2019年04月29日
天の富に対して良い管理人でいること
マタイの福音書25章14-30節の学び
GW最初の聖書勉強会の記録です。
以下が今日の聖書箇所でした。
25:14また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 25:15すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 25:16五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 25:17二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 25:18しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 25:19だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 25:20すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 25:21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 25:22二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 25:23主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 25:24一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。 25:25そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 25:26すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。 25:27それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。 25:28さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 25:29おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 25:30この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
討論会の記録
質問1.
しもべたちは同じ金額ではなく、それぞれが異なった金額を受け取っています。もしあなたがしもべの一人だとすれば、どう思いますか。どうして主人はしもべたちに異なった金額を与えたのだと思いますか。
→(自分の回答)
大きな額は大きな責任を表します。主人は、各々のしもべの能力に応じて金額を分配していると書いてあります。ですから主人は、私たちに対して個々のレベルに応じたベストを尽くすことを要求しているのであって、儲けの金額が要求の趣旨ではないと思います。
質問2.
どうしてこの主人は、しもべたちに自分の財産であるタラントを預けて出て行ったのだと思いますか。
→
5タラントと2タラントのしもべが財産を渡されてすぐにその運用を始めたことから、ここでは運用しなさいという趣旨がこの場全員のうちで暗黙のうちの共通認識であったと思います。
質問3.
もしあなたがこのしもべのようにタラントを預けられたとしたら、どうするでしょう。
→
減らすと怒られると思い、自分への責めの回避を第一に考えて、財産を大切に取っておく。
質問4.
5タラント、2タラントを与えられた人と、1タラントを与えられた人を比べると、その行動が違っています。
その違いはどこから生まれるものだと思いますか。
→
1タラントの人は、自分が罰せられないことを第一に考えた。しかし他の二人は主人を信頼していたので、
主人の思いを正しく汲みとって、主人がするのと同じ行動を行った。
質問5.
この例え話で、イエスは何を言いたかったのだと思いますか。
→
私たちに与えられた天の者は、その管理する能力も同時に与えられていると信じなさい。
私の生活への適用
この勉強会の直後、これまで自分がチャレンジしたが、その後今日まで放置になっているものを
このGWを利用して整理しようと思いました。
起業しようとして立ち上げたブログや、アフェリエイトしようとして立ち上げたブログなどが
それにあたります。
これらはイエスと出会う前に肉の思いによって始められたものであり、
天から与えられて始めたものと違ってそれらを管理する能力もまた肉によるでしょう。
しかしながらイエスを信じて罪を赦された私であるなら、私の過去の罪の記録は
無かったことにされたと(義とされた)と書いてあります。
であるならば、過去に立ち上げた過去のブログなども罪としては記録されておらず、
思いが一新された現在からこれらを見れば汚れたものであって
放置し、近づかないようにするのは当然だと思われます。
しかし、主のしもべとなった私には、これらの罪の遺産はむしろ
主の贖いによって私が得た清めの力を実践する場として好都合ではありませんか!
肉の思いから出たものだからとすっかり忘れていたものが
この勉強会の直後に思いの中に湧いてきたのは単なる偶然でしょうか。
否、そうではありません。
汚れているものを清く正そうする思いは、これまでの発想には無かったものです。
ではそれは誰が私の思いの中に入れたものですか。
それは聖霊に違いありません。
私が今持っている能力の聖性とのつじつまは主がこれから合わせてくださるはずです。
主は弟子たちにただ信じろと言うのではなく、
必ず証を持ってご自身の栄光を彼らが信じるためにセットでお示しになられました。
ですから、救われた結果、清めの使命と力を私が与えられたなら、私がそれを確信するための
清められるべき対象も与えられていなければおかしいのです。
さて、主の清めの栄光を表していくため召されたのなら
まずどこから清めるべきでしょうか。
それは自分の足元から始めるのが最も理に叶っています。
何故なら悪霊の攻撃の常套手段は、私たちの過去を引っ張り出してきて責め立てることだからです。
また足元というのは、その影響範囲はせいぜい自分とその周りのごく親しい間柄に限られます。
つまり、清めるべき対象として最もリスクが低い、難易度レベル1の場所なのです
起業が必要ならば、いずれ主がそう示されるでしょう。
ですから私はまず立って
自分の足元から主の次の御言葉が降るまでの備えをしておこうと思います。
それでは
恵に満ちた一週間を!
