アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

管理人
読書好きの不良学生です。読後の感想をブログにさせてもらってます。
アクセスカウンター
宝石買取ブランド買取サーチジュエリーファン
リンク集
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村 https://fanblogs.jp/rikotekinadokusyosi/index1_0.rdf
<< 2014年02月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新記事
最新コメント
・ク・ァ・、・ウ・ヨ ・ケゥ`・ムゥ`・ウ・ヤゥ` エメ、ュ 瓶モ
「桂馬の幻想」 坂口安吾 (03/31)
copy2021Wathe
「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/22)
copy2021Wathe
「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他 (02/19)
BagssjpPailm
「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他 (02/18)
BagssjpPailm
「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/16)
・�・、 ・・」・ネ・� リ抜シ 、ャ、゙ソレ
「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/23)
・ケゥ`・ムゥ`・ウ・ヤゥ`Nシ家キ・ミ・テ・ーリ抜シ瓶
「日本の地下経済−脱税・賄賂・売春・麻薬」 (12/22)
・チ�・テ・ッ・ケ ・ヌ・、・ネ・ハ 30エ
「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/20)
・�・、 ・・」・ネ・� ヘィリ
「桂馬の幻想」 坂口安吾 (12/12)
・ケゥ`・ムゥ`・ウ・ヤゥ` リ抜シ ・ラ・鬣タ
「戦いの原則−人間関係学から組織運営の妙まで」 大橋武夫 (12/06)
最新トラックバック

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2013年12月11日
「山霧−毛利元就の妻」 永井路子
 戦国ものの時代小説において女性が男性と同等に活躍するものは少ない。活躍するとしても色香で城を傾けるものや、せいぜい「真田太平記」に出てくるくノ一のようなものぐらいだ。本書はその点においては「功名が辻」と並び、珍しく女が男と同等に知恵を振るい、戦国の世を生き抜く話である。

 大河ドラマ「毛利元就」の原作となった本作は、22歳の弱小国人領主、少輔次郎の元に近隣の強豪・鬼吉川の娘、美伊が嫁ぐ所から始まる。元就・美伊二人の視点・心情が代わる代わる展開していく。

 この作品で興味深いのが元就と美伊の関係は単純な夫妻ではないことだ。元就も美伊も互いを深く愛し合っており、そのことは物語終盤まで変わらない。ただ、各々の配下のスパイに話がいく時だけさっと夫婦の関係ではなくなるのだ。さながら冷戦下のスパイマスター同士がカフェで対峙するようなものか。毛利元就が弱小領主の身から奸詐謀略をもって中国の太守となったことはよく知られている。その妻である美伊の背景は絶妙なものだ。親が近隣の強豪・鬼吉川「国経」で、叔父には尼子経久がいたりと元就も気が抜けない。現に美伊の付添いの侍女はたびたび美伊に向かい情報戦のアドバイスをしてくる。最終的には、美伊は元就の城下から完全に実家からのスパイを去らせるに至るのだが、この作品は戦国時代の夫婦関係・諜報戦・弱小土豪のありさまを実によく描けている。

 「たしかに戦国の花嫁は、ただの着飾った人形ではない。ある意味では複雑な性格の二重スパイでもある。婚家先は彼女を相手方との親善の窓口としながらも、一方では情報収集に利用しようとする。また花嫁も、頬には笑みを湛えながら、ぬかりなく実家に婚家の動きを伝えたりもする。」
 
 「戦国の女たちはしたたかなのだ。後世『政略結婚』と名づけられたこうした嫁ぎ方を、女の権利を無視した人身御供的なありかたと思うのは、およそ見当違いである。」

と作者は書く。元就と美伊の「毛利家」が隣接する大内・尼子という大勢力の間で知略の限りを尽くして生き抜くさまがありありと浮かぶ本作。この他にも連歌師による情報活動などにも触れられており面白い。毛利元就は知名度の割には小説が少なく、この小説が出る以前の有名どころだと山岡荘八の「毛利元就」があるがこれは元就配下のスパイを中心とした記述が多く、元就自身の心情描写が少ないのが淋しい。毛利元就を扱った小説で代表作を挙げるならば間違いなく本作を推す。「政略結婚」や「国人領主」、「戦国の女」といったトピックでも同様だ。

