2016年05月09日
★いいね、三日町! キュンと来るよ……僕の魂の奥底につながっている
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★三日町界隈の風景。
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キュンと来るよ。
三日町の風景は、僕の魂の奥底につながっている。
★オマケに、もう一発「キュンと来た」話――
DAKA古書店解体作業に伴い、カオス部分(=書架の隅っこ等で、ホコリにまみれ、中味の正体が不明な部分)はほとんど整理したが、屋根裏部屋には、まだいくつか残っている。
ほとんどは捨てていいものばかりだ。
これまで例だと、ゴミ収集日に出す=95%、シュレッダー処理(マル秘)=4%、保存=1%以下。
この4%と1%があるために、まずホコリを除去し、次に分別し……と、結構、手間がかかる。
今回、僕の大学時代の『教育実習日誌』が見つかった。
僕の実習は、幼稚園免許、小学校免許、中・高校免許を取得するために、2ヵ月間に及んだ。
出てきたのは、そのうち、小学校の実習日誌だった。
担当学年は1年生。
さっと目を通したが、日誌の中の20歳の青年と、今の僕との間に同一性を見出すことはむずかしかった。
どうしても、実習生を預かる&指導する目でみてしまうから、「ああ、もうこの青年はどうしようもないィィ〜」と、絶望的な気分になり、破り捨てたくなった。
★しかし、破り捨てなかった。
1%以下の「保存」に選り分けた。
かすかに、ほんの一瞬だが、「あっ、僕がいるぅ〜」と、日記の中の青年に、今の僕の輪郭を感じる箇所があったからだ(^_^)v。
たとえば――
6/23(水)
《(前部省略)子どもたちは、もう少し大きくなったら、そう、5年生か6年生くらいになったら、きっと、「なんのために自分は学校に行っているんだろうか?」とか「いったい自分はなんのために、ごはんを食べているんだろうか?」などと考えるようになるにちがいない。
そのとき、子どもたちは、「学校に行ったら友だちがいるから」とか「楽しみにしているテレビ番組を観るために」とか、なんとか自分に言い聞かせ(大人からすれば、他愛のないことかもしれないけれど)、子どもたちなりに、時として襲ってくる、もどかしくて、はかなくて、どうにも、つかみどころのない、そういう感情を振りはらおうとする時期がやってくるにちがいない。
そう思って、今、目の前にいる1年生たちの横顔をみると、ちょっと痛々しい。(後部省略)》
7/01(木)
《子どもたちのあいだで「いいこと考えた!」が大流行。
顔じゅう笑いをいっぱいにしながら「いいこと考えた!」という。
片方の手でコブシを作って、もう一方の手のひらを、ポーンと打つ。
たとえば、給食の時間に、イチゴとパンを前にした子どもが、イチゴをつぶして、ジャムパンのようにして食べることを思いついたとき……。
また、校庭脇の小さな水路で、笹舟を浮かべて遊んでいるとき、どうしてもすぐにひっくり返ってしまい、遠くまで流れない……そんなとき、「いいこと考えた!」と走り出す。
なにかと思って見ていると、笹舟を手でつまんで、ずっと向こうまで持っていって、そこで浮かべるのだ。
そうすると、たくさん流れたように感じるらしい。
子どもたちは、からだじゅうでよろこんでいる。
笹舟が、いよいよ、土管の暗い口に入ってしまい、もう、子どもたちの前から姿を消そうとするとき、大きな声で「さようならァ!」と、ちぎれるほど手をふる。
実習の日々、こういう子どもたちを、いつも遠くから眺めることができた。
「遠くから」というのは、なにか突き放すようで、冷たく感じられるかもしれないが、それでいいのだと思っている。
さらば、子どもたち。》
★もちろん、こういうことばかり書いているわけではない。
青年の名誉のためにいっておくと、通常は、「きょうの国語(2時間目・かきましょう「すなあそび」)は、散々だった。40分間全体を4つの過程にわけて、まず第1過程は……第2過程は……」などと、青年なりに失敗の原因を分析し、指導教官から受けた助言内容もキチンとまとめている(^_^)v。
ただ、そういうところに、今の僕との同一性はあまり感じなくて、キュンとなるのは、引用したような箇所だという話だ。
幼稚園と中・高の日誌は、不明。
不明というより、たぶん青年は意識して「小学校」だけ残したのだろう……。
なんとなく、そういう気がする。
今の僕を、キュンとさせるために……アハハハハハハ(ノ△・。)。
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