2018年10月09日
10月9日は何に陽(ひ)が当たったか?
199010月9日は、アメリカのロック・グループ、Styx(スティクス)の12枚目のスタジオ・アルバム、"Edge of the Century(邦題:エッジ・オブ・ザ・センチュリー)"がリリースされた日です。Tommy Shaw(トミー・ショウ。gtr,vo)に代わり、 Glen Burtnik(グレン・バートニック。gtr,vo)が加入した最初のアルバムで、ライブ盤やベスト盤を除けば、実に7年ぶりのスタジオ・アルバムとなりました。
アルバム制作にあたった当時のStyxのメンバーは、James [JY] Young(ジェームズ・ヤング。gtr,vo)、John Panozzo(ジョン・パノッツォ。drums)、Chuck Panozzo(チャック・パノッツォ。Bass)、そしてDennis DeYoung(デニス・デヤング。vo,key)のオリジナル・メンバー4人に、新加入のGlenを加えた構成でした。このメンバー構成はこのアルバムでしかみられません。
Glenはソングライティングも優秀、またヴォーカルだけでなく様々な楽器も自在に操れる実力充分のマルチ・ミュージシャンで、80年代に2枚のソロアルバムをリリースし、キャリアを引っ提げての加入となったのです。
Tommy脱退以降における80年代後半のStyxの活動は確かに縮小しており、メンバーのソロ活動が積極的でした。脱退したTommyは当時新たに結成したDamn Yankees(ダム・ヤンキーズ)がシングル・ヒットも出て好調であり、当時のメディアではそのDamn Yankeesの刺激を受けてStyxが7年ぶりに再始動したような内容で報じられたりしていましたが、真実はどうであれ100%ではなくとも刺激はあったと思われます。Tommyを含め、80年代におけるメンバーのソロ活動は、Styxの全盛期だった70年代〜80年代初めと比べると物足りなかったのは事実で、こうした中でのDamn Yankeesの成功は残されたStyxのメンバーにとっても大きかったに違いないでしょう。余談ですが、当時のとある音楽ニュースでは、Damn Yankeesの結成するメンバーにTommyだけでなくDennis DeYoungも加入するという誤報もあり、あるFM雑誌では顔写真まで掲載されていたこともありました。実際はDennis DeYoungの加入はなく、Styxを再びシーンに戻す役割を担ったのでした。在籍していた大手レコードレーベルのA&MもStyxの復帰を信じてその間も"A&M Gold Series(1986)"や、"Classics Volume 15(1987)"といったベスト盤で活動をつないでいきました。そして同じA&Mに所属していたGlenの加入で、再始動の目処が立ったわけです。
"Edge of the Century"のプロデュースはDennis DeYoungが全編を引き受け、マスタリングにはこれまで数々のヒット・アルバムを手がけてきたTed Jensen(テッド・ジェンセン)が担当することになりました。スリーヴ・デザインは、カナダのロック・トリオ、Rush(ラッシュ)のアルバム・ジャケットで有名な、Hugh Syme(ヒュー・サイム)が手掛けました。
収録曲は以下の通り(邦題はすべて原題のカタカナ表記)
A面(アナログ)
1."Love Is the Ritual" Glen Burtnik, Plinky Giglio作
2."Show Me the Way" Dennis DeYoung作
3."Edge of the Century" Burtnik, Bob Burger作
4."Love at First Sight" Burtnik,DeYoung,James Young作
5."All in a Day's Work" Burtnik, DeYoung作
B面
1."Not Dead Yet" Ralph Covert作
2."World Tonite" Burtnik作
3."Carrie Ann" DeYoung作
4."Homewrecker" Young, DeYoung作
5."Back to Chicago" DeYoung作
