2020年09月23日
新たなる始まり・・・
2020年8月26日19時24分に親友から私のスマホに電話がかかってきました。
親友『俺な、今、地元の病院で入院してるねん。』
私『エッ、どないしたんや。』
親友『肝臓がんのステージ4やって言われてもうてな。』
私『エッ、なんやて、そこまで兆候がなかったんか。』
親友『前から治らんかった腰痛と夏バテみたいなダルさだけやってんや。』
私『そんなんで、急にステージ4までなるんか。』
親友『早くて、涼しくなってから。長くて、年明けぐらいと言われたわ。』
私『そんな医者から言われたぐらいで諦めるな。
1%でも可能性があるのなら、お前がその1%の中に入れば良いねん。』
親友『そやな。ところで、電話したんは、セカンドオピニオンの病院を
お前に聴きたかってん。』
私は、阪大病院と大阪国際がんセンターを勧めました。
親友には、この病院などで教授だった方などを知っているので、その方にお願いして、より良い医師に診察をしていただくようにする事なども伝え、親友は少し安心してくれました。
その翌日から、ほぼ毎日のように、親友を元気づけるメッセージや肝臓がんのステージ4でも助かった方のブログや本などの情報をLINEで送り、がんに勝つための本なども自宅に送りました。
私『俺がお前を絶対に死なせん。』
2020年9月10日(木)親友は、阪大病院の診察を受けました。
そして、前に受診した個人病院への阪大病院からの報告書(診察結果)を画像で送ってきました。
内容は、貴院(個人病院)での診断のとおりで、症状緩和医療をおすすめし、余命につきましては、1〜2ヵ月程度と予測される。との事でした。
それでも、私は、まだ諦めるなと言い、大阪国際がんセンターの診察に期待しようと言いました。
親友も、その気持ちは同じで、たとえ大阪国際がんセンターで99%助からないと言われても、1%と可能性があるならば、それに賭けようと私が言うと『ありがとう。わかった。』と言ってくれました。
2020年9月15日(木)親友は、大阪国際がんセンターの診察を受けました。
それ以降、親友からの連絡は途絶え、私は気持ちの整理がつかない結果だったのだろうと思い、気持ちの整理がつき、親友の方から連絡が来るまで待つことにしました。
2020年9月20日(日)11時頃に親友からの電話の着信履歴がありました。
私は、この日、仕事だったので、気づくのが遅くなりましたが、ようやく一つ、親友も吹っ切れたのだろうと思い、14時過ぎに電話をかけました。
電話口には、奥さんが出られました。
親友は、大阪国際がんセンターの診断結果にすごく期待していたようですが、期待していた結果が出ず、そこから急に落ち込み、2日前に最初に受診した個人病院に入院したそうです。
奥さんは、本人は何を喋っているのか、わかない状態ですが、話てやって下さいと言われ、私は親友に呼びかけました。
私『おい、大丈夫か。絶対に負けるなよ。』
親友『あぁ〜、すみません。すみません。』
私『元気出せ、お前とまだまだ(事業も)せなアカンねんから、絶対に死ぬなよ!』
親友『あぁ〜、すみまへん。すみまへん。』
か細い声で私に誤ってばかりいる親友は、ほんの数日前より別人のようでした。
私は、このいたたまれない気持ちをどうすることも出来ず、仕事が終わってから、飲み屋に行きました。
そこでLINEを見てみると・・・
涙が出ました。
私の前に送っていたLINEに親友から返信がありました。
【ひょう、わ】
【きょうは、病院やねん】と書きたかったのかな〜
そうこうしている時に親友の奥さんから電話が入りました。
奥さん『主人が、あの後、容体が急変しまして、亡くなりました。
お通夜、告別式は、こういう時期ですし、主人の強い希望も
ありまして家族層とさせていただきます。』
もう涙を堪えるのが必至でした。
そして、自宅に帰ると同時に号泣してしまいました。
『俺が絶対に死なせない。』と約束したのに、死なせてしまった。
2020年9月21日(月)親友のお通夜の日
私は、家族葬ですが、行くか行かないかを何度も迷いました。
親友とは、生前に様々なイベントごとを一緒にしていた時に、その後の打ち上げなどがあっても最後には、私と二人で居酒屋などに行き、あまり喋らないで、労をねぎらうように飲んでいましたので通夜の夜は、親友が病気と闘ったのをねぎらうつもりで居酒屋で飲むことを決めました。
親友は、いつも瓶ビールとサラダを注文してました。
親友の席に瓶ビールとサラダを置き、私は、闘病をよく頑張ったなと褒めました。
なぜだか、親友から病気の連絡をもらった数日前から、親友が喋った言葉を刺繍にしたスマホをベルトを首から下げるようにしていましたので、その頃の思い出を思い出しながら、なぜだか悲しさがこみあげてきて、横のお客さんに悟られないように声を押し殺しながら泣きました。
帰りに親友が学生時代に住んでいた実家の前に行くと、点いているのが不思議ですが、家の中に灯りが付いててくれたので、私は手を合わせました.
2020年9月22日(火)親友の葬儀の日
親友の実家の前に行き、葬儀のつもりで手を合わせました。
そして、親友が火葬される時間には、火葬場の方向の空を見つめながら、手を合わせました。
ここで、心に決めたことがありました。
親友との最期の別れをしな(出来な)かったのも、親友と一緒にしようとしていた事業のためです。
私は、誰もが、病気に打ち勝って、病気に負けないように生きて欲しいと願っているのです。
そのためにしないといけない予防として、生活習慣の見直しと食生活の見直しと運動だと思うのです。
その運動が、私にとっては、ノルディックウォーキングだったのです。
親友は、旅立って行きました。
だけど、私は、親友と約束した事業のために歯を食いしばって歩き出そうと思っています。
それが、これからも親友と繋がっていられる唯一の方法だと思うからです。
このような悲しさを少しでも誰にも味わってほしくないのです。
そのためには、当然、資金も必要ですので、これからは、このブログでアフィリエイトの収益もそうですし、ありとあらゆる収益を考えて、親友との夢の実現に向けて、少しずつ近づいていければと思っています。
葬儀の夜は、様々な方々に私を元気づけてくださるために飲みに誘っていただきましたが、一番最初に言ってくれて、泉州から約2時間かけて来てくれた友達と飲むこととなりました。
もちろん、葬儀の日なので、親友のための瓶ビールは用意し、皆に乾杯してもらいました。
そして必ず、事業を成功させて、いつか親友の居る場所へ行った時、親友と乾杯したいです。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10214399
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック