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2023年12月12日

見えないものが 形になる

心って 見えないけれど その人の 顔や姿になって 現れますよね。いい人って やっぱり 顔を見ると
わかりますよね。60年以上 人間をやっていると 顔を見ただけで そのひとの 生きざまを 感じ取ることが
できます。筋トレ何かも 頭の中で あーいったムキムキの体に なりたいと思い続けた結果 バーベルやダンベルで鍛えることが 楽しくて おもしろくて いつの間にか 結構いい体つきに なっています。心の中の
形が 外にあらわれてくるのです。だから 筋トレやっている人って まじめで 堅実で 本当は 仲間に
混じりたいのだけれど シャイで引込思案かもしれません。でも 体が ムキムキになってくると 自信がでて
前向きになってきます。ギュッと体に力をいれると 嫌なことも吹き飛ばして パワーがみなぎってきます。
 不思議な事に こうなってほしいこととか 思い続けていると まわりが そのように変わり 手にしたい
物とかが 現れるようになります。だから 良いと思う事は あきらめずに 思い続けてみてください。
かならず 少しづつ 筋トレのように 次第に 結果が 現れてくるでしょう。人生は 筋トレのように 前向きに前向きに進めることが 大切です。

2023年11月10日

強壮剤=筋肉増強剤

50年ぐらい前 アーノルドシュワルツェネッガーが活躍していたころ ボディビルの雑誌に 食事の写真があって 皿の上に カプセルや錠剤だけが乗っていて これが 食事なのかと 驚いていたけど 現代の日本でも
一般の人が サプリメントとして 普通に飲める時代になって すごいなあと思う。でも あまりにも 種類が多く どれを飲んだらいいのか 迷いますよね。そんな時 アソコにきく 強壮剤の中身を調べると 筋肉増強
に必要なものが 同じなんですよね。アソコだけにきくのではなく 全身にきくのです。もちろん タンパク質と 筋トレと休養が なくてはなりませんけどね。いろいろ 試してみて 自分の体にあうものを捜すのも いろいろなものがあって 楽しいよね。何事も たのしく 面白くが 長続きのコツだよね。
今 チョコザップ というのが 流行っているけど 一日5分でも 筋トレしよう というコンセプトは 素晴らしい! ダンベルに触るだけでもOK.。そうやっていくと こころも軽くなって 自然に続けられると思う。

2023年10月25日

夜明けの一番星にVサイン

 専門学校は入学した当時は 教室にいっぱい生徒がいましたが 1学期が終わるころには 半分になっていました。どこかの会社の息子さんが多く 授業中に抜け出しては 茶店で だべってはインベーダーゲームに夢中になって時間をつぶしていました。テストが近ずくと 「ノートをコピーさせてくれ。」とか「教科書のA4の図面をA2の大きさに書き写したのを コピーさせてくれ。」とか よく頼まれました。
 2年目になると 卒業設計というのが 大変で 卒業できない人が多く まわりは ドラフターをもっているので羨ましくおもいました。私はA2の大きさの画板とT定規・三角定規を使って ベンチプレス用のベンチのラックに乗せて ベンチをまたぐように座って 図面をかきました。成人式にも参加できず とにかく卒業できるようにがんばりました。
 風邪をひいて 熱があっても 新聞配達は1日も休みませんでした。そのかわり 学校には行かず寝込んでいました。お陰様で 成績は2番だったたので 卒業式に 成績優秀者で壇上にあがり 賞状をいただきました。服はジャージしかなかったので 仕方ないかと思っていましたが、母親が 無理をして 背広を新調してくれ 卒業式に出るために 姉と一緒に 大阪まで来てくれました。
 いよいよ新聞配達も最後の日になりました。ここ書いていない多くの出来事がありましたが いずれ機会があれば 書きたそうとおもいます。
最後の一軒に新聞をいれると 夜明けがかったそらに キラキラと輝く明星がありました。まるで 映画のワンシーンのようで 思わず Vサインを 突き付けて 「やったぞ!」と 心の中で叫びました。



手から はしがポトリ

 お店の人は 50代くらいのご夫婦と小学3年くらいの男の子がおり 奨学生が3人と従業員のちょっといかついお兄ちゃんで仕事をやっていきます。私は 1年間 新聞配達のバイトをしていたので あまりストレスなくなじむことができました。 
 奨学生の一人は 島根県出身の頭をリーゼントで固めたヤンキーな若者で もう一人は大阪出身の眼鏡をかけた背の低いお兄ちゃんで会計士を目指していていました。 大阪人の特性で 「面白い話をしたろうか。」と言って「犬がおってな 背中も白くて 尾もしろい。どうやおもしろいやろー。」と言って みんなをいつも 楽しませてくれました。
 朝4:00に起きて身支度をして4:30から折込チラシを約150部の新聞に入れ 自転車に積み 1時間半ぐらいで配って お店で朝食を済ませます。それから アパートに戻り 配達用の自転車に30分くらい乗って 専門学校へ行き 午後4:00ごろ帰り 同じところの夕刊を配ります。5:30から明日の折込チラシの準備をして お店で夕飯をたべて 近くの銭湯にいき アパートに戻ると夜の8:00になります。それから12:00ごろまで 勉強をしました。
 眠たくて 配達中 立ったまま何秒か眠ってしまい 手から新聞がポトリと落ちて目が覚めたり 食事中に ウトウトとして 手からはしが落ちたりしました。学校の授業はしっかり聞こうと 教鞭机の真ん前にすわり 黒板をしっかり写しては うつむいてウトウトしていました。