GW最初の聖書勉強会の記録です。
以下が今日の聖書箇所でした。
25:14また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 25:15すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 25:16五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 25:17二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 25:18しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 25:19だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 25:20すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 25:21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 25:22二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 25:23主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 25:24一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。 25:25そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 25:26すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。 25:27それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。 25:28さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 25:29おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 25:30この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
討論会の記録
質問1.
しもべたちは同じ金額ではなく、それぞれが異なった金額を受け取っています。もしあなたがしもべの一人だとすれば、どう思いますか。どうして主人はしもべたちに異なった金額を与えたのだと思いますか。
→(自分の回答)
大きな額は大きな責任を表します。主人は、各々のしもべの能力に応じて金額を分配していると書いてあります。ですから主人は、私たちに対して個々のレベルに応じたベストを尽くすことを要求しているのであって、儲けの金額が要求の趣旨ではないと思います。
質問2.
どうしてこの主人は、しもべたちに自分の財産であるタラントを預けて出て行ったのだと思いますか。
→
5タラントと2タラントのしもべが財産を渡されてすぐにその運用を始めたことから、ここでは運用しなさいという趣旨がこの場全員のうちで暗黙のうちの共通認識であったと思います。
質問3.
もしあなたがこのしもべのようにタラントを預けられたとしたら、どうするでしょう。
→
減らすと怒られると思い、自分への責めの回避を第一に考えて、財産を大切に取っておく。
質問4.
5タラント、2タラントを与えられた人と、1タラントを与えられた人を比べると、その行動が違っています。
その違いはどこから生まれるものだと思いますか。
→
1タラントの人は、自分が罰せられないことを第一に考えた。しかし他の二人は主人を信頼していたので、
主人の思いを正しく汲みとって、主人がするのと同じ行動を行った。
質問5.
この例え話で、イエスは何を言いたかったのだと思いますか。
→
私たちに与えられた天の者は、その管理する能力も同時に与えられていると信じなさい。
私の生活への適用
この勉強会の直後、これまで自分がチャレンジしたが、その後今日まで放置になっているものを
このGWを利用して整理しようと思いました。
起業しようとして立ち上げたブログや、アフェリエイトしようとして立ち上げたブログなどが
それにあたります。
これらはイエスと出会う前に肉の思いによって始められたものであり、
天から与えられて始めたものと違ってそれらを管理する能力もまた肉によるでしょう。
しかしながらイエスを信じて罪を赦された私であるなら、私の過去の罪の記録は
無かったことにされたと(義とされた)と書いてあります。
であるならば、過去に立ち上げた過去のブログなども罪としては記録されておらず、
思いが一新された現在からこれらを見れば汚れたものであって
放置し、近づかないようにするのは当然だと思われます。
しかし、主のしもべとなった私には、これらの罪の遺産はむしろ
主の贖いによって私が得た清めの力を実践する場として好都合ではありませんか!
肉の思いから出たものだからとすっかり忘れていたものが
この勉強会の直後に思いの中に湧いてきたのは単なる偶然でしょうか。
否、そうではありません。
汚れているものを清く正そうする思いは、これまでの発想には無かったものです。
ではそれは誰が私の思いの中に入れたものですか。
それは聖霊に違いありません。
私が今持っている能力の聖性とのつじつまは主がこれから合わせてくださるはずです。
主は弟子たちにただ信じろと言うのではなく、
必ず証を持ってご自身の栄光を彼らが信じるためにセットでお示しになられました。
ですから、救われた結果、清めの使命と力を私が与えられたなら、私がそれを確信するための
清められるべき対象も与えられていなければおかしいのです。
さて、主の清めの栄光を表していくため召されたのなら
まずどこから清めるべきでしょうか。
それは自分の足元から始めるのが最も理に叶っています。
何故なら悪霊の攻撃の常套手段は、私たちの過去を引っ張り出してきて責め立てることだからです。
また足元というのは、その影響範囲はせいぜい自分とその周りのごく親しい間柄に限られます。
つまり、清めるべき対象として最もリスクが低い、難易度レベル1の場所なのです
起業が必要ならば、いずれ主がそう示されるでしょう。
ですから私はまず立って
自分の足元から主の次の御言葉が降るまでの備えをしておこうと思います。
それでは
恵に満ちた一週間を!
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