Glenがソングライティングを手掛ける際には彼のブレーントラストであるPlinky GiglioやBob Burgerが加わったことで、これまでのプログレッシヴでシンセサイザー・メインの大規模なロック・サウンドから、ギター・メインのアーシーなアメリカン・ロック・サウンドに様変わりし、このメンバーならではのStyxサウンドとなりました。アメリカン・ロックと言えば、Styxの故郷が同じ、イリノイ州シカゴ出身のアメリカン・ロック・グループで、Ralph Covert率いるThe Bad Examplesの作品を取り上げているのも本作品の特徴で、クラシックや民謡をカバーしてきたStyxとは驚くほどの変貌でした(ただし"Lies"など、過去にロックソングのカバーも地味にあります)。Glenはイリノイ州出身ではなく、Bruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)やJon Bon Jovi(ジョン・ボン・ジョヴィ)と同じニュージャージー出身でありますが、Glenの加入でStyxのサウンドは、新たなアメリカン・スピリットが注入された音楽になりました。
GlenがヴォーカルをとるA-1"Love Is the Ritual(邦題:ラブ・イズ・ザ・リチュアル)"はファースト・シングルとしてカットされ、Billboardのメインストリームロックチャート(当時はAlbum Rock Tracks)では9位を記録しますが、総合チャートのHOT100では、Styxの過去の実績からしてみれば最高位80位と振るいませんでした。"Love Is the Ritual"は、GlenのロックをStyxのロックとして、その魅力を大きく引き出した作品で、Styxの特徴とも言えるバックコーラスも、全盛期のハイ・トーン・ヴォイスから打って変わって、当時のハード・ロック/ヘヴィー・メタルなどで聴かれる男気ある野太さで、Def Leppard(デフ・レパード)を彷彿させるようなリズミカルで躍動感あるロック・ナンバーです。しかし当時ロックの傾向はグランジやオルタナ系のアーチストが出始めた時期でもあり、チャートが示すようにA-1のようなロックはやや退潮傾向にあったとも言えます。70〜80年代を賑わせたハード・ロック・バンドにとって、グランジやオルタナの台頭は、立ちはだかる大きな壁でありました。
そこで、Styxの"よく知られた"メロディアスな部分で勝負することになります。これが、セカンド・シングルとしてカットされたDennisがヴォーカルをとるバラード、A-2"Show Me the Way(邦題:ショウ・ミー・ザ・ウェイ)"で、Styxの代表曲になる名曲です。プロモーションビデオではセピア色で包まれた映像の中でDennisを中心にしっとりと円熟味あるパフォーマンスを見せてくれます。
この曲はBillboard HOT100シングル・チャートでは1990年12月8日付にエントリーしましたが、96位という下位でした。翌週は81位へジャンプアップしたものの、年末のチャート休業で翌週から2週続けて74位にとどまり、翌1月5日付では62位に上昇、しかし次週1月12日付で62位と伸び悩みます。年末年始の当時のBillboardチャートはアクションが小さいのが特徴でしたが、Styxのファンとしては当時は非常に気になっておりました。
おりしも、1991年1月17日に湾岸戦争が勃発し、アメリカら多国籍軍がイラク相手に空爆が始まりました。これは"砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)"と呼ばれる戦略で、"砂漠の盾(準備段階。Operation desert shield)"→"砂漠の嵐(空爆)"→"砂漠の剣(地上戦。Operation Desert Saber)"と作戦段階が進んでいく中での、空爆による開戦の段階が"砂漠の嵐"でした。この頃にアメリカのFM局が、"Show Me the Way"の歌詞"there's peace in a world so filled with hatred(訳詞:憎悪に満たされた世界にも平和がある)"に着目し、戦闘に向かう兵士や、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領のヴォイス・トラックを曲中にミックスして流すという、"Desert Shield Mix"や"Desert Storm Mix"といったヴァージョンで流したのです。このリミックスは、戦争に突入した情勢に憂える人々を勇気付けるつもりで作られたのでしょうが、もともとはDennisが息子Matthewのために歌った楽曲でした。
リミックスがFMで流れた途端、チャートは激変しました。あれだけスローペースのアクションだったこの曲が、1月19日付で57位にアップすると、その翌週でいっきに40位とトップ40入りを果たし、その後は30位→21位→17位→11位→7位→5位と瞬く間にトップ5入りを果たし、Styxにとっては4曲目のトップ5入りを記録しました。そして、1991年3月16日付で最高位3位を獲得することになったのです。