 小説冒頭にはこうある。
 
 「これは乱世の梟雄、毛利元就の物語ではない。中国山脈の山裾の霧の中を這いずりまわりつつ、十六世紀を生きた若い男と女の話である。」
毛利元就 戦国の女






2013年12月11日
「うずまき」 伊藤潤二
あまり漫画は読まないのだが、佐藤優が著書でだいぶ薦めていたので読んでみた。
私が読んだのは2010年に初版第1刷が出ているもので、1話30頁程度からなるエピソードが20話1冊にまとまっているものだ。

 主人公五島桐絵の住む町では「うずまき」に絡んだ異常現象が頻発するようになる。1話ごとに異常現象の起承転結はあるのだが、巻き込まれた主人公が助かる点以外には、話が進むごとに町の状況は絶望的なものとなっていく。主人公と家族、交際相手の秀一以外は基本的に1話のみの登場でばったばたと死んでいく。詳しい内容、結末は伏せるとして見どころは3点。

・各話のアイデア、起承転結のまとまりの良さ
・話が進んでいくにつれて町の人々や主人公の常識・良識がずれていく描写
・最終話の壮大なオチ

 どの話で「災禍」となるものも皆「うずまき」をどこかしらに持つものばかりなのだが、なぜ作者は「うずまき」をモチーフに選んだのだろうか。「災禍」はたいてい「うずまき」なのだが、「うずまき」に魅入られた人間が「災禍」となって主人公に襲い掛かる話も多い。

 佐藤優の解説を読まない限り、単なるよく出来たナンセンスホラーとして読了してしまいそうになる。佐藤が言うには「うずまき」を「資本」と読み替えればよく、そうすることでマルクスの「資本論」の内容を直観的に理解できると説く。この解説では随所で「うずまき」のエピソードと「資本論」、資本社会を比較しており、伊藤潤二がどう考えて「うずまき」を描いたのかは別として、かなり説得力のあるものとなっている。

 「うずまき」に家庭を壊され引きこもりになっている秀一は、桐絵以外とは接触を絶ち世捨て人のようになり、一見社会のはみ出し者となっている。しかし、町の人の狂乱をよそ目に幾度も桐絵の危機に現れ、助け出すところが生産能に乏しい反社会的インテリの活躍(誤解を恐れずに言うと古代社会の哲人やインテリゲンチヤといったところか)を思わせて面白い。

うずまき 伊藤潤二 








2013年12月10日
「テトラポッドに札束を−すべては絶望から始まる」 和佐大輔
 まず書き出しから凄い。「僕は『死んだほうが社会にとって有益な人間』です。」から始まる。12歳の時に海で遊んでいた著者は、テトラポッドに激突し頸椎を損傷し、首から下の身体機能を失い、車いす生活となる。高校生のころにネットビジネスに足を踏み入れ、試行錯誤しつつ年収1億超えし、情報ビジネスの帝王として君臨する現在に至る。

 本著は、著者がいかにして頚椎損傷の「死んだほうが社会にとって有益な人間」から年収1億円以上の「社会的にある程度認められた人間」へとなることができたのかが述べてある。200頁の新書で、文章も簡潔で、専門用語で分かりにくいということもないため、すらすらと読んでいくことができる。だからといって内容が薄っぺらなわけではなく、至る所で○○○の原則xカ条というように分かりやすくまとめてありそこら辺のビジネス本を何冊か読むよりも確実に実を得ることができる。
 
 前半3分の1で自身の半生といかにして今の地位を掴んだかが描かれ、残りは著者のものの考え方の展開と見ていい。

 年収1億を超えた時点で著者が気づいた5原則は興味深い。
・売っているものは商品だけではない
・理想のキャラクターを演じることで信頼される
・上から目線ではなく、俺様目線で発言することで存在価値が生まれる
・仕組みを正しく利用すればレバレッジが利く
・DRMほど強力なマーケティングはない
これを18歳の著者が気づいたというのもすごいが、後半3分の2に書かれている「昭和と平成の対比」「著者の考える生きる意味」「ビジネスチャンスに気づける人間になるための3カ条」「自分をプロデュースする方法」なども目新しさに満ち溢れている。

 ネット社会と現実社会はすでに同化しており、情報化社会のそのまた先の知識社会において「強者」となる「ハイパーデジタリアン」の特徴は
・「一は全、全は一」という思想に馴染んでいること
・結果ではなく、プロセスが全てだと考えていること
・内面的なアイデンティティを持っていること

