2018年03月18日
国鉄DD54ディーゼル機関車
どうもです。
春ですね♪
オオイヌノフグリ・・・これを見ると春が来たと思う今日この頃
このところ暖かい日が続いてますが、お陰様で花粉症も真っ盛りでして、今年は薬の効きが悪いです(泣)
夜になると鼻が詰まり口の中が痒くなります(この感じわかる人居るかな〜?)
・・・さて、今回は興味の無い人にはさっぱりな、鉄道ネタで行きたいと思います。
自分は今でも鉄道模型(Nゲージ)だけは諦めず?に細々ながらも続けているのですが、昔から模型化して欲しいのにどこのメーカーもなかなか発売してくれなかった機関車のひとつが今回取り上げるDD54というディーゼル機関車でした。
今でこそ各メーカーから満遍なく各種仕様が発売されましたが、子供の頃はエーダイと言うメーカーから発売されていたフリーランスのDD54タイプしか存在せず、ちゃんとしたスケールモデルがようやく発売されたのは昭和60年(1985年)の事でした。
エーダイDD54タイプ・・・画像はヤフオクに出品されていたものです
メーカーはトミックスで、DD54タイプを発売していたエーダイはその時既に廃業していた為、しばらくはこのトミックスのDD54一種類のみの状態が続きました。
トミックスとは潟gミー(現タカラトミー)の鉄道模型ブランドです。(トミカなんかも同じ会社ですね)
ここでひとまず実車についての解説です。
国鉄DD54形は、1962年に三菱重工が当時の西ドイツのメーカーと提携、開発したDD91形試作ディーゼル機関車を元に1966年に登場した亜幹線向けの機関車でした。
昭和30年代はようやくディーゼル機関車も国産化の目処が立ってきたばかりで、各メーカーもまだまだ技術的に未熟な事もあり、海外の実績のあるメーカーと提携して試作機関車の製造を進め、国鉄への売込みを図っていました。
そんな中、昭和37年には純国産で開発したDD51が誕生。
この頃には既に初期のトラブルを克服して量産が始まっていましたが、DD51は1000馬力級エンジンを2基搭載しており、亜幹線向けには経済的な1エンジンで賄える出力の機関車を開発した訳です。
が、当時の国産技術では大出力エンジンとその出力に耐えられるだけの液体変速機は作れず、三菱は西ドイツ(当時)のマイバッハ社設計のエンジンとメキドロ社の液体変速機を組み合わせてDD91を製作。
試験の結果良好な成績を残したため量産機としてDD54の生産が決まったのでした。
先の通り、1966年にはDD54の試作機である1〜3号機が登場。(1次形)
各種試験の結果、量産型として37両が68年から71年の間に三菱にて製造されたんですね。
ここで一応諸元などを・・・
全長 15,300mm
全幅 2,922mm
全高 4,058mm
自重 70t
軸配置 B-1-B
出力 1,820ps/1,500rpm
軸重 14t
最高速度 95km/h
本来なら紹介はこれにて終了なんですが、このDD54はこの後様々なトラブルが頻発して、最終的には全機が法定耐用年数(税法で規定される耐用年数、DD54の場合は18年だったそうです)に満たないまま1978年までに廃車となりました。
試作機関車であるDD91では問題にならなかったのに、何故量産型であるDD54で問題が多発したのかは文献によれば色々と理由があるようです。
試作車(DD91)の場合エンジンや変速機は西ドイツ製の純正品が搭載されていたのですが、DD54は三菱重工製作のライセンス品を搭載していたからだとか、オリジナルに比べて液体変速機と推進軸に負荷がかかる設計になっていたとか様々な理由が述べられています。
また、ライセンス品のために問題が発生するたびに西ドイツのメーカーへ確認をとらねばならなかった為に対策に時間がかかった事、国鉄標準品に比べて設計が精緻で現場での対応が万全ではなかった事等により機関車としては欠陥との烙印を押され早くに淘汰されてしまったと言われています。
確かに記録を読むと初期には結構な事故を起こしています。
68年には推進軸を破損した変速機が落下して線路に突き刺さり、DD54 2号機が脱線転覆するという事故を起こしています。
他にも変速機からの出火など、主に変速機と推進軸に起因する事故や故障が多かったようです。
エンジン自体は耐久性にも特に問題はなく、出力的も国鉄標準のものより優れていたのですが、残念ながらエンジンと変速機のマッチングが悪かったということのようですね。
