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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年05月07日
信長とキリスト教
織田信長は映画や記録等から見ると、南蛮物の鎧を着て、いつも黒人を一人側に侍らせ、キリスト教の布教を容認し、宣教師達とも付き合い…。

ともすれば、キリスト教信者なのかと思われるような動きを見せています。

しかしながら、彼は紛れもなく仏教徒です。

比叡山の焼き討ちなどから、彼は仏教を憎んでいたとか無神論者だという見かたをされる方もおられますが、恐らく、それは間違いと思います。

彼は何よりも現実主義者、合理主義者なんですよね。

彼が比叡山を焼き討ちにしたのは、恐らく、人の魂を救うのが坊主の役目であるにも関わらず、武装して浅井、朝倉をかくまっているという状況が許せなかったのでしょう。

当時の比叡山は仏教の日本における聖地ですし、そこに胡坐をかいてやりたい放題の坊主どもに我慢がならなかったんだと思われます。

比叡山側としては仏教の聖地に攻め込んでくる奴などいないなんてたかをくくっていたんでしょう。

それが、比叡山焼き討ちにつながったんでしょうね。

信長という男は昔からの権威などは殆ど気にも留めない男だったんでしょうね。

それよりも、今現在坊主がどういう動きをしているのか、本来の仕事をちゃんとこなしているのかという所に主眼をおいて、本来あるべき姿ではない坊主どもを討伐したというのが彼の考えではないでしょうか。

この比叡山の焼き討ちはものすごい規模を焼いたという説と、実はちょっとだけ焼いたのみとう説とあるそうですが…。

その話はまたにして、本題に戻します。

また、キリスト教を保護しながら、彼自身は洗礼を受けていませんね。

キリスト教は異国の文化ですので、当然異国人達が広めるのですが、彼等は当時の日本に無いものを数多く持っていました。

例えば地球儀、望遠鏡、もちろん鉄砲、大筒等々。

そういった物や技術を手に入れる為に付き合っていたんでしょうね。

そのあたりはいかにも合理的な彼らしいです。

ここまで私のブログを読んで下さった方々は「キリスト教信者ではない事はわかったが、仏教徒かどうかは判らないのでは?」と思われるでしょうが…。

私が仏教徒であると考える一番の要因は、安土城にあります。

信長は安土城を築城するにあたって、その中にハ見寺(ソウケンジ)という寺を建立しています。

建物は近隣の社寺から多くの建物を移築して建立したようですが…。

仏教徒で無い人が城の中に寺を建てるでしょうか?

やはり彼は仏教徒だったと考えるのが自然かと思われます。

ちなみに…。

信長がキリスト教を気に入った理由として、もう1つあると聞いた事がありますし、私もそう考えているのですが、それは神が人であるという事です。

キリストが死んで神になった訳ですから…。

そこに信長は恐らく、自分も神になる事が出来ると考えたのではないでしょうか。

信長は恐らく、日本を統一していたならば、朝廷の帝に取って代わる事はしなかったと考えています。

そんな存在をも超える事。

神になる事を望んでいたのではないでしょうか…。

神になると帝の存在を超えてしまう訳ですし、そうなると帝に取って代わる意味が無くなりますし、もっと言うとわざわざ帝を廃さなくてもいい訳です。

神になりたかった男…。

私は信長をそう見ています。

2010年05月03日
龍馬伝18話を見て
とうとう、武市の周りに暗雲が垂れこめてきました。

来週か、再来週か…。

土佐勤皇党は壊滅ですね。

以蔵の悲しい最後が近付いてきました。

今回の放送では、勝を斬りに来た以蔵が勝に気に入られ、用心棒をするくだりはなかなか気に入りました。

以蔵という男は本当はお人よしだったんだろうなと勝手に思っていた私としては、なかなかいい描き方です。

ちなみに、以蔵の用心棒姿はちょっとどうなん?って感じですね。

あの、人斬り以蔵があんなにおちつかない用心棒って…。

ちょっと笑いました。

また、将軍家茂が上洛しましたね。

京都守護職松平容保も出てきましたし、そろそろ新撰組も登場ですかね。

しかし、高杉晋作は出てこないんだろうか…。

龍馬伝のHPを見ても、高杉晋作はキャストに出ていない(字はありますが…)。

そういえば、新撰組なんかは字すらない。

出てくるのかな…。

新撰組好きの私としては、出てきてほしいのですが…。

近藤、土方、沖田だけでも出てこないですかね。

Posted by たか at 01:01 | 幕末 | この記事のURL
2010年05月01日
関羽の従者周倉
周倉(シュウソウ)という人物が三国志演義には登場します。

陳寿(チンジュ)の記した正史三国志にはその記述がいっさいありません。

この人、実は架空の人物とされています。

曹操(ソウソウ)の元から劉備(リュウビ)の所へ帰る関羽(カンウ)に臣従を願い出て、劉備の許しを得た事により、関羽に仕える事になるのですが…。

その最後は麦城(バクジョウ)に関羽と共に追い込まれ、突破を図った関羽と関平(カンペイ)の親子が孫権軍(ソンケングン)に捕まり、首を討たれた事を知ると、周倉はそのまま城壁から飛び降りて自殺したとなっております。
(たしか吉川英治氏の三国志では刀で自らの命を絶ったと思いますが…。)

関羽の従者となってからは片時も関羽から離れず、最後は関羽に殉じた男ですね。

架空の男だったからか、彼には「なんでやねん!!」ってツッコミたくなる逸話が伝わっています。

彼はかなり足が速かったそうです。

どれだけ速いかと言うと…。

1日千里を走る名馬赤兎馬に乗る関羽の横を、自らの脚で走ってついていったそうです。
(勿論戦場でも)

それを憐れんだ関羽が周倉に馬を用意するのですが、赤兎馬程の名馬はなかなかおらず、1日900里を走る名馬を贈ったそうなんですが…。

当然、1日千里走る赤兎馬には追い付かず、その差100里を馬を担いで、自らの脚で走って追いついたそうです。

んなあほな!!

また、その脚の速さの秘密を調べると、周倉の足の裏には毛が3本生えていたそうです。

この毛を抜いてしまった所、速く走る事が出来なくなったそうです。

う〜ん。

科学的根拠が全くないですね。

まあ、架空の人物ですから、あまり目くじら立てる事もないのかもしれませんが…。

そんな彼ですが、関羽を祀った関帝廟が世界各国のチャイナタウンには必ずありますが、必ず、関平と共に関羽の従者として祀られているそうです。

また、湖北省当陽県麦城村(コホクショウトウヨウケンバクジョウムラ)には、彼の墓があるそうです。

このあたり、周倉が人気があったととらえるべきか、中国人が観光スポットを増やすために強引に造ったと考えるべきか…。

何にせよ、この周倉は関羽が余りにも人気があり、「自分も関羽のそばで仕えたい」という中国人の希望を具現化したものなんでしょうね。

周倉に自分を重ねて…。

Posted by たか at 01:29 | 三国志 | この記事のURL
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