2016年01月23日
妊娠中の体験 〜水っぽいおりもの!? 子宮頚管無力症と診断されるまで〜
最近周りが妊娠&出産ラッシュで、自分の時のことがよく思い出されます。
何らかの形で誰かの参考になれば…と、長文になりますが、思い出に浸りつつ書いてみようと思います。
今、4歳と2歳の子どもがいますが、上の子の前に初めての妊娠をしていました。
妊娠判明時から不正出血があり、同時につわりもひどかったので自宅安静を余儀なくされていましたが、
1ヶ月半仕事を休ませてもらった後に無事復帰でき、お腹の赤ちゃんも元気に育ってくれていました。
つわりは長引いていましたが、仕事も加減しながらなんとか普通の妊娠生活が送れるかなあと思い始めた妊娠19週目。
水のようなサラッとしたものが膣から流れるのです。
少量で、生理中に経血がサラッと出る感覚です。おりもの…?羊水…?
でも先日妊婦検診に行き、順調ですよと言ってもらったばかりだから、そんなはずはないだろうと思っていました。
ただでさえ切迫流産で初期に仕事を休ませてもらい、もう迷惑はかけられないと思っていたので、3日後の休みの日に受診しようと思っていました。
あとで思えば、異常を感じた段階ですぐ受診するべきでした。母親として当然の行為です。
結局、少量の水のようなおりものが何度かあり、2日後の夜、急に怖くなり産婦人科へ行きました。
看護師さんに検査キットでおりものの正体が羊水でないことを確認してもらい、ホッと一安心でした。
先生に電話連絡してもらい翌日もう一度受診してくださいという指示でした。
これもあとで思えば、羊水のチェックのみでこの時本当に異常はなかったのだろうか…先生に見てもらっていれば違ったのかしら…と思ってしまいます。
とりあえず一安心で自宅へ帰り一晩何事もなく過ごしました。
そして翌日朝一で受診すると、「これはいかん。お腹が張ったり何も感じなかったの!?」と先生に内診されながら言われました。
看護師さんと、「胎胞がでてるね」と話しています。
「あのね、あまり良くない状態だからこのまま入院してもらいます。お腹もだいぶ張ってるから点滴をするからね。」と。
私は動揺する気持ちを落ち着かせるように、「はい、はい、お願いします」と淡々と答えていたのは覚えています。
その後先生が点滴を刺しに病室に来て、「大丈夫、大丈夫だからね。」と言ってくれました。
その一言で私は「大丈夫!」と確信しました。
言われたとおり安静にしてればすぐに落ち着いてくれるだろうと。
しばらくすると主人が仕事を抜けて来てくれました。
先生から話を聞いて、「とりあえず今は安静にして、赤ちゃんの経過をみるしかないね。仕事も少し無理しちゃったんだろう、ちょっと入院してゆっくり休みな。」と声をかけてくれました。
その通りです。赤ちゃんが休養を与えてくれたのかなくらいに思っていました。
その後、夕方にかけて今まで感じなかったお腹の張りをジワジワ感じるようになりました。
子宮がかたーーくなり、そおっとお腹に手を当てると、赤ちゃんのまだ小さい身体が触れるのです。
これが子宮の収縮。
点滴から流れているのは陣痛抑制剤で、少しずつ看護師さんが量を増やしに来ます。
副作用として心拍数の増加があるようで、私の心臓は他の人に聞こえちゃうんじゃないかと思うほど、ドクドクいっています。
薬の量を増やしてもなかなかお腹の張りは良くならず、キューーーーーっという痛みに変わってきました。
しかもすでに10分〜5分おきの痛みになっています。
2度の出産を経験した今だから、それはすでに陣痛が始まっているということがわかりますが、当時は考えもしませんでした。
薬が効いてくれるまで私はこの痛みに耐えるだけ。赤ちゃん、頑張って!!!
そう思っていました。
そのまま夜を迎えましたが、痛みはピークを迎えていました。
朝が来たらきっと落ち着く。今を乗り切れば絶対大丈夫!