上記のように本来ならば優れた機関車でしたが、故障とその対策に悩まされてしまったために平均で7年4ヶ月、最長でも約10年と言う短い生涯でした。
DD54 35号機にいたっては、たったの4年10ヶ月で廃車となりました。(変速機の致命的な故障により1976年6月30日付で廃車)
このようにDD54と言う機関車は残念ながら成功したとは言えない機関車なんですが、デザイン的に見ると箱型のカッコいい機関車なんですよね。
蒸気機関車マニアからすればディーゼル機関車はSLを駆逐した憎いあんちくしょうなんですけど、DD54の場合は意外と嫌いじゃないと言う意見もチラホラ・・・
他の国鉄型ディーゼル機関車に比べてスマートな外観でしたし、当のDD54がSL並に早くに廃車になってしまったので何となく憐れみの気持ちも入っているのかもしれないですね。
この型式の54と言う数字は鉄道マニアの中ではいわく付きのナンバーとして有名で、不運な機関車が多い番号なんです。
実際はたまたまなんでしょうが、例えば戦前にあったED54電気機関車の場合はスイス製の精巧な輸入機関車であり、性能的には申し分なかったにもかかわらず、保守が上手く出来ずに早期に休車、廃車となった幸薄な機関車でした。
他にはたった2両しかなかったために冷遇されてしまったEF54形電気機関車だったり、(後年改造によりEF14形に改称)軸重が軽く、使いにくいと言われ早くに全機が廃車になってしまったC54形蒸気機関車だったりと、54のつく機関車は何故か不遇なものが多いと言われます。
不思議な事に機関車以外では特にこのような事はなく、電車のクモハ54や客車のスロ54、キハ54形ディーゼルカー等はしっかり長寿を全うしました。
結局のところ機関車に限れば、と言う話なんで別に54と言う数字そのものが悪いわけでもないんですけどね。
クルマの世界なんかだとプリンスのS54スカイラインなんかはレースで大活躍をしているんで、あくまでも鉄道の世界だけのお話ですね。
このDD54、現在はただ1両のみ京都の鉄道博物館に保存されています。
廃車当時から保存を目的に永らく保管されていたという幸運なヤツです。
写真はまだ大阪の博物館にあった頃のもので、場所が悪くて側面の写真がこんなです・・・
ところで、この手の保存車輌の判断基準って何なんでしょうね?
結構な名車(素人判断で)でもアッサリ解体されてしまったり、個人的には「ん?」と思うような車輌が保存の対象になったりするんで、何なのかな〜と思う訳ですが、多分にタイミングや運も絡んでくるのだろうなと最近は思うようになりました。
以上、実車の話は終わりです。
ここからは模型の話に戻ります。
子供の頃には模型化に恵まれなかったDD54ですが、先に書いた通り1985年(昭和60年)にようやくトミックスから品番2203として発売になります。
ロクな写真じゃなくてすいません
当時はまだ中学生の身分だった自分としてはしばし悩んだ1台でした。
最大の悩みどころは3次形であったこと。
その頃は既にある程度実物の知識があったのでDD54にも各タイプがあることを知っておりまして、その中でも一番欲しかったのはブルートレイン「出雲」を牽引していた事のある6次形だったんですよ。
3次形と6次形では外観的に大きく違うところとして前面窓のガラスの支持方式があります。
3次形ではガラスが金属製のサッシで固定されているのに対し、6次形はHゴム支持方式の為に正面からの顔付きがかなり異なります。
自分はこの時20系客車の出雲を再現したいと思っていたのでこれでは実際の編成にはなりません。
20系寝台客車はKATO(関水金属)の旧いモデルを複数所有していたのでどうにかなったんですけど、DD54はトミックスの3次形しかなく、結局はかなり悩んだ挙句に購入を断念したのでした。
まあ、単純に3次形なのが気に入らなかったのもありますが、一番の理由は小遣いが足りなかったからですかね(笑)
その後高校生になるとNゲージが自分の中で下火になり、社会人になって再開するまで15年近くお休みする事になります。
この辺りは以前の記事で何となく書いています。
何時しかそんな事も忘れていたのですが、社会人になってひょんな事からNゲージ趣味が復活。
それからは一時期怒涛のごとくNゲージを買い漁っていました。
