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2017年11月27日

山尾志桜里議員の「自衛権=透明人間」論に呆れる 〜誰か日本の弁護士政治家に国際法の存在を教えてあげてほしい〜

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログ より

山尾志桜里議員の「自衛権=透明人間」論に呆れる 〜誰か日本の弁護士政治家に国際法の存在を教えてあげてほしい〜

前回のブログで、 「立憲主義違反」を国会で叫ぶ枝野幸男代表について書き、 公人の責任として、 きちんと議論をしてほしい、と書いた。 http://agora-web.jp/archives/2029642.html   その後、山尾志桜里衆議院議員が、 関連したことを語っている インタビュー記事を見つけた。  http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/112100013/?n_cid=nbpnbo_fbbn  山尾議員は、立憲民主党員ではないが、 同党の会派を代表して 衆議院憲法審査会に参加するという。 そこで記事を読んでみた。 そして、呆れた。   自衛権に歯止めをかけることが必要だと強調している。 そして自衛権を個別的自衛権だけに限定することが 歯止めになるのだという。 山尾議員によれば、 「自衛権は今、透明人間のような存在で実態がない」 ので、今は歯止めがないのだという。 自衛権を個別的自衛権に限定する改憲を行うと、 初めて自衛権に「実態」が生まれるのだという。   意味不明だ。   自衛権は、 国連憲章51条に記載されている国際法上の国家の権利である。 日本は国連憲章を批准し、 日本国憲法98条の条約遵守義務にしたがって、 それを遵守している。 日本国憲法に自衛権の記載がないからと言って、 それを不思議に思うほうがどうかしている。 まして制限がなく 「透明人間」になっているというのは、 理解不可能な話だ。   自衛権の行使に対する制限は、 国際法にしたがって行うのが当然であり、 本来それ以外の方法などない。 国際法では、 自衛権は必要性と均衡性の原則によって制約されており、 慣習国際法にもしたがった 厳密な運用規範が国際的に成立している。 自衛権が「透明人間」であるというのは、 国際法の存在に対する冒涜である。   自衛権が「透明人間」になっているのではない。 山尾議員が、国際法を知らないか、 無視しているだけだ。   憲法で 自衛権という国際法上の概念を制限するというのは、 本来、 「民法に殺人罪の規定がないので、民法に殺人罪を入れよう」 と言うようなものなのである。 百歩譲ってそれをやるとしても、 実現するまでは 「殺人罪は透明人間のようだ」 などと言うのは、滑稽である。   山尾議員には、 しっかりと国際法規範もふまえたうえで、 あらためて個別的自衛権を徹底的に擁護することが、 なぜ「歯止め」になるのかを、 きちんと説明してもらいたい。   個別的自衛権性善説に立って、 集団的自衛権だけを違法にして、 自衛権を制限したつもりになるというのは、 うちの日本村では リンゴは果物だが、 バナナは果物ではない、 と主張してみせるようなものなのである。 百歩譲ってそれを言うとしても、 言わない者を「反立憲主義だ」 と糾弾するというのは、滑稽である。   山尾議員は、 過去の特定の時代の内閣法制局見解を 永遠の憲法規範とみなしつつ、 国際法は無視する。 もはや、なぜ集団的自衛権が違憲で、 個別的自衛権だけが合憲なのか、 ということを議論するつもりもないようである。 ・・・昔、内閣法制局がそう言っていたから。 そのほうが首相の権限を制限できるから。 だって権力を制限するのが立憲主義だから・・・。 驚くべきことに、それ以上の議論がない。   山尾議員は言う。 「私は個別的自衛権を深化させるべきという考えです。 これによって自衛権の行使に 明確な歯止めをかけることができる。」 この盲目的な 個別的自衛権=絶対善、 集団的自衛権=絶対悪 の信仰はいったい何なのか。 なぜ、そのような法的裏付けを欠いた 信仰を持つに至ったのか、 きちんと説明すべきだ。   個別的自衛権だけでも、 たとえば日本の艦船などがあれば、 「地球の裏側」であっても、 自衛権の主張をすることができ、 濫用の危険性も残る。 集団的自衛権として違法な行動は、 地球の裏側でも、日本近海でも、違法だ。 こうした国際法規範の枠組みを無視し、 どこまでもガラパゴス憲法論を貫き通すことの 意味は何なのか。 個別的自衛権=絶対善、 集団的自衛権=絶対悪、 という 今や内閣法制局ですら 放棄した法的根拠を欠いた 盲目的な信仰を振りかざしたうえで、 「自衛権に歯止めがかけられる」、 などという壮大な物語を披露するのは、 間違っているだけでなく、 極めて危険なものではないか?   戦後しばらくの間は、 日本でも、山尾議員のような議論はなかった。 満州事変からの泥沼が、 集団的自衛権などではなく、 個別的自衛権の濫用によって起こったことを、 日本人の誰もがよく知っていたからだ。 冷戦時代特有の環境の中で、 1960年代末に集団的自衛権違憲論が生まれた (拙著『集団的自衛権の思想史』参照)。   もっとも、 司法試験業界には 冷戦終焉の余波などなかったのだろう。 そこで憲法学の基本書を手掛かりに 国際社会を見る癖がついている方々は、 いまでも 「団塊の世代中心主義」 に陥る。 その特徴は、 国際感覚の欠如である。 山尾議員の国際法を無視するガラパゴス主義は、 その典型だ。 自分自身を律することを忘れ、 国際的な規範を無視し、 ただ 「権力を批判する者が立憲主義者」 と唱え、 平和主義者は必然的に反米主義者だ、 と信じる安直な態度が、 それなのである。   今の日本に本当に必要なのは、 国際社会の常識を取り戻し、 国際法に従って、 まずはすでに 自衛権に制約があることを 理解することではないだろうか。 つまり山尾議員に、 国際法を勉強して、 実践してもらうことではないだろうか。   憲法が、 海洋法や難民法の規定を持っていないからといって、 不思議に思う人はいない。 それらの法規が 「透明人間になっている」 と主張する人はいない。 ではなぜ自衛権 (武力行使に関する法=jus ad bellum) についてだけ、 「国際法などは透明人間だ、すべて憲法学に仕切らせろ」、 といった態度をとるのか。   本当に特異なのは、 9条ではない。 9条に 異常なロマン主義を投影する人たち のメンタリティである。 「国際法は黙っておけ、すべて憲法学に仕切らせろ」、 といった態度を 「立憲主義」 などと言いかえて正当化する日本の法律家たちの態度が、 異常なのだ。   山尾議員は、 山尾議員が理想とする行動をとる憲法裁判所を設置して、 首相の独断専行を防ぐと言う。 立憲民主党の憲法調査会が 第1回会合で最初に講師として招いたのは、 あの長谷部恭男教授だ。 https://cdp-japan.jp/news/385 http://agora-web.jp/archives/2029309.html http://agora-web.jp/archives/2029141.html http://agora-web.jp/archives/2027653.html  長谷部教授は、 初代憲法裁判所長に内定なのか。 その他、 憲法学者たちが続々と裁判官として 名前を連ねることになるのかもしれない。   山尾議員が理想とする 憲法裁判所が設置されると、 安保法制は即廃止、 その他、国際法にしたがった立法措置や 条約批准なども、 次々と違憲になっていくのだろう。   山尾議員は、 どうやら砂川事件最高裁判所判決も 「統治行為論」だと考えているようだ (前回ブログ記事で書いたように、私に言わせればこれはイデオロギー的なデマなのだが  http://agora-web.jp/archives/2029642.html)。 そうなると山尾議員が夢見る憲法裁判所とは、 日米安全保障条約に 違憲判断を下すようなものかもしれない。 山尾改憲は、 外交安全保障政策などの大改造計画になり、 国政には大混乱が訪れるだろう。   もちろんそうなっても、 山尾議員だけは、 「首相権限を制限したので立憲主義が発展しましたね」、 と喜ぶ、という筋書きになっている。   山尾議員も、 山尾議員の倉持麟太郎政策顧問も、 枝野幸男立憲民主党代表も、 弁護士である。 山尾議員の改憲案は、 いわば弁護士・憲法学者の連合体による 日本の外交安全保障政策の大改造計画である。   司法試験受験者で、 国際法を受験科目で選択する者は、 わずか1.6%であるという。 勉強が大変な割には点数が伸びない科目なので、 予備校ではこぞって 選択しないことを勧めているようだ。   日本の法律家の約99%は、 「国際関係法(公法系)」を、 受験科目レベルですら、 勉強していないのである。 受験に役立たないため、 大学で国際法の授業に出ることもしない。 実務についてからも、 日本では国際情勢から縁遠い。 国際機関の法務部に、 日本人は驚くべきほどに存在しないため、 外国に留学しなければ、 国際公法に詳しい知り合いもできない。   つまり、国際法の話を、 憲法の基本書を引っ張り出してきて 解説してしまうガラパゴスな方々の代表が、 司法試験受験組の方々なのである。 山尾議員は、 そして山尾議員の倉持麟太郎政策顧問も、 枝野幸男立憲民主党代表も、 そんな日本の法律家の 純粋な典型例なのであろう。   もちろん、弁護士なら、それでもいい。 しかし国政を預かる政治家は、それでは困る。
わずか数週間ヨーロッパに滞在しただけでも 日本に帰ってくると なんかいろいろな仕組みが 面倒臭く感じることがある。 電車の乗り降り スーパーでの会計 些細なことでも 日本は 他の国がみんなでよしとしていることを 合理的な理由もなしに 日本独自の方法を使う。 日本の独自の携帯電話のスタイルが ガラパゴスとはよく言ったもので 他の国とのやりとりなく 存立するならいざ知らず そのやり方の良し悪しよりも 共通していることこそが 大きな価値に繋がっていることを もう少し認識して良い。 他国との関わりがあれば 共通の規則なり 価値観や方法論が あって関わりが成り立つわけだが 個人対個人の人間関係でも それはあるのは当然な訳だが 透明人間という表現は 他人と共通の認識をできる言葉と言えるのだろうか。 つまり政治家の発する言葉として 有意なのだろうかということだ。 100人のうち 10人が正確に理解できて 20人がほぼ理解できて 30人がなんとなくわかったような気がして という感じであれば 共通の言語として 通じているとは言えない。 つまり 政治家の言葉として 有意とは言えない。 相手がどう取るか 相手がどう感じるかといったことが わかる人と わからない人がいる また それを 考える人と 考えない人がいる。 そして わかるわからないにかかわらず それらを無視すれば パフォーマンスが飛躍的に上がる場合がある。 だから優秀だと言われる人の中には 本当に自分のことしか 考えないし考えられない人がいる 山尾議員がどうかはまだわからないが 男女関係の処理の仕方を見ると 透明人間という唐突な表現と ある種の 共通点があるようにも見えてしまう。 不倫自体が良いか悪いかを論じるつもりはない。 しかし 公の立場にいる人間が 公然と不倫を正当化したりすることが 不倫の社会的な認知につながり それを悲しく辛く思う苦しむ女性や男性が いることを 山尾議員が考えているとは思えないのは事実だ。
posted by sachi at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2017年11月26日

