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2018年05月07日

豆と考える、人が神様の律法を守る方法!

教会は敷居が高いと考えている求道者の皆さん!
大丈夫です!

豆も最初は同じ、聖書をまずは全部読んでから行こうと躊躇したクチです。
でも、実際はまず聖書がぶ厚く、内容も面白くないので読み切れず、
教会に行ってから聖書のCDを買って聴き流しました。

今では一度耳で聞いたこともあり、教会のメッセージに参加したときなどに
ちゃんと紙の聖書を読むようになりました。
勉強も進み、少しずつではありますが、聖書が面白く感じ始めているところです。

そのような訳で、クリスチャンに興味のある方は是非、
教会に見学に行くことをオススメします。

教会の選び方を知りたいという方は気軽にコメントしておいてくださればお答えします。
あるいは追々、紹介する機会をいただくかもしれません。

*****

さて。
前回、多くの求道者、あるいは新規クリスチャンがぶち当たる壁に、

「頑張っているけれど、一向に祝福されている感じがしない」
だからイマイチ信じられない。続けられない。


というものがあることに触れました。

クリスチャンになる条件は、福音の三要素

を信じることなのです。

しかし、上記のような壁にぶち当たったとき、
そのような努力型クリスチャンの気(け)のある人は、

特に3つ目の「イエス・キリストが3日目に蘇った。」の箇所が
どうしても信じきれないというジレンマに陥ります。

そこで今日は、この「信じきれない」ということに対する癒しとして、
求道者の方や、新規クリスチャンの兄弟(妹も含む)の方に
豆的に理解したことを分かち合いたいと思います。

神様のことが嫌いでなければ、きっといずれかの楔が取れてくれると思うので、
少し長くなりますが、お付き合いください。

以下は、その内容です。

******

まず、「信じられない」ということがどういうことなのかをお話しします。

豆や、あなたのその「信じられない」という思いは、聖書的に言うと、
「人の基準では理解できない。」
ということになります。

ここで理解すべきポイントは2つです。
まず、一つ目のポイントは
「人の基準では」
という部分です。

そしてもう一つのポイントは、私たちが人の基準に立つ限り、
「(どんなに努力しても)理解できない。」
という真理です。

この2つ目のポイントは特に大切です。

まず、大前提として理解すべきことは
聖書は神様の基準で書かれているということです。

ですから、人の基準しか持たない私たちが聖書を正しく理解しようと思ったら、
まず、神様の基準が何かを学ばなければなりません。

ですからまず、そのためのヒントが書かれていると思われる聖書箇所を取り上げてみたいと思います。

1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神の憐みのゆえに、あなた方にお願いします。
あなた方の体を、神に受け入れられる、清い、生きた供え物としてささげなさい。
それこそ、あなた方の霊的な礼拝です。
2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ神の御心は何か、すなわち、何が良い事で、
何が神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって、自分を変えなさい。
(ロマ書12:1~2)


ここで、上記の2節、
「神の御心は何か、すなわち、何が良い事で、何が神に受け入れられ、
完全であるのかをわきまえ知るために、」


この部分をよく見ると、神様の基準がどういうものであるかが見えてきます。

実際にやってみると、

神の御心は何か、すなわち、何が良い事で、何が神に受け入れられ
完全であるのかをわきまえ知るために、」


ここで、上記のように赤字を追っていくと、神様の基準が、それを人の基準で見ると
1.良い事であり(それは)
2.神に受け入れられ(ること。それはつまり、)
3.完全である

のように見えることが理解できてくると思います。

以上を基にして、人の基準で生きる私たちが
どのようにして神様の基準で作られた聖書の御言葉、すなわち、神の律法を
守っていったらいいかを説明してみます。

少し前置きが長くなりましたが、ここから本論に入ります。

では、どうぞ!

