2019年01月14日
1月14日は何に陽(ひ)が当たったか?
1978年1月14日は、Peter Beckett(gtr,vo)を中心とするアメリカ・ロサンゼルスの4人組(当時)のロック・グループ、Player(プレイヤー)が放ったシングルで、Billboard HOT100シングルチャートでの初チャートイン曲、"Baby Come Back(邦題:ベイビー・カム・バック)"が1位を記録した日です。彗星のごとく現れたこのバンドは、3週続けて1位を記録したこのデビュー・シングルで偉大なる人気グループに成長しました。
"Baby Come Back"はバンドのメンバーであるPeter BeckettとJ.C. Crowley(key,gtr,vo)の共作で、1977年9月にリリースされたデビュー・アルバム"Player(邦題:ベイビー・カム・バック)"のA面2曲目に収録されました。ウェストコースト・サウンドに乗せた、ソフトでポップなロック・ナンバーがズラリと収録される中で、リード・シングルとしてカットされた"Baby Come Back"はゆったりとしたテンポで、サビのコーラスとともにタイトルを叫ぶパートが印象的な楽曲です。Ronn Moss(bass,vo)、Peter、そしてJ.C.が横一列で並び、バックでドラマーのJohn Friesen(drums)や準メンバーでキーボーディストのWayne Cook(key)がプレイするプロモーション・ビデオもよく知られています。シングル・ヴァージョンではイントロとエンディングを短くし、エンディングでのギター・ソロの代わりにサビのコーラスを使用してフェイド・アウトする形が取られました。
さて、チャートのアクションは実に充実した内容で、Hot100内32週というロング・アクションをたどりました。1977年10月1日に90位で初チャートインしたこの曲は、その後80位→68位→55位と順調にアップしていきますが、5週目っより50位→47位→42位とやや動きが鈍り、11月19日付、8週目にしてようやく38位とTop40入りを果たします。40位内に入ると人気がいっきに爆発し、翌26日付で21ランクもアップする17位にランク・イン、この曲一番の上昇幅を記録します。その後13位→11位、12月17日付で8位とTop10入り、そして2週6位を記録して(2週目の6位はBillboard休刊のため先週付と同位)、1978年1月7日付で2位、そして陽の当たった1月14日付、エントリーから実に16週かけて、1位を獲得しました。1位は3週続け、その後は下降しましたが、32週のうち、Top40内16週、Top10内10週と、文句の付けようのないアクションで、1978年のYear-Endチャートでは7位を獲得しています。
デビューの大成功はその後が難しく、いわゆるワン・ヒット・ワンダーのような見方もされますが、同アルバムからは"This Time I'm in It for Love(邦題:今こそ愛のとき)"も17週チャートインして最高位10位、1978年リリースの2枚目のアルバム"Danger Zone(邦題:恋のプリズナー・プレイヤーU)"からも"Prisoner Of Your Love(邦題:恋のプリズナー)"が11週チャートインの最高位27位を記録、計3曲のTop40入りヒットを放つなど決して一発屋ではなく、現在においても精力的に活動中です。
"Baby Come Back"はバンドのメンバーであるPeter BeckettとJ.C. Crowley(key,gtr,vo)の共作で、1977年9月にリリースされたデビュー・アルバム"Player(邦題:ベイビー・カム・バック)"のA面2曲目に収録されました。ウェストコースト・サウンドに乗せた、ソフトでポップなロック・ナンバーがズラリと収録される中で、リード・シングルとしてカットされた"Baby Come Back"はゆったりとしたテンポで、サビのコーラスとともにタイトルを叫ぶパートが印象的な楽曲です。Ronn Moss(bass,vo)、Peter、そしてJ.C.が横一列で並び、バックでドラマーのJohn Friesen(drums)や準メンバーでキーボーディストのWayne Cook(key)がプレイするプロモーション・ビデオもよく知られています。シングル・ヴァージョンではイントロとエンディングを短くし、エンディングでのギター・ソロの代わりにサビのコーラスを使用してフェイド・アウトする形が取られました。
さて、チャートのアクションは実に充実した内容で、Hot100内32週というロング・アクションをたどりました。1977年10月1日に90位で初チャートインしたこの曲は、その後80位→68位→55位と順調にアップしていきますが、5週目っより50位→47位→42位とやや動きが鈍り、11月19日付、8週目にしてようやく38位とTop40入りを果たします。40位内に入ると人気がいっきに爆発し、翌26日付で21ランクもアップする17位にランク・イン、この曲一番の上昇幅を記録します。その後13位→11位、12月17日付で8位とTop10入り、そして2週6位を記録して(2週目の6位はBillboard休刊のため先週付と同位)、1978年1月7日付で2位、そして陽の当たった1月14日付、エントリーから実に16週かけて、1位を獲得しました。1位は3週続け、その後は下降しましたが、32週のうち、Top40内16週、Top10内10週と、文句の付けようのないアクションで、1978年のYear-Endチャートでは7位を獲得しています。
デビューの大成功はその後が難しく、いわゆるワン・ヒット・ワンダーのような見方もされますが、同アルバムからは"This Time I'm in It for Love(邦題:今こそ愛のとき)"も17週チャートインして最高位10位、1978年リリースの2枚目のアルバム"Danger Zone(邦題:恋のプリズナー・プレイヤーU)"からも"Prisoner Of Your Love(邦題:恋のプリズナー)"が11週チャートインの最高位27位を記録、計3曲のTop40入りヒットを放つなど決して一発屋ではなく、現在においても精力的に活動中です。
新品価格 |
中古価格 |
中古価格 |
タグ:billboard
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
posted by ottovonmax at 00:00| 洋楽