2016年05月10日
★北三陸・田野畑村の岩見百丈さんの詩と七戸・南部縦貫鉄道キハ102がコラボ!百丈さんの魂が垂直に遡上
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★早朝、たまたま、廊下の書架を見たら――作者の故岩見百丈氏にははなはだ礼を失する言い方になるが――詩集『帰途』が目に入った。
他の書物は目に入らなかった。
妙だが、黒っぽい背表紙に白く刻まれた詩集『帰途』の文字だけが目に入った。
「突き刺さる」というより、僕のカラダに「へばりついてくる」――岩見さん、ゴメンm(_ _)m――といった感じだった。
詩集を手にとった。
たまたま開いたのが、次の「木」という作品だった。
「木」
《無意味
とでも呼ぶしかないようなものが
棒のかたちして立っている
どうだ おれはこうして立っているぞ
と言わんばかりに
いや 事実そのものは言っているのだ
おれをおいて世界はないと
何に向かって言っているのか
という問いはもはや成り立ち得ない
おれが倒れれば世界は倒れる
おれが滅びれば世界は滅びると
言っているのを聞きとるか
断固その存在を拒否するか だが
それは世界そのものではない
そんな不誠実な言葉ではないから
おれはおれ自身そのものだから
おまえもおれを見習うがいいと
言い続けながら倒されて 倒されたままで
なおしばらくは言い続けるだろう
おまえもおれにならって立てと
言い続けながら
裂かれ砕かれ晒され漉かれ
その紙にたまさか
「おまえも……」と記したばかりに
くしゃくしゃに丸めて捨てた一枚の紙の
ゆくえ こしかた 問うべくもなく
おれは棒立ちになったのだ
茂るほかはない
実るほかはない
朽ちても生きるほかはないのだもはや》――詩「木」のコピー、以上。
何度か読んだ。
何度も……といったほうが正しいかもしれない。
いい詩である。
僕は、何もことばを発することができなかった。
僕は、廊下に立ち尽くした。
いい詩である。
★廊下で故岩見百丈氏の作品「木」を読んだ後、DAKA古書店跡に入った。
廊下からDAKA古書店跡に入る方法は2つある。
(1)玄関に向かって歩き、玄関扉の側壁にあるガラス扉を押すと入れる……。
(2)廊下からいったんダイニングキッチンに戻り、パートナーがまだ眠っている寝室を通り抜け、隠し扉を開けると入れる――。
けさは「隠し扉」から入った。
PCをON。
僕のカラダのうちに、作品「木」の前で立ち尽くしたときのカラダのカタチが残っている。
僕の放置Blogにたしか「岩見百丈」がいたはずである。
検索をかける。
2011-05-01の記事「★キーボードがカタカタと鮫(仁科源一)、小子内(柳田国男)、田野畑(岩見百丈)、小高(島尾敏雄)等と」が開いた。
東日本大震災に関する記事だった(←中味は省略する。)。
スクロールしていくと、南部縦貫鉄道(註@)レールバス愛好会が毎年開催しているイベント「レールバスとあそぼう」がやはり震災の影響で中止に至った事情について触れ、前年「2010レールバスとあそぼう」の画像がアップしてあった。
僕の体験乗車コメントもついている。
《コメント》
突き上げてくる振動に打たれていると、こみあげるものがあった。
僕は、よく「魂の内側に沿って垂直に下る」という言い方をするが、「ああ、レールバスの魂は、今、垂直に遡上しようとしている」と感じた。(コメント、以上。このコメントは記憶の痕跡が鮮明だ。)
レールバスの画像をスクロールしているうちに、僕の動悸が激しくなった。
レールバスと作品「木」とのコラボが始まった。
「どうだ おれはこうして立っているぞ」
「どうだ おれはこうして走っているぞ」
「おれをおいて世界はない」
「おれが滅びれば世界は滅びる」
「おまえもおれにならって走れ」
