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2017年11月20日

ホラン千秋が蓮舫化している?TBS『Nスタ』の”みっともない”偏向報道

デイリーニュースオンライン より

ホラン千秋が蓮舫化している?TBS『Nスタ』の”みっともない”偏向報道

日本維新の会・足立康史衆議院議員(52)が 12日にTwitterで 加計学園問題に関する朝日新聞の社説を巡り 「朝日新聞、死ね」 とツイートしたことが、 メディア各所で波紋を呼んでいる。 15日の『Nスタ』(TBS系)でも 足立議員の発言や 希望の党・玉木雄一郎代表、 立憲民主党・福山哲郎幹事長らを名指しで 「犯罪者だと思っている」 と発言したことをとりあげ、 同局政治部デスクらが 「恥ずかしいですね」と批判、 ホラン千秋も 「みっともないというのが分からないんですかね」 と同意した。 「番組では、 モニターを使って足立が 『維新のトランプ』 『A・B・C(アホ・バカ・カス)の足立』 と呼ばれてると 面白おかしく紹介していました。 さらに 『問題発言をして目立とうとしている』 と揶揄するなど、 誰一人擁護することも、 その真意を伝えることもなく、 よってたかってのバッシングを展開してました」 (週刊誌記者)   結論からいえば、 足立康史議員の発言は 「国会議員として」 間違いなく不適切だろう。 橋下徹弁護士(48)の「”死ね”はアウト」 (AbemaTV『橋下徹の即リプ!』) のコメントを引用するまでもなく、 朝日新聞社に謝罪をすべきだ。 だが、 そんなことは当の足立議員は百も承知のはず。 ではなぜ、 彼が”死ね”という言葉をあえて使ったのか。 「その理由は、 炎上でもしなければメディアが 目が覚めないからです。 足立議員は一部ネットニュースの取材に 『朝日に対する怒りを知ってもらうため、 使ってはいけない言葉だとわかったうえで、 あえて問題提起のために使った』 『国のため、国会を正すため、 日本を前に進めるための”いい炎上” という意図があった』 と答えています。 足立が 『朝日新聞は反省すべき』 とでも書いていたら、 TBSをはじめ左派メディアは問題を 取り上げなかったでしょう」(新聞記者)

