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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (03/31)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/22)
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「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他 (02/19)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/16)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/23)
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「日本の地下経済−脱税・賄賂・売春・麻薬」 (12/22)
・チ�・テ・ッ・ケ ・ヌ・、・ネ・ハ 30エ
「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/20)
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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (12/12)
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「戦いの原則−人間関係学から組織運営の妙まで」 大橋武夫 (12/06)
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2014年01月03日
「国家情報戦略」 佐藤優 コウ・ヨンチョル
 2007年発行と少し前の本である。政治分析の新書は如何にも「新書」らしく、賞味期限が決まっているものだが、良い「新書」のエッセンスはその時勢の断片標本として立派に数年後も機能しうる。

 上にはこう書いたが、本書では時勢分析よりは、インテリジェンス論がもっぱらであるため内容はある意味不変的なものだ。佐藤優と、同じく組織内の抗争で転落したコウ・ヨンチョル(元韓国国防省対外情報部)が韓国・北朝鮮・日本を中心としたインテリジェンス事情を語る。佐藤の対談本は多くあるが実際にインテリジェンスオフィサーとして活動した人物との対談はこの本ぐらいだ。

 舞台や題材は日本近辺に絞られるものの、初心者にもインテリジェンスがどういったものであるか概観がわかる作りとなっている。ヒュミントやシギント、NSAといった用語がある程度身についている人にとっても、韓国情報機関の人事についてや北朝鮮の謀略工作の実態、戦前の中野学校と北朝鮮特務機関の比較といった項目は読みごたえがあるだろう。

 中野学校の謀略について、「中野学校の教えの基本は、本当の意味での『謀略』以外の方法でやってはダメということです。女で脅したり、金で買収するようなやり方では、本当の謀略はできないと。謀略は真剣勝負なのだからこそ、『謀略は誠なり』でないと通用しないということです。」と佐藤は言う。中野学校からゾルゲ事件に至るまでの日本の情報活動に関する箇所はこの本独自の表現・考察もあり興味深い。

 書中、コウは瀬島龍三の「私がベトナム戦争発生をいち早く予測できたのは、特別な情報源からではない。その情報の出所は、大部分、国内外の新聞記事だ。一つの目的意識を持って新聞記事を読むと、高い水準の情報判断が生まれる」という発言を紹介するのだが、この発言のほかにも日本近隣のインテリジェンスで活躍した人物の事例が次々に出てくる。具体的事例をつなげていくアプローチのほうが、政治や歴史といったストーリー性が重要となる事物の認識・理解には良い。

 巷では特定機密保護法が騒がれているが、インテリジェンス的な面から(むしろそれが本題なのだが)の議論は驚くほど少ない。佐藤優の2007年時点でのスパイ防止法への考察も載っており、インテリジェンスの概観に触れるための本としては格好の一冊である。

インテリジェンス 北朝鮮






 

 

2014年01月03日
「1分間速読法ーあなたも1冊1分で本がよめる!」 石井貴士
 タイトルが衝撃的である。10分ならばまだ理解できるが、1分間は想像すらできない。

 大概の速読を謳う本では具体的なテクニックには言及しない。呼吸法や眼球トレーニングどまりで、末尾で著者の速読教材・教室へのアクセスが載っているだけ、80%は無意味な宣伝文句ばかりだ。書籍の体をなして店頭に並び澄ましている分、情報商材よりもタチが悪い。

 本書はそんな「速読」業界からやってきたにしては、かなり良質な方である。きちんと速読自体のテクニックに触れられているからだ。200ページちょっとあるが、核心は150ページ以降を読めばよい。右手で本を持ち、左手でめくる際、周辺視野で見開き2ページを0.5秒で眺め飛ばすそうである。また、1分間読書法に至るための3段階の自主トレーニング法が載っているのがよい。ほかの部分は大して意味がない精神論や商売文句だが、1冊の中にしっかりと中身もあるから優良である。

 肝心の速読法の効果だが、まだ訓練中なのでまだわからない。読むのではなくめくるのだと著者は言い、理解しようとするから他の速読は遅いのだと説く。この速読は、読後なんとなくわかってはいるが、うまく答えられない状態というように読後の理解をとらえ、既存の速読のように内容を記憶せんばかりの理解には興味を示していないのだが、読書自体の意義は書物から何かをつかみ取ることである。その点についての詳しい言及が欲しいところである。

