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司馬遼太郎「歳月」と佐賀城本丸歴史館

今日は司馬遼太郎の「歳月」について書いていきたいと思います

簡単に言うと、明治維新の元勲として活躍し、佐賀の乱の首謀者として悲壮の死を遂げる江藤新平
その政治的ライバルであった大久保利通との確執を取り上げた小説です


私的に、この小説で興味深かったのは江藤にしても大久保にしても後世(現在はやや異なるかもしれませんが)では、ほとんど人気が無いどちらかと言うと悪役が似合う両人でぶつかり合うと言う、一見読む気にもならない題材であると思えること

もちろんどちらの心にも正義は有り真の意味で悪人ではなかったはずですが、
思うにどちらも天才で、しかも飛びぬけて天才であったため他人が見た場合その真意が分からず、大久保は陰湿に、江藤は冷徹に見えたのではないでしょうか

特に江藤新平は、周りの者が馬鹿に見えてしょうがないという癖があったと思われるが
逆に、自分の仕事に打ち込むあまり政治家でありながら政治を全く知らないと言う滑稽なほどのバカさ加減が、しかも自分の死期が迫っているのも気づかず復権を願うと言う
見方を変えれば愛すべきキャラクターに変わる、まさに司馬遼の文章のマジックですね

まあこの小説の解釈には色々な見方があるようで、私にはちょっと難しいのですが
一つ思ったのは、私の思考回路と少し似てるなと(レベルは全然違いますけど)


江藤新平について有名な逸話として、
佐賀藩校時代、当時試験で優秀な成績を修めたものは食費の半分を免除されると言う制度が有ったのですが、貧困を極めた江藤家ではその半分ですら食費を納めることが出来なかったそうです。ところが江藤は平気な顔で食事をし「自分は半食だから食事の半分は食べることが出来るはずだ。自分は大食いだから普通の人の一人前が半分だ。」と
言ってしまえば屁理屈なんですけど、後に大久保利通を論破し、対立する元になったと言うのも頷ける気がします


で、非業の最期を遂げた佐賀の地ですが、佐賀城跡は現在「佐賀城本丸歴史館」として一部復元してあり、「鯱の門」、「御座間(ござのま)」当時の建物も残されています

写真は鯱の門ですが、現在公園となっているこの場所に近年まで小学校がそのままあり、当然この門も校門として使われていたようです



この建物は御座間(ござのま)外観は綺麗に補修してありますが、建物そのものは当時のものだそうです
これは歴代の殿様の部屋だそうで、特に10代藩主で江藤新平を見出し中央に進出させた鍋島直正公においては、長崎警備の強化や藩士の教育と近代化のためにつくし
厳しかった藩財政を助けるために自らが倹約し贅沢な装飾等は一切無く質素なつくりです
この部屋に入ってまず思うことは、質素ながらも荘厳さがあり妙に落ち着く事で、藩侯のセンスが伺えます

少し長くなりましたので続きは明日に持ち越す事にします

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