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2016年04月29日

屋号#大阪丸(25) (あべのハルカス周辺no.13*新世界)


(あべのハルカ周辺no.13*新世界)

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通天閣に行く道、通天閣から帰る道でもある街・・・新世界。



(大阪市営地下鉄・御堂筋線の動物園公園前駅より)
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ひと昔前は、あまり治安が良くない怖いイメージもありましたが、今はそんな気持ちも吹き飛ぶ程、外国からの客人も含め観光客の人、人、人で賑わいでいます。





そのまた、もっと昔、明治36年(1903年)に開催された第5回内国勧業博覧会で隣町の一部と共に会場敷地となりました。

内国勧業博覧会という名称ですが、国内外の技術交流という点では、万博に近いものでした。
博覧会は5ヶ月間、530万人の入場者で大盛況で終わりを迎えました。

その後、大阪財界有志達が1910年には「阪堺電気軌道」(旧)を開設、大阪財界は[恵美須町]がターミナル駅として発展することを見込み、博覧会跡地を一大娯楽センターとすることを計画、立案しました。

博覧会跡地は陸軍が日露戦争時に利用したのち、1909年(明治42年)東側の約5万坪が天王寺動物園になりました。
西側約2万8千坪は、大阪財界出資の大阪土地建物に払い下げられ、1912年(明治45年)7月3日、大阪の新名所ということで【新世界】が誕生しました。
通天閣とルナパークの開業。





(約100年前、当時の通天閣とルナパークがある新世界のジオラマ風景:通天閣内展示物)
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最初、「新巴里」「第二千日」の仮名称でしたが、開業時に「新世界」となりました。
通天閣は、(通天閣@)の前述でも書きましたが、パリにある凱旋門の上にエッフェル塔を置いたイメージで造られました。

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新世界もまたパリやニューヨークをモデルに街路含め、街を作っていきました。
コンセプトは、今のテーマパークのようなものだったといいます。
ニューヨークのコニーアイランドにあったルナパークに似た遊園地を開くこととし、「ルナパーク」と命名しました
幸運の神様・ビリケン像を置いたルナパークと通天閣の開業で、周辺に芝居小屋や映画館、飲食店が集まっていきました。



1919年(大正8年)新世界に大阪国技館も建設されました。
一時は、道頓堀、千日前につぐ歓楽街として繁栄しました。
しかし1923年(大正12年)人気がなかったルナパークが閉園。
鉄道が集まる阿倍野地区に近代的な映画館や百貨店が出来、古色然とした新世界に変わる新しい歓楽街として頭角を現してきました。



第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)火災の後、敵軍の空襲攻撃の対象にされやすいことに加え、金属類回収令に従い、鉄材供給の為、通天閣は解体された。



1945年(昭和20年)3月13日、第一回大阪大空襲で新世界は被災、壊滅しました。
1947年(昭和22年)ジャンジャン横丁が復興。
1956年(昭和31年)通天閣第2代目が建設され、開業。
戦後高度成長期に入り、新世界は歓楽街としては徐々に衰退し始めました。
街を歩くのは、あいりん地区の労働者が大半になり、1961年(昭和36年)釜ヶ崎に暴動が起こる。
隣接する新世界のイメージも悪化。
「怖い街」と認知されるようになりました。
日雇い労働者の盛り場。
1970年代〜1990年代まで、新世界の地盤沈下はますます進んで行きました。
家族連れや若者離れも加速。
衰退の一途を辿っていきました。



大手私鉄のターミナル駅に恵まれなかったことや、あいりん地区や赤線の飛田新地など、怖いイメージで衰退は加速していました。



しかし、1990年代あたりから、戦後を知らない世代から昭和の匂いが残るレトロな街と再評価を受け、様々な映画や小説、漫画などのモデルにもなりました。またNHKの朝ドラ「ふたりっ子」の舞台にもなり、親しみ易さと人気が戻って来ました。
2000年代には人気がある串カツのお店も乱立。



(何故か?パチンコ屋さんにある串カツ屋さんの垂れ幕)
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雑誌やテレビでも好意的に取り上げられ、衰退を繰り返し[怖いイメージ]の街・新世界も今では昭和の面影を残すレトロな街で、国内外の観光客で賑わっています。

新世界の街中は、【ビリケンさん】だらけ。
ゆっくり探して歩くのも楽しいかなぁと思います。



(これぞ、新世界の代表スポット・づぼらや辺りから通天閣を望む)
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(新世界に入る前に高架下をくぐります。左・スパワールド、マルハン新世界ビル。真ん中・新世界、通天閣。ジャンジャン横丁。右・動物園、美術館。との表示。)
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(ジャンジャ横丁入り口)
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(入ってすぐにも【ビリケンさん】)
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(ともかく【ビリケンさん】)
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(将棋と囲碁クラブ)
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(将棋・囲碁クラブは沢山の人達が対戦されていました。)
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(大衆娯楽遊技場・射◎的です。昔なつかしい・・・お祭りの時に見かけたような射的屋さんです。)
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(こちらも娯楽場。今のゲームセンターです。)
(レトロな電飾や文字。トウちゃんも。ボッちゃんも。のコピーが光ります?!)
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(全テーブルゲーム。オール50円。)
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(串カツ屋さんなどお店が並ぶ中、アーケードを進みます。)
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(世界一当たる恋占い。やはりレトロな感じです。)
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(70年代位までは、どこの商店街でもあったようなお菓子屋さん。)
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(100年前位の新世界の街並みを当時の写真などで紹介しています。)
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(ジャンジャン横丁のもっかの新聖地になっています。アーケードを通天閣方面を目指して歩いていくと、右手にトタン板で出来たような壁。そこに通天閣にも登場していたローマの休日の「真実の口」をモデルにしたような【ビリケンさん】の「恋人達の真実」があります。)
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(「恋人達の真実」の上部にあります。ジャンジャン横丁の見取り図:ジャンジャン横丁若手の会「新世代」制作)
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(新・世界の中心で 愛を叫ぶ!恋に、恋して「恋してジャンジャン」
近くの鍵屋さんで鍵を購入し、ネオン管のハートの中に鍵を掛けています。)
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(新世界のシンボルである将棋盤のオブジェと横は「運命の赤い糸」)
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(古くからある一杯飲み屋さんや昭和的なお店が立ち並ぶ中、何故か1軒、お洒落なJAZZハウスが。)
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(角にあるカドヤにも【ビリケンさん】)
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(アーケード抜けた辺りには昔なつかしのTVゲーム50円。テトリスやUFO?!)
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(昔なつかしいスマートボールです。)
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(タイガーマスク売っています。)
(なんでやねん。と突っ込みたくなります。(笑))
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(プリクラ屋さん。右から、「よってって」「プリクラあるで」(なんぼのもんや)「おもろいで」「ちょっと よってって」「プリクラやで」「まいどおおきに」)
(あくまでも公用語?コテコテ系の大阪弁で通します。(笑))
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(700円の散髪屋さん、安いです。そして店頭人形がユニーク。)
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(沢山のおいしそうなお店や有名なお店、安いお店が目白押し。)
(ここは、100円食堂です。)
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(ふぐのちょうちんで有名な「づぼらや」)
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(「づぼらや」の向かい串カツの「横綱」にの角に巨大【ビリケンさん】)
(この辺りは通天閣も見え、新世界の街の写真スポットです。)
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(まさに通天閣と新世界です。)
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(次回【ビリケンさん】だらけ。に続く)




















(お得な旅行なら)





































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