"Show Me the Way"が3位に上った頃、戦闘では、すでに"砂漠の剣"作戦も終了、3月3日には暫定停戦が定められておりました。終戦ムードが漂う中で、皮肉にも"Show Me The Way"は最高位を記録した3月16日付の3位をピークに翌週は一気に12位と下降し、そのまま下位へ下がっていきました。結局23週のチャート・インで、1991年のYear-Endチャートでは100位内で68位にランクされました。この曲がStyxにおける最後のトップ10ヒットで、息子に捧げた名バラードが、時の情勢と相まってヒットし、情勢が変わるとヒットも終わるという、後味のスッキリしない、ある意味では気の毒なヒット曲となってしまったのです。しかし戦争が終わってもこの曲は後世に残る名曲として聴かれ、1997年のTommyがStyxに復帰してのライブ盤"Return to Paradise(邦題:リターン・トゥ・パラダイス)"では、1996年に亡くなったJohn Panozzoに追悼の意を込めて、この"Show Me The Way"を捧げました。
タイトル曲のA-3はGlenのハード・ロック・チューンで、ヘビーなギター・ソロを聴くことができます。A-4は一転してDennisがヴォーカルをとるラブソングで、このアルバムからのサード・シングルとしてカットされ、1991年6月15日付のHOT100シングルチャートで最高位25位を記録、現時点でStyxとしての最後のTop40ヒットとなっております。続くA-5では、今度はGlenが歌うバラードで、アコースティック漂うシンプルな楽曲ですが、非常に味わい深く親しみやすいナンバーです。
アナログ盤ではB-1にあたる"Not Dead Yet"は前述のThe Bad Examplesのカバー作品です。後輩バンドのカバーも興味深いですが、当時はDennis DeYoungの歌声によるギンギンのハードロックも案外貴重でした。B-2はGlenのノリの良いロック・ナンバーで、Glenの人気がもう少し上がっていたらシングル・カットもあり得たかもしれません。後半にラップ調めいたパートがあるのもこの曲の大きなアクセントで、Styxのサウンドでも異色の存在です。
B-3はDennis DeYoungのバラードです。Dennisの愛娘Carrie Annに捧げたラブソングです。Dennisの妻Suzanneをタイトルにしたナンバーも過去にありましたように("A Song for Suzanne"。1974年の4作目"Man of Miracles"より)、Dennisは両親や家族、親友に捧げる歌はStyxおよびDennisのソロ活動のキャリアを通して多く作られています。バラードから打って変わり、B-4はJYのヴォーカルによるヘビー・ロック・チューンで、いかにもJYらしいワイルドなナンバーです。そして、故郷の名を冠したB-5"Back to Chicago"はDennisがヴォーカルをとるポップなナンバーです。ホーンセクションを入れた大胆で豪華な楽曲で、アルバムの最後を飾るにふさわしい曲です。
アルバム"Edge of the Century"は全編を通して聴きますと、過去のStyxサウンドを引きずってTommy脱退のダメージをごまかすのではなく、アメリカ発祥のロック・グループとしての誇りを打ち出したアルバムになっているのが理解できます。チャートで見ると、Billboard200アルバムチャートでは1990年11月3日付63位が最高位と、実質的には7年のダメージは大きすぎた結果に終わりましたが、チャートには現れない名曲揃いのアルバムであることは、聴けば必ず納得できます。Glen、Dennis、JY、John、Chuckの布陣で完成された最初で最後のアルバムでしたが、実は当時収録に漏れた優秀な未発表の楽曲がたくさん残っており、5人のこのアルバムにかけた想いがうかがえます。その未発表曲の一部を最後にご紹介しましょう。
アルバム制作にあたった当時のStyxのメンバーは、James [JY] Young(ジェームズ・ヤング。gtr,vo)、John Panozzo(ジョン・パノッツォ。drums)、Chuck Panozzo(チャック・パノッツォ。Bass)、そしてDennis DeYoung(デニス・デヤング。vo,key)のオリジナル・メンバー4人に、新加入のGlenを加えた構成でした。このメンバー構成はこのアルバムでしかみられません。
Glenはソングライティングも優秀、またヴォーカルだけでなく様々な楽器も自在に操れる実力充分のマルチ・ミュージシャンで、80年代に2枚のソロアルバムをリリースし、キャリアを引っ提げての加入となったのです。