 本書の速読法が実践性・普遍性に富むものかは、時間が数年後証明するであろう。ただ、詐欺まがいではないタイプの新たな速読本が出たことは喜ぶべきことである。

速読






2014年01月03日
「読書談義」 渡部昇一・谷沢永一
 学問を文系・理系に二分する分類法は日本独自の阿呆な風潮と念頭に置きつつ、普段は理系書籍に多分に触れた書評本しか読まないが、今回は完全な文系書評本である。

 著者は渡部昇一と谷沢永一。谷沢の著作にはまだ触れたことがないが、渡部のドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168)は傑作だった。本書では二人が文学界・書誌学から古書街事情、文壇の生々しい人間模様、果ては性関連アングラ本の草莽期に至るまで縦横無尽に語りまくる。

 書籍と文学界、それを取り巻く事情について語られた作品であるため、紹介される本はいわゆる「古典」とされる部類がほとんどである。その種類も百科事典類を除けば、文学部・わずかに経済学部を除けば一生お目にかかれないような部類がほとんどである。古風な文学によほどの興味があるか、書誌学、図書館学の造詣がないと完全に話についていくのは困難であろう。自然科学的な話題はこれっぽっちも出てこない。

 現代文明を構成する知識・技術(法)のうち、自然科学が占める割合は年々増加している。かつて知識階級には必須とされた文学的教養・素養というものはいまやあまり顧みられない非「実学」となってしまっている。私自身はこのことに喝采も憂慮もするつもりはないのだが、文学を巡る談義というものが如何に行われるべきかという良い典型例をこの本は示していると思う。

 あまり文学論自体にこれといって特に気を魅かれた個所は無かったものの、古書店での作法、ブリタニカの版ごとの差異の考察についての箇所は興味深かった。二人ともがこれまで数多の書籍と触れあい、文字通り共に歩んできたのがよく感じられる。

 「文系」人間にとっては上質の文学談義として恰好であり、また「理系」人間にとっては資料の探し方、学問を形に残す作業「著作」のあり方を文学の世界を題材に考えることができる本である。

読書






2014年01月02日
「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉
 構成する文章は少ないものの、内容は濃密な一冊である。勉強・人脈・仕事・お金・人生についての著者なりのインプット・アウトプット法が述べられる。1日に10冊を読み、3日で1冊を書くという副題に魅かれて読んだ。

 項目自体が少ないので、気になった項目を以下に挙げてみる。

 「アダルトDVDから、源氏物語の本質に気づかされる。」
 「読み終わったら即処分する習慣にすると、たくさん読める。」
 「大好きな作家のゴーストライターを目指す」
 「メールを短くすると夢が早く実現する」
 「斜陽業界は意外にチャンス」

項目名だけではぱっと中身を想像しにくいものの、内容も破綻は少なく、面白い。本はなるべく多読・速読を目指すべきであり、読み終わった本は即処分する、などは意見は分かれるだろうが、読書の一系統としてはありだろう。情報は早めに消化し、形にしたもののほうが優れているという指摘は物書きとして極めて実践的経験知だ。

 書店のビジネスコーナー・自己啓発コーナーにある活字があまり多くない本というものは内容がほとんど充実していない紙くず同然のものが多い。しかし本書は作者が一風変わっているのか、実践性と斬新さに富んでいる。個人的には勉強・お金についての章が最も示唆に富んでいた。

千田琢哉






2013年12月26日
「かもめのジョナサン」 リチャード・バック
  有名な物語である。空を飛ぶことを突き詰め続けたカモメのジョナサンは、彼を理解しようとしない他のカモメたちに群れを追放されるが、めげずに飛ぶことを極めて行く。やがて彼は新たなゾーンに突入したり、弟子を持ったりしながらカモメ離れした「カモメ」へと変貌を遂げていく。

 私が読んだのは五木寛之訳の新潮文庫のものであったが、解説を読む限り五木はこの作品にはあまり共感を示していない。「しかし、この物語が体質的に持っている一種独特の雰囲気がどうも肌に合わないのだ。ここにはうまく言えないけれども、高い場所から人々に何かを呼びかけるような響きがある。(中略)この物語の中に母親を除いてただの一羽も女性のカモメが登場しないのも不思議である。後半では完全に男だけの世界における友情と、先輩後輩の交流だけが描かれる。食べることと、セックスが、これほど注意深く排除され、偉大なるものへのあこがれが上から下へと引きつがれる形で物語られるのは、一体どういうことだろう。総じてジョナサンの自己完成が、群れのカモメ=民衆とはほとんど切れた場所で、先達から導かれ、さらに彼が下へそれを伝えるという形式で達成されるのも、私には理解しがたいところなのだ。(中略)大衆的な物語の真の作者は、常に民衆の集団的な無意識であって、作者はその反射鏡であるか、巫女であるにすぎないとする私の立場が正しければ、この一つの物語は現在のアメリカの大衆の心の底に確実に頭をもたげつつある確かな潜在的な願望のあらわれと見なすべきである。」

