╋ 宣伝使 ╋
王仁三郎が宣伝使(せんでんし)制度をつくったのは
大正14年(1925)1月です。
最初は「神教伝達使」と呼んでいましたが、
5月に「信教宣伝使」と改称。
階級は大宣伝使、宣伝使、準宣伝使、
宣伝使試補と4つに分けられていました。
一般に宗教の教えを広める人を宣教師だとか布教師だとか言いますが、
王仁三郎は宣伝使という名称を用いました。
なぜ「教」という字を付けないのかというと
──人間が造った教え、人造教であれば布教と言ってもよいが、
大本は世界唯一の神様の意志を、そのまま自分の考えを加えずに
世の中に伝えるのであるから、宣伝使というのである。
自分の意志が入ったのならばそれは宣伝使ではない──
と王仁三郎は説いています。
〔「於宣伝使会合講話筆録」『神の国』昭和7年3月号〕
霊界物語で宣伝使が出て来るのは、第5巻第18章「宣伝使」からです。
天教山に集まった神人(かみがみ)が青木ケ原に集合し、
野立彦命(のだちひこのみこと)(隠退した国祖)の神勅を奉じて、
世界の神人(かみがみ)を覚醒するために、
予言者となって世界各地に散らばりました。
これが宣伝使の起源です。
「三千世界一度に開く梅の花、月日と土の恩を知れ、
心一つの救ひの神ぞ、天教山に現はれる」
という予言の言葉を、童謡にしたり、演芸にしたり、音楽にしたりして、
千辛万苦してひそかに国祖の予言と警告を宣伝しました。
この時代はまだ「人」ではなく「神人(しんじん)」の時代なので、
宣伝神(せんでんしん)と呼ばれている場合もあります。
また「言触神(ことぶれのかみ)」と呼ばれている場合もあります。
〔第5巻第18章p109、他〕
三五教の宣伝使が登場するのは、第6巻からです。
霊界物語はこの、神のお道を伝える宣伝使の旅の物語であり、
彼らの身魂磨きの物語でもあります。
当時の大本の宣伝使についてもう少し書いておきます。
〜〜〜
信教宣伝使の内容は『霊界物語』に根拠をもったものであって、
天界には霊国と天国とがあり、霊国は天使のいるところである。
天使は媒介天人であって神教をつたえ、天国における団体相互の連絡を
はかるのが使命である。
また中有界・地獄界へも降りて救済につとめる。
大本の宣伝使は現界における天使としての聖職であって、その任命は、
神の意志によってなされるとする。
なお大本の分所と支部は、霊界における「神の家」に相当するとして、
すべて『霊界物語』の説示にもとづいて、これを具現化しようとされた。
三月二一日には、すでに宣伝使服ならびに宣伝使帽が制定されていたが、
服は広袖型・生地は繻子羽二重・青黄紫の染模様・袖口襟裾に
天火結水地の五色をふちどり、脇袖へ紫の紐をたらし、
前面中央部は五色の紐をむすんでさげるものであって、
帽子は焦茶色のトルコ帽型で黒の房をつけた独自のものである。
〔『大本七十年史 上』p799〕
〜〜〜
この宣伝使服や宣伝使帽は戦後は使われていません。
『霊界物語コミックス』に出てくる宣伝使の格好は、
この宣伝使の格好をアレンジしたものです。
王仁三郎の講話集である『宣伝使の心得』の抜粋を、
『超訳 霊界物語2 出口王仁三郎の[身魂磨き]実践書
〜 一人旅するスサノオの宣伝使たち』の巻末に掲載しておきました。
オニドにも載せています。
http://onido.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=278
「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」
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