2011年03月10日
沖縄に残された空手
日が随分長くなりました。今年度もあと少しで終わりです。
連日、国公立大学の合格発表で一喜一憂しています。
昨日は神戸大学の合格発表でした。
職場に合格者が続々(でもないですが・笑)報告にやって来ては祝福の嵐でした。
そんな光景を見ながら、(この中で、間違ってでもいいから体育会空手道部に入ってくれる奴はおらんかなぁ)と、ありもしないことを一人考えていました。。。(笑)
さて、追いコンねたも一段落して、再び空手の話題に戻ります。
これまでの記事に書いてきた通り、中国拳法の影響を受け、沖縄で発達した「手(ティー)」は、その後本土へ伝えられることになりました。
ただ、その際、多くの技が欠落したまま伝えられたために、本土の空手と現在の沖縄に残る空手は様相が非常に異なります。
これを、沖縄の人たちは技を「隠した」という表現をすることがよくあります。
「型は教えても手は教えるな」という言葉があるように、形の流れ、順序は教えても、用法や身体操作は本土の人には教えず、秘密にしてきたと言われます。
しかしこの点については沖縄の空手家の中には反論する声もあります。
そもそも沖縄では、50年も60年もかけて修行して一つの技を磨いていくのに、本土の人はわずか数ヶ月程度沖縄に滞在して、空手の技を全て教えてくれとリクエストしてくる。
沖縄の先生方から見れば、「それは無理でしょう。」という話になるわけです。
それでとりあえず最低限のことは教えましたよという空手が、本土に伝わり、「これが空手というものだ」と一般に認識されているという見解です。
沖縄では、修行の段階に応じて、一つの形の演武も初球、中級、上級と分かれており、上達するにつれて、技の出し方を変えると言われます。
そういう意味では、流祖・摩文仁賢和先生が、東恩納寛量先生にわずか数年ほど指導を受け、その後本土に広められた那覇手は、沖縄の先生方から見れば、それはまだまだ初球、中級レベルだよということもあるそうです。
小生にはどの見解が正しいかはわかりませんが、ともかく本土の空手と沖縄の空手が様相という点で大きく異なるのは間違いありません。
そしてここ数年、小生が個人的に強い関心を持って勉強させていただいているのが、この沖縄に残された空手です。
昨年8月に沖縄遠征があり、早朝にアポなしで、ある道場を訪問しました。
そこは「空手博物館」を兼ねていました。下の写真をクリックすると「空手博物館」のサイトをご覧になれます。
朝、突然押しかけたにもかかわらず、道場主の先生がパジャマ姿のまま(?)丁寧に応対して下さいました。
そこには、本土の道場ではまず見られないような鍛錬器具が数多く置かれていました。
稽古の仕方からして、我々のやっている内容とは違います。
たまたまこの道場を海外に紹介する動画を見つけましたのでご覧下さい。
最後に、沖縄の空手によく見られる技法の数々をご覧いただきたいと思います。
特に前半の映像にご注目いただきたいのですが、これらは「逆技」と呼ばれる非常に面白いもので、競技空手オンリーでやってきた人には、こういう空手があったのかと新鮮に見える映像かも知れません。
彼らはまるで魔術師のようです。
空手にはこういう面もあるのです。
競技空手を引退したからといって、それで終わりではなく、もっと面白い部分が空手には残っています。
それを追求しないまま、空手から離れてしまうのはあまりにももったいないと思います。
先日の追いコンで4回生の皆さんに小生が言いたかったのは、沖縄に残されたこういう空手の醍醐味です。
連日、国公立大学の合格発表で一喜一憂しています。
昨日は神戸大学の合格発表でした。
職場に合格者が続々(でもないですが・笑)報告にやって来ては祝福の嵐でした。
そんな光景を見ながら、(この中で、間違ってでもいいから体育会空手道部に入ってくれる奴はおらんかなぁ)と、ありもしないことを一人考えていました。。。(笑)
さて、追いコンねたも一段落して、再び空手の話題に戻ります。
これまでの記事に書いてきた通り、中国拳法の影響を受け、沖縄で発達した「手(ティー)」は、その後本土へ伝えられることになりました。
ただ、その際、多くの技が欠落したまま伝えられたために、本土の空手と現在の沖縄に残る空手は様相が非常に異なります。
これを、沖縄の人たちは技を「隠した」という表現をすることがよくあります。
「型は教えても手は教えるな」という言葉があるように、形の流れ、順序は教えても、用法や身体操作は本土の人には教えず、秘密にしてきたと言われます。
しかしこの点については沖縄の空手家の中には反論する声もあります。
そもそも沖縄では、50年も60年もかけて修行して一つの技を磨いていくのに、本土の人はわずか数ヶ月程度沖縄に滞在して、空手の技を全て教えてくれとリクエストしてくる。
沖縄の先生方から見れば、「それは無理でしょう。」という話になるわけです。
それでとりあえず最低限のことは教えましたよという空手が、本土に伝わり、「これが空手というものだ」と一般に認識されているという見解です。
沖縄では、修行の段階に応じて、一つの形の演武も初球、中級、上級と分かれており、上達するにつれて、技の出し方を変えると言われます。
そういう意味では、流祖・摩文仁賢和先生が、東恩納寛量先生にわずか数年ほど指導を受け、その後本土に広められた那覇手は、沖縄の先生方から見れば、それはまだまだ初球、中級レベルだよということもあるそうです。
小生にはどの見解が正しいかはわかりませんが、ともかく本土の空手と沖縄の空手が様相という点で大きく異なるのは間違いありません。
そしてここ数年、小生が個人的に強い関心を持って勉強させていただいているのが、この沖縄に残された空手です。
昨年8月に沖縄遠征があり、早朝にアポなしで、ある道場を訪問しました。
そこは「空手博物館」を兼ねていました。下の写真をクリックすると「空手博物館」のサイトをご覧になれます。
朝、突然押しかけたにもかかわらず、道場主の先生がパジャマ姿のまま(?)丁寧に応対して下さいました。
そこには、本土の道場ではまず見られないような鍛錬器具が数多く置かれていました。
稽古の仕方からして、我々のやっている内容とは違います。
たまたまこの道場を海外に紹介する動画を見つけましたのでご覧下さい。
最後に、沖縄の空手によく見られる技法の数々をご覧いただきたいと思います。
特に前半の映像にご注目いただきたいのですが、これらは「逆技」と呼ばれる非常に面白いもので、競技空手オンリーでやってきた人には、こういう空手があったのかと新鮮に見える映像かも知れません。
彼らはまるで魔術師のようです。
空手にはこういう面もあるのです。
競技空手を引退したからといって、それで終わりではなく、もっと面白い部分が空手には残っています。
それを追求しないまま、空手から離れてしまうのはあまりにももったいないと思います。
先日の追いコンで4回生の皆さんに小生が言いたかったのは、沖縄に残されたこういう空手の醍醐味です。