2018年03月22日
人間の情熱は神の域を越えるかー(「天ー天和通りの快男児」、「HEROーアカギの遺志を継ぐ男」より)
井川ひろゆき、というキャラクターがいる。
※画面手前
「天ー天和通りの快男児」という漫画で初出。詳しい流れは本編をみていただくこととして。
準主人公の座で、東西戦後半では完全に赤木がカウンセラーレベルの可愛がっていた青年である。18から29歳までの物語がつづられているが、20の時に東西戦で完全な無力さを思い知り、失意のまま普通の人間の人生へ戻ることとしていた。
だが29歳、赤木の通夜(正確には生前通夜みたいなもの)の席で赤木や東西戦の面子と再会。そこで赤木に諭され、新たな人生に踏み出す。
のが天。これ以降のことはこちらにはかかれておらず、スピンオフ作品「HEROーアカギの遺志を継ぐ男」へと時間は移る。
32歳になったひろゆきは、現在麻雀教室で麻雀を教えながら代打ち業を担っていた。おそらくは沢田(天の時にお世話になった人でもある)のサポートがあったとも思われる。雀力をかなり高めたひろゆきは、天との一徹麻雀を申し出た。ここから物語はスタート。
対局の途中天が拉致されてしまい、勝負のラスト1枚の札を残したまま卓を封印。天の行方を追う。
途中でいくつかの妨害を受けつつも、第二次東西戦・出場者選抜予選会場にたどり着くひろゆき。
偶々(おそらく必然的に)現れた「岸辺忍」と共闘という形をとるが、岸辺の突然の裏切りのため、ひろゆきは脱落……したが、ラスト一枠のエレベーターチャレンジになんとか正解。そこに現れた意外な主催者は、東西線で同じ東軍で打った健(天の登場人物を参照)であった。
現在は、天が第二次東西戦の西軍に軟禁されているといっても過言ではないだろうという所。東・日本、西・中国の、日本経済を揺るがす勝負のまっただ中である。
そんな井川ひろゆきは、果たして神=赤木しげるを越えることができるのか。 そもそもひろゆきには甘さがある。
鉄火場を生きていく人間は、仲間を救うために自分の点棒を犠牲にしてはならないし、勝つためなら騙し合いに持ち込むのも、否定してはならない。
鉄火場を抜ける為に邪魔となる甘さが、ひろゆきは捨てられない。これは「天」で東西対決に参加させてほしいと言い出したひろゆきに、東西線前の試験の折に天が指摘していた点だ。
「HERO」でも第二次東西対決予選で、ここまで共に打ってきた「岸辺忍」を助けてしまったばかりに脱落してしまった。ここでワンチャン貰っていなければ、彼はすごすごと帰る羽目になっていた。
日常云々はそのままでもいいかもしれないが、非情となるべき場所で非情となれない。手を汚してでも勝ちあがる汚さがない。最も、そんな心があったら赤木はここまで世話を焼かなかっただろうというのはあるかもしれないが。
「熱い三流なら上等よ」
HERO東軍の中に「西方」という、見た目も性格もどちらかと言えばチャラ男寄りの青年がいる。
西方はひろゆきと正反対の、完全な天才肌と言ってもいい。「熱い三流が……」と言い出したらスルーしてもおかしくはないだろう。
これは悪いことではなく、一つの言葉に縛られないやり方が西方には合っているのだ、ということになる(最も否定を始めたら話が別の方向にいくわけだが)。
ひろゆきは鉄火場か世間かと言われれば、完全に世間向きである。
伊達に会社員はしていないのは麻雀教室での人当たりで解る。会社でのノルマや自身の存在の意味を問わなくなったことで、活き活きと、天最終話とはまるで別人といった様相に変わる。
赤木が言った言葉を胸に、人間の心の安定がそうさせるのか、もしくは言葉を信念として捕らえているのか。
倒れる市川を受け止めようとする、さんざ卑怯な手で潰そうとしてきた川尻を許す(両方共HERO第3巻)、岸辺を「同じ言葉」で引き止める(HERO第11巻)といった部分が見られるのである。
ひろゆきが持つ能力