加計学園問題は朝日新聞の社運を懸けた闘いだった

JBpress より

加計学園問題は朝日新聞の社運を懸けた闘いだった

11月17日、 安倍晋三首相が特別国会で所信表明演説を行った。 「安定的な政治基盤の下、 政策をひたすら実行せよというのが 総選挙で示された国民の意思」 であると述べ、 北朝鮮問題、少子高齢化問題などを挙げ、 これを成し遂げるために 知恵を出し合って 憲法改正する必要があると述べた。 しかし、 野党は 先の国会終盤から 閉会中審査まで開いた 加計学園問題を引き続き問い質すとしている。 安倍政権打倒を 狙っているのであろうが、 所信表明で首相が述べたように 民意は日本の安全や将来の在り方に 焦点を移している。 加計問題を論議するにしても、 獣医学部新設を半世紀以上も認めなかった 岩盤規制が日本の現在と将来に 及ぼしている影響に 論点をもっていくべきである。 また、 加計問題を奇貨として、 岩盤規制に限らず、 緩和し過ぎた弊害などについても論戦すべきである。 筆者は既に、 JBpressで「加計学園問題の審議はもう不要、安全保障論議を! 行政は歪められたのではなく正された、前川喜平氏こそ問題の中心」を公開しているので参考にしてほしい。 [JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

確認すべきは文書の出所

国会では 前川氏が持ち出してきた文書を 中心に論戦が繰り返されてきた。 しかし、 「何時、誰が、なぜ・・・」書いたか、 即ち5W1Hが確認されていない。 萩生田光一官房副長官などが 記述内容の誤りも指摘している。 野党の従来の質問は 思い込みや印象操作的なものでしかなかった。 しっかりした議論をするためには、 国家戦略特区ワーキンググループの 議事録や関連の閣議決定文書などを 根拠にすべきである。 「WiLL」2017年9月号は 加計学園問題の「総力特集」で、 「ウソで吠えたてたメディアの群れ」として、 個人論考や対談など数本を掲載している。 その中に居島一平司会の 「虎の門ニュース」があり、 阿比留瑠比氏と百田尚樹氏の 対談が掲載されている。 阿比留氏が 「前川氏は八千万円と言われる退職金満額を受け取って、 やめた後に、 自分の文書を三社ほどに持ち込み、 書かせて、自分で『この文書は本物だ』と、 マッチポンプしているとも言われます。 どうしてこんな人間を信用できるのでしょうか」 とある。 前川氏が指摘した文書が 文科省から見つかったというだけで マスコミが炎上し、 文書の真贋や5W1Hについては 誰も確認しなかった。 国会で貴重な時間を使って論議するには、 お粗末すぎた。 阿比留氏が 「私は直接聞いていませんが」 と断りながら、 「朝日新聞の幹部たちは、 倒閣運動をしていることを 隠していないそうです。 聞くところによると 『うちが倒れるか、安倍政権が倒れるかの勝負だ』 のようなことを言っている」 と書いているところからは、 社運を懸けた闘いであることが分かる。 疑惑があると追及する証明は、 追及する側にある。 ところが、 加計問題に関しては、 奇妙なことに、 質問する側は 疑惑があると騒ぎながら、 出所の明らかでない文書以外の 確たる証拠を出さないままに責め立て、 政府側に 「悪魔の証明」をせよと迫るばかりである。 これでは堂々巡りするだけだ。 論戦を進め、 早急に決着させるためにも、 疑惑があると主張する 野党側が証拠文書を 出してくる必要がある。

加計問題に社運を懸ける朝日?

阿比留氏は 朝日新聞記者2人と酒を飲んだ官僚から聞いた話として、 「(記者が) 『いやあ、加計学園報道で部数が伸びました』 と喜んでいたそうです」 とも語っている。 ここで、 いくつかの報道から 朝日新聞の発行部数を見てみよう。 2014年10月2日付「週刊文春」は 日本ABC協会の調査として 2013年8月の約756万部が、翌年8月は725万部となり、1年で30万部以上落としたとしている。 朝日が慰安婦報道の誤報を認めたのは 2014年8月であり、 同年11月27日付「週刊新潮」は 「この3か月間で727万部から25万部も部数を激減」 と述べ、 2016年7月14日付同誌では650万部を切ったとしている。 「SAPIO」2016年9月号によると、 朝日記者が公称は660万部であるが 押し紙(残紙)が25〜30%と語っている。 このことからすると、 実際の購読者は概略460万となる。 「本当?」と疑問もわくが、 これには多くの著書もある ブロガーの鈴木傾城氏が答えてくれる。 氏のネット報道(2016年4月11日) 「朝日新聞は、押し紙問題を一面トップで報道して責任をとれ」 によると、 「朝日新聞の正確な発行部数は『よく分からない』。 日本ABC協会『新聞発行社レポート 半期』 (2015年7月-12月平均) によると朝日新聞の朝刊販売数は 671万部になっていると言われている。 しかし、それはあくまでも公称である。 実売はそんなものではなく、 300万部に満たないのではないかと言われている」 とある。 「責任をとれ」というのは、 押し紙を販売店に押し付けて 購読者を多く見せかけ、 広告料(最盛期の3分の1以下の600億円程度?)を 稼いでいるのではないか との指摘である。 読売新聞に 大きく水をあけられるばかりでなく、 300万部ともなれば 後続の毎日新聞や産経新聞などに 急追される状況でもあろう。 正しく部数増への巻き返しは 社運を懸けた取り組みに違いない。 ちなみに、 獣医学部新設問題で閉会中審査の第1回目が7月10日開かれ、 誘致の中心人物であった 加戸守行前愛媛県知事が参考人として出席し、 第1次安倍政権以前から 誘致してきた経緯などを語り、 「歪んだ行政が正された」と証言した。 ところが、 一般記事(詳報は除く)での加戸発言報道は、 読売68行・産経50行に対し、 朝日は0行であった(「産経新聞」7月12日付)。 また筆者が上記JBpress記事で述べたように、 朝日は前川氏の写真6枚を使用したが、 加戸氏の写真は0枚であり、 加戸氏を完全に無視したも同然の紙面であった。 総選挙期間中の(森友・)加計問題記事についてみても、 読売48行・産経0行に対し、 朝日は1172行(同上紙10月26日付)と 桁違いの紙面構成である。 また、憲法改正に関しても 読売379行・産経217行に対して、 朝日は1459行を使って不要論を展開している。 これらの数字からみても、 朝日は国の安全や人命よりも 加計報道に社運を賭けている一端が伺える。

Fランク大学の乱立

岩盤規制とは1980年代以降、 経済成長の観点から多様な分野で 規制緩和が行われた中で、 役所や業界団体など 既得権益を持つ関係者の 強い反対にあって、 緩和や撤廃が容易にできない規制で、 医療・農業・教育・雇用などの分野に 多くあるとされる。 過去半世紀の間、 国際社会ではライフサイエンス分野で 多くの変貌を遂げている。 SARSや鳥インフルエンザ、口蹄疫、BSEの発生など、 人間と動物の関わりにおける 新たな疾患は世界的課題である。 創薬プロセスでは、 実験動物などを用いた臨床研究など、 獣医学の知見が求められている。 再生医療分野などにおいても、 中大型動物の開発・管理を担う人材が 不足しているとされる。 ペットも増大している。 こうした構造変化を反映して、 動物治療の獣医師の外に 製薬会社等に勤務する獣医師数の需要が増大している。 しかし、 半世紀以上にわたり 獣医学部新卒者は16大学、 930人に抑えられてきた。 東日本に10大学735人(79%)、 西日本に6大学195人(21%)で、 四国にはない。 東日本所在の私大は 1割前後の増員のため、 益々東日本に偏っている。 こうした閉鎖社会で、 日本のライフサイエンスが 欧米のレベルから 大幅に遅れてしまっている 現実が明らかになった。 参考人の加戸氏が こうした実態を明らかにした後でも、 そのことへの対処が 論議されないところが不思議である。 加計学園の獣医学部新設で 数十人を増やすにあたっては、 需給問題を含め大騒動している。 しかし、 医薬分業で薬学部は 一遍に入学定員が6000人増となり、 大学も2倍近く増えたが、 当時、薬剤師の需給は問題にされなかった。 今後は何万人という薬剤師過剰が 深刻になる状況にあるという。 少子化の時代に突入しているが 生涯学習や天下りなども関係してのことか、 大学は増え続けた。 小泉純一郎政権下の地方分権推進で、 大学設置基準が緩和され、 1991年以前の私立大学372から、 現在600超で、大学全入時代である。 一方で、 半数近い大学で 定員割れが生じているという。 入試の倍率が低く、 不合格者が極端に少ないか全くいないため、 偏差値が算出できない大学(や学部)は 「Border Free」と分類され、 Fランク大学と呼ぶらしい。 真に必要な獣医学部などは 半世紀以上も規制で新設されない一方で、 Fランク大学などが増え続け、 湯水のごとく補助金が浪費されている現実を どう見ればいいだろうか。

