2019年01月03日
1月3日は何に陽(ひ)が当たったか?
1987年1月3日は、アメリカのロック・グループ、The Georgia Satellites(ジョージア・サテライツ)のデビュー・シングル、"Keep Your Hands to Yourself(邦題:キープ・ユア・ハンズ)"が、Billboard HOT100シングルチャートで、2週目の30位を記録した日です。Billboardは休刊のため、1986年12月27日付と同位として集計されます。
The Georgia Satellitesは、ジョージア州アトランタで1982年に結成されたロック・グループです。1980年、Dan Baird(ダン・ベアード。gtr,vo)、Rick Richards(リック・リチャーズ。gtr,vo)、Keith Christopher(キース・クリストファー。bass)、そしてDavid Michaelson(drums)の4人で1980年に"Keith and the Satellites"というグループを結成したのがきっかけでした。その後メンバーチェンジがあり、Dan、Rick、Dave Hewitt(bass)、Randy DeLay(drums)の4人の編成で"The Georgia Satellites"を名乗り、バーでプレイする日々が続きました。しかし"陽"の目は当たらずに1984年にいったん解散しました。
しかしアメリカのロック・グループ、Kansas(カンサス)のアルバムをヒットさせた敏腕プロデューサーで知られるJeff Glixman(ジェフ・グリックスマン)の目に留まり、1985年にEP盤"Keep The Faith"を制作、B面1曲目にDan作の"Keep Your Hands to Yourself"は収録されました。これを機にThe Georgia Satellitesが1985年に再編成され、Dan、Rick、Rick Price(Bass)、Mauro Magellan(drums)の布陣で1986年、レーベルのElektra Recordsと契約を交わし、1986年10月、Jeff Glixman制作によるファースト・アルバム、"Georgia Satellites(邦題:ジョージア・サテライツ)"でデビューを果たしました。その第一弾シングルが、EP盤"Keep The Faith"にも収録されていた"Keep Your Hands to Yourself"です。
"Keep Your Hands to Yourself"はDanがヴォーカルをとるAメジャー・スケールの痛快なサザン・ロック・サウンドで、ヘヴィー・メタルやAOR、ユーロビートなどが流行していた当時のアメリカの音楽シーンにおいて、懐かしささえ感じるロックンロール・ナンバーをあえて前面に押し出すという、当時としては無謀であったはずの戦略が、逆に新鮮さが出て、チャートでも異色の存在感が出た楽曲でありました。プロモーション・ビデオもトラックの荷台で楽しく演奏するメンバーの光景が見られる他、結婚シーンなど歌詞を一部再現した演技も見られて、非常に興味深く作られています。
この曲は1986年11月22日付Billboard HOT100シングルチャートで96位にエントリーし、The Georgia Satellitesにとって初めてのチャートインとなりました。その後、79位→60位→48位と大きく上昇し、エントリーして5週目で40位に到達、Top40入りを果たしました。その後も勢いは衰えず、1986年最終の12月27日付で10ランク上昇する30位に入り、陽の当たった休刊日である1月3日付、同位である30位を記録、形の上では2週連続30位となりました。年末年始はチャート・アクションは弱まるのがこの頃のHOT100の特徴でしたが、続く27位→20位→14位→11位と上位まで突き抜けそうなアクションを見せ、2月7日付で7位と、堂々のTop10入りを果たし、5位→2位と、1位を狙える位置まで達しました。
しかしこの時のチャート上位では、Bon Jovi(ボンジョヴィ)の"Livin' on a Prayer(邦題:リヴィン・オン・ア・プレイヤー)"が2月14日付から4週1位を続け、下からもHuey Lewis & The News(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)の"Jacob's Ladder(邦題:ジェイコブズ・ラダー。1987年3月14日付1位)"が迫っており、1987年2月21日付で2位を記録した"Keep Your Hands to Yourself"はこの2曲に挟まれた状態でした。結局このランクを最高位に次週より後退が始まりましたが(3位→6位→16位→28位→47位→77位)、結果的にはHOT100内20週、Top40内14週チャートインする、デビューにして大成功を収めるのです。1987年のYear-Endチャートは100位内35位で、Hueyの"Jacob's Ladder"が記録した41位を上回りました。
本場のメインストリームロックチャート(当時はAlbum Rock Tracks)でも1986年12月20日付から2週連続2位を記録していますが、この時ここでの1位はSteve Miller Band(スティーヴ・ミラー・バンド)の、あのKenny G(ケニーG)のサックスが導入された傑作、"I Want To Make The World(Turn Around)"で、6週間1位を記録しており、ここでも1位進出を無念にも阻まれた形となりました。アルバムからは、セカンド・シングル"Battleship Chains(邦題:バトルシップ・チェインズ。ノースカロライナのミュージシャン、Terry Andersonの作品)"もチャートインし、4月11日付で87位を記録しました。
その後のThe Georgia Satellitesは、50年代のロックンロール・ナンバー、"Hippy Hippy Shake(邦題:ヒッピー・ヒッピー・シェイク)"をカヴァーして映画の挿入歌に使われ、1988年11月26日付HOT100で2週続けて45位を記録するなど、地道な活動を続け、現在もRick Richardsを中心に活動を続けています。
