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2015年04月08日

青治 水墨山水 

青 治  水墨山水 

絹本 肉筆

P1110999.JPGP1120002.JPGP1120001.JPGP1110998.JPGP1110997.JPG

東宝書 七字一行

東 宝 書 

  七字一行 紙本肉筆

P1110993.JPGP1110994.JPGP1110992.JPGP1110991.JPGP1110990.JPGP1110995.JPG

四季花鳥 色絵色紙 長寿先生御筆他   

四季花鳥 色絵色紙 計5枚

二枚の色紙は箱書きの長寿先生筆で間違いない。
長寿先生筆 清堂


その他3枚は時代古く、むしろ値打ちがありそうだ。


色紙掛けにセットすれば素晴らしい掛け軸に変身ぴかぴか(新しい)


P1110989.JPGP1110976.JPGP1110977.JPGP1110979.JPGP1110978.JPGP1110984.JPGP1110985.JPGP1110986.JPGP1110988.JPGP1110981.JPGP1110983.JPGP1110980.JPG

2015年04月07日

歌麿他、古い書など計4点

一つの額の表には歌麿が3枚ありました。

その額を開けてみると、他に古い書などがでてきました。

いずれも作者や制作時期は不明です。

P1110947.JPGP1110950.JPGP1110949.JPGP1110948.JPGP1110938.JPGP1110939.JPGP1110941.JPGP1110942.JPGP1110943.JPGP1110945.JPG

右近衛権中将 在原 業平(ありわら の なりひら)肖像画 和歌 紙本墨画淡彩肉筆

右近衛権中将在原 
生年 825年(天長 二) 没年 880年(元慶 四) 五十六歳
父 阿保親王 母 伊都内親王

在原行平の弟。 在原棟梁と 在原滋春の父。 真名序では「在原中将」と書かれている。相模権守の後に美濃権守になっているがその時期は不明。 父である阿保親王は平城天皇の第一皇子。

肖像画 和歌 



「伊勢物語」の主人公exclamation&question



紙本墨画淡彩肉筆


肖像画のみのサイズは概ね 幅:20.5cm 高さ:33.5cm


在原 業平(ありわら の なりひら)
経歴[編集]
仁明天皇の蔵人となり、849年(嘉祥2年)従五位下に叙爵されるが、文徳天皇の代になると全く昇進が止まり不遇な時期を過ごした。清和天皇のもとで再び昇進し、862年(貞観4年)従五位上に叙せられたのち、左兵衛権佐・左近衛権少将・右近衛権中将と武官を歴任、873年(貞観15年)には従四位下に昇叙される。陽成朝でも順調に昇進し、877年(元慶元年)従四位上、879年(元慶3年)には蔵人頭に叙任された。また、文徳天皇の皇子・惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどしている。 880年7月9日(元慶4年5月28日)卒去。享年56。最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。



P1110954.JPGP1110953.JPGP1110952.JPGP1110955.JPGP1110957.JPGP1110951.JPG(額縁は後から適当なものを使用しました。)

おほかたは 月をもめでじ これぞこの つもれば人の 老いとなるもの

おほかたは ・・・ だいたいのところ (大方は)
これぞこの ・・・ それもそうだ
『そもそも私は、たいていのことでは月を愛でることはしない。
 これはつまり、この月こそが、積もり積って人の老いの原因と
 なるものなのだから。 』

 

奈良の宿泊予約 料理旅館大正楼というサイトに在原業平ゆかりの不退寺の案内があり、
その写真にこれに似た白黒コピーがありましたのでご紹介いたします。
http://ryokan.taishoro.com/2010/04/post_538.html

2015年04月06日

中華民国 国立故宮博物院 二玄社発行

売切れ御免


中華民国 国立故宮博物院

二玄社発行 明清花鳥扇面
※注意(印刷出版物です)

昭和60年に2万円で出版されました。


P1110958.JPGP1110960.JPGP1110961.JPG

P1110971.JPG明陸治 花鳥扇面

P1110972.JPG明陳淳 紫薇扇面

P1110969.JPGCツ壽平 花卉扇面

P1110970.JPG明陳洪綬 花卉草虫扇面

P1110973.JPG明張翀 花鳥扇面

P1110968.JPG明郁喬枝 花鳥扇面

P1110967.JPG明陳栝 芭蕉紫薇扇面

P1110966.JPG明陳淳 花卉扇面

P1110964.JPG明陸治 花卉扇面

P1110963.JPGC江介 花卉扇面

P1110975.JPG明孫克弘 梅竹扇面

P1110974.JPG明沈仕 花卉扇面

2015年04月02日

〇牡丹  武漢國〇院掛け軸  中国産

〇牡丹  武漢國〇院掛け軸  中国産
      (武漢国画院掛軸)
      (武漢国典院掛軸)     
      (武漢國壺院掛軸)
      