行政を歪めている「告示」

このように視点を広げると、 岩盤規制と同時に、 緩和され過ぎた規制の見直し議論も 必要ではないだろうか。 コメの生産調整は 会社が田畑を購入して 事業出来ないとする岩盤規制に 発しているとされる。 また、都市の開発が進み、 バス停留所を動かす必要が生じても 簡単には動かせない。 規制も千差万別で、 規制によって 社会が円滑に機能していることもあれば、 阻害要因となっていることもある。 インターネットで検索してみると、 赤信号の話なども出てくる。 これは国会で決めた道路交通法や 同施行令で規定されているので、 撤廃などは法令の改正が必要となる。 ところが、 件の獣医学部の規制は 「法律」でも「政令」でもなく、 文部科学省が独自に決めた 「告示」(平成15年文部科学省告示第45号) による規制である。 法令等に詳しい人は、 この告示が 岩盤規制の元凶であるとされることから、 正攻法としては、 告示を廃止させるように 法改正をすればよかっただけの話ともいう。 また、 文科省は 平成27年9月18日に これを改正しており、 安倍内閣で この改正をつぶせばよかった という話もある。 もっと大きなアミカケをすれば、 学校教育法の改正で、 獣医学部を全国どこでも自由に作れるように 新設規準の書き込みなども 考えられるという。 確かに 「法改正」「新設規準の書き込み」 など言うは易いが、 文書化する過程において 既得権益を有する者が 立ちはだかって抵抗し、 また政治家を動かして 改正に反対したりするから、 今回の様な 国家戦略特区などを 案出することが 必要になってくる。 今年4月千葉県成田市に38年ぶりに (国際医療福祉大学)医学部が新設された。 これも国家戦略特区によって 岩盤規制に風穴を開けた結果である。 ところが、 この時も獣医学部新設で問題になっている告示 「大学、大学院、短期大学及び 高等専門学校の設置に係る認可の基準 (平成15年文科省告示第45号)」 を廃止することなく、 別途「内閣府・文科省告示第1号」を発出して、 わざわざ第45号は 「適用しない」とした。 これほど頑強な 岩盤規制に52年ぶりに風穴を開けたのが、 今回の加計学園が運営する大学に 獣医学部を設置することであった。 国会で議論すべきは、 加計問題を奇貨として、 他にどのような岩盤規制があり、 その影響がどうなっているかであろう。 いまこそ、 国会が再点検して、 妥当性を満天下に明らかにして、 特定団体が既得権益に群がる悪弊を 一掃すべきではないだろうか。

おわりに

岩盤規制が一部の既得権益者たちによって 死守されている現実が明らかになってきた。 また、緩めすぎた規制緩和で、 参入者が増大して競合が激しくなり、 経営難に陥る場合や、 Fランク大学の林立のように、 国費が浪費される状況が現出している。 これらはほんの一例で、 多岐にわたっていよう。 こうした中でも、 安全保障は国家の存続、 並びに国民の幸福と安寧を保証する最大の関心事である。 それは憲法が提供すべきものであるが、 残念ながら、 日本の憲法にはその条項がない。 憲法9条は 「平和を愛する諸国民」 を前提にしており、 その結果として 日本に危害を及ぼす状況などはないとみて、 「自分の国を自分で守る」手段などを放棄している。 しかし、 現実の国際社会は危機や脅威に満ちており、 激動が予測される。 なかでも中国は世界最強の軍隊を創って 国際社会の頂点に聳え立つと明言しており、 中華民族の偉大な復興を目指して、 尖閣諸島から沖縄までも辺疆 (中国流の国境)に組み入れようとしている。 日本は自国を守る意思と能力を 厳として示さなければならない。 70年以上にわたって 日本人から意志と能力を奪ってきた 9条こそが最強の岩盤である。 今こそ、 この岩盤に穴をあけて先へ進まなければ、 日本の存続さえ危うくなるであろう。
最近 大学関係者が 文科省を意識していると感じることが多い。 なにやら面倒だと感じることが多いようだ。 推測でものをいうことは あまり潔しとはしないが 前川氏の振る舞いを見れば 文科省が 天下りを 悪いと考えてはいないように見える。 そもそも 前川氏が事実上更迭されたことへの腹いせが 加計学園問題の発端 とも言えるわけだから つまり彼らは 悪いと考えていないのだから 天下りをやめなければならないとは 思っていないだろう と考えてもおかしくはない。 そして 見つからなければ良いだけだ と考えれば 大学に様々な権限を使って圧力をかけ 大学側に 文科省出身の職員がいなくては うまくいかない と感じさせればいいだけだ。 文科省が 大学に対して持つ 様々な権限を駆使して 圧力をかければ 大学側は 表立って文科省を批判できなくなるし 強引な天下りであっても 表向き 大学の求めに応じた形であれば 話は簡単だ。 前事務次官が あれだけ反省していないのだから 文科省全体も反省や改善を 素直にするとは 考えないほうがいいのは 当たり前だ。 悪いと思っていないことを 禁止されて理不尽だと考えれば 人は どうすれば見つからないように 行えるかを考える。 つまり ただ水面下で行われるようになるだけではないか。 大学関係者が表立って語らない 最近の文科省との面倒な関係は よく注意して見なくてはならない。 森友学園問題・加計学園問題は 今まで表に現れていんかったものを 表かまたは表に近い場所に 引き出した。 ここから さらに導かれる問題や 考えられる問題は 多い。
posted by sachi at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2017年11月24日

朝日新聞がバッシングへの抗議開始も「まず慰安婦捏造を謝罪しろ」の大合唱

デイリーニュースオンライン より

朝日新聞がバッシングへの抗議開始も「まず慰安婦捏造を謝罪しろ」の大合唱

朝日新聞社は21日、 同社の社説記事を「捏造」だと Twitter上でつぶやいた 日本維新の会・足立康史衆議院議員(52)に抗議して、 発言を撤回するよう 求める申入書を発表した。 「朝日新聞が沈黙を破り、今週から一挙に反撃を始めたようです」 と説明するのはある新聞記者だ。 「同社は同21日に、 『徹底検証『森友・加計事件』  朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』 の著者・小川榮太郎氏(50)にも 名誉・信用を傷つけられたと、 謝罪と該当部分の訂正、 損害賠償を求めています。 他にも同日に 『月刊正論』(産經新聞社)12月号の 高山正之氏(75)の連載コラムの 「安倍叩きは社是」 の記述についても、 訂正を求める申入書を送りました」   同記者によれば 背景にあるのは 「この1年で31万部減と、目に見えて部数を減らしている現実」 に焦りを感じ始めているからだという。 ネットメディアの発達とともに 強まり続ける 「朝日新聞バッシング」を、 もはや見過ごせないと 決断に踏み切ったのだろう。

自民党・山田宏議員「その前に日本国民に謝罪すべきでは?」

  だが、 逆襲に出た朝日新聞に 各方面から思いがけないカウンターパンチが 飛びまくっている。 「朝日は 小川榮太郎に抗議を出したその日の内に、 自民党・山田宏参議院議員(59)から 『朝日新聞は、まず日本国民に対し、 自らの慰安婦報道で 世界にばら撒いた嘘に謝罪し、 賠償するのが先決じゃないの?』 と痛すぎるツッコミを入れられ、 2500リツイートと3800もの『いいね』を受けるなど 共感を呼んでます。 さらに朝日新聞が騒いだことで 小川氏の著作は逆に注目を集め、 22日には Amazon政治本カテゴリで1位になりました。 さらに足立議員も 20万視聴の人気ネット番組 『報道特注』に出演するなど、 むしろ反論が SNSで拡散してしまってます」 (週刊誌編集者)   たしかにすべての 「ディスカウントジャパン」は 朝日から始まっているといっても過言ではない。 その訂正も 中途半端な一部訂正を軽く認めただけで、 謝罪がウヤムヤになったのが現実だ。 社会の木鐸として 人に謝罪を求める前に まず己の襟を正すべきだろう。   そして「安倍叩き」についても、 8月26日の産經新聞「産経抄」で 「いま、(朝日新聞)社内は 安倍(晋三首相)を叩(たた)くためなら、 どんなことでもするという空気になっている」 と新聞業界の不都合な真実を バラされたのが大きかった。 TBSやテレビ朝日同様、 しつこくモリカケ問題を特集する怪しさに、 ネット利用者はすでに勘づいている。   完全に ヤブ蛇をつついた形になった 朝日新聞の一連の抗議。 朝日は再び昇ることなく、 沈んでしまうのか。 朝焼けのような さらなる炎上で 真実が より多くの人に届くことを期待したい。
真偽がはっきりしない面白い話と 明白な事実だがつまらない話で 大衆が飛びつきやすいのは 当然前者だが だからと言って 報道機関が飛びついてはいけないのは ごく初歩的な 社会の約束事だ。 しかし それを破るからには それ相応の目的があるはずだ。 その本当の目的がどこにあるかが 本当に深刻な問題ということになるのではないかと 危惧している。 こういう場合 多くは 「お金」 または 「権力」(覇権)。 事実であってもなくとも 保守勢力や国を中傷することが お金や権力に結び付くとすれば どのような具体的な構造なのだろうか。 右寄りの主張をするが 基本的に本当のことしか書かない産経新聞と 平均年収が倍近く違うのは やはり朝日のような論調に対するニーズ つまり都合が良いという人たちが 一定数いるということなのか。 それは朝日新聞よりタチが悪くないか。
posted by sachi at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事