 ジョナサンは物語が進むに従い、飛ぶことを通じて「カモメ」の本質に関わる思索をするまでに至る。そして彼の見せる飛び方は、岩をすり抜けたり、空間を超越したりとどんどんカモメ離れしていく。この描写にオウム真理教などの新興宗教を連想する人も少なくあるまい。また、彼が飛び方を極めていく中での思考過程は「十牛図」にも似る。

 上で五木が言うように大衆文学の真の作者が大衆の集団無意識であるとするならば、当時のアメリカの若者はこの作品の中の何を求めていたのか。作者が東洋的な思想に触れたことがあるのか、それとも物事を禁欲的に突き詰めていく作品を書いたら結果としてこうなったのか。

 この作品はヒッピーを中心として爆発的に広まり、最終的に世界中に広まった。ジョナサンの思考は仏教思想やキリスト教を思わせるものがあるが、作者は何を意図したのであろうか。この本は短い上に、作者はその解釈の道筋を定めないまま、世に出した。禁欲的修行物語の一類型として、20世紀中盤の代表的青年文学として、本書は後世に残り続けるだろう。そしてこの作品が再び注目を浴びる時代の大衆が何をこの作品に求めているかはその度ごとに変わっていくだろう。

カモメ ヒッピー



2013年12月26日
「リンゴの木」 ゴールズワージー
 この本は以前紹介した「僕らの頭脳の鍛え方」で佐藤優が紹介していたので読んでみた。因みにその本での紹介はこうだ「イギリスは現在も階級意識社会だ。パブ(居酒屋)でも労働者階級の出入り口には『PUB(パブ)』と書いてあるが、中産階級の出入り口は『SALOON(サルーン)』と書いてある。そして客も自らが帰属すると思う出入口を使う。若き弁護士のアシャーストが、ウェールズの田舎で純朴な少女と恋に落ちるが、階級の差を意識して捨てるという身勝手な物語。イギリス人エリートの階級意識と残酷さがよくわかる。」。

 この話の作者ゴールズワージーはノーベル文学賞作家で、国際ペンクラブ初代会長も務めている。ハーロー校を出てオックスフォード大学で学ぶという典型的な英国エリートのルートである。

 この話自体は短いもので、130頁程度なのですぐ読み終わるだろう。内容は以下のようなものだ。銀婚式の日に上流階級のアシャーストは、英国南西部の田園地帯を車で旅する。ふと車を降りて休憩してみると彼はあることに気づき、胸を痛める。その村は26年前、大学生だったころの彼がぶらりと訪れ、村娘メガンと恋に落ちた場所であった。当時は駆け落ちまで企てたものの、アシャーストは駆け落ち資金を取りに行った町で親友の妹−むろん上流階級だ、のステラと出会う。その娘に惚れてしまったアシャーストは、駆け落ち先でみすぼらしい格好のメガンを見て、彼女は自分の結婚すべき娘ではないと悟り、彼女を捨て、ステラと結婚。順風満帆な人生を謳歌する。そして銀婚式の日に彼は再びメガンと出会うが、彼女は変わり果てた姿となっていた…。

 佐藤はこの話で英国エリートの階級意識と残酷さを学ぶことができるとし、角川版では解説まで書いている。民族性をそのベストセラーから読み解く試みが妥当であるかどうかはともかくとして、アシャーストの行動に違和感を感じるか否かで、人間の類型を探ることは出来る。自身の属する世界以外の人間と結婚することができるかという本書の問題に対して、社会性・経済性・慣習性の点から反対する現実主義者、人同士の約束を重んじる理想主義者とを分けうる。また、男自体が困難が少しでも予想される獲物よりは獲やすい等価の獲物を狙う事に流されやすいこともこの本では示してある。

 価値観に民族固有性よりも個々人の資質・主義が影響されるであろう現代にあっても、この本が投げかける問題は様々な角度から読み解くことができる。

リンゴの木 ゴールズワージー 








2013年12月19日
「植物知識」 牧野富太郎
 日本を代表する植物学者である牧野富太郎が記した花・果実についての小冊子である。22項目で100頁程度の量である。スミレやユリなど我々に身近な植物の生物学的・文学的・民俗学的解説がびっしりと詰まった本書は昭和24年に発行されたものである(私が読んだのは講談社学術文庫から1980年に復刻したもの)。

