2009年05月08日
小児科の中原利郎医師が1999年に過労の末に自殺した†
小児科の中原利郎医師が1999年に過労の末に自殺した†
小児科の中原利郎医師が1999年に過労の末に自殺した†
この事件で遺族らが勤務先である立正佼成会を相手に、
損害賠償を求めていた裁判の控訴審判決が2008年10月22日の
午後1時10分から、言い渡された。
東京高裁で行われた判決は過労の末の自殺にもかかわらず、控訴棄却であった。
弁護士の川人博氏は、この過労自殺事件の判決言い渡し直後に、
「まだ判決文を読んでいないので、暫定的なコメントである」と
断った上で、次のようにコメントをした。
「判決には、3つのパターンを想定していた。
(1)業務の過重性、病院の賠償責任のいずれも認めらない。
(2)過重性は認められるが、病院の賠償責任は認められない。
(3)加重性、病院の賠償責任のいずれも認められる。
これらののいずれかであった。
過労自殺事件が控訴棄却という結果となり、(3)ではないことが分かったが、
(1)と(2)のいずれであるかは、判決理由を読んでいないので、
現時点では分からない。
さらに、我々は中原医師の業務は過重労働であり、
病院の安全配慮義務違反に当たると考えている。
だからこそ、控訴した。
これが認められず、大変、不当な判決だ。」
この件をめぐる行政訴訟については、
2007年3月14日に東京地裁で判決があり、
中原氏の自殺は労災であると認定された。
その後、控訴はされず、判決は確定している。
しかし、同年3月29日の民事裁判の判決では、
業務の過重性は認められないとし、損害賠償請求は棄却された。
行政訴訟と民事訴訟が、正反対の判断をしたことで、
この日の高裁判決が注目されていた。
判決言い渡しはわずか30秒にも満たないものだった。
この記事の内容は判決当日の午後1時45分時点のものである。
日本では毎年、産婦人科医や小児科医の過労による自殺が続いている。
厚労省大臣」秘書官らしき人達や、厚労省幹部が収賄罪に問われる
ことは耳にしたような気がするが、官僚、大臣関連の
人達の過労死した噂は聞いたことがない。
少なくとも日本の医療システムは、
待ったなしの、せっぱ詰まった状況であ
り、厚労省次官と桝添大臣、総理大臣は、
総選挙に向けて、実現可能な打開策を行いなさい!
ブロガーの皆様、あなたの大切なお子様が、小児科医の診察を受ける時、
担当の小児科医が当直明けで、居眠りしながら適当に外来診療をして、
注射や内服の処方を間違えたら、誰を責めますか?
先日の東京の墨東病院、東大病院の臨月妊婦のたらい回しで、
悲しくも、悔しくも母子共に帰らぬ人となったのは、
例外ではなく、日常茶飯事になっているのを知っていますか?
今更でもありませんが、医師と看護師のの仕事は典型的なKKKなのです!
だからこそ、早急にKKKを止めさせてTTTにするのは国民の責任です。
ちなみにKKK=3K、TTT=3Tfr、前者はKitui,Kitanai,...、後者はTanosii,Tasukeru...の略語です。
もちろん、ブロガーの皆様が3K、3Tのもっとぴったりのコメを下されば、
今後のブログで使わせていただきますよ!
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