2017年11月23日

橋下徹「希望議員は文句を言う資格なし」

PRESIDENT ONLINE  より

橋下徹「希望議員は文句を言う資格なし」

ふざけた国会議員のために 共同代表なんてやってられない 小池さんは、 希望の党が 50議席を獲得したにもかかわらず、 結局希望の党の代表を辞任してしまった。 この点について、無責任だ!  という批判の声が強い。 確かに 自ら招いた結果というところはあるけれど、 でも今の希望の党の状況だったら、 代表なんかやってられないよ。 ほんと国会議員って、 とんでもない奴が多い。 特に当選のためだけに 策をめぐらせるという奴が多過ぎる。 だいたい民進党から 希望の党に流れてきた連中は、 民進党の看板じゃ選挙は戦えない、 すなわち自分たちは 落選するという判断の中で、 小池さんの看板を頼って 希望の党に合流したんじゃないのか? 小池さんの態度振る舞いが、 選挙結果に影響したところも あるのかもしれないけど、 それでもお前らは 小池さんの力を頼ったんだろ?  自分たちでは勝てないから、 勝つために自分の判断で 希望の党に入ったんだろ?  それなのに 結果が思うように いかなかったからと言って、 小池さんに文句を言うなんて、 どういう神経をしているんだろう。 中には小選挙区では落選し、 希望の党の看板によって かろうじて比例復活した奴が、 「半分は自分の力で獲得した票ですから」 なんて、ぬけぬけと言っていたけど、 お前は民進党のままなら 比例復活はできていないんだよ!  ボケ!  自分の立場を弁えろっていうんだよ。 (略) 国会議員には、 この手のタイプが多いんだよ。 当選しちゃうと、 自分の力だけで 受かったと勘違いしちゃうのがね。 日本維新の会、 維新の党にも そんな連中がゴロゴロしていたね。 小池さんは、 希望の党の国会議員に あれだけ文句を言われても よく我慢したよね。 小池さんは謝罪までしていた。 僕なら完全にブチ切れているね。 文句があるなら出ていけ!  自分の力では当選できなかったくせに、 ボケ!  ってね。 だから僕は政治家には向かないんだ。 なぜ維新の地方議員と 国会議員とで「ひと悶着」あったのか? 僕も今の松井一郎大阪府知事も 国会議員ではないのに 国政政党の代表をやっているけど、 じゃあそれは何のため?  国会議員という とんでもない高待遇の職に ボンクラどもを就かせるための 職業紹介をしているようなもんだよ、 まったく。 しかも無料でね。 国会議員の給与は、 例の文書通信交通滞在費を含めれば、 年間3500万円ほど。 それに秘書が3人付き、 国会議事堂の横に 立派なオフィスが与えられる (議員会館)。 霞が関の高級官僚からは、 先生、先生と最高のもてなしを受けて、 どこに行ってもVIP待遇。 民間企業と比べてはるかに高待遇の職業に、 無料でせっせせっせと就かせてやってるだけ。 (略) いやらしい話だけど、 維新の内部で国会議員と地方議員で お金を巡ってひと悶着があったんだ。 日本維新の会や維新の党の源流である 地域政党大阪維新の会は、 大阪府議会議員、 大阪市議会議員、 堺市議会議員などの地方議員によって構成され 国会議員が存在しないので、 政党交付金は全く支給されない。 その辺の 国会議員よりも よほど大阪のために頑張り、 一定の結果を出しているのに 政党交付金は支給されないんだよ。 国会議員なんて、 まだクソの役にも立たない段階から いきなり政党交付金による支援の対象。 しかも1人当たり数千万円だから驚きだよ。 そんなペーペー議員なんて どうせ何もできないんだから、 それだけ大金の税金を使う必要は全くない。 (略) その後 国政政党の日本維新の会を結成して、 初めての選挙に挑んだ時にも 潤沢な軍資金はなかった。 100人ほどの候補者を擁立するにも、 10億円は下らない軍資金が必要になる。 だからお金のない僕らは、 立候補者に原則お金を用意させた。 そして立候補者も 政治の世界に 初めて足を踏み入れたという者ばかりだったから、 選挙運動を 手伝ってくれる組織を 持っていない。 そこで、大阪府議会議員、 大阪市議会議員、 堺市議会議員などの大阪の地方議員が 全国を飛び回って 選挙運動をやったんだよね。 普通車やエコノミークラスで移動して、 宿泊ホテルはビジネスホテル。 食事代は1食1000円の支給。 僕が日本維新の会の代表として 全国各地で街頭演説する段取りは、 全て大阪維新の会の 地方議員メンバーがやっていた。 街頭演説の数日前に 現地に入って現地調査をしたり、 ビラ配りだとか、 告知活動とか。 そして 街頭演説の当日には、 ロープを持っての路上整理。 大阪府議会の議長や、 市議会の議長、府議団・市議団の幹部のみんなが ロープを持って路上整理をやり、 同時にビラも配っていた。 そう言えば、 大阪都構想の住民投票のときには、 維新の国会議員が ちょこちょこ大阪にやって来てたけど、 ロープ持ちなんか 当然やらないんだよね。 俺様国会議員様が ロープ持ちなんかできるか!  って感じだったね。 誰が支えたか、 なぜ活動資金を使えるか。 国会議員は世の中を知れ! こんな大阪維新の会の メンバーの努力があって、 日本維新の会の初めての選挙(2012年)では、 いきなり54議席を獲得できた。 あの細川護熙さんが率いた日本新党でも 35議席の獲得だったからね。 国会議員の立候補者は、 自分の選挙区だけで手いっぱいだから、 大阪維新の会のメンバーが 全国でどれだけの活動をやっていたか 知らないんだよね。 だから自分の力で当選したと錯覚する。 (略) 何よりも、 国会議員はほんと飲み食いが激しいよ。 選挙の途中で皆が集まれば飲み食い。 誰が払うかっていえば、 国会議員団の幹事長。 僕も一応礼儀として、 ご馳走様でした、って言ってたけど、 そもそもこれ お礼を言わなきゃいけないのかね、 と思っていたね(笑)。 だって どうせ 政党のお金で払っているんだから。 今になってネチネチと、 あー俺ってほんとみみっちい。 国会議員団の幹事長などの 一定の役職には 結構な活動費が与えられていて、 政党活動の名目で 飲み食いも認められる。 大阪では そんな飲み食いの活動経費は 政党から出ない。 日本維新の会が 政党交付金を受けるまでは、 政党の活動であっても 全て僕個人の 政治活動資金で対応していた。 最初の衆議院総選挙で 全国を飛び回ったときの 僕や秘書の交通費や宿泊費も 自分の活動資金でやっていた。 東京出張の経費や 有識者などとの会食経費も 全て自分の活動資金から出していた。 さすがに 日本維新の会が政党交付金を受けて、 国会議員が 潤沢な活動費を使っていることを 見るようになってからは、 選挙応援の交通費や宿泊費、 そして 東京出張の経費は 政党から出してもらったけど、 それ以外に 代表が使える経費なんて 大阪ではなかった。 こんな事情についても 国会議員は知らないだろうし、 知ろうともしない。 だいたいこれくらいの 世の中のカラクリについて 気付かない国会議員が、 森友学園問題や加計学園問題のカラクリについて 的確に把握できるわけがないよ。 国会議員はもっと世の中の事情を知れ!  っていうんだ。 (ここまで約2600字、メルマガ本文は約1万字です) (略)
旧民進党の質がひどい。 立憲民主党は えダノン人気でまだ持っているが 小池さんが実質的に手を引いて さらに名目も手を引いての 希望の支持率は 旧民進党並みまで落ちた。 しかも 踏み絵の内容と 違うことを言い出す人たちが それなりの数いる。 つまり 希望の党とは 民進党そのものなのだ。 政党支持率まで 民進党と同じレベルなのだから 当然 次の選挙は戦えない。 今回は小池さんに助けてもらったのに 散々文句を言って追い出したのだから この次助けてくれる人なんて いるわけがない。 つまり 「死に体」ということだ。 なので 希望の党については 何かを語る価値もないが 問題は 政党間の能力格差だ。 安倍さんがリベラル経済政策を 加速させている。 小池さんが言った 内部留保にも手をつけ始めている。 しかも希望の党が言った 内部留保への課税とは 一見違う方法で 実質的に 内部留保課税と同じ効果を 考えている。 この先もさらに加速するだろう。 ベイシックインカムの 技術的な整備まで 考えうる範囲になる。 こういう 安倍政権のリベラル経済政策に 対抗できる大胆な経済政策を 考えつかなければ 政権党としての信頼を得ることは できない状況ということが できるかもしれない。 今経済で対抗する意見としては 財政再建の名の下の 緊縮とか増税とか まだ言っている方々も おられるが ものがある時代に 増税とか緊縮は 経済を冷やすだけで 財政再建を益々 遠退けるだけなことは ほぼ多くの人が学習している。 そしたら 国会議員になりたい人は 自民党から出ることを 考える。 立憲民主党が どんなに自民党との対立軸を 作ろうとしても 経済への有効な発言が少なすぎる。 また対立軸を作ることに 無理があることまで 頑張りすぎると 原理主義の泥沼にはまる。 これは普通に考えられるより高い確率で そうなると思っている。 すると 第一希望は自民党が揺るがない。 選挙区や地域での様々な都合や のっぴきならない事情がある人が 他の党へ行く。 このままで行くと 第一志望が自民以外の党という人はいなくなるから 自民党と その他の政党との間では 主義主張の違いよりも 構成する人物の能力の差の方が クローズアップされてしまう状況に なりかねない。 もうすでにそうだと思わせられる 状態が 希望の党には見られるのが あまりにも イタイのだが。 これはどうしたらいいのか わからないが いい状況ではない。 当面は 自民党に 我が世の春を謳歌してもらうのは とりあえずは良いが 長期的には問題は大きい。
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2017年11月21日

朝日社説「ちょっと待ってほしい」→大阪市長「こっちのセリフだ」 米の慰安婦像めぐる場外戦

J-Castニュース より

朝日社説「ちょっと待ってほしい」→大阪市長「こっちのセリフだ」 米の慰安婦像めぐる場外戦

米サンフランシスコ市内に 慰安婦像と碑文が設置された問題で、 大阪市の吉村洋文市長と 朝日新聞の間で 応酬が展開されている。 吉村氏はサンフランシスコ市側が 対応を見直さなければ、 年内にも姉妹都市提携を解消する意向だが、 これを朝日新聞が社説で 「ちょっと待ってほしい」 と批判。 吉村氏は、 過去の朝日新聞の慰安婦をめぐる報道を引き合いに 「『ちょっと待て』はこっちのセリフだよ」 とツイッターでやり返している。

拒否権発動期限までに返事なければ提携解消の手続き

サンフランシスコ市の慰安婦像は、 元々は私有地に設置されたが、 設置した市民団体が設置スペースを市に寄贈する意向を表明。 市が寄贈を受け入れれば、 結果的に慰安婦像が公有地に建つことになる。 吉村氏は、 仮に公有地に慰安婦像が 設置されれば姉妹都市関係を 見直すとする書簡を9月29日付で、 サンフランシスコ市の エドウィン・M・リー市長宛に送っていたが、 サンフランシスコ市議会は11月14日、 慰安婦像を公共物として受け入れることを議決。 これを受け、 吉村氏はリー市長に拒否権発動を求める書簡を発送した。 拒否権発動の期限にあたる 11月24日までに返事がなければ、 提携解消の手続きに入る考えを明らかにした。 この方針を批判したのが 11月19日の朝日新聞社説だ。 「姉妹都市 市民交流を続けてこそ」と題して、 「ちょっと待ってほしい。 姉妹都市の関係のもとで育まれてきた交流は、 双方の市民の歴史的財産である。 市長の一存で断ち切ってよいものではない」 「『違う』と考えることを 『違う』と伝えること自体は大切だろう。 だが、 意見を受け入れなければ 友好関係を解消するというのは、 冷静さを欠いている」 などとして 姉妹都市関係の継続を主張した。