「走るほかはない」
「朽ちても走るほかはないのだ、もはや」
「違うよ、違うよ」と僕は振りはらったが、振りはらっても振りはらっても「走るほかはない」「朽ちても走るほかはないのだ、もはや」コラボはやまなかった。
岩見百丈氏の魂が、僕の魂のうちを垂直に遡上しつづけている。
★早朝、たまたま、詩集『帰途』を手に取り、たまたま、「レールバスとあそぼう」の画像を見つけた。
ひきつづき、3つ目の「たまたま」――
コラボは鳴りやまない。
今度は(僕の放置Blog内ではなく)ネット全体に検索をかける。
ディスプレイに北三陸・田野畑村のHN=みさご丸という方のBlog「山と土と樹を好きな漁師」中の記事「お寺参りで、想ったこと・・・。」(2010/8/17)が現れた。(註A)
一部、抜粋させていただく。
《お寺は、村に一つあるお寺で、大本山が福岡県の永平寺にある、曹洞宗の「宝福寺」というお寺です。
村の八割くらいの世帯が檀家になっています。
僕の、両親を始め、その本家。家内の方のご先祖も祀られています。
その位牌を探して、自分のご先祖様。両親の、その位牌を拝んできました。
昭和八年に、大きな三陸大津波がありました。
その時には、村にお寺は無く、死者を成仏させるためのお寺がない。
そこに、一人の僧侶が・・。
その僧侶が、困っている村民のあり様を見て、見かねてお寺を「開寺」したのです。
故 岩見対山(いわみたいざん)という僧侶です。
その頃、この田野畑村は「岩手のチベット」、「陸の孤島」というレッテルをはられるほど、交通の便も悪く、貧しい村だったのです。
まあ、今も位置的に、不便な事に変わりは無く、村民所得も平均的にはかなり低い村だと思います。
苦しい、お寺の運営だったと推測されますが、その和尚も90歳ぐらいまで生きて、30年ほど前まで、住職をしていました。
そして、その後を継いだ子息、 故 岩見百丈(いわみひゃくじょう)が若い住職に就任。
しかし、彼もまた不幸な事に50歳という若さで、5年ほど前この世を後にしています。
現在、彼の息子が、大本山が福岡県の永平寺に修行に行き一定の修行は終えていますが、まだ、本当の住職としては本山から認められていません。(何か、仏僧の世界での決まりごとがあるようです)
なので、故、岩見百丈さんのお骨もまだ、本尊におかれたままになっています。
予定では、2年後に彼の息子が住職として、認められ、彼のお骨もお墓に納める事ができるようです。》――みさご丸氏のBlog記事からの抜粋、以上、感謝!
☆註@=南部縦貫鉄道株式会社。
野辺地〜七戸 20.9km 非電化・単線・タブレット閉塞
駅数 11駅 (野辺地・西千曳・後平・坪・坪川・道の上・天間林・営農大学校前・盛田牧場前・七戸)
開業 昭和37年10月20日
休止 平成 9年 5月 6日
廃止 平成14年8月1日
☆註A=ネット上からはみさご丸氏のBlogの他に岩見氏に宛てた僕の年賀状のコピーが出てきた。
昭和62年〜63年にかけての一時期、「地図」をつくり、「地図」から出勤し、「地図」に帰る……という生活をしていた。
その「地図」といっしょに出てきた資料の中に年賀状があった。
〈岩見百丈様〉(年賀はがきに「地図」を印刷)
新年 おめでとうございます。
年の暮れ、こういう地図(村)をつくり、新年を、この地図の中で迎えました。
現在、住民募集中です。
願いをいえば、百丈さんには、水源地の奥にあるお寺に住んでいただきたいものですね。
詩集『帰途』、ほんとうに、どうもありがとうございました。
ゆっくり、ゆっくり読んでいます。
地図の外で、あるいは、地図の中で。
また、お便りします。
きょうは、新年のごあいさつのみ。
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