毎年、10年にもなるが、熊本地震があったにもかかわらず、防災というと非常食と水の確保を・・・
命があってのこと。
木造住宅は1階に寝ることで大地震で命を落とす可能性が極めて高いという事実がある。
つまり、対策は耐震改修ではなく、ただ、2階で寝るだけ。毎日。
こんな単純なことも教訓として常識化しないで、ただ、祈る姿を垂れ流すことに何の意味があるのだろうか?
Yahoo!より、
妹よ、姉ちゃんはもう泣かない 2歳の面影 楽しい思い出ばかり
3/11(木) 3:00配信
毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/87aa3597bb78002523591c6818fe229fc3d482a4
記事より、
10年前の「あの日」。地震が発生した時、幼稚園から帰ってきたばかりだった佐藤花暢(かのん)さん(14)は、妹の依織(いおり)ちゃん(当時2歳)と祖父母との4人で福島県相馬市原釜の自宅にいた――。
その自宅は今はない。海岸から約300メートル離れた跡地は災害危険区域に指定され、周辺は公園や道路が整備された。当時の面影はほとんど残っていないが、「ここに来れば地震が怖くて依織と2人でこたつの中にもぐっていたことを思い出す」と振り返る。
自宅の外に出た清二さんが異様な波の音に気付き、4人を呼び出した。車に乗り込んで高台に避難しようと車をバックさせた時、ごう音とともに黒い波が押し寄せた。「2階さ上がれ!」。全員車から飛び出し、花暢さんと祖母みつ子さん(68)、凜香さんは2階に駆け上がったが、依織ちゃんとその手を引いていた清二さんが濁流にのまれ、引き離された。
津波はあっという間に1階の天井に達した。清二さんはどうにか2階にはい上がったが、依織ちゃんを見失った。何度も襲う余震におびえながら、4人は重苦しい夜を過ごした。翌朝、救助に駆けつけた自衛隊員に背負われた花暢さんは「何が起きたのか理解できていなかった」という。
依織ちゃんは、1階台所近くのがれきの下で見つかった。買ってもらったばかりのピンクのジャンパーを羽織ったその腕で、必死に何かをつかもうとするように伸ばしていた。まるで眠っているかのようだった。1カ月後の4月11日に3歳の誕生日を迎えるはずで、幼稚園に入るのを楽しみにしていた。依織ちゃんのひつぎには、幼稚園で使う予定だったカバンや帽子、クレヨンなどを納めた。
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