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2024年01月09日

横溝利一の『蝿』の執筆脳について3

 ところが鞭や喇叭が鳴らなくなった。馭者が居眠りを始めた。蝿は、梨畑を眺め、真夏の太陽の光りを受けた赤土の断崖を仰ぎ、激流を見下した。馭者の居眠りを知っていた者は、この蝿だけである。蝿は車体の屋根の上から、馭者の半白の頭に飛び移り、それから、濡れた馬の背中に留まって汗を舐めた。 
 一つの車輪が路から外れた。蝿は飛び上った。車体と一緒に崖の下へ墜落して行く馬の腹が眼についた。そして、人馬の悲鳴が高く一声発せられると、河原の上では、圧し重なった人と馬の塊りが、沈黙したまま動かなかった。眼の大きな蠅は、今や完全に休まったその羽根に力を籠めて、ただひとり、悠々と青空の中を飛んでいった。
 つまり、蝿と乗客の視覚情報は、全く異なるものになった。そして、順調に街に辿り着くと思っていたところに、突然、脱輪から滑落事故が起こり死亡するというフィナーレが来る。非線形ともいえるため、カオス理論に通じる作品と考えることができる。  
 その場に居合わせた人は、真実の理解からほど遠く、第三者、ここでは大きな目の蝿が真の理解者である。「蝿」の購読脳は、「蝿の眼と真実」にする。
 通常、五感情報の80%以上が視覚情報といわれる。片野(2018)によると、目で見たものは、物体から跳ね返ってくる光を受け取り物体の色や形、大きさ、立体感などを認識している。大きな目の蝿が見たものは、物体から跳ね返ってくる光を受け取り物体の色や形、大きさ、立体感などの認識になっている。
 こうすると、「蝿」の執筆脳は、「観察と思考」と見なされ、心の活動を脳の働きと考えた場合、シナジーのメタファーは、「横光利一と観察としての思考」になる。
 埼玉県所沢市にあるトトロの森を舞台にしたアニメーションの監督、宮崎駿も森に生息する昆虫の眼から見た現実世界の観察を研究している。

花村嘉英(2020)「横溝利一の『蝿』の執筆脳について」より

横溝利一の『蝿』の執筆脳について2

2 「蝿」の思考によるLのストーリー  

 横光利一(1898−1947)は、場面のイメージが掴めるような感覚表現を用いて新しい文体を作り出し、新しい文芸時代のための貢献を試みた。ここでは、横光利一の「蝿」(1923)を題材にする。「蝿」は、眼の大きな一匹の蝿が蝿の眼で田舎の宿場の様子や乗客たちを分析するときの話である。無論、客観性を上げるためである。
 宿場には、街で仕事をしている倅が死にかけている農婦、荷物を持った駆け落ち組の若い男女がやってきた。さらに、母親に連れられた男の子、四十三歳で春蚕の仲買人をしている田舎紳士も宿場に加わった。 
二番の馬車は、10時に出る。馭者は、饅頭を腹掛けの中へ押し込み、馭者台に乗った。喇叭が鳴り、鞭が入る。眼の大きな例の蝿は、馬の腰の余肉の匂いの中から飛び立った。そして、車体の屋根の上にとまり直ると、漸く蜘蛛の網からその生命をとり戻した身体を休めて、馬車と一緒に揺れていった。初期値敏感性で見ると、蝿の目に映る馬車からの光景は、乗客と変わらない。 
 動物や昆虫から見た現実世界を描いた作家は他にもいる。フランツ・カフカである。「変身」は、起きたときに大きな害虫に変わっていたグレゴール・サムサがやはり虫の眼で家族の様子を観察している。観察している以上、視覚情報が重要である。

花村嘉英(2020)「横溝利一の『蝿』の執筆脳について」より

横溝利一の『蝿』の執筆脳について1

1 先行研究

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
 執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875−1955)、魯迅(1881−1936)、森鴎外(1862−1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923−2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
 筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。言語の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なおLのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
 なお、メゾのデータを束ねて何やら観察で予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

