手を尽くして豊臣家を弱体化させるため護持者・三成に罠を張り巡らせる。三成は勘定や内政官僚としては比類なき才を持っていたが、ここぞという時に決断ができず、左近は家康暗殺を幾度となく止められ歯噛みする。理想主義的・戦略的で構想がとかく広大な現実認識が甘い三成に対し、現実主義的かつ戦術的で即物的な左近は何度も意見が衝突するが、左近は決して三成を見捨てない。福島政則らによる屋敷襲撃事件・小山軍議を経て決戦・関ヶ原となる。西軍は寄せ集めで士気もばらばら、内応している軍もある状態である。あとは決戦をもって家康を打ち取るのみ、と覚悟した三成、左近、大谷吉継らはいかなる最期を迎えるのか、家康・正信らはいかにして反逆者の汚名をかぶらずに三成征討軍を起こしたのか。三巻約1600頁の大作ながらすぐに読み終わってしまうほど面白い。

 司馬文学の欠点は、設定・構造及び対話が巧緻につくられすぎている上、巧みに史料と創作が交えてあるためつい史実もそうであったと思い込んでしまうところだ。司馬自身も自身の作品が史実を忠実に再現したものではないと認めている。司馬作品は司馬の信奉する近代合理主義を歴史上のある地点において、有名人をプレーヤーとして展開しているものなのだ。世が世なら司馬はある種、マキアヴェッリのような役割を果たしたかもしれない。

 ともかくこの作品の圧巻は小山軍議とラストである。小山軍議の情景描写はそのまま現在の役員会議や株主総会、政界会談を思わせるものがある。いかにして大義名分を無いところから作り出すか、敵陣営を買収して切り崩すか、防衛本能をくすぐり味方に抱き込むか、ここまで会議の場における謀略を縷々と描いた作品も珍しい。

 ラストは三成の愛人と意外な人物との会話で終わる。司馬作品の中でも特に余韻が残る終わり方である。この場面を藤原頼長の政治思想やカラマーゾフ、他のキリスト文学と比較するのも一興かもしれない。

 石田三成 島左近 関ヶ原 徳川家康 司馬遼太郎










2013年12月15日
「北斗の人」 司馬遼太郎
 現代剣道の基礎の基礎と言っていいであろう北辰一刀流を創始した千葉周作の話である。この話では

 ・そこまで動乱の時代ではない
 ・したがって政治思想的なものも出てこない
 ・だが剣術という「技術業界」に限っては主人公がパラダイムシフトを起こしまくる

という点で「俄−浪華遊侠伝」と似て気楽に読める作品である。千葉周作が怪しげな術理を持ち出す古流剣術を打ち破り、「合理的な」新剣法“北辰一刀流”創始に至るまでが痛烈である。ある意味では司馬作品の特徴「近代合理主義礼賛」が最も色濃い作品かもしれない。

 武道をやっている人間なら「型」と「実戦」の兼ね合いについて悩んだことが誰しもあるのではなかろうか。剣道・柔道・空手はいざ知らず、弓道においては「当て射」なるものがある。学生弓道に多いもので、指導者はこれを忌む。射形が「射法八節」(現代弓道における型)の理想型から外れ、当たりばかりにとらわれているため変な癖がついてしまっているものを指す。さて射形がきれいで中らない射と、射形が汚くて当たる射、どちらが優れているか。これは各弓道人により出す答えは異なるだろう。少なくともこの本の持つまぶしいばかりの合理礼賛の姿勢は少しは参考になるかもしれない。

 相手との戦いに勝つために合理的に剣技・教授法を練り現在に近い竹刀剣法を編み出した周作であったが、試合の勝負にこだわりすぎて、真剣勝負の精神と技術を疎かにしないためにまず抜刀・組太刀で技を練り、修行が一定段階に達し初めて竹刀打ちに進めるようにしたというのが興味深い。

