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2023年10月24日

母と私

 母も 波瀾万丈の人生でした。小さい頃は 海藻を利用した蒸し風呂が流行って 多くの芸能人の人が訪れたそうで 革靴を履いていたそうです。しかし 太平洋戦争が勃発し 見る見るうちに 経営が傾き 生活が困難になって 家財やきものを売ってしのいでいたそうですが 父親が病で倒れ みかんをとって 道端で売ったりしたみたいで 病気がちな母親と弟2人食べていくには 時代があまりにも厳しく大変だった話をよく聞かされました。
 私が幼稚園の時まで 母は家にいましたが 小学生になると 働きに出たので 私は『鍵っ子』になってしまいました。夕方5時すぎに 帰ってきて 夕飯の支度のため スーパーへ買い物へいきました。私も一緒に付いていき ひと時の楽しい時間でした。中学生になっても 高校生になっても 一緒に買い物へいきました。
 ある日 母は 疲れて買い物から帰ると すぐに寝込んでしまったので わたしがかわって 食事の準備をしました。見様見真似で 肉を炒め
ピーマンやキャベツを切って 塩と胡椒を振りかけて 肉野菜炒めをつくりました。はじめて 包丁をにぎり フライパンを手にしたのに まるで 今までずっと して来たかのように 上手につくれたので 自分は天才じゃないかと 思いました。
 小学校5・6年の時 家庭科の時間に 料理学習があり はじめて 千切りキャベツをしたのに 勝手に手が動いて 見事な包丁さばきに
先生も友達 驚いて 周りに集まってきた記憶があります。 
 母は 食事の支度を済ませると 一旦寝て 夜中の2時ころ 置きだして 食事のかたずけや 洗濯物をたたみ 風呂に入って休みます。私も一旦寝て そのころ起きだして 朝まで勉強をしていました。時には 疲れている母に 肩もみやマッサージをしてあげました。そんな時 「おまえのような 優しい子は 女に騙されやすいから 気をつけなさい。」と 良く聞かさせていたので 『女って 恐ろしいものだ』と それからは 女性を見ないよう いつも地面を見るように 生活しました。

父と私

 中学校の2年生の時、再び あの病気のため入院するはめになった。なんで自分だけ こんな目に合うのだろうと これからずっとこの病気

を気にしながら 生きていかなくてはならないのかと いろいろと悩んだが 自分で体を鍛えていこうと考えた。

 たまたま 何かの本で『ブル−ワーカー』(1mくらいのバネのはいった金属の筒の両端にワイヤーの入ったビニルのひもが付いている)

の記事が目に止まった。写真の男性の太い腕が 羨ましくて こんな風になりたいと思った。裕福な家ではなかったので おこずかいというもの

なく、物理学の参考書がほしくて 床屋代としてもらったお金を使ったため 髪を伸ばしたままでいた。

 こんな風で 1万円以上もする『ブル−ワーカー』を買ってほしくて 母にたのんだが 父親に言えと言われ 大工をしていた父はつりが

好きで 夜な夜な釣りに行くときに ついて行った。

 港の岸壁に 橙色の夜光灯の下で 父と2人きりだった。私は見ているだけで 押し寄せては帰る小さな波を見ながら そのことを口にしよう

としたが 何も言えず そのまま家に帰っていった。

 母親に尋ねられたが 何も話さなかっとた伝えた。父はもともと 次男なのに 長男が戦争にとられ 高熱病で口がきけなくなった弟を

そういった学校へ通わしながら 自分も家具職人のところで働き技術を身につけて独立し 店を構えてきたのです。しかし 大量生産の

西洋家具に押され店を閉じ 大工に転向したのです。
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