Tommy脱退以降における80年代後半のStyxの活動は確かに縮小しており、メンバーのソロ活動が積極的でした。脱退したTommyは当時新たに結成したDamn Yankees(ダム・ヤンキーズ)がシングル・ヒットも出て好調であり、当時のメディアではそのDamn Yankeesの刺激を受けてStyxが7年ぶりに再始動したような内容で報じられたりしていましたが、真実はどうであれ100%ではなくとも刺激はあったと思われます。Tommyを含め、80年代におけるメンバーのソロ活動は、Styxの全盛期だった70年代〜80年代初めと比べると物足りなかったのは事実で、こうした中でのDamn Yankeesの成功は残されたStyxのメンバーにとっても大きかったに違いないでしょう。余談ですが、当時のとある音楽ニュースでは、Damn Yankeesの結成するメンバーにTommyだけでなくDennis DeYoungも加入するという誤報もあり、あるFM雑誌では顔写真まで掲載されていたこともありました。実際はDennis DeYoungの加入はなく、Styxを再びシーンに戻す役割を担ったのでした。在籍していた大手レコードレーベルのA&MもStyxの復帰を信じてその間も"A&M Gold Series(1986)"や、"Classics Volume 15(1987)"といったベスト盤で活動をつないでいきました。そして同じA&Mに所属していたGlenの加入で、再始動の目処が立ったわけです。
"Edge of the Century"のプロデュースはDennis DeYoungが全編を引き受け、マスタリングにはこれまで数々のヒット・アルバムを手がけてきたTed Jensen(テッド・ジェンセン)が担当することになりました。スリーヴ・デザインは、カナダのロック・トリオ、Rush(ラッシュ)のアルバム・ジャケットで有名な、Hugh Syme(ヒュー・サイム)が手掛けました。
収録曲は以下の通り(邦題はすべて原題のカタカナ表記)
A面(アナログ)
1."Love Is the Ritual" Glen Burtnik, Plinky Giglio作
2."Show Me the Way" Dennis DeYoung作
3."Edge of the Century" Burtnik, Bob Burger作
4."Love at First Sight" Burtnik,DeYoung,James Young作
5."All in a Day's Work" Burtnik, DeYoung作
B面
1."Not Dead Yet" Ralph Covert作
2."World Tonite" Burtnik作
3."Carrie Ann" DeYoung作
4."Homewrecker" Young, DeYoung作
5."Back to Chicago" DeYoung作
Glenがソングライティングを手掛ける際には彼のブレーントラストであるPlinky GiglioやBob Burgerが加わったことで、これまでのプログレッシヴでシンセサイザー・メインの大規模なロック・サウンドから、ギター・メインのアーシーなアメリカン・ロック・サウンドに様変わりし、このメンバーならではのStyxサウンドとなりました。アメリカン・ロックと言えば、Styxの故郷が同じ、イリノイ州シカゴ出身のアメリカン・ロック・グループで、Ralph Covert率いるThe Bad Examplesの作品を取り上げているのも本作品の特徴で、クラシックや民謡をカバーしてきたStyxとは驚くほどの変貌でした(ただし"Lies"など、過去にロックソングのカバーも地味にあります)。Glenはイリノイ州出身ではなく、Bruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)やJon Bon Jovi(ジョン・ボン・ジョヴィ)と同じニュージャージー出身でありますが、Glenの加入でStyxのサウンドは、新たなアメリカン・スピリットが注入された音楽になりました。