「僕を批判する前にやることあるでしょ」

吉村氏は同日夜、 ツイッターで社説へのリンクを張りながら 「『ちょっと待て』はこっちのセリフだよ、朝日新聞」 と憤り、 「吉田虚偽証言を何度も報道し、 クマラスワミ報告に発展し、 国際社会では朝日の虚偽報道が真実になってる。 2014年になってやっと国内向けに訂正記事と謝罪。 僕を批判する前にやることあるでしょ」 と続けた。 済州島で若い女性が 強制連行されたと 故・吉田清治氏が嘘の証言をした、 いわゆる「吉田証言」を朝日新聞が繰り返し報じ、 14年まで訂正しなかったことで、 慰安婦問題をめぐる誤解が 国際的に広がったとの批判が根強い。 吉村氏としては、こういったことを念頭に、 「『ちょっと待て』はこっちのセリフ」 だと訴えたいようだ。 投稿には、 すでに1万件以上の 「いいね!」がついている。
事実の重みを 理解していない報道機関は 本当にタチが悪い。 本来 誤報を出して 謝罪したら その次にやることは その誤報の影響を最小限に食い止める 努力をすることではないか。 朝日は 例によって 具体性のない 抽象的な言葉で 感情論に持ち込もうとする。 実際には反省していないのだろう。
育まれてきた交流は、 双方の市民の歴史的財産
とは 具体的に どのような交流によって どのような 歴史的財産として 人々から認められているのか。 最近 毎日新聞と朝日新聞を比較して楽しんでいる。 毎日新聞もTBSも 偏っていると感じることは多いが 案外実害はない。 自分たちがある種の「気分」に浸っていれば 満足しているように見える。 だから 保守系の人物を 鼻で笑って嘲るような 報道機関として如何なものかと 思うような表現があっても それが 世の中に大迷惑と言ったことまでにはならない。 しかし 朝日は 世の中を引っ掻き回して動かさなくては 気が済まないかのように 見える。 そして タチが悪いことに 動かすことが目的だから その手段となる元の情報は 事実であっても 事実ではなくとも 関係ないように見える。 前川前文部科学相事務次官が持ち込んだ文書を 朝日を除く報道機関は はじめ取り上げなかった。 しかし 朝日は取り上げる。 つまり他の報道機関が 客観的な事実としての説得力を 認めなくとも 朝日は取り上げた。 そこに 獣医師会とか玉木さんとか 利害が一致する人々が 乗っかる。 前川さんは 国会で 加戸元知事に 「どうしてそんな想像だけでものを言うのか」 と問われても 説得力のあることは何も言えなかった。 千歩譲って 仮に安倍首相にまずいところがあったとしても 朝日新聞が取り上げた時点で 前川氏の想像や妄想ではないとは 言い切れなかったはずだ。 つまり 加計学園問題は 慰安婦問題と 構造がほぼ同じなのだ。 嘘や想像や妄想を 事実だと言いふらすやり方で 世の中を 動かそうとしているようにしか 見えない。 相当タチが悪い。 朝日新聞がそうではないと言うのなら その証明を現実の形で見せて欲しい。 ちなみに 加計学園問題は 一部マスコミが 報道しない自由を行使した時点で 終わっている。 それなりの理由があって報道しなかった。 つまり 負けを認めたと見るのが当たり前だ。 加戸さんの発言は一部マスコミは報道していない。 朝日は 最低数年に一度は 慰安婦問題級の 引っ掻き回しをすると思っている。 そういう朝日は本当に何に向かって 何を目的にしているのか 産経新聞の平均年収が700万円代なのに対して 朝日の1200万円は 何を意味するのか。 朝日の今のあり方は 年収1200万円と何か関係があるのか。 関係があったら 知りたい。
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2017年11月20日

ホラン千秋が蓮舫化している?TBS『Nスタ』の”みっともない”偏向報道

デイリーニュースオンライン より

ホラン千秋が蓮舫化している?TBS『Nスタ』の”みっともない”偏向報道

日本維新の会・足立康史衆議院議員(52)が 12日にTwitterで 加計学園問題に関する朝日新聞の社説を巡り 「朝日新聞、死ね」 とツイートしたことが、 メディア各所で波紋を呼んでいる。 15日の『Nスタ』(TBS系)でも 足立議員の発言や 希望の党・玉木雄一郎代表、 立憲民主党・福山哲郎幹事長らを名指しで 「犯罪者だと思っている」 と発言したことをとりあげ、 同局政治部デスクらが 「恥ずかしいですね」と批判、 ホラン千秋も 「みっともないというのが分からないんですかね」 と同意した。 「番組では、 モニターを使って足立が 『維新のトランプ』 『A・B・C(アホ・バカ・カス)の足立』 と呼ばれてると 面白おかしく紹介していました。 さらに 『問題発言をして目立とうとしている』 と揶揄するなど、 誰一人擁護することも、 その真意を伝えることもなく、 よってたかってのバッシングを展開してました」 (週刊誌記者)   結論からいえば、 足立康史議員の発言は 「国会議員として」 間違いなく不適切だろう。 橋下徹弁護士(48)の「”死ね”はアウト」 (AbemaTV『橋下徹の即リプ!』) のコメントを引用するまでもなく、 朝日新聞社に謝罪をすべきだ。 だが、 そんなことは当の足立議員は百も承知のはず。 ではなぜ、 彼が”死ね”という言葉をあえて使ったのか。 「その理由は、 炎上でもしなければメディアが 目が覚めないからです。 足立議員は一部ネットニュースの取材に 『朝日に対する怒りを知ってもらうため、 使ってはいけない言葉だとわかったうえで、 あえて問題提起のために使った』 『国のため、国会を正すため、 日本を前に進めるための”いい炎上” という意図があった』 と答えています。 足立が 『朝日新聞は反省すべき』 とでも書いていたら、 TBSをはじめ左派メディアは問題を 取り上げなかったでしょう」(新聞記者)

■「死ね」炎上商法を肯定していた朝日新聞

  この炎上商法の論理については、 かの山尾志桜里議員(43)が 『保育園落ちた日本死ね』が ユーキャン流行語大賞にノミネートされた時に、 左派メディアもこぞって 「あえて過激な発言でインパクトを使った」 と免罪を与え、 「待機児童問題を政治のど真ん中に」 持ってきたとして山尾を絶賛している。   当の朝日新聞も、 16年3月27日『政治断簡』 の中で政治部次長・高橋純子が 「匿名ブログにひっそり書かれたはずの 『保育園落ちた日本死ね!!!』が、 言葉遣いが汚い、 下品だなどと批判されつつ、 みるみる共感の輪を広げたのはなぜだろう」と 「炎上」の効果を肯定している。   ところが、 『朝日新聞死ね』については、 一転して左派メディアは 冒頭のような 攻撃するという 論理矛盾を起こしている。 ブログからの引用とはいえ 「国会議員の発言」 という意味では 山尾議員も同じ。 「死ね」と言われて気分を害した人数で言えば、 「日本死ね」の時の方が 圧倒的に多いはずではないか。 さらに言うなら、 山口二郎法政大学教授(59)の 「安倍に言いたい、 お前は人間じゃない。 叩き斬ってやる」や 200万部ベストセラー 『ソフィーの世界』翻訳者・池田香代子(68)の 「あべしね」はなぜ看過されるのか。   ともあれ、 内容の良し悪しは別にして、 足立議員も山尾議員も リスクを取ってでも伝えたいことが あるというのは、 政治家の姿勢として評価したい。 だが、 足立議員が伝えようとした 「朝日新聞の捏造」 についてはコメントせず、 その行動を「みっともない」と 軽々しく発言するホラン千秋、 このところ、 かつての蓮舫議員と 顔付きが似てきた気がするのは 筆者だけだろうか。
これ以上何も出ないと わかりつつ 少しでも 首相のイメージを 悪くするために 加計学園問題を 引きずっていることには いい加減げんなりしてる向きも多い。 保守系のみならず 無党派の人たちも なんかおかしいって 思ってきている。 玉木さんも 支持団体を大切することと 言いなりになることは 違うし また媚を売れば かえって軽んじられる。 間違えば支持組織からも見放される。 それくらいわかっているとは思うが 問題の本質を考えれば もう少しうまい 獣医師会とのやりとりの仕方が あるように思う。 つまり 加計学園問題は 明確に総理大臣の罪を立証できなければ もうイライラさせるだけで 国民全体としてはもう過去のことだ。 支持率の回復を見てもわかる。 つまり野党や一部のマスコミの 加計学園問題での攻撃は 一時的に支持率を低下させることしか できなかったということだ。 いろいろ批判の道筋を考えたのだろうが そもそもの発端は 前川という 事実上更迭された官僚の 政府への恨みからくる思い込みを 取り上げてしまったことが そもそもの問題で そもそも しっかりした見通しの上に 展開されたものではないことは明々白々。 つまり 誰しも状況が飲み込めた人は右であれ左であれ いい加減にしてほしいと思っているし これ以上やっても 虚の上に虚を構築するみたいなことになって 本当に腹が立つほど ばかばかしくなってくる。 しかし そういうことを直接言っても 埒があかないから 寸止めのつもりで 間違って 切りつけてしまったようなことがおこる。 「死ね」は 褒められた表現ではないし 好きではないが フォーマルウェアだけで 人々の思いを語れないことがあるし フォーマルウェアを捨てるリスクを 負いたくないのも政治家だし あえて そこを利用して アメリカ大統領になる男もいるわけだから 「死ね」の評価は難しい。 中長期的には こういうラフな表現は増える。 それをポピュリズムだと批判する人はいるだろうが そういった 言葉だけの問題ではなく 人の生の感情に触れようとしない 安全地帯の住人にも批判は向けられる。 結果としての ヒラリーがそうだった。 こういう場合 多くの人は 自分がトランプ支持であることを 知られたくはない。 そしてトランプ批判するようなことを言ったりもする。 しかし 実際にはトランプに投票する。 フォーマルウェアとはそういうものだ。 どんなに高貴な生まれであれ 一生フォーマルウェアを着て生活する人はいない。 今いろいろな事実がわかってくると 加計学園問題が問題だという人たちの方が フォーマルウェアを捨てられない 人の生の感情から離れたところにいる。 生の感情、 それに共感しそれを理解することは 大切で大いに必要なことだ。 しかし本当に難しいのは 共感し理解しながらも その感情の通りにしてはいけないことも 間々あるということだ。 それを避けるために 多くの政治家は フォーマルウェアを脱ごうとしない。 リスクを感じるのは当然とも言える。 しかし そこを どううまく取りまとめて ウインウインの状態に持ち込むかが 政治家の本当の力量ではないか。 政治家だけの話ではない。 会社経営にも通じるし 上司と部下の関係でも起こりえるし 親子関係などでは 実は本当に大切なことだ。 そして 意外かもしれないが 自分自身の感情でもそうなのだ。 必然性のある生の感情は 決して無視はしてはいけない。 無視しないことと その感情通りに実行することも違う。 無視すれば 抑圧してるつもりはなくとも 結果として抑圧されたのと 同じ状態になる。 だから 不都合な時に不都合な爆発をする。 そのリスクは フォーマルウェアを脱ぐリスクよりも 実は大きい。 日本維新の会・足立康史衆議院議員が どういう人物かの評価はまだしない。 優れた洞察力を持った政治家かもしれないし とんでもないボケの可能性もある。 この人がどうかはわからないが 維新には 優れた政治家を産む素地はある。 まだ出ていないだけだ。 余談だが TBSの報道系の番組で キャスターが 保守系の政治家を バカにしたような表現するのはやめた方がいい。 自分の信条に関係なく 不愉快だ。 それは思想信条の自由とか 表現の自由とかとは別の問題だ。 配慮されていないああいう軽蔑は 配慮された「死ね」より タチが悪い。
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2017年11月19日