花村嘉英(2020)「横溝利一の『蝿』の執筆脳について」より

2023年05月04日

トーマス・マンとファジィ19

 最初に、Hans Castorp、Dr. Krokowski そして Joachim Ziemßen 三者の距離をファジィ化する。Dr. Krokowski の話し振りは、「かすかな声」、「穏や かな声」そして「飾り気がある」に分類される。また、Hans Castorp の病状に関する特徴は、「軽い」、「中ぐらい」そして「重い」である。それぞれメンバーシップ関数の推移が恣意的に選択される。また、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離に対してもメンバーシップ値を割り当ててみよう。
 次に、推論規則が立てられる。例えば、「Dr. Krokowski の声に飾り気 があって Hans Castorp の病気が軽けれは、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は遠くなる」という規則である。ここで、 和結合に対しては最小値の演算子が、共通結合に対しては最大値の演算 子が使用される。簡易的に一覧表を作ってみよう。実際に、具体的な数字を推論規則の前件にあてはめていく。そして、推論規則の後件を求めるために、次のような推論を適応する。「Dr. Krokowski の声に飾り気があり Hans Castorp の病気が中ぐらいならば、 Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は近くなる」。
 また、 「Dr. Krokowski の声が穏やかで Hans Castorp の病気が中ぐらいならば、 Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は中ぐらい」になる。 さらに、「Dr.Krokowski の声がとても小さいか、または、HansCastorpの 病気が軽けれは、Hans CastorpとJoachim Ziemßenのイロニー的な距離はかなり遠くなる」。その結果、イロニー的な距離に関するメンバーシップ関数は、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は、3.6mと計算される。

参考文献

花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る V2ソリューション 2022

トーマス・マンとファジィ18

 Dr. Krokowski が、Davos の療養所で行う講演や日常会話の中で用いる 音にまつわるイロニーの問題を考察してみよう。Hans Castorp、Dr. KrokowskiそしてJoachim Ziemßen 三者がおりなすイロニーの距離が対象になる。Dr. Krokowskiは、療養所の患者たちを前に定期的に講演会を開く。 Hans Castorpは、当初Dr. Krokowski の講演に居合わせた Chauchat 婦人が気になって、話の内容がつかめなかった。どうやらテーマは愛の力のよ うだ。純潔と愛の戦いは、まず純潔が勝利しますが、愛は死なずに生きており、暗がりの中で自らを満たそうとする。はたしてどのような形で愛は再び現れるのであろうか。愛は病気という形で現れると Dr. Krokowski は説く。こうした結論は、療養所にいる患者たちに対するDr. Krokowski 一流の気配りである。しかし、Hans Castorp は、健康を自負しており、 次回から講演会に参加する気にはならなかった。そのため、カタルを患うJoachim Ziemßenとの距離は、比較的遠いといえる。
 ここで問題となるのは、Dr. Krokowski の話し振りである。引きずるよ うな柔らかい感じの “r” を遠方から聞こえるかのように鳴らすバリトンのため、舌音と唇音の間に薄い母音を伴う1.5音節の彼の“ Liebe”は、 水気の多いミルクのように何やら青白い気の抜けたイメージのものとなり、Hans Castorpには不快でならなかった。それもあってか、講演後、 Hans Castorp は、Joachim Ziemßen に Dr. Krokowski の話しはさほど満足のいくものではなかったと語っている。
 療養所は、午後安静療養の時間になる。Hans Castorp が Dr. Krokowski と対話をする場面がある。バリトンで柔らかい引きずるような何か飾りをつけた異国風の口蓋音 “r” に特徴がある Dr. Krokowski の話し振りは、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離にも影響を与える。「我々の関係は新しい段階に入りました。つまり、あなたは、客人から同胞 (Kamerad)になったのです。私の目にはカタルを患っているように見え ます」と Dr. Krokowski は説明する。Hans CastorpとDr. Krokowski の距離が同胞となったことにより、Hans Castorp とJoachim Ziemßen は、同じ病気(カタル)を患う療養所の住民という関係になった。つまり、二人のイロニー的な距離は近づいてきた。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ17