マックスの頃は走行用と保存用の2セットとか買ってましたからねw
・・・それが今ではそれを売りさばいて細々と趣味を続けている始末です(しくしく・・・)
そんな頃、たまたま入った旧い模型屋の店頭にあのTomixのDD54がありました。
既に再生産もしなくなってしばらく経っていたと思うのですが、何となく気になってしまいその場で購入してしまいました。
初めて見てから17、8年ぶりのご対面です。
その後別のお店でもう1両入手。
結局2両体制になってしまいました(笑)
この後、改造パーツで6次形の窓周りを再現するものを見付けすかさずゲット。
しかし、これは結局手をつけずに未だに手元にあります。
そんなことをしているうちに今度は遂に6次形そのものが発売される事になりました。
KATOから2010年に品番7010-1として、そのものズバリな「ブルートレイン牽引機」と言う名称で発売されました。
これもひどい写真ですね
当然予約して購入したのは言うまでもありません。
トミックスから最初にDD54が発売されてから早25年、遂に欲しかった6次型の登場です。
先の改造パーツはこの時死蔵品確定となりました。
この頃にはマイクロエースと言うメーカーからトミックスと同じ3次形と1次形タイプ、と言うものが発売されていますがそちらは手を付けませんでした。(製品の出来が自分の好みではなかったので)
これでとりあえず満足していたところに2011年、今度はまたもやKATOから初期型お召し機という名称で1次形が発売されます。
散々悩んだ挙句に今度も見送り。
既に結婚していた事もあり、そうやすやすとは購入できない環境となっていたのも理由のひとつですが、お召し機として発売されなかったら買っていた可能性が高いです。
お召し機として発売されてしまうと、何となく他に使いにくいという事もありましたが、一番の問題としてモデル化された年代が先に購入したブルートレイン牽引機が実際に登場する以前の形態を模している為に(お召し列車牽引は1968年の事)、それとは一緒に並べられないと言う所でした。
その後も何となく気にはなっていたものの、以前のように気楽に購入と言うわけにも行かずにいたところ、
昨年末には何と初期形(1次型)の後期仕様と中期形(3次型)が同時発売という恐ろしい状況になりました(何が恐ろしいんだか)
流石にもう以前のように何でもかんでも購入できるわけでも無いので、検討の結果初期形のみの購入として中期形はあきらめる事に。
理由は既にその形はトミックス製を2両も持っているからです。
もう何とも・・・
このトミックス製も外観的には案外今でも通用するフォルムでして、遠めにはアラも目立たないので今でもたまに走らせているんです。
まあ、走らせると動力の古さは隠せずにスムーズさとか騒音とかは最新のものに大きく劣りますが、ちょと色入れとかパーツの追加とかすれば新しいものにもそれほど見劣りはしないと思っています。
2両のうち1両だけライト周りに色入れをしてみましたが、かなり良い感じ。
そのうちもう1両も・・・と、思いながらも既に10年近い月日が過ぎ去りました(手が遅すぎなんだよな〜)
左からKATO初期形、トミックス、KATOブルートレイン牽引機
でもこうやって3種類を一堂に並べてみると、それぞれやはり細かく違います。
ブルートレインを牽引させるには6次形じゃないと駄目ですけど(これもぶっちゃけ拘らなけりゃどれでも良いんですけど)貨物や普通列車ならどれでも良いし、C57とかD51蒸気辺りとなら並べても時代的におかしくないしで模型的には使いやすい機関車です。
DD51は随分前にKATO製の初代製品を手放して以来新たに購入する機会が無いですが、DD54はやっぱり好きな機関車なんで複数買ってしまいました。
実際には活躍しているのを見た事は無いんですが、せめて模型の世界では活躍させてあげたい機関車です。
実物も何とか復活させて走らせて欲しいな〜と、素人が予算的なこととか全く無視して勝手な事を呟きつつ今回は終わります。
今回は特にまとまりの無い読み難い文章でごめんなさい。
ではまた
春ですね♪
オオイヌノフグリ・・・これを見ると春が来たと思う今日この頃
このところ暖かい日が続いてますが、お陰様で花粉症も真っ盛りでして、今年は薬の効きが悪いです(泣)
夜になると鼻が詰まり口の中が痒くなります(この感じわかる人居るかな〜?)
