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2022年10月03日
九州の伊勢「伊野天照皇大神宮」へ
情報
名前:伊野天照皇大神宮
住所:糟屋郡久山町猪野604
創始:200年
社格:県社
御祭神:天照大神(あまてらすおおかみ)
手力雄神(たぢからおのかみ)
萬幡千々姫神(よろずはたちじひめのみこと)
御神徳:所願成就、勝利祈願、水難守護、天候祈願、航海安全、国家繁栄
御朱印:有(毎月1日と15日)
由緒
ここに鎮座せざるゝ伊野天照皇大神宮は、その縁起をたずねるには草創は極めて遠く、日本書紀によると神功皇后香椎の宮に御幸臨の砌、仲哀帝の9年3月(紀元200年)皇后小山田邑の斎宮に入り、自ら神主となり天照大神(撞賢木厳御魂)の霊をお祭りになったと記されてある。
降って、陽成帝元慶元年12月15日(紀元887年)筑前天照神に授位のことが三代実録に見えている。
往昔、この宮は南古宮大神宮として祭られてあったが旧記によれば武将の信仰厚く、北條時宗、菊池武重、織田信長、立花道雪、小早川隆景等は、各難局に際して奉幣し或は社領を奉納するなど敬意を表したと云う。
次で、慶長年間(紀元1601年)黒田氏福岡に入封後代々藩主崇敬厚く、二代藩主忠之は、神主、工匠を伊勢に派遣して、伊勢神宮の工法を学ばせその秘法を授かった。斯くて伊勢の例にならい二十年毎に式年遷宮を行うことになった。
その神幸には、筑前一円の大庄屋、庄屋が参列し一国を挙げて盛大無比の一大絵巻が繰り展べられたと云う。
後に、六代藩主継高の時天和3年(紀元1683年)に此の社地に社殿を移築して益々祭祀を手厚くしてその五穀成就祈禱礼の如きは、藩内各村々に行渡り広く庶民に敬仰されたことは記録に詳らかである。
(境内の掲示板より)
散策
目の前には、猪野川が流れており、参拝に訪れた時期は7月末ということもあり、涼を求めて川遊びをする家族が多くいらっしゃっいました。
門柱の後ろには立派な御神木の夫婦杉が2本があります。
『数百年の自然環境の摂理により根交の杉なり
何時の頃からか
夫婦和合、家庭円満の守り神、
夫婦杉として象徴されるに至った。』
(根本の看板より)
階段を登ると、右側に社務所。左側に手水舎があります。
この付近から見える風景が好きで何枚か写真を撮ってました。
太鼓橋から先が、違う世界のような気がして、気になって気になって。
手水舎にて、身を清めます。
鳥居の横木がまっすぐです。
伊勢神宮と同じで、伊勢の式年遷宮の後の神殿などを、ここで見る事が出来ます。
また、伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮の際、建て替えられるときに出た木材(再利用)でこちらを建て替えられるとのことです。
これが、九州の伊勢と言われる所以です。
拝殿です。
この神社に無事に来られた感謝tと、自然への感謝のお参りをしました。
本殿裏に階段があり、登ると天照大御神の御神殿があり、両脇に三叉の槍が置いてありました。
こちらの御神殿にも御参拝します。
御神殿の左手に道があり(神様から見て左手)、さらに上へと上がることが出来ます。
古神殿跡がありました。
そしてここが、パワースポットと言われているところです。
神が降臨した場所で、心柱(しんばしら)が建っています。
何ていうか、爽やかな優しい感じなんですよね。ふわって。
参拝というか、この場所にいるだけでいいって感じで、聖域内の賽銭箱の前の石畳のところで正座してました。
無意識で。
何にも力のない私ですが、ぼーっとしてました。
居心地の良い場所でした。
そして、お礼と感謝の参拝をして写真を撮りました。
石碑、石柱がありましたが、何のかは不明です。
合祀で、水取宮祭神・五霊大明神・住吉三神・志賀三神が祀られています。
天照皇大神宮の欅です。
社殿に上がる手前の右側にある 岩井の滝です。
SNSにて、龍神様がいらっしゃるとのことですが、残念ながら私には分かりませんでした。
境内に流れる水の流れは本当に気持ちがいいですし、心が浄化されていく感じがします。
由緒書きです。
最後に
素晴らしい雰囲気を持つ伊野天照皇大神宮は、福岡市内から小一時間で来られる距離なので、自身の浄化や気分転換にどうでしょう。
春夏秋冬の季節ごとに変わった顔を出してくれる神社でもあるので、これからの秋の季節には紅葉が楽しめます。
参拝日が社務所が開いてない日だったため、御朱印は頂けることは出来ませんでしたが、それも縁なので、フラッと立ち寄った時に、頂けたら嬉しいですね。
御朱印を収集されている方は、1日と15日に空いてますので、合わせて行ってみてください。
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2022年10月01日
子宝・安産・子育ての神様「宇美八幡宮」へ
情報
名前:宇美八幡宮
住所:糟屋郡宇美町宇美1丁目1−1
創始:敏達天皇の御代(572年−585年)
社格:県社