涙の巣立ち

 大阪へは 深夜2時出発の寝台夜行列車で向かいました。駅の近くに喫茶店が開いていて 父と母と姉と店に入って コーヒーを飲みながら
ただ 「元気でね」と言葉少なに会話を交わした後 深夜の誰もいないプラットフォームに家族で行って 列車が来るのをまちました。
 列車が静かに入って来て 「じゃ行って来るね。」と ひとり列車に飛び込みドアが閉まって 家族が見えなくなり ゆっくり走りだしました。その時 窓に母親がしがみつくように追っかけてくるのです。「まさはる・・・まさはる・・・」と声に出しながら。私は 涙で顔がぐちゃぐちゃになりながら 母親の姿を窓にへばりついて見届けました。父も母も 今は いませんが、このことを思い出すたびに涙で目が熱くなります。手相見る人が 「よく親から 離れられたね。」と言われたことがあって この状況が頭に蘇ったのを覚えています。
 3段になって肩幅くらいしかない冷たく硬いベットにうずくまって 止めどとなく流れる涙で眠ることなく ガタガタ揺られながら ようやく
大阪に着いたのでした。
 まだ朝の7時で 10時に○○新聞本社集合までに時間があったので  地下街の本屋さんで時間を過ごしました。さあ これからが本当の出発だと
決意を固めながら 新聞本社の会場に集まり いろいろな説明を聞いて それぞれの任地へ行くことになったのです。


 

でも肉体は 永遠ではない

 充実した いわゆる浪人生活を送っていました。しかし ふと この肉体は 永遠ではないと思うと とても空しくて 正に般若心経の教えのごとくでした。 
 それでも 懸命に筋トレと勉強と新聞配達のバイトをこなしていきました。
筋肉もある程度大きくなると それ以上大きくするには 簡単ではないのです。ボディビルダーになるわけでもなく それを職業にするにはまだまだ難しい世の中でした。ともかく この1年を セルフコントロールすることが目的なので 心の闇は見ないようにしてがんばっていたのです。
 急に体が大きくなると 下着や服がきつくなって ずーと ジャージ姿のままでした。バーベルのウエイトも150キロを使っていたので ある時
胸の上に下げた150キロのバーベルが持ち上がらなくて どーしようと サイドに安全ラックがなかったので 死にそうだったのですが ドーナツ型のウエイトをバーに差し込んだままで固定してなかったので バーをななめにして ウエイトをすべらして落として軽くしたので助かりました。慌てて安全ラックを買ったのをおぼえています。
 そうこうしているうちに 黄金の日々だった1年が過ぎ去り いよいよ大阪へ向かう日が近づいて来た時 母親がぽつりと「おまえも都会に染まっていくんだね。」と呟いた時 『絶対に染まったりしない。』と心に強く言い聞かせたのです。

 


黄金の日々

 普通高校で 卒業して就職しても そんなに思うような仕事などないだろうと思い 専門学校に新聞配達の奨学生を利用して行くことに決めました。親にも金銭的負担なく行けるし 高校の成績も 5段評価で平均4以上あったので 専門学校の試験も推薦入学できるので。そのことを親に話しました。 「ただ1年間 自宅で勉強と筋トレと朝に地元で新聞配達のバイトをしながら 自分で自分をコントロールできるように鍛えてから 来年 大阪の建築の専門学校にいきますので時間をください。」と。
 早速 朝1時間くらい新聞配達をして 朝、昼、夜に2時間の筋トレをして間間に高校の勉強の復習をしました。丁度 大河ドラマで『風は燃えた』というのを放送していて 目立たなかった風みたいな存在の 伊藤博文が明治の獅子として活躍していく内容でした。NHKのドラマでも
『黄金の日々』というのをやっていて 内容はよく覚えていないのですが 黄金の日々って まさに今の自分なのではないかなとおもいました。
なぜなら 筋トレに1日6時間費やして 勉強もしながら 自分で自分をコントロールする 充実した日々だったからです。身長165cmで体重
が83キロに達しました。アーノルド・シュワルツェネッガーと同じ時期に活躍していたフランコ・コロンボのように 身長160cmで体重92キロ
をめざして がんばっていたのです。 