「天」でひろゆきは確率論での戦いをしていた。
この戦法には限界があり、確率をはじき出すことが出来ても最終的には感覚に負ける。
感覚というのは科学的ではない言い方ではあるが、牌が溜まる場所場所と機会をひと足早く読み、和了る前に降ろさせるのが麻雀の戦い方と言われている。
ひろゆきの神眼は手元の牌を瞬時に見分けて、大体の場を読むことが出来る。加えて盲牌・聴覚も一時的に鋭いものを得ている。
しかしこちらはストーリーに関わることはあるもの、西との対決で使う機会はあるかも知れないレベルでもある。能力としてはあまり期待できる状態ではないだろう。
この部分から考えれば、ひろゆきの32才という年齢を考慮して赤木と近い位置まではいける可能性がある。
そんな経験もあるから岸辺に「麻雀が好きなら」というアプローチから引き止めようとしている。
故にひろゆきは真面目すぎるのだ。
本来は「神域」という言葉や存在を忘れて雀力上げに励み、天才肌というたった薄紙一枚の障害を取っ払わなくてはならない。しかしひろゆきは赤木を親愛しすぎて、神域の男にたどり着くことしか考えていない。
好きという情熱以上に必要なのは、運、信念、でもある。
果たして赤木を超えた時、ひろゆきは何を望むのだろうか。
「テニスの王子様」で兄と同じところまで昇ると言った仲間に、主人公越前リョーマが言うシーンが有る。
「俺はその先に行くよ」
今の状態はあまりに赤木にまだ縛られすぎている。
天がまだ強いのはその部分があるかも知れない。
尊敬や敬愛はしているが、それはそれ、そっちはそっち、なのである。
おそらくひろゆきより天が強いのは、その部分も影響している可能性はある。
赤木を越える時、ひろゆきの年齢がいくつであるのかはわからない。一生たどり着けないまま野垂れ死ぬ日が来るかも知れない。それでも今と同じ状態であれば、完全に越える日は無いだろう。
最終的に待ち受けているのは、自身との戦い。かもしれない。
電子書籍で読む→HERO_1巻
※画面手前
「天ー天和通りの快男児」という漫画で初出。詳しい流れは本編をみていただくこととして。
準主人公の座で、東西戦後半では完全に赤木がカウンセラーレベルの可愛がっていた青年である。18から29歳までの物語がつづられているが、20の時に東西戦で完全な無力さを思い知り、失意のまま普通の人間の人生へ戻ることとしていた。
だが29歳、赤木の通夜(正確には生前通夜みたいなもの)の席で赤木や東西戦の面子と再会。そこで赤木に諭され、新たな人生に踏み出す。
のが天。これ以降のことはこちらにはかかれておらず、スピンオフ作品「HEROーアカギの遺志を継ぐ男」へと時間は移る。
32歳になったひろゆきは、現在麻雀教室で麻雀を教えながら代打ち業を担っていた。おそらくは沢田(天の時にお世話になった人でもある)のサポートがあったとも思われる。雀力をかなり高めたひろゆきは、天との一徹麻雀を申し出た。ここから物語はスタート。
対局の途中天が拉致されてしまい、勝負のラスト1枚の札を残したまま卓を封印。天の行方を追う。
途中でいくつかの妨害を受けつつも、第二次東西戦・出場者選抜予選会場にたどり着くひろゆき。
偶々(おそらく必然的に)現れた「岸辺忍」と共闘という形をとるが、岸辺の突然の裏切りのため、ひろゆきは脱落……したが、ラスト一枠のエレベーターチャレンジになんとか正解。そこに現れた意外な主催者は、東西線で同じ東軍で打った健(天の登場人物を参照)であった。
現在は、天が第二次東西戦の西軍に軟禁されているといっても過言ではないだろうという所。東・日本、西・中国の、日本経済を揺るがす勝負のまっただ中である。
そんな井川ひろゆきは、果たして神=赤木しげるを越えることができるのか。 そもそもひろゆきには甘さがある。
鉄火場を生きていく人間は、仲間を救うために自分の点棒を犠牲にしてはならないし、勝つためなら騙し合いに持ち込むのも、否定してはならない。