 最初に来る「ボタン」では、ボタンの花の華麗さに触れるところから始まる。次いでその字義、学名解釈、藤原忠通の古歌、中国の故事、植物学的構造、自身が先年見た高山の大牡丹と話題がどんどん広く展開されていく。

 牧野富太郎は前時代の日本が輩出した大学者の一人だが、今の学者の在り方に比べるとこのころの人にはかなりの自由奔放さがある。まあ何せ草莽期であるからなのだが。牧野の学歴は小学校を一年目で辞めたところで終わっており、そのあとはすべて叩き上げである。途中東大教授の下で学生でも教員でもない自由な身分で研究していたこともある。貧乏と不運に耐え続け、ついには世界最大級の植物学者となる。彼の破天荒な一生は南方熊楠のそれとも被る。

 この本は彼が素人向けに著したものであるから、気楽に読み進めることができる。植物好きの隠居の茶飲み話を聞くようなものだ。上でも触れたように話題の転じ方が予測できない所が面白い。この当時は博物学的な学者の最盛期にして最晩年と見ていいだろう。彼のいかにも博物学的な記述を見ていると熊楠の文集を思い出す。

 今現在の人文・自然科学の細分化は著しい。そのすべてを俯瞰しうる学問分野もなければ、そうしようとする学者も寡聞にして知らない。かろうじてカオス理論や自己複製、ゲーム理論などを扱う人々が著作で今までよりも広範な分野を手中に収めようとしているぐらいであろうか。かつての自然科学・人文科学が一体然としていた往時をこの本でイメージできる。

牧野富太郎 植物学 博物学 南方熊楠








2013年12月19日
「サンクチュアリ」 史村翔・池上遼一
 極道モノの漫画である。史村・池上コンビで世に出た作品は他にも「HEAT−灼熱」や「strain」があるが私はこの「サンクチュアリ」が最も完成度が高いと思う。先にあげた他の漫画も総じて完成度は高いしとても面白い。漫画として楽しむならばどれも好きだ。

 この「サンクチュアリ」だけやや特別視するのは、この漫画は思想性が強いからだ。カンボジア内乱の地獄から生還した北条・浅見の二人は日本を作り替えようとする。表の道「政界」から日本を変えようとする浅見を「裏の道」極道から北条は支える。というのが骨子だ。何年か前のプレジデントの特集でこの漫画に触発されてベンチャーを起こしたという社長がいた。まあ気持ちは分からなくもない。

 注目したいのは主人公たちは、日本再生のために海外の安い労働力を入れ、市場を開放し、「日本人」に競争力をつけさせたうえで「和僑」にしたいと語る。この和僑の先発隊として組員が進出していく。この漫画は21世紀まであと数年という時点で書かれたものであるが、現状見ても未だ和僑といった現象は現れていない。国家観・人はどう生きるべきかといった大所以外にも、個人レベルでも考えさせるネタに事欠かない漫画である。

 自分はこの漫画を読んだ時なぜか頭に斉藤道三と「野望の王国」が頭に浮かんだ。「野望の王国」はまあ国盗りという点で似てはいる(権力奪取までで話は終わるが)。斉藤道三だが、彼が1人であろうが2人であろうが、とりあえず彼には常在寺・妙覚寺という宗教・民間面でのバックアップがあった。かれにもこのような関係の人がいたのだろうかとふと考えた。

池上遼一 史村翔 






2013年12月18日
「光秀の定理(レンマ)」 垣根涼介
 関東から流れてきた兵法者新九郎が辻博打を生業とする謎の坊主、愚息と巡り合うところからこの話は始まる。愚息の博打は常に必ず愚息が勝つのだが、新九郎にはその理由がわからない。分からないなりに彼は愚息とつるみ始め、やがて二人は十兵衛−明智光秀と出会う。幕府再興・お家再興のために奔走する十兵衛と浮世のことは気にせずのんびりと暮らす新九郎・愚息らは互いの境遇が変わっても交流を続ける。

 六角攻めの際、敵がどの間道に潜むか判断付きかねた光秀はよく似た状況−愚息の賭を思い出す。彼自身その仕組みは分からなかったが、ともかく彼は愚息に指示を仰ぎ、無事敵を撃破する。戦後、光秀からあらましを聞いた信長は愚息と会い、そのトリックを知ろうとする。そこで十兵衛らは人間心理に裏づいたトリックに愕然とするのであった。