ダンベルとバーベル

 結局 母が父親に口添えしてくれて ブル−ワーカーを買ってもらったのです。とても嬉しかったのですが 父親に溶け込めない自分が
いやだったのを覚えています。
 ブル−ワーカーが届いてから 説明書どうりに 毎日10分程度 運動しました。すると 見る見るうちに筋肉がつきはじめ 鏡を見るのが
楽しくて もっと運動に傾倒していき だんだん物足りなくなっていったのです。
 そして ボディビルという世界を知って どんどん引き込まれていきました。ちょうど あの有名な アーノルドシュワルツェネッガーが活躍していた頃でした。 そういった雑誌をとっていたので 有名な選手のポスターが付録に付いていたので 部屋じゅうに360度貼って楽しんでいました。
 高校生のころには 57キロだった体重が70キロぐらいになり 100キロのバーベルとダンベルのセットを買ってもらいました。
母親が筋肉が付いた私をみて「お前の 優しい顔に似合わない」ともらしていましたが もっともっと筋肉をつけたくて 毎日2時間くらい筋トレに 夢中になってしまい 大学進学を目指していたので 勉強時間のバランスに悩んでいました。部活はもともと大学受験のため 帰宅部(特定の部活に入らないで 授業が終わるとすぐ家に帰ること)だったので 筋トレに2時間も使っていたら 帰宅部の意味がないと思いながらも 筋肉を鍛えることが 楽しくて 面白くて ずるずると 時間が過ぎていきました。
 学校の成績も ぱっとせず 将来 科学者になって いろいろと研究して行きたいと 漠然と思っていたのですが この程度の能力なら この世の中に 五万といて 役に立たないだろうと 感じはじめていました。
 家も裕福ではないので 「家を売ってでも 大学へ行かしてやる。」と母親が言っていましたが 家族が露頭に迷ってまで 大学へ行くなど
私には できませんでした。




 

2023年10月24日

母と私

 母も 波瀾万丈の人生でした。小さい頃は 海藻を利用した蒸し風呂が流行って 多くの芸能人の人が訪れたそうで 革靴を履いていたそうです。しかし 太平洋戦争が勃発し 見る見るうちに 経営が傾き 生活が困難になって 家財やきものを売ってしのいでいたそうですが 父親が病で倒れ みかんをとって 道端で売ったりしたみたいで 病気がちな母親と弟2人食べていくには 時代があまりにも厳しく大変だった話をよく聞かされました。
 私が幼稚園の時まで 母は家にいましたが 小学生になると 働きに出たので 私は『鍵っ子』になってしまいました。夕方5時すぎに 帰ってきて 夕飯の支度のため スーパーへ買い物へいきました。私も一緒に付いていき ひと時の楽しい時間でした。中学生になっても 高校生になっても 一緒に買い物へいきました。
 ある日 母は 疲れて買い物から帰ると すぐに寝込んでしまったので わたしがかわって 食事の準備をしました。見様見真似で 肉を炒め
ピーマンやキャベツを切って 塩と胡椒を振りかけて 肉野菜炒めをつくりました。はじめて 包丁をにぎり フライパンを手にしたのに まるで 今までずっと して来たかのように 上手につくれたので 自分は天才じゃないかと 思いました。
 小学校5・6年の時 家庭科の時間に 料理学習があり はじめて 千切りキャベツをしたのに 勝手に手が動いて 見事な包丁さばきに
先生も友達 驚いて 周りに集まってきた記憶があります。 
 母は 食事の支度を済ませると 一旦寝て 夜中の2時ころ 置きだして 食事のかたずけや 洗濯物をたたみ 風呂に入って休みます。私も一旦寝て そのころ起きだして 朝まで勉強をしていました。時には 疲れている母に 肩もみやマッサージをしてあげました。そんな時 「おまえのような 優しい子は 女に騙されやすいから 気をつけなさい。」と 良く聞かさせていたので 『女って 恐ろしいものだ』と それからは 女性を見ないよう いつも地面を見るように 生活しました。

父と私

 中学校の2年生の時、再び あの病気のため入院するはめになった。なんで自分だけ こんな目に合うのだろうと これからずっとこの病気

を気にしながら 生きていかなくてはならないのかと いろいろと悩んだが 自分で体を鍛えていこうと考えた。

 たまたま 何かの本で『ブル−ワーカー』(1mくらいのバネのはいった金属の筒の両端にワイヤーの入ったビニルのひもが付いている)

の記事が目に止まった。写真の男性の太い腕が 羨ましくて こんな風になりたいと思った。裕福な家ではなかったので おこずかいというもの

なく、物理学の参考書がほしくて 床屋代としてもらったお金を使ったため 髪を伸ばしたままでいた。

 こんな風で 1万円以上もする『ブル−ワーカー』を買ってほしくて 母にたのんだが 父親に言えと言われ 大工をしていた父はつりが

好きで 夜な夜な釣りに行くときに ついて行った。

 港の岸壁に 橙色の夜光灯の下で 父と2人きりだった。私は見ているだけで 押し寄せては帰る小さな波を見ながら そのことを口にしよう

としたが 何も言えず そのまま家に帰っていった。

 母親に尋ねられたが 何も話さなかっとた伝えた。父はもともと 次男なのに 長男が戦争にとられ 高熱病で口がきけなくなった弟を

そういった学校へ通わしながら 自分も家具職人のところで働き技術を身につけて独立し 店を構えてきたのです。しかし 大量生産の

西洋家具に押され店を閉じ 大工に転向したのです。
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