鉄火場を抜ける為に邪魔となる甘さが、ひろゆきは捨てられない。これは「天」で東西対決に参加させてほしいと言い出したひろゆきに、東西線前の試験の折に天が指摘していた点だ。
「HERO」でも第二次東西対決予選で、ここまで共に打ってきた「岸辺忍」を助けてしまったばかりに脱落してしまった。ここでワンチャン貰っていなければ、彼はすごすごと帰る羽目になっていた。
日常云々はそのままでもいいかもしれないが、非情となるべき場所で非情となれない。手を汚してでも勝ちあがる汚さがない。最も、そんな心があったら赤木はここまで世話を焼かなかっただろうというのはあるかもしれないが。
「熱い三流なら上等よ」
HERO東軍の中に「西方」という、見た目も性格もどちらかと言えばチャラ男寄りの青年がいる。
西方はひろゆきと正反対の、完全な天才肌と言ってもいい。「熱い三流が……」と言い出したらスルーしてもおかしくはないだろう。
これは悪いことではなく、一つの言葉に縛られないやり方が西方には合っているのだ、ということになる(最も否定を始めたら話が別の方向にいくわけだが)。
ひろゆきは鉄火場か世間かと言われれば、完全に世間向きである。
伊達に会社員はしていないのは麻雀教室での人当たりで解る。会社でのノルマや自身の存在の意味を問わなくなったことで、活き活きと、天最終話とはまるで別人といった様相に変わる。
赤木が言った言葉を胸に、人間の心の安定がそうさせるのか、もしくは言葉を信念として捕らえているのか。
倒れる市川を受け止めようとする、さんざ卑怯な手で潰そうとしてきた川尻を許す(両方共HERO第3巻)、岸辺を「同じ言葉」で引き止める(HERO第11巻)といった部分が見られるのである。
ひろゆきが持つ能力
「天」でひろゆきは確率論での戦いをしていた。
この戦法には限界があり、確率をはじき出すことが出来ても最終的には感覚に負ける。
感覚というのは科学的ではない言い方ではあるが、牌が溜まる場所場所と機会をひと足早く読み、和了る前に降ろさせるのが麻雀の戦い方と言われている。
ひろゆきの神眼は手元の牌を瞬時に見分けて、大体の場を読むことが出来る。加えて盲牌・聴覚も一時的に鋭いものを得ている。
しかしこちらはストーリーに関わることはあるもの、西との対決で使う機会はあるかも知れないレベルでもある。能力としてはあまり期待できる状態ではないだろう。
この部分から考えれば、ひろゆきの32才という年齢を考慮して赤木と近い位置まではいける可能性がある。
そんな経験もあるから岸辺に「麻雀が好きなら」というアプローチから引き止めようとしている。
故にひろゆきは真面目すぎるのだ。
本来は「神域」という言葉や存在を忘れて雀力上げに励み、天才肌というたった薄紙一枚の障害を取っ払わなくてはならない。しかしひろゆきは赤木を親愛しすぎて、神域の男にたどり着くことしか考えていない。
好きという情熱以上に必要なのは、運、信念、でもある。
果たして赤木を超えた時、ひろゆきは何を望むのだろうか。
「テニスの王子様」で兄と同じところまで昇ると言った仲間に、主人公越前リョーマが言うシーンが有る。
「俺はその先に行くよ」
今の状態はあまりに赤木にまだ縛られすぎている。
天がまだ強いのはその部分があるかも知れない。
尊敬や敬愛はしているが、それはそれ、そっちはそっち、なのである。
おそらくひろゆきより天が強いのは、その部分も影響している可能性はある。
赤木を越える時、ひろゆきの年齢がいくつであるのかはわからない。一生たどり着けないまま野垂れ死ぬ日が来るかも知れない。それでも今と同じ状態であれば、完全に越える日は無いだろう。
最終的に待ち受けているのは、自身との戦い。かもしれない。
電子書籍で読む→HERO_1巻
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