■■■ 本論 ■■■

本来、キリスト教のメッセージというものは、前回の記事で豆が感じたように
信者を責めるものではありません。
信者を励まし、皆で喜び合うためのものです。

ちなみに、仏教は信者に戒めを与えてそれを守らせ悟りに導くものです。
ですからこれが仏教であれば、このように戒めを守っているかと信者を問い正すのは正解なのです。

キリスト教でもロマ書で律法の大切さが説かれていますが、仏教のように律法を守れとは教えていません。
聖書の御言葉の意味を正しく理解することは、人の自力では無理です。
(ですから、人の理解が少しでも神の基準、すなわち真理にに近づくようにするために、
クリスチャンの内には精霊が宿るのです。)

キリスト教で大切なのは信仰です。
そして信仰は、聖書の教えを頑張って守るものではなく、神様の恵みを信じて頼るものです。


そもそも聖書にある教えは、神様の基準で書かれたものです。
その聖書の教えを人の基準しか持たない人間がいくら頑張っても完璧に理解できるはずがありません。
聖書、つまり神様の基準から外れたものは罪であり、罪を犯した者はアダムのように滅ぶのが
聖書の律法です。それは神様が儀であられるからです。

であれば、罪という病に侵され、神様の律法を理解できないままの人類は
罪の遺伝が消えない限り、これからもことごとく罪を重ねて滅ぶしかないのです。
しかし、そもそも弟である人類がそうなってしまったのは、人類の兄であるアダムが罪を犯してしまったからに他なりません。アダムの子孫である私たちにとって、その遺伝した病はどうすることもできません。

神様はそれを憐れみ、聖なる御子イエス・キリストを十字架による死刑にかけることで儀を通し、
私たちを許されました。

そして、私たちの態度とは関係なく、神様ご自身が自らそれまでの怒りとは態度を一変して、
一方的に恵みを与えてくださっているのです。

このことを聖書的には「神様との和解」または「神様との平和」ともいいます。



余談ですが、

ここでの「神様との和解」は決して、
人類がイエス・キリストという清い犠牲を捧げたから神様が許して下さったのではありません。

神様が、自ら一方的に、人類に対する態度を変えてくださったのです。
父なる天の神様は、天地を創造したときから人(アダム)が罪を犯し、このようなことになるのを
予見して、御子であるイエス・キリストを十字架の犠牲にすることを決めておられました。
それでもなお、私たちがかつての旧約時代から何度神様の御心を裏切っても
神様は私たちを儀に導いてくださいました。
自分達が今、何をしているかもわからないような私たちのために、
父は私たちの儀のために御子イエス・キリストを差し出し、イエス・キリストもまた
父に従って私たちの儀のためにその命を差し出してくださいました。

人の基準しか持たないが故に、神様に(神様の基準で)報いることもできない私たちのためにです。
一切の見返りを期待せず、私たちを導いてくださった父なる神様とその御子の深い愛を
豆は感じずにはいられませんでした。

繰り返しますが、
普通、その人が正しい人であっても、命を差し出す人はいません。
もし、憐れみ深い人であれば、命を差し出すことも起こらなくはないかもしれないでしょう。
でも、父や御子イエス・キリストが命を差し出した相手は、
罪という遺伝病に侵され、聖書の啓示にも応答することができない、今後も罪しかない私たちでした。
だからこそ、イエス・キリストの死は、父なる神様の怒りを鎮めるに値する儀とされたのです。

神様は、イエス・キリストを復活させ、次の仕事として私たちの大祭司という役目をお与えになりました。
そして私たち信者には、人であるキリストを復活させることで
その栄光を示すとともに復活の希望を与えてくださると同時に、後の携挙までの間、
私たちの内に精霊を遣わし内住させて、その賜物によって神様の恵みにアクセスし、
今まで私たちができなかった聖書の本当の意味を理解したり、神様からの恵みを
受け取れるようにしてくださいました。

このように私たち信者は恵みにアクセスすることによって、その性質を
より一層イエス・キリストに近づかせることができるようになりました。

イエス・キリストは人であると同時に神でもあります。

ですから、私たちがイエス・キリストに近づくことは、それだけ私たちが自分達の基準を
人の基準から神の基準に引き上げることに繋がります。
それはつまり私たちが、今の罪の病に侵されたままでも、精霊の賜物による
神の恵みへのアクセスをベースに、普段の生活を神の基準でできるようになるということです。
すると結果として、私たちは信仰をベースに精霊の賜物による神の恵みへのアクセスを保っている間は
神の律法、つまり聖書の御言葉の教えを自然に守り続けることができるようになります。

これが、キリスト教の神の律法の中を、基準で劣る人が罪を犯さずに渡っていける仕組みになります。

最初に豆は言いました。

頑張らなくていいと。

そう言ったのは、こういう訳だったからです。

少しでも兄弟(妹を含む)の皆さんの信仰への抵抗が癒され、
このメッセージが神様の恵みへ近づくための
希望になってくれたら嬉しいです。

どうぞ一緒に
大胆に神様の恵みに近づこうではありませんか!



おしまい。
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