御祭神:應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
住吉大神(すみよしおおかみ)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
御神徳:安産祈願、子育大願、海上交通、海外防護、事業繁栄、商売繁盛、出世開運、武運長久、延命長寿、厄除開運
御朱印:有
由緒
三韓征伐より御帰還された神功皇后が、應神天皇を安産にて御産になられた地です。
産所を蚊田邑(蚊田は宇美の古名)に定めた神功皇后は、側に生出る槐の木の枝に取りすがって、軽い御産で應神天皇を御産みになったと伝えられ、この産所を名づけて「宇瀰(うみ)」。その後に「宇美(うみ)」と称されました。
御産所の四辺に八つの幡を立てて兵士に守らせた故事が後世、八幡大神と称する由縁となったとも伝えられています。
八幡大神御降誕の聖地として、敏達天皇の御宇(西暦570年頃)に創建され、先ず神功皇后と應神天皇の母子神をお祀り致し、後世に至りて住吉大神、宝満山の御祭神の玉依姫命、若杉山の御祭神の伊弉諾尊を合祀し、五座としてお祀りされました。
散策
国道沿いの鳥居から境内に入ります。
神門が見えます。
神門手前右手に手水舎があり、身を清めます。
立派な神門です。
入り口横には、七夕の季節ということもあり、多数の願いが書かれている短冊がありました。
拝殿です。
ここに来れた感謝と、日本国民全員の安産を祈願しました。
ちょうど祈願者の方の祝詞があがっており、拝殿の中を映しませんでした。
参拝中に祝詞を聞くのはラッキーですね。
夫婦の木 (めおとのき)
招魂(おがたま)の木と槐(えんじゅ)の木、種の違う縁起の良い二本の御神木が、あたかも仲睦まじい夫婦が寄り添うように一体となり、皆様のお参りを見守っています。
子安の木 槐(えんじゅ)
神功皇后、産所を蚊田の邑(蚊田は宇美の古名)に定め、側に生出づる槐(えんじゅ)の木の枝に取りすがり、應神天皇を安産にてお産みになられました。
その木は今もその種を絶やさず、「宇美宮の槐」として、皇后皇女を始め、産平安の衣木(みそぎ)には、必ずこの槐を用いたとされています。
「平産の幸ある木」という意味で、「子安の木」と称されています。槐は中国の本草学によれば、解毒、補精に効果があり、その枝にすがれば安産するという信仰があります。
山神社の石祠と御神木です。
御祭神として大山祇命を祀っています。
湯蓋(ゆぶた)の森
応神天皇がこの地で出産され産湯(うぶゆ)を使われたとき、その上にこの木の枝葉が覆いかぶさっていたので「湯蓋」の名がついたと伝えられています。
産湯の水
社殿後方の左奥で、衣掛の森の左に祀まつられています。「應神天皇御降誕の時、此の水を産湯に用い給いしより今に至るまで妊婦拝受して安産を祈る」と伝えられています。
子安の石
湯方社を囲むように、玉垣を築きづき、こぶしくらいの石が山ほど積まれています。
安産祈願を終えた妊婦が「御産の鎮」として此処の石を預かって持ち帰り、めでたくご出産の暁には、別の新しい石にお子様の名前等を記して健やかなる成長を願い、安産御礼(初宮詣)の御祈願にてお祓いの後に、預かった石と一緒お納めするのが慣しとなっています。
隣には聖母子像が祀まつられています。
聖母宮(しょうもぐう)
主祭神應神天皇の安産に因む信仰から、その「母后・神功皇后」に対する特別の崇敬を以って、宝永3年(1706)当時の藩主・黒田綱政公により寄進されました。
福岡県指定文化財(民俗資料)聖母宮御神像が奉安されており、「二十五年に一度」御開帳の神事が斎行されています。
衣掛の森
樹齢二千年以上とも推定されている巨大な御神木です。
神功皇后が御産の時に産衣を掛けた楠とされています。
見るものを圧倒する大きさで、たくさんの方が赤ちゃんを抱いて記念写真を撮ってました。
本殿・拝殿・衣掛の森が一緒に収まる写真が撮れました。
境内にはお茶屋さんがあり、『子安餅』が有名です。
その隣には、隠された御神木があります。
なんとその御神木の中に入ることができ、お参りをすることができました。
二枚目は中から上空を撮影した写真となります。
境内の様子です。
由緒書です。
奥宮(胞衣ヶ浦)
胞衣ヶ浦(えながうら)は、境内から後方、北東250m程にある小山に鎮座する宇美八幡宮の奥宮です。
應神天皇を御産みになった神功皇后は、胞衣を産所の北に流れる宇美川で洗い濯ぎ、筥に入れて、奥宮とされる北東250m程にある小山に奉安したとされています。
そのため奥宮は、胞衣ヶ浦(えながうら)とも称されています。
また、宇美八幡宮の奥宮(胞衣ヶ浦)と共に、胞衣を祀つるとされる伝承地が筥崎宮です。
筥崎宮では、筥はこにおさめた胞衣を、白砂青松の葦津ヶ浦に御埋鎮し、御標として松を植えたと伝えています。
「標の松」は「筥松」と名付けられて以後、筥松のある岬(崎)ということで「筥崎」の名が起こったと伝わっています。
宇美川を横切る橋を渡り、奥宮に上がって行けます。