・・・さて、今回は興味の無い人にはさっぱりな、鉄道ネタで行きたいと思います。
自分は今でも鉄道模型(Nゲージ)だけは諦めず?に細々ながらも続けているのですが、昔から模型化して欲しいのにどこのメーカーもなかなか発売してくれなかった機関車のひとつが今回取り上げるDD54というディーゼル機関車でした。
今でこそ各メーカーから満遍なく各種仕様が発売されましたが、子供の頃はエーダイと言うメーカーから発売されていたフリーランスのDD54タイプしか存在せず、ちゃんとしたスケールモデルがようやく発売されたのは昭和60年(1985年)の事でした。
エーダイDD54タイプ・・・画像はヤフオクに出品されていたものです
メーカーはトミックスで、DD54タイプを発売していたエーダイはその時既に廃業していた為、しばらくはこのトミックスのDD54一種類のみの状態が続きました。
トミックスとは潟gミー(現タカラトミー)の鉄道模型ブランドです。(トミカなんかも同じ会社ですね)
実車のDD54のことなど
ここでひとまず実車についての解説です。
国鉄DD54形は、1962年に三菱重工が当時の西ドイツのメーカーと提携、開発したDD91形試作ディーゼル機関車を元に1966年に登場した亜幹線向けの機関車でした。
昭和30年代はようやくディーゼル機関車も国産化の目処が立ってきたばかりで、各メーカーもまだまだ技術的に未熟な事もあり、海外の実績のあるメーカーと提携して試作機関車の製造を進め、国鉄への売込みを図っていました。
そんな中、昭和37年には純国産で開発したDD51が誕生。
この頃には既に初期のトラブルを克服して量産が始まっていましたが、DD51は1000馬力級エンジンを2基搭載しており、亜幹線向けには経済的な1エンジンで賄える出力の機関車を開発した訳です。
が、当時の国産技術では大出力エンジンとその出力に耐えられるだけの液体変速機は作れず、三菱は西ドイツ(当時)のマイバッハ社設計のエンジンとメキドロ社の液体変速機を組み合わせてDD91を製作。
試験の結果良好な成績を残したため量産機としてDD54の生産が決まったのでした。
先の通り、1966年にはDD54の試作機である1〜3号機が登場。(1次形)
各種試験の結果、量産型として37両が68年から71年の間に三菱にて製造されたんですね。
ここで一応諸元などを・・・
全長 15,300mm
全幅 2,922mm
全高 4,058mm
自重 70t
軸配置 B-1-B
出力 1,820ps/1,500rpm
軸重 14t
最高速度 95km/h
本来なら紹介はこれにて終了なんですが、このDD54はこの後様々なトラブルが頻発して、最終的には全機が法定耐用年数(税法で規定される耐用年数、DD54の場合は18年だったそうです)に満たないまま1978年までに廃車となりました。
試作機関車であるDD91では問題にならなかったのに、何故量産型であるDD54で問題が多発したのかは文献によれば色々と理由があるようです。
試作車(DD91)の場合エンジンや変速機は西ドイツ製の純正品が搭載されていたのですが、DD54は三菱重工製作のライセンス品を搭載していたからだとか、オリジナルに比べて液体変速機と推進軸に負荷がかかる設計になっていたとか様々な理由が述べられています。