進次郎が訴えてもメディアはスルー…「新聞軽減税率」はなぜタブーか

週刊現代  より

進次郎が訴えてもメディアはスルー…「新聞軽減税率」はなぜタブーか

池上彰氏も凍り付いた…?

その瞬間、池上彰氏や星浩氏の顔も凍り付いたように見えた。将来の総理候補が、生中継で、突然「新聞社のタブー」を語り始めたからだ。なぜ、進次郎はこのタイミングでこんな発言をしたのだろうか?

決まったらトーンダウン

「私は軽減税率全体を見直していいと思いますよ。 その中で特におかしいのは新聞です。 (新聞社は)消費税の増税を 社説でも求めているんです。 なのに自分たちは負担しないんですよ。 ぜんぜん筋が通らないですよね」 11月1日、特別国会の後で、 小泉進次郎・自民党筆頭副幹事長は、 挑発するかのように記者団にこう語った。 だが、 翌日の新聞各紙が この発言を掲載することはなかった。 '19年10月から予定される消費税10%への 増税にあたって、 飲食料品(酒類・外食をのぞく)は 軽減税率の対象となり、 税率は8%のままになる。 しかし、軽減税率の対象は、 もう1つだけある。 新聞だ。 '15年12月、 新聞への特別扱いは唐突に決定した。 週2回以上発行の 宅配新聞は 軽減税率の対象とする――。 だが新聞各紙はこのニュースを、 〈新聞も対象の方向〉(朝日・12月15日)と、 さらりと記事化しただけだった。 新聞協会主導で数年がかりでロビー活動を行い、〈「知識には課税しない」という考えは、 だれもが情報を入手しやすい環境を整え、 民主主義を支えるうえで不可欠である〉 (毎日・'14年3月30日) と、社説でもさかんに訴えていたのに、 導入になると決まった瞬間、口を噤みだした。 記事がトーンダウンしていく一方、 食品に関しては 〈コンビニ弁当、店で食べたら?軽減税率の対象に〉などといった特集は 連日紙面を飾っていたのだが。 翌'16年1月21日、 安倍晋三首相は読売新聞東京本社を訪れ、 渡邉恒雄主筆らと会食した。 新聞への 軽減税率適用を業界側から主導したのが ナベツネ氏だ。 安倍に対し、 新聞の軽減税率対象入りの 謝意を示したと言われる。 以降、新聞への軽減税率導入は 既成事実化した。 この問題を追及してきた代議士の丸山穂高が言う。 「衆議院の財務金融委員会で 私は質問し続けたんです。 なぜ新聞だけが一足飛びに軽減税率に入るのかと。 麻生太郎大臣は 『広くあまねく情報を均質に伝えている』 と言いましたが、 それならネットメディアや NHKだって同じでしょう。 では 新聞ならば どこまでが 範囲なのかと問えば、 『週2回以上発行している新聞』 にいつの間にか決まった。 しかし、これらの質疑は、 いっさい新聞で報じられませんでした」 丸山らによって '15年末から国会で37度にわたって質問された 「新聞の軽減税率」は、 当の新聞にとってタブーと化した。

3局連続で挑発発言

進次郎の言ったように 「増税を唱えながら自分たちは負担しない」 ためには、 以下の読売新聞社説('15年12月20日)に みられる強弁を続けるしかなかったのだ。 〈増税が予定通り実施できなければ、それこそ財政再建が一層遠のいてしまう。 (中略)見過ごせないのは、 枝野(幸男)氏が新聞への軽減税率適用に関して、「新聞よりも水道や電気が必需品だ」 と発言していることだ。 民主主義や活字文化を支える 重要な公共財である新聞や出版物に対する 理解を欠いていると言わざるを得ない〉 読売の主筆であるナベツネ氏が、 かねてから 財政再建論者・消費税増税論者だった ことはよく知られる。 そして、 軽減税率の新聞への導入が 彼の悲願だったことも――。 それから 2年近くがたった今、 突然動き出したのが小泉進次郎だ。 10月22日の投開票日の選挙特番に、 ハシゴ状態で生出演した進次郎。 「私は新聞が軽減税率対象って おかしいと思います。 テレビ・新聞は ほとんど報じてくれないんですよね。 消費増税を訴える新聞が、 自分たちの消費増税を負担しない ということをあまり報じないのはフェアじゃない」 TBS系の生放送で、 突然こう話しかけられた キャスターの星浩氏は一瞬絶句し、 「軽減税率の見直し、是非訴えて欲しい」 と語るのが精一杯だった。 新聞の系列会社であるテレビ局にとって、 この問題は触れられたくないし、 ましてや星氏は 朝日新聞政治部の出身である。 続く池上彰氏(テレビ東京系)、 村尾信尚氏(日本テレビ系) というキャスターにも、 進次郎は同様の発言を繰り返した。 実は進次郎は 選挙中の街頭演説でも、 ほぼ同様の主張を続け、 「新聞が報じてくれない」 と伝えるのは定番だった。 そのとおり。 一連の発言を取り上げた新聞はない。 なお池上氏は、 朝日新聞のコラムで、 かつて 〈「生活必需品」だから軽減されるなら、 電気やガス、水道は、なぜ軽減税率の対象にならなかったのか。 こうした疑問に、 新聞社はどう答えるのでしょうか〉 と率直に記しており、 進次郎の挑発≠ヘ想定内だったようだ。 進次郎の発言に、 ネットでは 「偉そうな新聞の傲慢に対し、 よくぞ言ってくれた」 という若年層の反応が目立つが、 全国紙編集局のある幹部は こう顔をしかめて言う。 「進次郎の言っていることは 正論だが、 2年前に体を張って反対したわけでもないのに、 なぜ今になって批判しはじめるのか。 不況産業で経営危機の社も出ているうえ、 宅配価格を上げにくい新聞では、 消費税率を上げられたら本当に危ない」 そもそも、 軽減税率の対象に新聞を 紛れ込ませる議論を主導したのは、 公明党だった。 聖教新聞(公称550万部)と 公明新聞(公称80万部)の購読料は、 支持母体の創価学会にとって大きな収入源だ。 軽減税率を適用することは、 学会・公明党にとっては死活問題だった。 公明党をしたたかに利用したのが、 前出の渡邉恒雄氏だとされる。 「消費税の議論が再浮上した'06年から、 新聞の軽減税率適用を 腹案に持っていたようです。 『これが新聞人としての最後の仕事になる』 と語ったナベツネさんは、 盟友の菅義偉官房長官と、 '14年の段階で軽減税率適用について 下交渉していたという」(前出の幹部) 業界の盟主の行動に、 日本新聞協会と各社も乗っかり、 菅と公明党の後押しを経て、 軽減税率適用の流れは決まった。 だが、 軽減税率はやめるべきだと 主張する経済学者は多い。 法政大学教授の小黒一正氏が言う。 「結局、 低所得世帯よりも 高所得世帯への恩恵が大きい制度で、 ただのバラマキになります。 どの品目を軽減税率の対象とするかを 決定するのは有力政治家や官僚ですから、 それが新たな政治利権の温床につながります」 そして利権の温床となったのが新聞だ。 新聞各社は詳細な決算数字を明かしていないので 大雑把な計算にとどめるが、 仮に871万部を公称する新聞社で、 消費税が2%軽減されれば、 月極購読料金で計算すれば、 ざっと月に7億円が浮く。 年間84億円。 これだけの補助金が、 何もせずとも入ってくるのだ。 利権と呼ばずしてなんと呼ぼう。