そう信じて、
ふー、ふー、とお腹に力が入らないように痛みを逃がしながら、ただ耐えながら朝が来るのを待つ…
痛くて痛くて、震えながら冷や汗が出ていたのも意識がもうろうとしている中、覚えています。
そんな中、痛みとともに便意を感じるのです。
不気味に感じる便意…そういえば2〜3日お通じがありませんでした。
こんな時に…と思いながらも便が出ればこの何とも言えない痛みも少しは良くなるかも。
そう思い看護師さんに浣腸を希望しましたが、負担がかかりすぎるということで却下されました。
この便意もあとから思えば、赤ちゃんが子宮頚管を降りてきていて肛門付近を圧迫していた証拠です。
何もわからず便意と勘違いし、この時ですらまだ、大丈夫!大丈夫!と本気で信じていました。
ここまでくると後はあっという間でした。
私は妊娠19週と5日目に、赤ちゃんを出産してしましました。
赤ちゃんがダメになるなんて、思いもしてなかったので、衝撃でした。
明け方の病院内に私の叫び声が響き渡ったことでしょう。
安定期に入った矢先でしたので、本当に信じられなくて、自分の浅はかさが悔しくてたまりませんでした。
その後対面させてもらった胎児は、たったの19週の命でしたが、小さくも可愛く閉じられた目があり、指先までしっかりしており、完璧な”人”のカタチをしていました。
冷たくなった我が子は一度も抱っこしてあげることもできず、そっと撫でてあげることしかできませんでしたが、しっかりママとパパの胸に焼きついています。
当時はこの子のことを忘れる日なんて一度もありませんでしたが、今や2人の子どもを授かることができ、幸せな生活を送ることができています。
毎日この子のことを思い出して涙することもなくなりました。
そのことがふと悲しくなることもあります。昔のように亡くなったあの子のことを思い出さなくなった…と。
しかし主人が言いました。
「あの子が望んでそうなってきたんだよ。悲しむことはないと思う。」と。
今でも年に数回は、2人の子どもを連れてあの子が供養されている母子像に参りに行っています。
結局、あの水っぽいおりものは何だったのか…はっきりしませんでした。赤ちゃんからのサインだったのは間違いありません。気づいた段階ですぐに受診していれば何か変わったのかもしれません。
お腹が張っているのにも関わらず何も感じないまま陣痛が始まってしまったので、最後に【子宮頚管無力症の疑い】と診断されました。
妊娠は正常なものばかりではありません。
上の子のことや仕事などいろんな縛りはありますが、何か異常や気になることを感じたら、何でも相談していいと思います。
すべては子どものため、当然ですが早め早めに対応することが大事ですね。
当時、病院には行かず【妊娠中 水っぽいおりものがでる】とかいうキーワードで必死でネット検索していました。
同じ過ちを犯して欲しくないので、こういう状況の方が読んでくれたらすぐに病院へいってほしいと心から願います。
何らかの形で誰かの参考になれば…と、長文になりますが、思い出に浸りつつ書いてみようと思います。
今、4歳と2歳の子どもがいますが、上の子の前に初めての妊娠をしていました。
妊娠判明時から不正出血があり、同時につわりもひどかったので自宅安静を余儀なくされていましたが、
1ヶ月半仕事を休ませてもらった後に無事復帰でき、お腹の赤ちゃんも元気に育ってくれていました。
つわりは長引いていましたが、仕事も加減しながらなんとか普通の妊娠生活が送れるかなあと思い始めた妊娠19週目。
水のようなサラッとしたものが膣から流れるのです。
少量で、生理中に経血がサラッと出る感覚です。おりもの…?羊水…?
でも先日妊婦検診に行き、順調ですよと言ってもらったばかりだから、そんなはずはないだろうと思っていました。
ただでさえ切迫流産で初期に仕事を休ませてもらい、もう迷惑はかけられないと思っていたので、3日後の休みの日に受診しようと思っていました。
あとで思えば、異常を感じた段階ですぐ受診するべきでした。母親として当然の行為です。
結局、少量の水のようなおりものが何度かあり、2日後の夜、急に怖くなり産婦人科へ行きました。
看護師さんに検査キットでおりものの正体が羊水でないことを確認してもらい、ホッと一安心でした。
先生に電話連絡してもらい翌日もう一度受診してくださいという指示でした。
これもあとで思えば、羊水のチェックのみでこの時本当に異常はなかったのだろうか…先生に見てもらっていれば違ったのかしら…と思ってしまいます。
とりあえず一安心で自宅へ帰り一晩何事もなく過ごしました。
そして翌日朝一で受診すると、「これはいかん。お腹が張ったり何も感じなかったの!?」と先生に内診されながら言われました。
看護師さんと、「胎胞がでてるね」と話しています。
「あのね、あまり良くない状態だからこのまま入院してもらいます。お腹もだいぶ張ってるから点滴をするからね。」と。