また、ライセンス品のために問題が発生するたびに西ドイツのメーカーへ確認をとらねばならなかった為に対策に時間がかかった事、国鉄標準品に比べて設計が精緻で現場での対応が万全ではなかった事等により機関車としては欠陥との烙印を押され早くに淘汰されてしまったと言われています。
確かに記録を読むと初期には結構な事故を起こしています。
68年には推進軸を破損した変速機が落下して線路に突き刺さり、DD54 2号機が脱線転覆するという事故を起こしています。
他にも変速機からの出火など、主に変速機と推進軸に起因する事故や故障が多かったようです。
エンジン自体は耐久性にも特に問題はなく、出力的も国鉄標準のものより優れていたのですが、残念ながらエンジンと変速機のマッチングが悪かったということのようですね。
上記のように本来ならば優れた機関車でしたが、故障とその対策に悩まされてしまったために平均で7年4ヶ月、最長でも約10年と言う短い生涯でした。
DD54 35号機にいたっては、たったの4年10ヶ月で廃車となりました。(変速機の致命的な故障により1976年6月30日付で廃車)
このようにDD54と言う機関車は残念ながら成功したとは言えない機関車なんですが、デザイン的に見ると箱型のカッコいい機関車なんですよね。
蒸気機関車マニアからすればディーゼル機関車はSLを駆逐した憎いあんちくしょうなんですけど、DD54の場合は意外と嫌いじゃないと言う意見もチラホラ・・・
他の国鉄型ディーゼル機関車に比べてスマートな外観でしたし、当のDD54がSL並に早くに廃車になってしまったので何となく憐れみの気持ちも入っているのかもしれないですね。
この型式の54と言う数字は鉄道マニアの中ではいわく付きのナンバーとして有名で、不運な機関車が多い番号なんです。
実際はたまたまなんでしょうが、例えば戦前にあったED54電気機関車の場合はスイス製の精巧な輸入機関車であり、性能的には申し分なかったにもかかわらず、保守が上手く出来ずに早期に休車、廃車となった幸薄な機関車でした。
他にはたった2両しかなかったために冷遇されてしまったEF54形電気機関車だったり、(後年改造によりEF14形に改称)軸重が軽く、使いにくいと言われ早くに全機が廃車になってしまったC54形蒸気機関車だったりと、54のつく機関車は何故か不遇なものが多いと言われます。
不思議な事に機関車以外では特にこのような事はなく、電車のクモハ54や客車のスロ54、キハ54形ディーゼルカー等はしっかり長寿を全うしました。
結局のところ機関車に限れば、と言う話なんで別に54と言う数字そのものが悪いわけでもないんですけどね。
クルマの世界なんかだとプリンスのS54スカイラインなんかはレースで大活躍をしているんで、あくまでも鉄道の世界だけのお話ですね。
このDD54、現在はただ1両のみ京都の鉄道博物館に保存されています。
廃車当時から保存を目的に永らく保管されていたという幸運なヤツです。
写真はまだ大阪の博物館にあった頃のもので、場所が悪くて側面の写真がこんなです・・・
ところで、この手の保存車輌の判断基準って何なんでしょうね?