 先にも述べたように、イロニー的な距離とは、物事を正確に把握すると同時に批判的にも捉えることができる間隔のことである。Hans Castorp と Chauchat 婦人の距離(3.4 m) に関するメンバーシップ値を割り当てると、近いは0%、中ぐらいは60%、遠いは 40% になる。ここで、注意するべきことは、この値が単なる物理的な距離ではなく心理的な距離も表している点である。次に、ファジィ化で算出したメンバーシップ値に推論規則を適用する。推論規則は、日常の経験に基づいている。例えば、距離が近ければ離れ、中ぐらいならばそのままで、遠ければ近くなる。
 また、結合演算子も問題になる。問題を短時間で解決するために、和結合には最小値の演算子が、共通結合には最大値の演算子が適用される。そして、最後に、出力の部分集合のメンバーシップ値が計算される。これは、結論を導くためのメンバーシップ値に対する前提から引き継ぐことになる。個々のファジィ集合には、最低一つの推論規則が必要である。出力値のメンバーシップ値は、高い方できられる。これは、最大/最小の方法と呼ばれており、出力となるメンバーシップ関数の各ファジィ 集合に対して、その結果となるメンバーシップ値を移行する方法である。 この方法によるメンバーシップ値の推移は、恣意的な選択である。調節の必要があるイロニー的な距離の値は、脱ファジィ化において算出される。
 脱ファジィ化は、ファジィ的な事柄を具体的な数や値に変換する。 一般的に、重心に基づいた脱ファジィ化が経験に見合った結果をもたらしてくれる。ここでは、「遠近の混合器」においてどのくらいの距離が調節されなければならないのかを確定する。脱ファジイ化の方法として、 最大値の中間を取るものが採用される。これは、出力集合の最大値の中 間にあたる横座標の値を出力値として使用する方法である。物理的で心 理的な距離を測定する場合、置かれた状況によって数字の持つ意味が異 なることは、主観的な印象や個人の経験に基づいて理解できる。求められたイロニー的な距離は、4mになる。但し、部分的な平面のオーバーラップは、顧慮されていない。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ16

 Hans CastorpのChauchat婦人に対する距離(3.4 m) をファジィ化する。考察される特徴は、「近い」、「中ぐらい」そして「離れている」である。最初に個々のファジィ集合を確定し、次にメンバーシップ関数の推移を恣意的に選択する。ファジィ化では、所与の事柄に対してメンバ ーシップ値を割り当てることが重要になる。また、メンバーシップ関数の推移は、後で修正することができる。
 Hans Castorpは、Chauchat 婦人の脇に座り、謝肉祭を祝う療養所の住民たちの舞踏会を見物する。Chauchat 婦人は、Hans Castorp がかねてから興味を持っていた女性であるる。会場でChauchat 婦人を見っけたHans Castorpは、彼女が謝肉祭用に着飾っていることに気がつく。衣装のことをたずねたりダンスに誘ったりもするが、彼女からは、色よい返事が 返ってこない。気を引こうとして得意のフランス語を使って話しかけてみると(Hans Castorpの二次記憶)、従兄弟の方はもう退場したけどあなたはまだここにいるのという返事。Hans Castorp は、ドイツ人に対して融通のきかない小事にこだわるイメージがあるのかと聞き返す。
 こうしたやりとりをしながら、Chauchat 婦人の隣に座っていることが Hans Castorp には夢のようで、まるで深い永遠の眠りに陥るかのような気持ちであった。一方、Chauchat 婦人は、ドイツ人をブルジョワ、ヒューマニ ストそして詩人として特徴づける。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ15

 経験や体験に基づいた記憶や学習から得た知識は、推論の土台になる。 ダホスの療養所に着いて間もないHans Castorpは、Joachim Ziemßenから 平地と異なる山の上の慣習について話を聞かされる。そして、ホールから出てくる二人が、主治医のBehrensと危うくぶつかりそうになる。 Behrensは、「おい、気をつけてくれ」と二人に言い、「お互いにとって 事が多少悪く運ぶ場合もあったぞ」と強いNiedersachsen (オランダと接 するドイツ北部)地方の方言で、くどくどした何かを嚙むような口調である。Hans Castorpは、Hamburg (北欧への玄関口)の出身で、発音などに特徴が出る方言による言葉の違いは理解できた。これは、記憶から呼び出す際に似ている音声を誤って取 り違えてしまう一次記憶の特徴であろう。
 また、二次記憶は、似通った単語の意味を取り違えることを問題にする。Hans Castorpは、通常ダボスのメインストリートにある床屋で散発する。突然、好奇心の強い喜びが混ざった一種の驚きを伴う眩暈に襲われる。よろめきと欺瞞からなる言葉の揺れ動く二重の意味を持つ眩暈。「まだ」と「再び」が渦まいてもはや区別できなくなる。これは、眩暈により、時間の概念が識別できなくなるほどHans Castorpの二次記憶が支障をきたしている例である。
 三次記憶は、体にしみこんだ記憶痕跡が問題になる。Hans Castorpは、 3週間の予定で夏季休暇を過ごすため、ダボスに療養中のJoachim Ziemßenを訪問する。ダボス駅における再開の場面で、列車がまもなくダボス駅に到着する際に、「ハンブルクの声」を耳にする。Thomas Mannは、確かにJoachim Ziemßenの声によって方言の色合いを出したかったのであろう。実際に、Hans Castorpは、 Joachim Ziemßenを固有名詞として記憶にとどめており、これは、言葉の問題を越えた一種のエングラムの例と見なすことができる。Hans Castorpは、Joachim Ziemßenを二次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えていて、極めて短い時間でそのデータを処理している。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ14