だと著者は言う。ITツール弱者の私にとって、知識社会の「強者」とは、一昔前の図鑑に載っている「将来の人類の想像図」のごとき不気味な半分機械に取り込まれているようなものを想起させる。しかしこの本を読んだ後では、「ハイパーデジタリアン」なるものが妙に生命力にあふれた生き物に思えてくる。

 70億の人間を養うには10億人の労働だけで十分という論や経済的な生産性が無かったころの自信を「死んだほうが社会にとって有益な人間」と断ずる姿勢など読む人毎に感想は大いに異なる本だろう。時折出てくる「絶望」と「希望」というワードがこれほど似合う著者も珍しい。

 資本主義社会の在り方を批判する本は数多とあるが、資本主義社会の「弱者」が書いた「資本主義擁護」の本。買って損はない。

和佐大輔 ネットビジネス 







2013年12月10日
「殉死」 司馬遼太郎 前半「要塞」編
 私は中学、高校時代から司馬遼太郎の著作が好きでよく読んでいた。司馬遼太郎の小説の主人公にはいくらかのパターンがあり@「国盗り物語」の斉藤道三のような俗気に富んだ野心家タイプA「花神」「胡蝶の夢」に出てくるような技術屋B「竜馬がゆく」「燃えよ剣」のように青春小説の体をとりつつも、その主人公は合理主義者というタイプC「世に棲む日日」の吉田松陰といった思想家D「功名が辻」の山内一豊のように以上の類型で主役を演ずるまでの力量はないが、人間ドラマを描くために抜擢されたものE司馬文学がそこまで思想を前面に打ち出す以前の作品の主人公、といった風に分けることができる。
 

 @、A、Bに共通するテーマは司馬文学最大の特色である「近代的合理主義の体現者である主人公が非合理的な者どもと対峙する構図」である。@、A、Bに分類される作品の主人公たちは特に司馬の好きな人物が多いのか表現技法の限りを尽くして、その活躍を描いている。また、これらの作品の中には「峠」や「燃えよ剣」に見られるように「先見性と合理性を備えた有能な主人公が、時代の流れに逆行する皮肉の構図」もあるのだがそれには今回は触れないでおく。

 

 CやD、Eの主人公たちに対しても基本的には司馬は優しい視線で描いている。まあ作家といえど興味の湧かない人物を書くことはまれであろうから、自然と好意的になるのはうなづける。しかし以上の六類型に当てはまらないのが今回取り上げる「殉死」である。

 

 前置きが長くなってしまったが「殉死」−これは司馬遼太郎が「坂の上の雲」の中で散々にこき下ろした乃木希典についての話である。量は200頁と少しで、短編より長く、2、3冊構成の長編の1冊より薄いぐらいである。司馬文学の特徴の一つは「主人公とあまり関係のない人物や事物のエピソードを大量に盛り込むことで、物語終盤には伏線となったり、主人公一個の人生とはまた別に主題が展開される」といったものである。これは長編に多いため、「殉死」程度の長さではあまりその特徴を見いだせない。そしてこの作品が他の司馬文学に比し、異色である点は司馬自身の乃木への批判という否定的動機から本作が成り立っている点である。司馬文学において往々にして批判される「前近代的な」「非合理的な」権威、組織というものは暗に旧日本軍を匂わせるように描かれていることが多い。司馬の旧陸軍嫌いはその小説、随筆各所からうかがい知れるが、旧陸軍の象徴的存在として軍神「乃木」を非難する知識人は多い。彼ら知識人の多くは戦前生まれが多い気がするがやはり戦中教育からの反動なのだろうか。「坂の上の雲」批判から始まっての乃木再評価の流れがあるが、今回は司馬の「殉死」における乃木像のみに絞りたい。



 「殉死」は前半が「要塞」、後半が「腹を切ること」と題されている。「要塞」は日露戦争における乃木の苦闘を中心に、軍人としての表の生活を描いており、「腹を切ること」は乃木夫妻の結婚の話から始まり乃木の思想生活や天皇との交流、最期の殉死に至るまでが描かれている。



 前半部「要塞」であるがこれは後半の「腹を切ること」に比べると数段品が下がる。これを小説として読む場合の心情の描き様も、思索スケッチとして読む場合の推測のち密さも「腹を切ること」の方が優れている。この記事は「要塞」の書評で止めておきたい。

