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2021年04月19日
【御国を憂えたもうた和歌】亀山上皇
弘安御百首(こうあんおんひゃくしゅ)より
世のために 身をば惜しまぬ命とも
荒らぶる神は 照らし覧るらむ
よのために みをばおしまぬいのちとも
あらぶるかみは てらしみるらむ(ん)
訳)
世の中のためには、自分の身ひとつは、どうなってもよいと思っていることを、力づよい神さまは御照覧(ごしょうらん)になることであろう
詠み人
亀山上皇(かめやまじょうこう)
*亀山上皇は1305年に崩御されました。
図書
『和歌ものがたり』佐佐木信綱著
2021年04月02日
【春の和歌】紫式部
『源氏物語(胡蝶の巻)』より
春の日の うららにさしてゆく舟は
棹のしづくも 花ぞちりける
訳)
春の日の光がうららかにさし、花の影の映っている池の面(おも)をゆるやかに棹(さお)さしてゆく舟は、棹をつたってこぼれ落ちるしずくまでが、花の散るのかと思われる。
『和歌ものがたり』より
源氏物語の中には、七百九十余首の歌が入っています。ここにあげたのは、源氏物語の中の胡蝶(こちょう)の巻にのっている歌で、物語のなかで姿も心も一番美しい紫上(むらさきのうえ)という夫人の住む六条院(ろくじょういん)の庭に、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)という、これも美しいお后(きさき)を迎えて、花の盛りに池に舟をうかべてお遊びのあった日に、女官の一人が詠んだことになっています。
「さしてゆく舟」の「さして」には、日がさすことと、棹(さお)をさすこととが、つながるようになっています。
「うらら」「うららか」という言葉は、千年の時を経た現代でも心地良く穏やかな響きが伝わってきます
図書
「和歌ものがたり」佐佐木信綱著
2021年03月28日
【春の和歌】亀山上皇(かめやまじょうこう)
『弘安御百首(こうあんおんひゃくしゅ)』より
「四方(よも)の海 波を(お)さまりて のどかなる わが日(ひ)の本(もと)に 春は来(き)にけり」
詠み人と歌の意
これは亀山上皇(かめやまじょうこう)がお詠みになったお歌で、亀山天皇の文永(ぶんえい)八年に、蒙古(もうこ)から攻めてくる企(くわだて)のあることを高麗国(こうらいこく)の使がいってきました。そうして天皇が、お位を、お子さまの後宇多天皇(ごうだてんのう)にお譲(ゆず)りになった文永十一年の十月に、蒙古の兵が対馬(つしま)に、壱岐(いき)に、筑前(ちくぜん)に来ましたが、敗(やぶ)れて帰りました。次の年の建治(けんじ)元年四月には、元(げん)の国の使が来たのを、北条時宗(ほうじょうときむね)が鎌倉で斬(き)りましたので、しばらくは何事もなくて、二年後の弘安(こうあん)元年にお詠みになったのがこのお歌であります。
歌の意は
「四方(よも)の海の波もようやくおさまって、わが日本の国にのどかな春が来た、喜ばしいことであるよ。」
再びの国難
安心してお詠みになった歌でありますが、弘安四年の五月から六月にかけて、また蒙古が大挙(たいきょ)して九州の博多に襲来(しゅうらい)しました。亀山上皇は、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)にお詣りなされ、また勅使(ちょくし)を伊勢大神宮(いせだいじんぐう)にお遣(つか)わしになり、身(み)をもって国難(こくなん)に代わろうとお祈(いの)りになりました。幸(さいわ)いに九州の防禦(ぼうぎょ)がよかった上に、閏(うるう)七月一日には大風が吹いて、おびただしい敵の兵船がことごとく沈み、日本国はじまって以来の国難が無事にすんだのでありました。
図書
『和歌ものがたり』佐佐木信綱著