北辰一刀流 千葉周作 司馬遼太郎






2013年12月10日
「殉死」 司馬遼太郎 前半「要塞」編
 私は中学、高校時代から司馬遼太郎の著作が好きでよく読んでいた。司馬遼太郎の小説の主人公にはいくらかのパターンがあり@「国盗り物語」の斉藤道三のような俗気に富んだ野心家タイプA「花神」「胡蝶の夢」に出てくるような技術屋B「竜馬がゆく」「燃えよ剣」のように青春小説の体をとりつつも、その主人公は合理主義者というタイプC「世に棲む日日」の吉田松陰といった思想家D「功名が辻」の山内一豊のように以上の類型で主役を演ずるまでの力量はないが、人間ドラマを描くために抜擢されたものE司馬文学がそこまで思想を前面に打ち出す以前の作品の主人公、といった風に分けることができる。
 

 @、A、Bに共通するテーマは司馬文学最大の特色である「近代的合理主義の体現者である主人公が非合理的な者どもと対峙する構図」である。@、A、Bに分類される作品の主人公たちは特に司馬の好きな人物が多いのか表現技法の限りを尽くして、その活躍を描いている。また、これらの作品の中には「峠」や「燃えよ剣」に見られるように「先見性と合理性を備えた有能な主人公が、時代の流れに逆行する皮肉の構図」もあるのだがそれには今回は触れないでおく。

 

 CやD、Eの主人公たちに対しても基本的には司馬は優しい視線で描いている。まあ作家といえど興味の湧かない人物を書くことはまれであろうから、自然と好意的になるのはうなづける。しかし以上の六類型に当てはまらないのが今回取り上げる「殉死」である。

 

 前置きが長くなってしまったが「殉死」−これは司馬遼太郎が「坂の上の雲」の中で散々にこき下ろした乃木希典についての話である。量は200頁と少しで、短編より長く、2、3冊構成の長編の1冊より薄いぐらいである。司馬文学の特徴の一つは「主人公とあまり関係のない人物や事物のエピソードを大量に盛り込むことで、物語終盤には伏線となったり、主人公一個の人生とはまた別に主題が展開される」といったものである。これは長編に多いため、「殉死」程度の長さではあまりその特徴を見いだせない。そしてこの作品が他の司馬文学に比し、異色である点は司馬自身の乃木への批判という否定的動機から本作が成り立っている点である。司馬文学において往々にして批判される「前近代的な」「非合理的な」権威、組織というものは暗に旧日本軍を匂わせるように描かれていることが多い。司馬の旧陸軍嫌いはその小説、随筆各所からうかがい知れるが、旧陸軍の象徴的存在として軍神「乃木」を非難する知識人は多い。彼ら知識人の多くは戦前生まれが多い気がするがやはり戦中教育からの反動なのだろうか。「坂の上の雲」批判から始まっての乃木再評価の流れがあるが、今回は司馬の「殉死」における乃木像のみに絞りたい。



 「殉死」は前半が「要塞」、後半が「腹を切ること」と題されている。「要塞」は日露戦争における乃木の苦闘を中心に、軍人としての表の生活を描いており、「腹を切ること」は乃木夫妻の結婚の話から始まり乃木の思想生活や天皇との交流、最期の殉死に至るまでが描かれている。



 前半部「要塞」であるがこれは後半の「腹を切ること」に比べると数段品が下がる。これを小説として読む場合の心情の描き様も、思索スケッチとして読む場合の推測のち密さも「腹を切ること」の方が優れている。この記事は「要塞」の書評で止めておきたい。