 やがて時は流れ、老いた愚息と新九郎の会話が描かれる。彼らはなぜ光秀が本能寺の変を起こしたのかを語り合うのであった。

 要約すると以上である。話の構成からすると非常に奇策である。短編でやりそうなトリックを長編の、しかも主題にまで持ってくるところが凄い。従来の歴史小説とは構成・展開・主題とどれも違いすぎて、先が読めないまま最後まで突っ走ってしまう。

 詳細は書かないがトリックはモンティ・ホール問題である。この問題を小説にすればこうなるのかと驚きを禁じ得ない。さらにこの問題をモチーフにする描写が何度も現れる。時々、これは強引だなと違和感を感じることもあるが、総じて完成度・意外性共に高い。

 新たな視点から考えるということを実践した小説である。

明智光秀 垣根涼介 本能寺の変






2013年12月18日
「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他
 地政学ほど戦前・戦後で評価が転じた学問も珍しい。地理学と政治学を結びつけた言葉で、内容は文字通り政治現象と地理的要因とを探る学問で経済学・軍事学と密接に結びついている。

 戦前はマッキンダー地政学・ハウスホーファーの生存圏理論など世界各国でその実用性から隆盛を誇った学問であったが、日本においては戦後、全く顧みられなくなった。ドイツにおける「鍵十字タブー」によるナチス研究の後進性と同じく、日本における「軍国主義タブー」に起因する地政学・危機管理学の後進性、いわば「タブーによる学問の空白地帯」をこれ以上続ければ確実に「日本人」の認識と「他国人」の認識には埋めようのないズレが生じるであろう。いや、現時点ですでに差がついているといっていい。

 本書はフランスの高校教師や予備校講師らが集まり編纂したもので、地政学的要所100ヶ所を挙げ、解説したものである。現役の受験生らが主な読者だろうと訳者はあとがきで言う。フランスのバカロレア(大学入学資格試験)の「歴史・地理」では「1945年から現在までの欧州建設(段階、争点、限界)」「東アジア勢力エリア−空間の編成」といった論述に四時間かけて解答するらしい。

 「人間は自己に幻想を抱かざるを得ないのか」「自由は平等によって脅かされるのか」といった抽象的な哲学の試験の傍らで「歴史・地理」の試験がかなり地政学的なのは、向こうの人間がおよそ実学からは程遠い哲学と、現実主義とを常に持ち合わせていることを示しているといえる。

 本書は地政学の枝葉にあたる。地政学の学説自体を幹とするとマッキンダーやマハンらの著作がこれにあたる。対してそれら「地政学」の考え方を実際の地点で検証するために読むのがこの本である。

 本書では要所を4種類、「パワーを発散する地点」、「パワーが織り成される空間」、「パワーの鍵となる地点」、「パワーの対決地点−係争・紛争・妥協」と区分している。

 「パワーを発散する地点」とは世界的大都市である。「権力は慣性の論理に従って、同じ場所にとどまることを好む。そうした場所は、世界の他の場所と役割関係を結び、堂々たる威信を備えた枠組みを形作っている。」。ここではニューヨークやブリュッセル、ロンドン、パリと続くが、サラエヴォやアムリトサルといった日本ではあまり顧みられない都市が紹介されるのに対し、世界最大級の都市圏である東京・大阪が挙がらないのが興味深い。

 「パワーが織り成される空間」では国家同士の結びつき・民族問題といった抽象概念も含めてヨーロッパ、北米、南アジアさらには地中海、北氷洋など、世界全土の「くくり方」が紹介される。最後に宇宙空間とサイバースペースにまで言及するのには驚いた。

 「パワーの鍵となる地点」とは交流のための通路となる地点である。ホルムズ海峡やスエズ運河などの海峡や運河が紹介される。「日本のかんぬき」として対馬海峡・宗谷海峡が紹介されている。

 「パワーの対決地点」は文字通りの紛争・係争地点で、南シナ海、竹島、千島、チェチェンといった箇所が列挙される。

 全体的には「地政学的」地理用語集といった域を出ないが、日本の参考書ではこのようなベクトルでの解説は望めないため、良書である。

 日本語版に際して原書にはない地図がついているので助かる。ぜひとも地図を参照しながら読みたい一冊。

地政学 クセジュ バカロレア






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