2014年05月28日
生きること
内閣府の2013年版
「子ども・若者白書(旧青少年白書)」
によるとニート総数は62万人、
無職に限っては総務省の
「労働力調査」により、2013年時点で
主婦や年金者や学生や健康上の
理由といった正規の理由がなく
働いてない人数はおよそ900万人程と、
推測されているようです。
本日は複雑な現代社会では
常態化しつつある無職・ニートの人生
とを重ね合わせて根本的な
『生きること』について考えてみます。
誰しも、無職やニートになりたくて
なった訳ではないと思います。
なりたくてなったのなら言語同断ですが、
突き詰めて考えれば、今生きていること自体、
産まれてきた事自体が
親のエゴによるものなのですから。
しかし、生まれてきてしまったからには
望む望まざるに関わらず、
人として、最低限生きる権利があります。
そしてその為には、法律に則り、
労働をして社会に貢献し、自律した
生活を営まなければなりません。
無職やニートはそうした社会の仕組みに
適合することが諸事情
(リストラや、精神疾患、年齢的な制限)
で困難であったり、拒否された方です。
そしてその中には生活保護を
支給され、自ら労働することを辞めた方もいます。
不可抗力的な理由もありますが、
世間の彼らへの視線は極めて冷やかです。
精神疾患を理由に働けない事を
正当化するのは甘えであるとか、
生産性が無い生活をし、我々の血税
から捻出される生活保護で
パチンコに行くのはけしからんetc・・・
確かに私自身も不条理な例に
対しては多少なりともそういう気持ちはあります。
昨今、景気が回復してきたとはいえ、
生活保護者よりも労働者の収入が
少ないような社会的な不公平感は
生きる意欲を著しく低下させますし、
絶対に是正するべきであると思います。
そもそも、無職・ニートに留まらず、
生産性が無く、且つ人生に対して
無気力な方に対しては、安易に
生活保護なんて支給せずに、
現物支給に切り替えれば良いと思いますし、
医療従事者としては厳しい言い方かも
しれませんが、一定のガイドラインを設けて
積極的な安楽死制度でも
導入しても良いと思います。
生きることを否定する訳ではありません、
決して「死」を軽視している訳でもありません、
自身の価値や存在意義が見出せない
状態で生きていても自身が辛いと思うんです。
そして、そんな人たちを税金で養えるほど
世の中の大部分の人間は慈愛に
満ちてはおりません。
それならば自身にとって、また広義の
生きることにとって最良の選択肢の
一つに「死」があっても、
良いのではないかと思うのです。
生きることはもっと自由なことであり、
本人の意思を尊重できるべきではないでしょうか。
「子ども・若者白書(旧青少年白書)」
によるとニート総数は62万人、
無職に限っては総務省の
「労働力調査」により、2013年時点で
主婦や年金者や学生や健康上の
理由といった正規の理由がなく
働いてない人数はおよそ900万人程と、
推測されているようです。
本日は複雑な現代社会では
常態化しつつある無職・ニートの人生
とを重ね合わせて根本的な
『生きること』について考えてみます。
誰しも、無職やニートになりたくて
なった訳ではないと思います。
なりたくてなったのなら言語同断ですが、
突き詰めて考えれば、今生きていること自体、
産まれてきた事自体が
親のエゴによるものなのですから。
しかし、生まれてきてしまったからには
望む望まざるに関わらず、
人として、最低限生きる権利があります。
そしてその為には、法律に則り、
労働をして社会に貢献し、自律した
生活を営まなければなりません。
無職やニートはそうした社会の仕組みに
適合することが諸事情
(リストラや、精神疾患、年齢的な制限)
で困難であったり、拒否された方です。
そしてその中には生活保護を
支給され、自ら労働することを辞めた方もいます。
不可抗力的な理由もありますが、
世間の彼らへの視線は極めて冷やかです。
精神疾患を理由に働けない事を
正当化するのは甘えであるとか、
生産性が無い生活をし、我々の血税
から捻出される生活保護で
パチンコに行くのはけしからんetc・・・
確かに私自身も不条理な例に
対しては多少なりともそういう気持ちはあります。
昨今、景気が回復してきたとはいえ、
生活保護者よりも労働者の収入が
少ないような社会的な不公平感は
生きる意欲を著しく低下させますし、
絶対に是正するべきであると思います。
そもそも、無職・ニートに留まらず、
生産性が無く、且つ人生に対して
無気力な方に対しては、安易に
生活保護なんて支給せずに、
現物支給に切り替えれば良いと思いますし、
医療従事者としては厳しい言い方かも
しれませんが、一定のガイドラインを設けて
積極的な安楽死制度でも
導入しても良いと思います。
生きることを否定する訳ではありません、
決して「死」を軽視している訳でもありません、
自身の価値や存在意義が見出せない
状態で生きていても自身が辛いと思うんです。
そして、そんな人たちを税金で養えるほど
世の中の大部分の人間は慈愛に
満ちてはおりません。
それならば自身にとって、また広義の
生きることにとって最良の選択肢の
一つに「死」があっても、
良いのではないかと思うのです。
生きることはもっと自由なことであり、
本人の意思を尊重できるべきではないでしょうか。
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