絹本

P1110912.JPGP1110913.JPGP1110911.JPGP1110914.JPGP1110908.JPG

和歌 宗徳

和歌 宗徳

紙本 墨筆

P1110917.JPGP1110916.JPGP1110918.JPGP1110915.JPG

渓仙 富田渓仙 鶴の図 短冊

渓仙 富田渓仙 

鶴の図 絹本肉筆 短冊

富田渓仙
(富田溪仙)
Keisen Tomita

日本画

1879 ( 明治12 )〜 1936 ( 昭和11 )

本名:鎮五郎
号:溪仙(渓仙)、溪山人(渓山人)、別号)久鼓庵、久鼓山人

【出身地・師系】
福岡県博多/都路華香。

【略歴詳細】
12月9日生。狩野派スタイルより18歳で京都に上京後伏見住んで渓仙を号し、都路華香に四条派を学ぶ。その傍らキリスト教や老荘思想などを研究し、独自の画風を築く。また仙崖、鉄斎との親交の後、更に自スタイルを構築する。
明治32年には院展に「鯉」を出品、新古美術展に「隠者」を出品し1等褒状を受賞。38年読売新聞社懸賞展で「明治三十年史画」で入選、大正3年には日本美術院同人に推薦。昭和10年帝国美術会員となる。が翌年、平生再改組に反対し辞会する。
代表作に「万葉春秋」など多数。
昭和11年7月6日56歳で没する。
公定鑑定は東京美術倶楽部

〔主な作品所蔵館〕
東京国立近代美術館/京都国立近代美術館/京都市美術館/茨城県近代美術館/新潟県立近代美術館/豊田市美術館/山種美術館/石川県七尾美術館/福井県立美術館/滋賀県立近代美術館/愛媛県立美術館/福岡県美術館/大和文華館/佐久市立近代美術館/福岡市美術館/北野美術館など

〔印 名〕
「渓山人」(「溪山人」) 「久鼓巣」 「久鼓子」 「渓仙菴」(「渓仙庵」) 「道叟樓主」 「谷山系人」 「嵯峨溪庵」(「嵯峨渓庵」) など

〔市場評価〕★★★★★〔美年鑑評価〕3500万

P1110935.JPGP1110932.JPGP1110933.JPGP1110936.JPGP1110931.JPG


2015年04月01日

日々是好日 寶林 (宝林) 禅語 一行書

売切れ御免


日々是好日 寶林 (宝林) 禅語 一行書


紙 本



日々是好日(雲門広録)  日日(にちにち)是れ好日(こうじつ)


 中国唐時代の雲門文偃(ぶんえん)禅師の語で知られる。

雲門禅師はある日、大勢の弟子たちに向かって「十五日以前のことはさておき、

これからの十五日以後の心境を一言でのべなさい。」とたずねた。だが誰もすぐに

返答が出来ずにいると雲門は自ら、即座に「日々是好日」と答えた。

 この語を文字通りに解釈すれば「毎日が平安で無事の日である」

と云う意味であるが、単に毎日がよい日であるのでは禅的解釈

にはならない。雲門はなぜ「日々是好日」と云ったのかに疑問を

抱き、その心を解くところにこの語の教えがあり真意があるのだ。

 「十五日以後の心境を」を問われた弟子たちは皆、十五日後に

答えることを考えたことだろう。しかし、雲門は自ら十五日と云う

期間を示しながら、実は即今、即座の答えを求めていたのだ。

無常迅速 時人を待たずである。親鸞聖人は「明日ありと思う心の

あだ桜夜半に嵐の吹かんともかな」と歌われているように、

「今ここで自分の境地が述べられなくて、一体いつ言うときがあるのか。

無常迅速、時人を待たずであり、はたして明日と云う時があるとは限らないでは

ないか? この一瞬のところを大事にせよ」
と云うこと教え示した言葉が「日々

是好日」なのである。平々凡々、何事のさわりの無い穏やかな日々だけが「日々

是好日」ではない。

 多くの人は「今日も一日よい日でありますように」と願い、無事を願う。

しかし現実はその願いの通りにはいかないで、雨の日、風の日があるように様々な

問題が起き、悩ませられることばかりかもしれない。しかし、どんな雨風があろう

とも、日々に起きる好悪の出来事があっても、この一日は二度とない一日であり、

かかけがえの無い一時であり、一日である。この一日を全身全霊で生きることが

できれば、まさに日々是れ好日となるのである。

 好日は願ってえられるものではなく、待って

かなえられるものではない。自らの生き方に

日々に好日を見出しえなければならないのだ。

時の時とするときは来ない、只座して待つので

なく主体的に時を作り充実したよき一日一日と

して生きていくところにこの語の真意がある。

P1110922.JPGP1110920.JPGP1110921.JPGP1110923.JPGP1110924.JPGP1110919.JPG
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