結構な名車(素人判断で)でもアッサリ解体されてしまったり、個人的には「ん?」と思うような車輌が保存の対象になったりするんで、何なのかな〜と思う訳ですが、多分にタイミングや運も絡んでくるのだろうなと最近は思うようになりました。
以上、実車の話は終わりです。
NゲージのDD54
ここからは模型の話に戻ります。
子供の頃には模型化に恵まれなかったDD54ですが、先に書いた通り1985年(昭和60年)にようやくトミックスから品番2203として発売になります。
ロクな写真じゃなくてすいません
当時はまだ中学生の身分だった自分としてはしばし悩んだ1台でした。
最大の悩みどころは3次形であったこと。
その頃は既にある程度実物の知識があったのでDD54にも各タイプがあることを知っておりまして、その中でも一番欲しかったのはブルートレイン「出雲」を牽引していた事のある6次形だったんですよ。
3次形と6次形では外観的に大きく違うところとして前面窓のガラスの支持方式があります。
3次形ではガラスが金属製のサッシで固定されているのに対し、6次形はHゴム支持方式の為に正面からの顔付きがかなり異なります。
自分はこの時20系客車の出雲を再現したいと思っていたのでこれでは実際の編成にはなりません。
20系寝台客車はKATO(関水金属)の旧いモデルを複数所有していたのでどうにかなったんですけど、DD54はトミックスの3次形しかなく、結局はかなり悩んだ挙句に購入を断念したのでした。
まあ、単純に3次形なのが気に入らなかったのもありますが、一番の理由は小遣いが足りなかったからですかね(笑)
その後高校生になるとNゲージが自分の中で下火になり、社会人になって再開するまで15年近くお休みする事になります。
この辺りは以前の記事で何となく書いています。
何時しかそんな事も忘れていたのですが、社会人になってひょんな事からNゲージ趣味が復活。
それからは一時期怒涛のごとくNゲージを買い漁っていました。
マックスの頃は走行用と保存用の2セットとか買ってましたからねw
・・・それが今ではそれを売りさばいて細々と趣味を続けている始末です(しくしく・・・)
そんな頃、たまたま入った旧い模型屋の店頭にあのTomixのDD54がありました。
既に再生産もしなくなってしばらく経っていたと思うのですが、何となく気になってしまいその場で購入してしまいました。
初めて見てから17、8年ぶりのご対面です。
その後別のお店でもう1両入手。
結局2両体制になってしまいました(笑)
この後、改造パーツで6次形の窓周りを再現するものを見付けすかさずゲット。
しかし、これは結局手をつけずに未だに手元にあります。
そんなことをしているうちに今度は遂に6次形そのものが発売される事になりました。
KATOから2010年に品番7010-1として、そのものズバリな「ブルートレイン牽引機」と言う名称で発売されました。
これもひどい写真ですね
当然予約して購入したのは言うまでもありません。
トミックスから最初にDD54が発売されてから早25年、遂に欲しかった6次型の登場です。
先の改造パーツはこの時死蔵品確定となりました。
この頃にはマイクロエースと言うメーカーからトミックスと同じ3次形と1次形タイプ、と言うものが発売されていますがそちらは手を付けませんでした。(製品の出来が自分の好みではなかったので)
これでとりあえず満足していたところに2011年、今度はまたもやKATOから初期型お召し機という名称で1次形が発売されます。
散々悩んだ挙句に今度も見送り。
既に結婚していた事もあり、そうやすやすとは購入できない環境となっていたのも理由のひとつですが、お召し機として発売されなかったら買っていた可能性が高いです。
お召し機として発売されてしまうと、何となく他に使いにくいという事もありましたが、一番の問題としてモデル化された年代が先に購入したブルートレイン牽引機が実際に登場する以前の形態を模している為に(お召し列車牽引は1968年の事)、それとは一緒に並べられないと言う所でした。
その後も何となく気にはなっていたものの、以前のように気楽に購入と言うわけにも行かずにいたところ、
昨年末には何と初期形(1次型)の後期仕様と中期形(3次型)が同時発売という恐ろしい状況になりました(何が恐ろしいんだか)
流石にもう以前のように何でもかんでも購入できるわけでも無いので、検討の結果初期形のみの購入として中期形はあきらめる事に。
理由は既にその形はトミックス製を2両も持っているからです。
もう何とも・・・