The Georgia Satellitesは、ジョージア州アトランタで1982年に結成されたロック・グループです。1980年、Dan Baird(ダン・ベアード。gtr,vo)、Rick Richards(リック・リチャーズ。gtr,vo)、Keith Christopher(キース・クリストファー。bass)、そしてDavid Michaelson(drums)の4人で1980年に"Keith and the Satellites"というグループを結成したのがきっかけでした。その後メンバーチェンジがあり、Dan、Rick、Dave Hewitt(bass)、Randy DeLay(drums)の4人の編成で"The Georgia Satellites"を名乗り、バーでプレイする日々が続きました。しかし"陽"の目は当たらずに1984年にいったん解散しました。
しかしアメリカのロック・グループ、Kansas(カンサス)のアルバムをヒットさせた敏腕プロデューサーで知られるJeff Glixman(ジェフ・グリックスマン)の目に留まり、1985年にEP盤"Keep The Faith"を制作、B面1曲目にDan作の"Keep Your Hands to Yourself"は収録されました。これを機にThe Georgia Satellitesが1985年に再編成され、Dan、Rick、Rick Price(Bass)、Mauro Magellan(drums)の布陣で1986年、レーベルのElektra Recordsと契約を交わし、1986年10月、Jeff Glixman制作によるファースト・アルバム、"Georgia Satellites(邦題:ジョージア・サテライツ)"でデビューを果たしました。その第一弾シングルが、EP盤"Keep The Faith"にも収録されていた"Keep Your Hands to Yourself"です。
"Keep Your Hands to Yourself"はDanがヴォーカルをとるAメジャー・スケールの痛快なサザン・ロック・サウンドで、ヘヴィー・メタルやAOR、ユーロビートなどが流行していた当時のアメリカの音楽シーンにおいて、懐かしささえ感じるロックンロール・ナンバーをあえて前面に押し出すという、当時としては無謀であったはずの戦略が、逆に新鮮さが出て、チャートでも異色の存在感が出た楽曲でありました。プロモーション・ビデオもトラックの荷台で楽しく演奏するメンバーの光景が見られる他、結婚シーンなど歌詞を一部再現した演技も見られて、非常に興味深く作られています。
この曲は1986年11月22日付Billboard HOT100シングルチャートで96位にエントリーし、The Georgia Satellitesにとって初めてのチャートインとなりました。その後、79位→60位→48位と大きく上昇し、エントリーして5週目で40位に到達、Top40入りを果たしました。その後も勢いは衰えず、1986年最終の12月27日付で10ランク上昇する30位に入り、陽の当たった休刊日である1月3日付、同位である30位を記録、形の上では2週連続30位となりました。年末年始はチャート・アクションは弱まるのがこの頃のHOT100の特徴でしたが、続く27位→20位→14位→11位と上位まで突き抜けそうなアクションを見せ、2月7日付で7位と、堂々のTop10入りを果たし、5位→2位と、1位を狙える位置まで達しました。
しかしこの時のチャート上位では、Bon Jovi(ボンジョヴィ)の"Livin' on a Prayer(邦題:リヴィン・オン・ア・プレイヤー)"が2月14日付から4週1位を続け、下からもHuey Lewis & The News(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)の"Jacob's Ladder(邦題:ジェイコブズ・ラダー。1987年3月14日付1位)"が迫っており、1987年2月21日付で2位を記録した"Keep Your Hands to Yourself"はこの2曲に挟まれた状態でした。結局このランクを最高位に次週より後退が始まりましたが(3位→6位→16位→28位→47位→77位)、結果的にはHOT100内20週、Top40内14週チャートインする、デビューにして大成功を収めるのです。1987年のYear-Endチャートは100位内35位で、Hueyの"Jacob's Ladder"が記録した41位を上回りました。
本場のメインストリームロックチャート(当時はAlbum Rock Tracks)でも1986年12月20日付から2週連続2位を記録していますが、この時ここでの1位はSteve Miller Band(スティーヴ・ミラー・バンド)の、あのKenny G(ケニーG)のサックスが導入された傑作、"I Want To Make The World(Turn Around)"で、6週間1位を記録しており、ここでも1位進出を無念にも阻まれた形となりました。アルバムからは、セカンド・シングル"Battleship Chains(邦題:バトルシップ・チェインズ。ノースカロライナのミュージシャン、Terry Andersonの作品)"もチャートインし、4月11日付で87位を記録しました。
その後のThe Georgia Satellitesは、50年代のロックンロール・ナンバー、"Hippy Hippy Shake(邦題:ヒッピー・ヒッピー・シェイク)"をカヴァーして映画の挿入歌に使われ、1988年11月26日付HOT100で2週続けて45位を記録するなど、地道な活動を続け、現在もRick Richardsを中心に活動を続けています。
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posted by ottovonmax at 00:00| 洋楽