堂々と反論すべき

ジャーナリストの津田大介氏が言う。 「線引きにコストもかかる筋の悪い政策です。 新聞に軽減税率をやることに どれだけ意味があるのか、 批判的検証が紙面から消えた。 新聞社が恩を売られて 筆が鈍ってしまうのはどうなのか」 日本新聞協会は 「読者の負担を軽くすることは、 活字文化の維持、 普及にとって不可欠だと考えている」 と主張するが、 新聞の軽減税率適用に 反対してきた前代議士・木内孝胤氏はこう言う。 「新聞社を認めてしまうと、たとえば生命に関係する医療機器会社だって、医療機器を軽減税率の対象にしてくれ、というロビー活動を始めるかもしれない。政治力が強い業界だけが通用してしまうことになる」 その意味では、 小泉進次郎の発言は、 しごくまっとうな発言のように思える。 日経新聞記者出身で、 参議院議員の山下雄平は進次郎支持だ。 「新聞が読者に 『軽減税率が食品と新聞だけでいい』 と説明し、 本当に理解を得られているのか。 都合の悪い記事を 書いていないだけじゃないか」 ただし、 進次郎が今の時期になぜこのような発言をしたか、 その理由を推測するのは ある保守系全国紙の編集幹部だ。 「大蔵族だった父・純一郎の財務省人脈は 進次郎に引き継がれている。 進次郎と頻繁に勉強会を開いている財務官僚が、 軽減税率を潰すため、 進次郎に知恵をつけて言わせているのだろう。 本当は 軽減税率を中心的に 進めた公明党を批判したいのだが、 名指しではできないので、 新聞社を攻撃するポーズをとっている」 財務省は 麻生大臣ともども '15年の段階では軽減税率に反対の姿勢だったが、 菅が官邸主導で 公明党と話を進めた結果、 麻生もしぶしぶ賛成に転じた。 反転攻勢のチャンスを 狙っていたというのだ。 新聞の軽減税率問題を追及した 『国民のしつけ方』の著者・斎藤貴男氏は、 こう警鐘を鳴らす。 「新聞業界のおねだりだけで 軽減対象になった。 国民を騙して消費税引き上げを 後押しするから、 自分のところだけは助けてくれと 言っているに等しい。 新聞は権力に本気では逆らわなくなる」 新聞社は、 進次郎の発言に文句があるならば、 正々堂々と紙面で反論し、 軽減税率の適用を受けるべきではないか。 安全地帯に入り込んだ途端にほっかむりでは、 社会の木鐸の名が泣く。 (文中一部敬称略) 「週刊現代」2017年11月18日号より
そもそも 10パーセントの消費税を 軽減して8パーセント などという あまり変わらない 軽減率の 軽減など聞いたことがない。 ヨーロッパは 20パーセント前後の国が多いが 生活必需品は 非課税だったりするところも多い。 10パーセントを 8パーセントは 何か 「実」のためではなく 「虚」のためだと考えるのは当然だ。 また 偏向報道とか 報道しない自由とか 内容の問題を置いておくとしても 新聞そのものが もう賞味期限をすぎているのだから 軽減税率が 適用されることの違和感は 半端ではない。 つまり 軽減率も変だし 新聞が適用されるのも 変なのだから 変なことを考えている人 または 変なことを やらざるを得ない人が 裏側にいることは 当たり前の話て そこに 小泉進次郎が 変なタイミングで 言い出してることは それなりの 意図が 背後には存在すると見るのが 自然だ。 郵政民営化は 郵便屋さんが 民間会社になるだけではなく いろいろなものが変わる トリガーであったように 軽減税率は 背後の人々を 表に引き出す トリガーになり そのさきに設定される 目標があると 小泉進次郎は考えるのだろう。 彼の好きなように やらせてみたい気がするが ナベツネさんは 如何お考えなのでしょうね。
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2017年11月16日

小林よしのり 恐怖で怯える週刊文春(その1)

BLOGOS より

小林よしのり 恐怖で怯える週刊文春(その1)

なんということか、 週刊文春!ここまで腰抜けだったか! 山尾事務所に対して、 文芸春秋の顧問弁護士から、 抗議文書が届いたのである。 わしのブログ 「狂気に走る週刊文春(その1)」で、 山尾氏を尾行していた 神田知子とニット帽の男の写真を載せたこと、 そして追加文書を載せたことが、 「肖像権」や「著作権」を 「侵害する可能性があります」 などとのたまっているのだ。 「いや、いや――!」 「尾行してた男女の写真を逆に撮られちゃいや――!」 「はんずかし――!」 「プロとしてみっともな――い!」 「大恥なの――!」 「だから弁護士に頼んで脅してもらっちゃう!」 「ストーカーの肖像権の侵害よ――!」 「私たちは山尾さんの写真をいくらでも盗撮していいの――!」 「人前でデマを言いふらして、山尾さんを追いかけ回し、写真をバシャバシャ撮ってもOKなのよ――!」 「それは私たち週刊文春は正義だからなの――!」 「山尾さんは悪なのよ――!魔女なのよ――!」 「魔女狩りしたいの私たちは――!」 「けれど盗撮してる私たちの姿は盗撮しちゃいや――!」 「すっごく盗撮に弱いの私たち!」 「今回の小林よしのりのブログは恐怖で泣いちゃったの――!」 「盗撮ストーカーには肖像権があるのよ――!」 「弁護士さん、脅して――!」 「私たちは完全になめられているから、法律で守られた――い!」 カスである! とことんカスである! ゴロツキ並みの手法を使って、 山尾・倉持の人権をとことん踏みにじったくせに、 大恥かいたら法で守られたい というクソ野郎どもが、 地獄を見せてやる!!
これどう考えたって まずいでしょ 文春。 思わず笑ってしまった。 読者は離れる。 仮に裁判になって 文春が勝ったとしても 文春は失うものが大きすぎる。 これは一般の政治報道ではなく 見る側はエンターティメントとして 見てるわけだから 取材する方も 自分たちも見られる側に立つ覚悟で やってもらわねくてはいけない。 いつ自分たちの写真を取られても おかしくはないことぐらい 子供でもわかることなわけだから 派手に変装するとか 着ぐるみの中から取材するとか 天井からぶら下がって写真を撮るとか 007ばりのエンターティメントを 見せてくれてこその 文春砲ではないか。 今まで 山尾さんの味方になろうと思ったことはないし これからもないと思うが(多分) これは文春が完全にアウト。 読者は法律ではなく 古い言い方をすれば 粋か野暮かで 着いたり離れたりする。 文春にも 奢りと官僚的なマインドが 目覚めてきたのか 高いギャラを意識しすぎた 取材する人間の勇み足とか劣化なのか。 文春を愛する人間としては ぜひ軌道修正を望む。 「親しき仲にもスキャンダル」 に象徴される ラディカル、アウトロー精神 あっての文春でいてほしい。
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2017年11月15日

鈴木涼美「好きを仕事に」で生まれるブラックな過重労働は「悪」と断罪できるのか

文春オンライン より

鈴木涼美「好きを仕事に」で生まれるブラックな過重労働は「悪」と断罪できるのか

NHK女性記者の過労死報道から1ヶ月。君たちはどう稼ぐか

「そうだ、鈴木さん、あの方ご存知だったんじゃないですか?」

先日、 久しぶりに 私が新聞記者時代に大変お世話になった 取材先の広報の方と お話しする機会があった。 私が密かに憧れていた その課長も今は広報を離れ、 本流のエリートコースを大驀進中なのだが、 お世話になった頃には 明かされていなかった私の黒歴史 (文春砲とかAVとか) は気に留めてくださっていたようで、 「会社にいても会社を辞めても話題の中心ですね」 と若干皮肉られつつ、 「そうだ、鈴木さん、 あの方ご存知だったんじゃないですか?」 と話題を振られた。   彼があの方、 と指したのは先月、 過重労働によって亡くなっていたことが 幾度も報道されたNHKの女性記者のことである。 2013年に亡くなった時の年齢は31歳で、 現在34歳の私とは年齢も大変近く、 ほぼ同時期に都政報道の担当をしていたことから、 その取材先の課長も 「うちの部下も鈴木さんと似たような時期に お世話になっていたようで」と、 私とその女性記者が仕事仲間だったのでは と心配していたようだ。   ちょうど電通新入社員の 過労自殺などが 大きく報道された後というタイミングもあって NHK過労死報道への人々の関心は高かった。 ブラック企業などについて テレビや週刊誌もいつにも増して 特集を組んでいる。

過重労働の被害者になっている「私」は想像しにくい

あいにく、 私は利害関係のない プライベートの友達は女の子だけ、 仕事上の利害あるお付き合いは ほぼ男の子だけ、 というゲンキンで薄情な人間のため、 亡くなった佐戸未和さんとは 直接的な知り合いではない。 しかし年齢と担当の取材先が似通っている 元同業者の死が 労災認定されていたことは、 私にとっても少なからず気になる報道だったし、 周囲の人間も 記事を見て私を連想した人はいたようで、 ある人は 「君も死んでいたかもしれない、 記者なんて辞めて良かったのかも」 というような内容のメールをよこした。 確かに 私がのうのうと生きていて 別の人が亡くなったということに 必然性などないのかもしれないが、 仮に私がそのまま新聞記者として 働いていたと考えてみても、 過重労働の被害者になっている自分 というのが想像しにくいのも確かだ。

給料は成果への報酬か、苦痛の対価か

常識的に、 私たちは仕事で得る収入、 つまりお給料について 大体二通りの感覚を持っている。 お給料を自分の労働による成果への報酬 と捉えるか、 苦痛の対価と捉えるか。 そして、 もちろん生き生きと仕事をして 自己を華々しく実現する人に 前者の感覚が共有されている場合が多いのだが、 反面、 過労で倒れたり、 追い詰められたりする人も その感覚を持っていることは否定し難い。   そして、 どちらかというと後者の感覚が強く、 お給料に対してどれだけの我慢が 見合うかということを 常に考えている私のようなタイプの人間は、 仕事で成功する道も狭いが 仕事に追い詰められることも 比較的少ない。 私の関心は、 いかに職場での居場所を失わない程度に うまくサボって、 しっかり仕事している人と 同じだけの給料をもらうか、 ということに偏りがちだったし、 だから仕事を面白いとか楽しいとか、 そんな感覚なんてなかった。   ただ、 私の方がカノジョたちより 幸福だなんて言えるんだろうか。 死ぬほど働いてみたい なんて言ったら怒られるけど、 でも死ぬほど疲れていることに気づかないほど 入れ込んでできる仕事を持つのは、 かわいそうなことなんだろうか。 程よく、身体を壊さない程度に、 ワークライフバランスを考えて、 入れ込んで、思いっきり、 楽しみながら、泥臭く、 それなりに一所懸命 ……働くことを彩る言葉は多いが、 どれもこれもしっくりこない。 どうせ同じ給料だから、 と手を抜かないで、 死ぬくらい真面目にやればよかった、 と時々思う。 でも死んでしまったら好きな仕事もできないし、 手を抜いて上手いことやるくらいで ちょうどよかったんだ、とも思う。