 「要塞」の内容を略記する。戊辰の騒乱が終わり、青年乃木は国もと長府から軍人になるために上京する。長州閥でかつ吉田松陰門下の末席であるという異例の筋目の良さを持つこの青年は、軍事的素質は皆無であったものの、軍才に富む親友児玉源太郎の補佐や明治帝の信頼、上官の好意的解釈を背景に着実に昇進していく。西南ノ役、ドイツ留学を経て老境に差し掛かろうとしていた彼は第三軍司令官、すなわち旅順要塞攻略軍司令官として日露戦争に臨むこととなる。ロシア帝国が国力を尽くして作った不落の旅順要塞の前を前にして、乃木と参謀たちは徒に兵の犠牲を強いるばかりであった。第三軍の醜態を憂慮した大本営、海軍の意向を受けて親友児玉源太郎が代わりに指揮をとり旅順を陥落させる。陥落後の水師営の会見での乃木の降将への振る舞いは、世界中に伝わり、彼は名将として称えられることとなった。後、彼の率いる第三軍は北方戦線に転戦した。しかし、日露戦争最大の陸軍戦であった奉天大会戦において第三軍は総司令部と連携が取れず、任務を全うできなかった。帰国後、乃木が自身の屈辱たる報告を明文した奏上文を秘かに読んだ児玉は、「これが乃木だ」と友を賛美するのであった。

 「殉死」が描かれたのは1967年で「坂の上の雲」の連載が始まる1年前である。「要塞」の内容はそのまま「坂の上の雲」の乃木が登場するシーンと言っていい。司馬の日露戦争史観で最も批判を食らうのは乃木が絡むシーンばかりなのだが、ここではその指摘ではなく、司馬がなぜそのように描いたのかを考えたい。

 それがいかなる系統になるにせよ作品の完成度としては「要塞」よりも「腹を切ること」の方が格段に優れていると私は先に書いた。むろん、それは乃木の心理描写についてもだ。「殉死」自体に心理描写は少ないものの、「要塞」は殊更それが少なく、読者は軍才のない乃木が戦争のたびに醜態をさらすさまを見て、彼の行動描写や時折入る児玉や他の軍人あるいは司馬自身の感想から探るしかない。司馬の小説は「歴史的に正しい流れに沿った小説」といったものではなく「司馬の信奉する合理主義もしくは歴史上の法則を著名な人物をプレイヤーとして展開した物語あるいは寓話」として読んだ方がいいというのが自論である。司馬は普段はお気に入りのプレーヤーを用い、それと対峙する嫌いな駒(例として岩村精一郎や海江田信義など)を徹底して落とす作風であるが、「殉死」は極めてまれなことに嫌いな駒をプレーヤーにし、作品をかいている。司馬は他作家と比べて格段に多くの資料を読み込んでいるため、エピソードを引き出そうと思えばいくらでもできたはずだ。彼が乃木の無能さを断罪するに当たり@軍人として決定的に才幹を欠き、日露戦争で失敗を重ね続けたことA(@とやや被るが)ドイツ留学の際、戦術研究よりも服飾研究に力を費やしたため彼にとっての軍事は半ば抽象的な存在であったことB周囲は乃木を更迭しようにも乃木の自殺を恐れてできなかったC乃木は頑迷で大本営や総司令部のいうことを聞かなかった、以上三点程度が「要塞」の中で書き出されている。

 ある人物の適性を無いと断ずる際には@のように直接「才能ないよ」という直接的言及、ACのように本人のやる気の問題だとする志向性への言及B「周囲も腫物扱いしてるよ」という環境も巻き込んでの言及のパターンがあるのだということをよく実感できた。人間悪口を言う方が褒めるのよりも舌がよく回るとはよく言うがまさにその通りだった。この作品に書き出される主人公もエピソードもどれも輝きがなく、ページをめくるたびに悲惨な失態が繰り返されていくのに、なぜか読み始めると止まらない。さらに言えば司馬作品の主人公には「峠」の河井継之助や他の青春的な雰囲気の長編のように「自律」という課題についての取り組みを好意的に描く場面が多いが、Bのエピソードのように乃木のそれに関しては皮肉にしか感じられないような全体の構成が印象的だ。

殉死 司馬遼太郎 乃木希典 明治天皇



                                                                                                                         
 


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