b.岡山に引っ越して、ぱったりやらなくなった輪行、そのわけとは、
a.「玄関あけたらサトウのゴハン」のように「玄関あけたら輪行先」のような走りやすい環境のため、あえて電車で遠出する気にもならない、
b.輪行しないと同じルートばかりで飽きないすか、
a.いやいや、引っ越して三年そこらじゃ飽きるどころか、日々新鮮、特に赤磐市は山間部と平野部の境目にあるから山過ぎず平野過ぎず、岡山市中心部とも理想的距離間なので、町過ぎず田舎過ぎず、山陽道という歴史的街道筋も通ってるし、瀬戸内海も近いし、チャリダーにとってはほぼ理想的環境、京都市中心部に居たころを思うと、夢のようにスムーズに走れる、
b.しかし、そうなると同じ道ばかりで、写真が旅っぽくないというか、
a.確かに、何度も通る道は写さないで素通りすることが多いから、写真がひとつの流れでつながらない、
b.だったら線でなく点で紹介してはどうでしょう、赤磐市周辺の気に入った場所だけに限って数枚の写真で紹介していくのは、
a.それがいい、無理して旅の流れを作るより、
b.ではさっそく、最近のお気に入りを、
a.色々あるけど、まずは大規模な水門工事の終わった百間川(ヒャッケンガワ)の河口を、
b.百間川といえば江戸時代に造られた洪水対策用の人工河川、
a.うむ、岡山の城下町が洪水で水浸しにならぬよう、あふれた雨水を瀬戸内海へ逃がす川、
b.その河口で大工事が、
a.今まであった水門が老朽化したんで、1から作り直してた、
b.児島湾と百間川(ヒャッケンガワ)を仕切る水門のことか、淡水と海水を隔てる重要な役目もあるわけだ、
a.そこを先日通りかかったら、工事の記念に水門と一緒に広場も出来ていて、とても解放的な良い雰囲気だった、
百間川河口に新設された水門。手前の柵(サク)は漁師の仕掛けか・・
芝生も植えたばかり。手前の石はおそらく明治25年当時の水門のそれでは・・
後ろに回り込むと古い石碑にそれとなく補強もされていた。
右手の山影は児島半島。岡山大空襲のさいエンジントラブルで墜落したB−29の乗員が眠る貝殻山もこの半島の並びにある。水門近くには岡山港があり、児島湾を東へ進んだ船は半島を右へ回りこんで瀬戸内海各地へと向かう。
左は明治25年に建てられた記念碑。200年がんばった江戸時代の水門もさすがに老朽化して大改修工事とあいなった。
こちらは出来たてホヤホヤの記念碑。平成らしくスッキリシンプルにまとめている。シルバーのパネルには左の「水門碑」のくわしい解説が書かれていた。
素朴で力強い明治25年当時の水門。