夜業界でワーカホリック状態の女の子は「給料=成果」派

収入についての感覚が 仕事への姿勢を分けるのは何も、 いかにも自己実現的な 現場や職種に限った話ではない。 私が新聞社の前に勤めていた 夜業界というのは、 とくダネをとったり 上司の機嫌を窺ったりして 評価査定をあげて花形部署に異動して 論説委員や 部長の席を狙う新聞記者なんかよりも ずっと直接的に ずっと露骨に 出来高による収入格差と 成績ランキングが可視化される場所だった。 そして 過度なワーカホリック状態になる女の子たちが 持っているのは まさに給料を成果ととる思考回路だ。   彼女たちの論理では当然、 美人で気が利く巨乳の若い娘、 がより多く稼げる。 逆に言えば稼いだ金額が、 自分の女としての価値であると 見紛うようなシステムがそこにある。 そして、 幸福なことに、 あるいは大変不幸なことに、 それほど美人でもなく 機転も利かず貧乳で年増であっても、 労働時間を増やすことで 収入をある程度補填できる。 彼女たちにとって稼いだ金額は、 時に自分の常軌を逸した 頑張りの結果でもあるが、 その過程を無視すれば、 それはそのまま 自分が良い女であるという証明にもなる。 夜業界の女の子たちが 競ってホストクラブで 死ぬほどまずいスパークリング酒に 高額を使うのは、 お金が使えるということは 稼げるということであり、 稼げるということは 自分がスペックの高い良い女である という誇りに直結しているからだ。 そして彼女たちは あたかも自分は寝ずに節約を重ねて 過度な出勤と 長い労働時間によって稼いでいるのではなく、 良い女だから簡単に稼げているように振る舞う。 そうでなければすぐさま 「鬼出勤してまでホスト通い乙www」 なんて不名誉な噂を立てられる。

「指名本数を少なく、客単価を上げる」派の嬢たちも

「大して働いてないよ」 というそれはもちろん、 他人に対してのポーズでもある。 しかし彼女たちを見ていると、 あくまで装いだったその姿勢を いつしか内面化し、 自分でもどこかしら過重労働の実態を 意識的に忘却し、 売れっ子だから かわいいから 色っぽいから稼いでいると 信じ込むようなところまで見え隠れする。 そして 他人に対しても 自分に対しても そのポーズを裏切らない成果を上げるために、 より一層過酷な労働環境に没入していく。   と、書くと いかにも蟹工船状態で あくせくと働く姿が想像されるが、 彼女たちの実態は内面的にも 外見的にも 大変華やかで充実したものである。 夜業界においては 忙しいということそれ自体が 自分が個人的にある程度 求められるような存在でない限り 実現しないことであり、 どんなに忙しくてもそれは自分の 「売れっ子」っぷりを 体現しているに過ぎない と思えてしまう。 売れに売れているアイドル歌手の睡眠が 2時間であるような事態と似ている。   対極にはもちろん、 いかに効率よく 必要なぶんだけを稼ぐかを目的に、 なんとか指名本数を少なく、 客単価を上げようという思考の嬢たちもいる。 彼女たちの場合は、 稼いだ金額は 見知らぬオヤジのちんぽをしゃぶる苦痛に 見合うものであるべきで、 ホストクラブで 豪快に散財する同輩たちを見ても、 「あんなにお金が使えるほど 売れっ子の良い女なんだ」 などとは思わず、 「あのシャンパンタワーのために 何本のちんぽをしゃぶったのだろう」 と捉える。 チップをくれる上 客がいれば一本の稼ぎだけで勤務を終えるし、 店を通さずに お金をくれるパパを見つければ 平気で無断欠勤を続ける。

「好きを仕事に」の否定は神を証明し愛を否定するくらいに難しい

社会学者の阿部真大氏は 初期の名著『搾取される若者たち』 (集英社新書) の中で、 過酷な労働条件の中で バイク便ライダーがある意味 嬉々として労働に打ち込んでいく様を、 「好きを仕事に」 することの落とし穴として 鮮やかに描いた。 私がかつて 『「AV女優」の社会学』 (青土社) の中で指摘した、 下がっていく条件を うまくプライドに置き換えていく 彼女たちのホリックの構造も 似たようなところはある。   しかし、 現場で見るワーカホリックのホスト狂いたちも 劣悪なギャランティのAV嬢たちも、 苦痛の対価だと割り切って 仏頂面で通勤するかつての私や 私のような労働者に比べて ずっと輝かしく、 羨ましい存在でもあった。 確かに、 「好きを仕事に」も 「仕事で自己実現」も 「やりがい搾取」も、 人が本来保つべき 安定した生活習慣を 脅かす落とし穴だらけではある。 ただ、 それを否定しようとするのは、 実は神を証明し 愛を否定するくらいに難しい。

AV女優時代のギャラ100万円は何の対価に支払われていたのか

何にお金が支払われているのか、 というのは、 実は正解のない問いである。 そして時間が経って、 考えが変わることもある。 例えば、 私はAV女優時代、 今ほど給料を 苦痛の対価だと考えて 仕事をしていなかった。 100万円のギャラは 私の若さや巨乳や 可愛らしさに支払われているものと信じていたし、 だからこそ頑張って ダイエットして お金にならない営業も回り、 需要がなくならないように どんどん過激な内容にもチャレンジした。 引退して数年後、 本気で好きになった人に 「元AV嬢とは付き合えない」 と言われて、 若さや可愛さの対価だと思っていたお金は、 実はそんなことを言われる 悲しさに対して支払われた 100万円だったのだとわかった。   最初からそう思っていれば、 過激なビデオなんて出なかっただろうし、 もっともっと手を抜いて 効率よく100万円稼いだだろうし、 高熱で寝不足の現場なんて とっとと休んでいたと思う。 その方が健康にはいいし、 命は落とさないけど、 パワーとやる気に満ち満ちていたあの頃は あの頃で幸せだった。   人の弱みに付け込んだひどい習慣が まかり通るブラック企業は もちろん存在する。 ただ、 全ての過重労働問題を 労務管理に回収しては、 仕事と人の本来的な関係を見落とす。 かつての同僚と 久しぶりにメールをしたら 「夜回り禁止なんていう バカみたいなルールのせいで 思うように取材できない」 と会社のホワイトっぷりを呪っていた。 少なくとも、 時に仕事のやりがいが 健康より大切に思えることを 一刀両断に否定することなんて、 他人にできるんだろうか、 とちょっと思う。
好きなことを始めれば やめられない。 好きなんだから しょうがない。 しかし 美味しいものも 毎日たくさん食べれば 飽きるように 好きなことだって それだけやっていれば 飽きる。 飽きたら 少し別のことをする。 でもまた 元の好きなことを 始める。 好きだから またやりたくなる。 これが自然で健康的なわけだが これが仕事に 当てはめられるかというと 簡単ではない。 簡単ではないが 「飽きたらやめる」か 「飽きても続ける」かは 健康か不健康(肉体的・精神的共に)の 分岐点ではありそうだ。 しかし 仕事を 「飽きたらやめる」ことは 世の中は奨励してないし 親も先生も それを良いこととは教えていない。 つまり 「飽きたらやめる」 ことには あらかじめ 「罪悪感」 が設定されている。 その罪悪感に どの程度反応するか また 反応しないのかは 当然個人差があるわけだが その個人差を作る要素の一つには 「自己評価」 ということが 関係する。 つまり 自分に自信のある人は 休みたいときに 休むのに抵抗はないが 自信のない人や 劣等感の強い人は 休むことに罪悪感を感じたり 一生懸命にやっても 足りない感じがしたり 休むと不安になって 仕事をしてる方が 安心だったりして 結果として休めない。 でも本人は 休まないことを 自分で決めたつもりでいる。 実際には 過労に至る道筋は もっと多様で複雑な場合も多いから あまりこの場では 原因を むやみに断定するような言い方は 避けるべきだと思うが 嫌なこと、嫌な時に 「やりたくない」は わがままと考えるより 健康管理の目安と考える方が有益だ。 それでも やらなければいけない時はあるのだが それはある種の異常な事態で 異常な事態を正常な状態だと思って働らくと 幾多の災難に見舞われるが 異常な状態を異常な状態だと思って働らく分には まだ歯止めが効いて 災難は多少少ない。
posted by sachi at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事

2017年11月13日

橋下氏、維新に離党届の丸山氏と和解 「言い過ぎた」

朝日新聞デジタル  より

橋下氏、維新に離党届の丸山氏と和解 「言い過ぎた」

日本維新の会前代表の橋下徹氏は 9日のインターネットテレビ局の番組で、 維新の代表選にからんで ツイッターで対立した 丸山穂高衆院議員(大阪19区) と和解したことを明らかにした。 丸山氏は離党を表明したが、 離党届は受理されておらず、 松井一郎代表(大阪府知事)は10日、 党への復帰は「本人次第」と記者団に述べた。 2人の対立は維新が議席を減らした 衆院選直後に起きた。 丸山氏が10月24日に 「維新は総括と代表選が必要。 若造に言われんでも代表は 言うだけの人ちゃうし、 ちゃんとやりまっせですね、失礼をば」 などとツイートしたところ、 橋下氏が 「代表選を求めるにも言い方があるやろ。ボケ!」 と激しく反発。 丸山氏は31日に離党を表明した。   橋下氏は番組で 「お互いに言い過ぎた所があるということで お互いに謝りながら、 僕は僕の思いを言いました。 向こうも 『ちょっと言いすぎた所があります』 と言ってきたんで、 こっちも『言い過ぎたところがあったね』と」 と語った。 橋下氏によると、 丸山氏から電話があったという。
おもしろいと思った。 感情は当然感情的だから 「それ以上でもそれ以下でもない」ところで 止めることはできないし そんな理性的な感情などあるわけない。 本気で怒れば言いすぎることも 言わな過ぎてしまうこともある。 そういうものだ。 また特に 潔さも感じた。 そしてそこから この怒りに雑念がないことも感じた。 どういうことかというと、 政治家が怒りを公に表す時、 多くは その怒りの効果を狙う場合が多い。 怒りによって 存在を誇示したり 相手を 服従させたり 貸しを作ったりと 怒りの使い方はいろいろある。 橋下徹のこの怒りは 腹が立ったから 怒っているだけで それ以上でもそれ以下でもない。 だからそれによって 存在を示して相手に服従させるとか そういう二次利用を目的とはしていない。 もしそういう意図があったら 「丸山議員が電話で謝罪したから許した」 ということだけを強調して 「自分も言いすぎたとあやまった」ことは 少なくても公の場では言わない。 それは恥と感じる。 確かに現実的には 丸山議員は当然しばらくは 橋下徹に対して大人しくしてるだろうが それはそれで正常な関係だ。 しかし もう一回か二回くらいなら また橋下徹を怒らせることが あって良い。 それは丸山穂高の人生にとって プラスに働らく。 丸山穂高は 子供ではないので これは余談だが 子供を叱る時 1 叱って 2 反省があって 3 それを許して はじめて叱る効果がある。 つまり この三つが揃って 子供が成長する糧になる。 意外と知られていないことだ。
posted by sachi at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治
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