GlenがヴォーカルをとるA-1"Love Is the Ritual(邦題:ラブ・イズ・ザ・リチュアル)"はファースト・シングルとしてカットされ、Billboardのメインストリームロックチャート(当時はAlbum Rock Tracks)では9位を記録しますが、総合チャートのHOT100では、Styxの過去の実績からしてみれば最高位80位と振るいませんでした。"Love Is the Ritual"は、GlenのロックをStyxのロックとして、その魅力を大きく引き出した作品で、Styxの特徴とも言えるバックコーラスも、全盛期のハイ・トーン・ヴォイスから打って変わって、当時のハード・ロック/ヘヴィー・メタルなどで聴かれる男気ある野太さで、Def Leppard(デフ・レパード)を彷彿させるようなリズミカルで躍動感あるロック・ナンバーです。しかし当時ロックの傾向はグランジやオルタナ系のアーチストが出始めた時期でもあり、チャートが示すようにA-1のようなロックはやや退潮傾向にあったとも言えます。70〜80年代を賑わせたハード・ロック・バンドにとって、グランジやオルタナの台頭は、立ちはだかる大きな壁でありました。
そこで、Styxの"よく知られた"メロディアスな部分で勝負することになります。これが、セカンド・シングルとしてカットされたDennisがヴォーカルをとるバラード、A-2"Show Me the Way(邦題:ショウ・ミー・ザ・ウェイ)"で、Styxの代表曲になる名曲です。プロモーションビデオではセピア色で包まれた映像の中でDennisを中心にしっとりと円熟味あるパフォーマンスを見せてくれます。
この曲はBillboard HOT100シングル・チャートでは1990年12月8日付にエントリーしましたが、96位という下位でした。翌週は81位へジャンプアップしたものの、年末のチャート休業で翌週から2週続けて74位にとどまり、翌1月5日付では62位に上昇、しかし次週1月12日付で62位と伸び悩みます。年末年始の当時のBillboardチャートはアクションが小さいのが特徴でしたが、Styxのファンとしては当時は非常に気になっておりました。
おりしも、1991年1月17日に湾岸戦争が勃発し、アメリカら多国籍軍がイラク相手に空爆が始まりました。これは"砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)"と呼ばれる戦略で、"砂漠の盾(準備段階。Operation desert shield)"→"砂漠の嵐(空爆)"→"砂漠の剣(地上戦。Operation Desert Saber)"と作戦段階が進んでいく中での、空爆による開戦の段階が"砂漠の嵐"でした。この頃にアメリカのFM局が、"Show Me the Way"の歌詞"there's peace in a world so filled with hatred(訳詞:憎悪に満たされた世界にも平和がある)"に着目し、戦闘に向かう兵士や、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領のヴォイス・トラックを曲中にミックスして流すという、"Desert Shield Mix"や"Desert Storm Mix"といったヴァージョンで流したのです。このリミックスは、戦争に突入した情勢に憂える人々を勇気付けるつもりで作られたのでしょうが、もともとはDennisが息子Matthewのために歌った楽曲でした。
リミックスがFMで流れた途端、チャートは激変しました。あれだけスローペースのアクションだったこの曲が、1月19日付で57位にアップすると、その翌週でいっきに40位とトップ40入りを果たし、その後は30位→21位→17位→11位→7位→5位と瞬く間にトップ5入りを果たし、Styxにとっては4曲目のトップ5入りを記録しました。そして、1991年3月16日付で最高位3位を獲得することになったのです。
"Show Me the Way"が3位に上った頃、戦闘では、すでに"砂漠の剣"作戦も終了、3月3日には暫定停戦が定められておりました。終戦ムードが漂う中で、皮肉にも"Show Me The Way"は最高位を記録した3月16日付の3位をピークに翌週は一気に12位と下降し、そのまま下位へ下がっていきました。結局23週のチャート・インで、1991年のYear-Endチャートでは100位内で68位にランクされました。この曲がStyxにおける最後のトップ10ヒットで、息子に捧げた名バラードが、時の情勢と相まってヒットし、情勢が変わるとヒットも終わるという、後味のスッキリしない、ある意味では気の毒なヒット曲となってしまったのです。しかし戦争が終わってもこの曲は後世に残る名曲として聴かれ、1997年のTommyがStyxに復帰してのライブ盤"Return to Paradise(邦題:リターン・トゥ・パラダイス)"では、1996年に亡くなったJohn Panozzoに追悼の意を込めて、この"Show Me The Way"を捧げました。