このトミックス製も外観的には案外今でも通用するフォルムでして、遠めにはアラも目立たないので今でもたまに走らせているんです。
まあ、走らせると動力の古さは隠せずにスムーズさとか騒音とかは最新のものに大きく劣りますが、ちょと色入れとかパーツの追加とかすれば新しいものにもそれほど見劣りはしないと思っています。
2両のうち1両だけライト周りに色入れをしてみましたが、かなり良い感じ。
そのうちもう1両も・・・と、思いながらも既に10年近い月日が過ぎ去りました(手が遅すぎなんだよな〜)
左からKATO初期形、トミックス、KATOブルートレイン牽引機
左上から時計回りに1次形、3次形、6次形 3次形のトミックス製は最新のKATO製と比べても案外見劣りしないと思いませんか? |
でもこうやって3種類を一堂に並べてみると、それぞれやはり細かく違います。
ブルートレインを牽引させるには6次形じゃないと駄目ですけど(これもぶっちゃけ拘らなけりゃどれでも良いんですけど)貨物や普通列車ならどれでも良いし、C57とかD51蒸気辺りとなら並べても時代的におかしくないしで模型的には使いやすい機関車です。
DD51は随分前にKATO製の初代製品を手放して以来新たに購入する機会が無いですが、DD54はやっぱり好きな機関車なんで複数買ってしまいました。
実際には活躍しているのを見た事は無いんですが、せめて模型の世界では活躍させてあげたい機関車です。
実物も何とか復活させて走らせて欲しいな〜と、素人が予算的なこととか全く無視して勝手な事を呟きつつ今回は終わります。
今回は特にまとまりの無い読み難い文章でごめんなさい。
ではまた
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お久しぶりです。
DD54は現役時代を知らないのですが、やはりあのスタイルに惚れて好きになった機関車なのです。
小学生の頃、友人宅にあったヤマケイのレイルシリーズで出ていたEL・DLと言う本に載っていたのを見てカッコイイ!、と思ったのが最初で、それ以来いまだに好きな機関車なんですね。
お父様が米子で当時DD54に乗務されてたのは凄く羨ましいお話しです。
実際に乗務されていなければ知り得ない話はとても興味があります。
完調ならとても良い機関車だったと言うのは、直接触れた人でなければ分からない事ですね。
まあ、いつ故障するか分からない車輌で出雲の乗務は厳しかったでしょうね。
エリート列車の寝台特急に遅れや運休など出してしまったらそれこそ一大事になってしまいますから、乗務員はさぞ緊張を強いられる運用だったと想像します。
なので、後年DD51に機種変更した後は正直ホッとしたのかもしれないですね。
今さら拝見しましたがDD54がお好きのようですね。
私は生きた当機の姿を知らないのですが、米子機関区の運転士であった父には良くも悪くも印象に残っている機関車のようで、以前に帰省した際も一緒に酒を飲みながら思出話を聞かされました。
当時はSLからの転換時期で、どちらかと言うと電気式のDLが主力で、そんな中で配置された54は大出力の単一機関かつ精巧な仕組みが興味深く、機械オタクの父は休みの日にも職場に出向いて交番検査に立ち合って勉強したそうです。
ただ、当時の国内の技術力では舶来物の機械に対して十分な保守整備が行えず、トラブルも絶えなかったので現場でも嫌われたそうですが、調子が良いときは滑なかな変速や安定した牽引力を発揮するので、デビューがあと10年遅ければ長く活躍できる機関車になった筈と言うのが父の持論のようです。
それでも出雲の運用はストレスだったみたいですが(笑)
おはようございます
同じくDD54好きなんですね!
自分は実際に活躍している様を見たことがあるわけではないのですが、このスタイルが好きで結局Nゲージで4両所有しています。
DD51とは違う箱型のスタイリッシュなフォルムがヨーロッパ的だと勝手に思っていますが、当時の国鉄型は良くも悪くも画一的なスタイルだったので子供心にもDD54はカッコ良く見えたのでした。
KATOのモデルは出来の良さは当然として、トミックス製品も時代を考えるとかなりの出来だと思います。
DD54私も大好きでNゲージではトミックス製を2両とカトー製を各バージョン1両ずつ3両所有しています。(お召機はありません)ちなみに最初で最後となったDD54のお召列車が運転された1968年10月6日は私の誕生日です。(どうでもいい話ですが)
エーダイのDD54タイプも懐かしいですね。友人が所有していましたが倒産後学研には引き継がれなかった気が?トミックス製は古いモデルにもかかわらず現在でも十分通用する傑作だと思います。