 「要塞」の内容を略記する。戊辰の騒乱が終わり、青年乃木は国もと長府から軍人になるために上京する。長州閥でかつ吉田松陰門下の末席であるという異例の筋目の良さを持つこの青年は、軍事的素質は皆無であったものの、軍才に富む親友児玉源太郎の補佐や明治帝の信頼、上官の好意的解釈を背景に着実に昇進していく。西南ノ役、ドイツ留学を経て老境に差し掛かろうとしていた彼は第三軍司令官、すなわち旅順要塞攻略軍司令官として日露戦争に臨むこととなる。ロシア帝国が国力を尽くして作った不落の旅順要塞の前を前にして、乃木と参謀たちは徒に兵の犠牲を強いるばかりであった。第三軍の醜態を憂慮した大本営、海軍の意向を受けて親友児玉源太郎が代わりに指揮をとり旅順を陥落させる。陥落後の水師営の会見での乃木の降将への振る舞いは、世界中に伝わり、彼は名将として称えられることとなった。後、彼の率いる第三軍は北方戦線に転戦した。しかし、日露戦争最大の陸軍戦であった奉天大会戦において第三軍は総司令部と連携が取れず、任務を全うできなかった。帰国後、乃木が自身の屈辱たる報告を明文した奏上文を秘かに読んだ児玉は、「これが乃木だ」と友を賛美するのであった。

 「殉死」が描かれたのは1967年で「坂の上の雲」の連載が始まる1年前である。「要塞」の内容はそのまま「坂の上の雲」の乃木が登場するシーンと言っていい。司馬の日露戦争史観で最も批判を食らうのは乃木が絡むシーンばかりなのだが、ここではその指摘ではなく、司馬がなぜそのように描いたのかを考えたい。

 それがいかなる系統になるにせよ作品の完成度としては「要塞」よりも「腹を切ること」の方が格段に優れていると私は先に書いた。むろん、それは乃木の心理描写についてもだ。「殉死」自体に心理描写は少ないものの、「要塞」は殊更それが少なく、読者は軍才のない乃木が戦争のたびに醜態をさらすさまを見て、彼の行動描写や時折入る児玉や他の軍人あるいは司馬自身の感想から探るしかない。司馬の小説は「歴史的に正しい流れに沿った小説」といったものではなく「司馬の信奉する合理主義もしくは歴史上の法則を著名な人物をプレイヤーとして展開した物語あるいは寓話」として読んだ方がいいというのが自論である。司馬は普段はお気に入りのプレーヤーを用い、それと対峙する嫌いな駒(例として岩村精一郎や海江田信義など)を徹底して落とす作風であるが、「殉死」は極めてまれなことに嫌いな駒をプレーヤーにし、作品をかいている。司馬は他作家と比べて格段に多くの資料を読み込んでいるため、エピソードを引き出そうと思えばいくらでもできたはずだ。彼が乃木の無能さを断罪するに当たり@軍人として決定的に才幹を欠き、日露戦争で失敗を重ね続けたことA(@とやや被るが)ドイツ留学の際、戦術研究よりも服飾研究に力を費やしたため彼にとっての軍事は半ば抽象的な存在であったことB周囲は乃木を更迭しようにも乃木の自殺を恐れてできなかったC乃木は頑迷で大本営や総司令部のいうことを聞かなかった、以上三点程度が「要塞」の中で書き出されている。

 ある人物の適性を無いと断ずる際には@のように直接「才能ないよ」という直接的言及、ACのように本人のやる気の問題だとする志向性への言及B「周囲も腫物扱いしてるよ」という環境も巻き込んでの言及のパターンがあるのだということをよく実感できた。人間悪口を言う方が褒めるのよりも舌がよく回るとはよく言うがまさにその通りだった。この作品に書き出される主人公もエピソードもどれも輝きがなく、ページをめくるたびに悲惨な失態が繰り返されていくのに、なぜか読み始めると止まらない。さらに言えば司馬作品の主人公には「峠」の河井継之助や他の青春的な雰囲気の長編のように「自律」という課題についての取り組みを好意的に描く場面が多いが、Bのエピソードのように乃木のそれに関しては皮肉にしか感じられないような全体の構成が印象的だ。

殉死 司馬遼太郎 乃木希典 明治天皇



                                                                                                                         
 

2013年12月10日
ブログ開設
 私は読書好きで、時間が許しさえすれば一月に20冊程度は読んでいる(まだまだ甘い方だろうか)。しかし、難解な思想書になればなるだけ、その解釈が大雑把になり、読後に心に残るものも少ないことに最近気づいた。そのため、ブログという形で読後時点での己の考えを残すことで、自身の成長記としたい。 













<< 前へ

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。