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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (03/31)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/22)
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「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他 (02/19)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/23)
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「日本の地下経済−脱税・賄賂・売春・麻薬」 (12/22)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/20)
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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (12/12)
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2014年01月13日
「桂馬の幻想」 坂口安吾
 何とも奇妙な小説である。若手の天才棋士・木戸六段は対局中に中座し、外に出かけてしまう。逍遥中に彼は茶屋の娘の顔を見てふと桂馬が思い浮かぶ。それは彼が考えていた次の一手を示すものであった。そして彼は突如失踪する。彼と娘のいきさつを知る記者が彼らを見つけ出した時には、彼らは奇妙な同棲をしていた。彼らはいわゆる夫婦ではなく、教祖と信徒という関係性で同棲していたのだ。

 要約しても意味が分からないが、オリジナルを読んでも意味が分からない。棋士という極めて頭脳を酷使する勝負師が、対局から抜け出した際に見た女の顔に桂馬が浮かんだ。ここまではまだわかる。思考の共感覚とでも言おうか。

 題名の通り、この時見えた「桂馬」の幻像がテーマとして終盤まで貫く。記者は娘について調査するにつれ、娘の父親の不審な死やまじない師として村では避けられていることを知り、木戸の身を案ずる。

 木戸が初めに見た「桂馬」の幻像は「この娘は殺人を犯したのではないか?」というものだが(これは外れであった)、次に「彼女と同棲する」という新たな「桂馬」の一手をとる。

 娘に、自分と木戸の暮らしを見ないかと誘われ記者が目にしたのは、木戸に理解不能な暴力を振るう娘教祖の姿であった。彼女は木戸を殴ったり、柱に叩きつけるたびに洗脳するかのような言葉を吐く。

「目をあいて、オレを見な。オレの目を見な。お前の性根はくさっているぞ。お前の魂はまだ将棋指しの泥沼からぬけていないよ。人間は自然の子だ。カボチャや大根と同じものだぞ。ちっとも偉いことない。まだ、わからないか。このガキ!」

しかし、木戸は彼女を母親のように慕い、記者から見ても彼らの行動はどことなく愛情が通ったものと映るのであった。娘の振る舞い・様子は記者や村人等から見ると距離を置きたくなるものであり、彼女を見たものはだいたい見立てを誤り悪く解釈してしまう。

 木戸は「桂馬」に錯覚しなかったのは自分の誇りだと述べる。あの時見た「桂馬」は、彼女の行動が単なる物理的・精神的運動であるからこその翳だったのだと。ここで娘教祖の行動は女王蜂がオス蜂を殺すのと同じ、罪悪はなく翳がある行動であると語られるのだが、ここの部分は新興宗教の教祖の行動基準・理念と照らし合わせてみれば面白いかもしれない。

 さらに娘は村人から罵詈雑言を浴びせられると「虫けらどもが!」と応戦する。「日本中虫けらだらけさ」と語るのだが、宗教の閉鎖性は単なる一個人レベルにおいても存在することを示している。記者は都会の虫けら生活と先祖の大婆さん(この語句で木戸と娘の関係は記される)との共同生活、どちらもそんなにいいもんじゃないと結論づける。

 桂馬は将棋の駒の中では一番奇妙な動きといってもよい。初見の人から見ればまさに「飛躍する」駒といってよいだろう。木戸は天才棋士だからこそ、発想が飛躍しすぎた。同じ場所に居合わせた記者では到底たどり着かない結論を見出した。「宗教」にはまる人というものは、思考の「飛躍」する人なのだろうか。木戸の得た安住は民俗学的、古代信仰的モチーフにあふれたものだが、「魂の安住」というキーワードでドストエフスキー作品の、運命を甘受する人々と比べて見るのもよかろう。安吾の奇抜な発想が十二分に発揮された作品である。

 結局、記者は「キミは適所を得たらしいが、オレは再びキミを訪ねないぜ」と「念を押して」別れを告げる。「念を押さずにはいられないような妙な不安におそわれたからである。」






 

2014年01月09日
「英雄の器」 芥川龍之介
 文学好きの人に言わせれば両者はまるっきり別物なのだろうが、芥川と安吾の短編は非常に読みやすい。日頃ノンフィクションや実用書、専門書の方ばかりを「読書」する人間にとっては「文学」はあまりにも文章が濃厚すぎて胃もたれを起こすのだ。中島敦ぐらい現実生活から離れたリズムなら良いのだが、大半の作家が用いる言語は日常語が豪華になったものであるがために、つい油断して、中ってしまう。

 自分も含めフィクションにあまり触れない人間にとって、気軽に読みやすい小説は必然的に短めのものとなり、なおかつあまり重々しさがないもの、理知的だが軽妙洒脱な感じの作風…となるとやはりこの両者だ。安吾の洒脱さはヒロポン由来のイメージになってしまうが、芥川のそれは天性のものであると思う。

 芥川の短編は「蜜柑」、「魔術」、「花火」、「地獄変」…とどれも傑作だが、この作品もその短さに似合わぬ余韻の深さに圧倒される。

 項羽を打ち取った将軍たちが祝宴の場で項羽が英雄であるかを評す。それを劉邦は鼻で笑って、何かをつぶやく。 

 これだけの内容なのだが、「英雄というものは、天と戦うものである」という議論にかんするトートロジー(同語反復)で最後の落ちがつくというつくりがいかにも芥川らしい。純粋に文学を楽しむならば、やはりこういった作品だ。






2014年01月08日
「天才になりそこなった男の話」 坂口安吾
 かなり短い短編である。あまりに短いので要旨すら書けないのだが、軽妙洒脱な筆致で描かれる傑作である。

文章に全く無駄が無い上、起・承・転がしっかりが自然と緻密に配され、見事な結末へとつながる。声に出しても全く魅力を失わないであろう文体でもある。

青空文庫に入ってるので安吾の他の短編と共に、純粋に文章を楽しみたい方、短作文の名手を目指す方にお勧めする。

坂口安吾









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