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〈948〉 メタバースの哲学

今日ご紹介しまするは
メタバースの哲学

読む前はね、メタバースって完全に架空の世界だけど、その世界のアバターに自分を憑依させることで擬似的に世界を楽しむ、って認識だった。
でも読後の気づきとしては、メタバースも、この世界もあくまで自分の脳がどう捉えているか、という話だけで、どちらが現実でどちらが架空ってことでもないんだな、と。恋愛だって、そう。なんとなくイメージを共有できているだけの人間の脳のなかで描かれた関係性。
唯一の違いは「置かれている状況で見えているもの(それは視覚だけを指していない)が、同じように見えているのか」。物理空間における束縛感、だという。
今後の生活において、メタバースとその周辺ビジネスについて、考え直してみようと思った一冊です。

以下、まつぞーメモ
・メタバースが「もう一つの現実」であるかではなく、「私たちの物理空間と、どのように関係するのか」が問題
・メタバースは物理空間にしばりつけられていた人間の物理空間疎外 like 宇宙開発に乗り出した人類の地球疎外
・メタバースの特徴は空間性と没入性。体験のリアリティ。
・人間は夢と現実を区別できていると思ってる。だが構造化の概念を持ち出すと、もう1つの現実という見方もできるのではないか。メタバースも構造化されたもう1つの現実といえる。
・想像界(何らかのイメージを形成する感覚的な認識が属するもの、言語も関係する)と象徴界(私たちの心に備わる構造の総体)。想像界が言語によって象徴界に準拠(レファレンス)されることで、恋愛も現実の存在として捉えることが可能に。
・象徴界は社会のなかで共有されたルールなので、多様性に応じて無数にあるとすればメタバースもしかり。
・「もう一人の私」の獲得はアイデンティティにどう影響するか?
・メタバースは物理空間の不条理さに対する救済ととらえられる
・分人主義:人間は単独化された主体ではなく、他者との関係性のなかで異なりうる主体として理解する立場、つまりアイデンティティ・個性は、他者との関係のなかで現れる私のあり方の総体。分人の構成比率、どれだけ分裂してみえても一つの個性へ収斂していく
・でもその前提では、個性は分人の結果として成立して、分人に先行して分人同士を統合するものはない。二つの自分を支えるものが何もない、ということになる。メタバースにおけるアイデンティティの多重性は、それを乗り越えアイデンティティを脱中心化する重要な役割を担う
・この考えに批判的なのがスロベニアの思想家スラヴォイジジェク。仮想空間における私は物理空間で押し殺されていた本当の欲望の現れ。もう1つの主体ではなく、主体の自我、主題の代補としての自我にすぎないととらえることもできる。⇨物理空間は仮想空間よりも優位性がある
・メタバースは身体の配置、位置付けを限定できないから、ここにしかいないというユーザーは存在しない。固体の身体の喪失。一方で共通世界の固有性は、簡単にチェンジできないことが条件、地域の歴史的建造物のような物質的素材によって世界の耐久性の基礎は担われている。人々はそこに歴史をかんじ、共通世界の固有性となる。メタバースに物質的な素材がないため、自分が見ているものと同じものを見ているだろうという確信が比較論的に得にくい。共同体への帰属意識を感じにくくさせてしまう。


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