タイトル曲のA-3はGlenのハード・ロック・チューンで、ヘビーなギター・ソロを聴くことができます。A-4は一転してDennisがヴォーカルをとるラブソングで、このアルバムからのサード・シングルとしてカットされ、1991年6月15日付のHOT100シングルチャートで最高位25位を記録、現時点でStyxとしての最後のTop40ヒットとなっております。続くA-5では、今度はGlenが歌うバラードで、アコースティック漂うシンプルな楽曲ですが、非常に味わい深く親しみやすいナンバーです。
アナログ盤ではB-1にあたる"Not Dead Yet"は前述のThe Bad Examplesのカバー作品です。後輩バンドのカバーも興味深いですが、当時はDennis DeYoungの歌声によるギンギンのハードロックも案外貴重でした。B-2はGlenのノリの良いロック・ナンバーで、Glenの人気がもう少し上がっていたらシングル・カットもあり得たかもしれません。後半にラップ調めいたパートがあるのもこの曲の大きなアクセントで、Styxのサウンドでも異色の存在です。
B-3はDennis DeYoungのバラードです。Dennisの愛娘Carrie Annに捧げたラブソングです。Dennisの妻Suzanneをタイトルにしたナンバーも過去にありましたように("A Song for Suzanne"。1974年の4作目"Man of Miracles"より)、Dennisは両親や家族、親友に捧げる歌はStyxおよびDennisのソロ活動のキャリアを通して多く作られています。バラードから打って変わり、B-4はJYのヴォーカルによるヘビー・ロック・チューンで、いかにもJYらしいワイルドなナンバーです。そして、故郷の名を冠したB-5"Back to Chicago"はDennisがヴォーカルをとるポップなナンバーです。ホーンセクションを入れた大胆で豪華な楽曲で、アルバムの最後を飾るにふさわしい曲です。
アルバム"Edge of the Century"は全編を通して聴きますと、過去のStyxサウンドを引きずってTommy脱退のダメージをごまかすのではなく、アメリカ発祥のロック・グループとしての誇りを打ち出したアルバムになっているのが理解できます。チャートで見ると、Billboard200アルバムチャートでは1990年11月3日付63位が最高位と、実質的には7年のダメージは大きすぎた結果に終わりましたが、チャートには現れない名曲揃いのアルバムであることは、聴けば必ず納得できます。Glen、Dennis、JY、John、Chuckの布陣で完成された最初で最後のアルバムでしたが、実は当時収録に漏れた優秀な未発表の楽曲がたくさん残っており、5人のこのアルバムにかけた想いがうかがえます。その未発表曲の一部を最後にご紹介しましょう。
- "All For Love" 未発表ですが2006年ニュージャージーでDennisとGlenがステージで歌ったとされます。
- "Devil In Me" 未発表曲。
- "Don't Give Up On Me" Glenのソロアルバム"Retrospectacle(1996)"に収録。ちなみにこのアルバムには""Love Is the Ritual"も収録。
- "It Takes Love 2 Make Love" 1995年にTommy復帰後、再レコーディング。"Greatest Hits 2(1996年)"の最後に"It Takes Love"のタイトルで収録されました。当時離脱していたGlenの書いた曲を、Dennisが歌う、シンプル且つ奥深いバラードです。名曲です。
- "Nothing In Common" 未発表曲。
- "Someday We'll Fly" 未発表曲。
- "Watching The World Go By" Glenのソロアルバム"Palookaville(1996)"に収録。"All For Love"同様、DennisとGlenがステージで歌ったとされます。
- "Paradise" この曲は3度レコーディングされています。1度目が"Edge of the Century"の時。2度目はDennisのソロアルバム"The Hunchback of Notre Dame(1996)"の時で、リード・ヴォーカルはDennisではなく女性(Dawn Marie)が担当しています。3度目はStyxのライブ盤"Return To Paradise"で、Dennisのヴォーカルでスタジオ・レコーディングされ、Billboardの Adult Contemporaryで27位を記録。
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posted by ottovonmax at 00:00| 洋楽