 「計算文学入門」では、記憶とは、予め蓄えられた情報を必要に応じて呼び出すことができる能力としている。簡単に言うと、記憶には、 短期記憶と長期記憶がある。前者は、数秒から数分間蓄えられる情報であり、後者は、一生の間保存することができる情報である。
 短期記憶には、感覚知覚的なものと一次的なものがある。感覚知覚的な刺激は、数百ミリセカンドもない間にコード化され、重要な特徴を引き出せるように自動的に感覚記憶に蓄えられる。しかし、経験からもわかるように、たちまちにして忘れてしまう。短期間の感覚知覚的な記憶から継続的なものへ情報を移動させる場合、通常、感覚的なデータを言葉によりコード化する方法が採用される。一次記憶は、言葉によりコード化されたデータを一時的に取り出す際に役に立つ。この容量は、 感覚知覚的な記憶に比べて小さくなる。また、非言語的にコード化されたデータは、訓練によって一次記憶から継続的な二次記憶へと緩和される。(例えば、注意深く繰り返すこと。)
 長期記憶には、二次記憶と三次記憶がある。二次記憶は、継続的な大きい記憶システムである。一次記憶との組織上の違いは、記憶からデー 夕を呼び出す際に生じる間違え方によって明らかになる。一次記憶の場合、pとbのような音声的に似ている音の取り違えが問題になるが、二次記憶の場合は、類似した意味による単語の取り違えが問題になる。その 他の弁別特徴として、データ処理の時間を考えることができる。例えば、一次記憶は速く、二次記憶は遅くなる。二次記憶における忘却は、事前に学習されたことを通して学ぶべき題材に干渉することが原因となっている。つまり、こうした忘却は、物事が起こる前に反応する先走りによる障害から起こっている。先見的な障害は、学習したことに関す る多くの蓄えを自由に処理することができるため、重要な要素となる。 こう考えると、大部分の忘却は、予め学習したことに責任があるようだ。
 三次記憶において問題となるのは、記憶痕跡(エングラム)である。例えば、これは、固有名詞、読み書きの能力、医学的な理由で他のすべての記憶が失われたとしても、もはや忘れることのない手先の器用さなどのことである。三次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えられているこうした記憶痕跡は、極めて短い時間のデータ処理により際立ってくるようである。但し、二次記憶の中で著しく固まってしまった記憶痕跡も同じように扱うことができる。それ故、長期記憶のモデルは、二次記憶と三次記憶に相応する。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ13

a) ファジィ化
 曖昧でない値をファジィ集合へ割り当てることが問題になる。その値のファジィ集合に対するメンバーシップ値は、メンバーシップ関数が決定する。実際、メンバーシップ関数は、一つ一つ線的な流れによって証明される。例えは、Hans Castorpのある症状(めまい)との触れ合いを期待する度合を7とする。(ここでは簡単のために、期待を指数で表すことにします。)メンバーシップ関数が与えられると、結果として彼のイロニーは、ファジィ集合 「中ぐらい」の中で0.2、ファジィ集合「高い」の中で0.8になる。
b) 推論
 推論は、変数の結合規則により実行され、加工規則または生産規則としても表記される。例として、Hans Castorpの幼年時代を考えてみよう。両親が亡くなってから、祖父がなくなるまでの1年半、Hans Castorpは、祖父の下で生活した。Hans Castorpが祖父を見ている場面がある。「特別で半分夢を見ているようなそし て半分不安な感情、それが交互にやってきてしばらく留まり再び元に戻っていく。一種のめまいである。幼いHans Castorpは、以前から知っている こうした感情に触れることを期待し、そしてまた希望しました」。Hans Castorp の期待が高まり、突然その願望が姿を現すと、彼のイロニーは強くなる。
 ここで、和結合には最小値の演算子が、また共通結合には最大値の演算子が割り当てられる。そして、これまで記述したすべての規則を利用することにより、出力変数のメンバーシップ関数の都度の値が算出される。最大/最小の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、その都度算出されたメンバーシップ値によって部分的に灰色で区切られている。最大/積の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、 その都度算出されたメンバーシップ値によって算出される。
c) 脱ファジィ化
 脱ファジイ化は、様々なファジイ集合に割り当てられる出力変数の正確な値を算出する。つまり、曖昧な事柄を具体的な数字や値に変換していく。最大/最小または最大/積の方法によって数字が統合され、重心が算出される。

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プロフィール
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
プロフィール