社殿も新しくなっており、社殿周りの木々が伐採されて、光が差し込むようになっていました。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
安産のパワースポットとして有名なので、沢山の夫婦や家族が参拝していました。
また、安産祈願の申し込みに並んでる方がいて、ずっと祝詞が境内に響いていました。
赤ちゃんを抱いたお礼参りの方も多数いらっしゃって、幸せを感じる神社です。
幸せのおすそ分けを頂いたありがたい参拝となりました。
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2022年09月30日
難攻不落の猫城跡「月瀬八幡宮」へ
情報
名前:月瀬八幡宮
住所:中間市上底井野1696-1
創始:1638年(寛永15年)
社格:村社
御祭神:品陀和氣命(ほむだわけのみこと)=応神天皇(おうじんてんのう)
息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后(じんぐうこうごう)
比淘蜷_(ひめおほかみ)=宗像三女神(むなかたさんじょしん)
御神徳:開運招福、武運長久、子孫繁栄、勝運、縁結び、厄除け、家内安全、長寿、海上安全、交通安全
御朱印:有
由緒
寛永15年(1638年)8月、筑前国2代藩主黒田忠之公が、底井野に別館(現在、底井野小学校のある所)を建てるに当たり、廃城となっておりました。
猫城跡に先ず日頃崇敬するところの宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが月瀬八幡宮の始まりであります。
御社号は初め猫城八幡宮と称していましたが、後に宇佐八幡宮境内を流れる月瀬川にちなみ月瀬神社、その後 月瀬八幡宮と呼ばれるようになりました。
(参考資料:月瀬八幡宮HPより)
猫城について
現在、月瀬八幡宮の社殿が建つ所は、室町時代、「猫城」と呼ばれる小さな出城がありました。
遠賀平野の田畑の中に丘陵(高さ20mの円錐状)の上に築かれた端城は、猫の姿にみえることから「猫城」と呼ばれていました。
また一説には、かつて、この地で麻生氏と宗像氏の両軍がにらみ合い、合戦を繰り広げました。
「敵が攻めてくるときは山が高くなり、城から攻め下りるときは山が低く感じるため、まるで猫が背を高くしたり低くしたりしている」と言われていたことから名付けられたともいわれています。
高さ20メートルほどの丘陵上に所在し、そこからは宗像・鞍手・遠賀が一望できる要衝の地であるため、15世紀中頃から遠賀郡周辺に勢力を強めていた麻生氏によって端城として築かれたとされています。
端城とは、本拠地の城を守るため、見張り的な補助的役割を持った砦などのことです。
実際に「猫城」は、天守閣や城壁となる石垣などは確認されていませんので、まさに陣屋のようなものが存在していたものと考えられます。
天正6年(1578年)、山鹿城主麻生元重と宗像大宮司氏貞は、遠賀と宗像を巡り幾度となく合戦を行いました。
その戦の後、遠賀川の東を麻生領、西を宗像領となり、「猫城」は、麻生氏から宗像氏の所領となりました。
宗像大宮司氏貞は家臣の吉田倫行と共に兵150余人を配属させております。
その2年後の天正8年5月上旬、今度は豊後国の大友宗麟から命を受けた鷹取城主毛利鎮実が、兵数千人を引き連れ「猫城」を取り囲みます。
吉田倫行以下少数の兵士は、これを守り、援軍を呼ぶため宗像に向けて狼煙(のろし)をあげます。
この狼煙により援軍が宗像から駆けつけ城は守られたと言われております。
(参考資料:月瀬八幡宮HPより)
散策
一の鳥居は取り忘れてました。
この写真は、二の鳥居です。
手水舎で身を清めます。
手水舎の横に階段があるんですが、祭壇がありお供え物が多数ありました。
夏越(なごし)茅の輪(ちのわ)くぐりと祇園祭が終わった後みたいです。
見れなくて残念です。
境内へ登る斜面に、カノコユリがたくさん咲いてました。
綺麗ですよね。
階段の参道を上ると正面一段上に社殿、左に猫城址の石碑が見えます。
拝殿にて、感謝をお参りしました。
拝殿の中には、猫城にちなんで、キラキラな猫の置物が可愛く置いてありました。
“猫城址”と書いてあるこの石は、俳優の高倉健さんが奉納したものだそうです。
高倉健さんは、一時期こちらの八幡宮のすぐ近くに住んでおられて、この場所で友達と野球をしたり相撲を取ったりしたそうです。
ファンの方にとっては聖地のような場所かもしれませんね。
猫城跡の由緒書です。
最後に
元お城だったせいなのか、かなり急な参道の階段でした。
御朱印も頂けるそうですが、私が参拝した時はお祭りの後のせいか、誰もおらず、頂くことが出来ませんでした。
残念ですが、これも縁ですね。
用事の帰りに鳥居が見えて急遽上がった神社でしたが、高倉健さんの所縁のある神社ということを知り、嬉しくなりました。
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