私は動揺する気持ちを落ち着かせるように、「はい、はい、お願いします」と淡々と答えていたのは覚えています。
その後先生が点滴を刺しに病室に来て、「大丈夫、大丈夫だからね。」と言ってくれました。
その一言で私は「大丈夫!」と確信しました。
言われたとおり安静にしてればすぐに落ち着いてくれるだろうと。
しばらくすると主人が仕事を抜けて来てくれました。
先生から話を聞いて、「とりあえず今は安静にして、赤ちゃんの経過をみるしかないね。仕事も少し無理しちゃったんだろう、ちょっと入院してゆっくり休みな。」と声をかけてくれました。
その通りです。赤ちゃんが休養を与えてくれたのかなくらいに思っていました。
その後、夕方にかけて今まで感じなかったお腹の張りをジワジワ感じるようになりました。
子宮がかたーーくなり、そおっとお腹に手を当てると、赤ちゃんのまだ小さい身体が触れるのです。
これが子宮の収縮。
点滴から流れているのは陣痛抑制剤で、少しずつ看護師さんが量を増やしに来ます。
副作用として心拍数の増加があるようで、私の心臓は他の人に聞こえちゃうんじゃないかと思うほど、ドクドクいっています。
薬の量を増やしてもなかなかお腹の張りは良くならず、キューーーーーっという痛みに変わってきました。
しかもすでに10分〜5分おきの痛みになっています。
2度の出産を経験した今だから、それはすでに陣痛が始まっているということがわかりますが、当時は考えもしませんでした。
薬が効いてくれるまで私はこの痛みに耐えるだけ。赤ちゃん、頑張って!!!
そう思っていました。
そのまま夜を迎えましたが、痛みはピークを迎えていました。
朝が来たらきっと落ち着く。今を乗り切れば絶対大丈夫!
そう信じて、
ふー、ふー、とお腹に力が入らないように痛みを逃がしながら、ただ耐えながら朝が来るのを待つ…
痛くて痛くて、震えながら冷や汗が出ていたのも意識がもうろうとしている中、覚えています。
そんな中、痛みとともに便意を感じるのです。
不気味に感じる便意…そういえば2〜3日お通じがありませんでした。
こんな時に…と思いながらも便が出ればこの何とも言えない痛みも少しは良くなるかも。
そう思い看護師さんに浣腸を希望しましたが、負担がかかりすぎるということで却下されました。
この便意もあとから思えば、赤ちゃんが子宮頚管を降りてきていて肛門付近を圧迫していた証拠です。
何もわからず便意と勘違いし、この時ですらまだ、大丈夫!大丈夫!と本気で信じていました。
ここまでくると後はあっという間でした。
私は妊娠19週と5日目に、赤ちゃんを出産してしましました。
赤ちゃんがダメになるなんて、思いもしてなかったので、衝撃でした。
明け方の病院内に私の叫び声が響き渡ったことでしょう。
安定期に入った矢先でしたので、本当に信じられなくて、自分の浅はかさが悔しくてたまりませんでした。
その後対面させてもらった胎児は、たったの19週の命でしたが、小さくも可愛く閉じられた目があり、指先までしっかりしており、完璧な”人”のカタチをしていました。
冷たくなった我が子は一度も抱っこしてあげることもできず、そっと撫でてあげることしかできませんでしたが、しっかりママとパパの胸に焼きついています。
当時はこの子のことを忘れる日なんて一度もありませんでしたが、今や2人の子どもを授かることができ、幸せな生活を送ることができています。
毎日この子のことを思い出して涙することもなくなりました。
そのことがふと悲しくなることもあります。昔のように亡くなったあの子のことを思い出さなくなった…と。
しかし主人が言いました。
「あの子が望んでそうなってきたんだよ。悲しむことはないと思う。」と。
今でも年に数回は、2人の子どもを連れてあの子が供養されている母子像に参りに行っています。
結局、あの水っぽいおりものは何だったのか…はっきりしませんでした。赤ちゃんからのサインだったのは間違いありません。気づいた段階ですぐに受診していれば何か変わったのかもしれません。
お腹が張っているのにも関わらず何も感じないまま陣痛が始まってしまったので、最後に【子宮頚管無力症の疑い】と診断されました。
妊娠は正常なものばかりではありません。
上の子のことや仕事などいろんな縛りはありますが、何か異常や気になることを感じたら、何でも相談していいと思います。
すべては子どものため、当然ですが早め早めに対応することが大事ですね。
当時、病院には行かず【妊娠中 水っぽいおりものがでる】とかいうキーワードで必死でネット検索していました。
同じ過ちを犯して欲しくないので、こういう状況の方が読んでくれたらすぐに病院へいってほしいと心から願います。
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