■「死ね」炎上商法を肯定していた朝日新聞

  この炎上商法の論理については、 かの山尾志桜里議員(43)が 『保育園落ちた日本死ね』が ユーキャン流行語大賞にノミネートされた時に、 左派メディアもこぞって 「あえて過激な発言でインパクトを使った」 と免罪を与え、 「待機児童問題を政治のど真ん中に」 持ってきたとして山尾を絶賛している。   当の朝日新聞も、 16年3月27日『政治断簡』 の中で政治部次長・高橋純子が 「匿名ブログにひっそり書かれたはずの 『保育園落ちた日本死ね!!!』が、 言葉遣いが汚い、 下品だなどと批判されつつ、 みるみる共感の輪を広げたのはなぜだろう」と 「炎上」の効果を肯定している。   ところが、 『朝日新聞死ね』については、 一転して左派メディアは 冒頭のような 攻撃するという 論理矛盾を起こしている。 ブログからの引用とはいえ 「国会議員の発言」 という意味では 山尾議員も同じ。 「死ね」と言われて気分を害した人数で言えば、 「日本死ね」の時の方が 圧倒的に多いはずではないか。 さらに言うなら、 山口二郎法政大学教授(59)の 「安倍に言いたい、 お前は人間じゃない。 叩き斬ってやる」や 200万部ベストセラー 『ソフィーの世界』翻訳者・池田香代子(68)の 「あべしね」はなぜ看過されるのか。   ともあれ、 内容の良し悪しは別にして、 足立議員も山尾議員も リスクを取ってでも伝えたいことが あるというのは、 政治家の姿勢として評価したい。 だが、 足立議員が伝えようとした 「朝日新聞の捏造」 についてはコメントせず、 その行動を「みっともない」と 軽々しく発言するホラン千秋、 このところ、 かつての蓮舫議員と 顔付きが似てきた気がするのは 筆者だけだろうか。
これ以上何も出ないと わかりつつ 少しでも 首相のイメージを 悪くするために 加計学園問題を 引きずっていることには いい加減げんなりしてる向きも多い。 保守系のみならず 無党派の人たちも なんかおかしいって 思ってきている。 玉木さんも 支持団体を大切することと 言いなりになることは 違うし また媚を売れば かえって軽んじられる。 間違えば支持組織からも見放される。 それくらいわかっているとは思うが 問題の本質を考えれば もう少しうまい 獣医師会とのやりとりの仕方が あるように思う。 つまり 加計学園問題は 明確に総理大臣の罪を立証できなければ もうイライラさせるだけで 国民全体としてはもう過去のことだ。 支持率の回復を見てもわかる。 つまり野党や一部のマスコミの 加計学園問題での攻撃は 一時的に支持率を低下させることしか できなかったということだ。 いろいろ批判の道筋を考えたのだろうが そもそもの発端は 前川という 事実上更迭された官僚の 政府への恨みからくる思い込みを 取り上げてしまったことが そもそもの問題で そもそも しっかりした見通しの上に 展開されたものではないことは明々白々。 つまり 誰しも状況が飲み込めた人は右であれ左であれ いい加減にしてほしいと思っているし これ以上やっても 虚の上に虚を構築するみたいなことになって 本当に腹が立つほど ばかばかしくなってくる。 しかし そういうことを直接言っても 埒があかないから 寸止めのつもりで 間違って 切りつけてしまったようなことがおこる。 「死ね」は 褒められた表現ではないし 好きではないが フォーマルウェアだけで 人々の思いを語れないことがあるし フォーマルウェアを捨てるリスクを 負いたくないのも政治家だし あえて そこを利用して アメリカ大統領になる男もいるわけだから 「死ね」の評価は難しい。 中長期的には こういうラフな表現は増える。 それをポピュリズムだと批判する人はいるだろうが そういった 言葉だけの問題ではなく 人の生の感情に触れようとしない 安全地帯の住人にも批判は向けられる。 結果としての ヒラリーがそうだった。 こういう場合 多くの人は 自分がトランプ支持であることを 知られたくはない。 そしてトランプ批判するようなことを言ったりもする。 しかし 実際にはトランプに投票する。 フォーマルウェアとはそういうものだ。 どんなに高貴な生まれであれ 一生フォーマルウェアを着て生活する人はいない。 今いろいろな事実がわかってくると 加計学園問題が問題だという人たちの方が フォーマルウェアを捨てられない 人の生の感情から離れたところにいる。 生の感情、 それに共感しそれを理解することは 大切で大いに必要なことだ。 しかし本当に難しいのは 共感し理解しながらも その感情の通りにしてはいけないことも 間々あるということだ。 それを避けるために 多くの政治家は フォーマルウェアを脱ごうとしない。 リスクを感じるのは当然とも言える。 しかし そこを どううまく取りまとめて ウインウインの状態に持ち込むかが 政治家の本当の力量ではないか。 政治家だけの話ではない。 会社経営にも通じるし 上司と部下の関係でも起こりえるし 親子関係などでは 実は本当に大切なことだ。 そして 意外かもしれないが 自分自身の感情でもそうなのだ。 必然性のある生の感情は 決して無視はしてはいけない。 無視しないことと その感情通りに実行することも違う。 無視すれば 抑圧してるつもりはなくとも 結果として抑圧されたのと 同じ状態になる。 だから 不都合な時に不都合な爆発をする。 そのリスクは フォーマルウェアを脱ぐリスクよりも 実は大きい。 日本維新の会・足立康史衆議院議員が どういう人物かの評価はまだしない。 優れた洞察力を持った政治家かもしれないし とんでもないボケの可能性もある。 この人がどうかはわからないが 維新には 優れた政治家を産む素地はある。 まだ出ていないだけだ。 余談だが TBSの報道系の番組で キャスターが 保守系の政治家を バカにしたような表現するのはやめた方がいい。 自分の信条に関係なく 不愉快だ。 それは思想信条の自由とか 表現の自由とかとは別の問題だ。 配慮されていないああいう軽蔑は 配慮された「死ね」より タチが悪い。
posted by sachi at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治
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