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2018年04月05日
現実に向き合うこととは?言葉とは?深く考えさせてくれる良書です「ひとまず、信じない 情報氾濫時代の生き方」押井 守
映画「攻殻機動隊」で世界中に衝撃を与えた押井守さんの本です。
攻殻機動隊で描かれたのは、人々が電脳によって直接電子情報のネットに接続された社会で生きる人間の姿でした。現実の世界では電脳化はまだ実現していませんが、スマホによって多くの人間が間接的にネットに接続された社会にある今、未来を描ききった押井守さんの考えに触れておくことは価値があります!
どんな本だった?
序論から「どんな本か」を表す箇所を抜粋して紹介します。
<結論>
・不自由な人間として、本質を見極め、虚構と真実を手玉に取り、うまくやっていくしかないのである。
・もう少し、この肉体の中に閉じ込めておいて、その核が命じるものに従って生きて行くしかない。
<そのためのノウハウ>
・幸せになるためには何をすべきか
・社会の中でポジションを得ていくにはどうしたらよいのか
もう結論と内容が明確に示されていますが、当然ながら、これだけだと何がどうなのかという事は分かりません。
本論ではこの内容が具体的にかつ平易な言葉で示されていますので、押井守作品に触れたことが無い人でも良く分かるような構成になっていると思います。
押井さんの映画を見た時には「相当癖が強い奇才なのだろう」と勝手に考えていましたが、この本で受けた印象は、自分の思い込みとは全く異なるもので驚きました。
とても論理的で、現実的。「我が強い」というよりもむしろ「社会を一旦受け止めて、その中でどう生きるか」ということを考えているという印象。
他者への配慮もそこかしこに感じられます。
「俺はこうだから他人のことなんて知らない」なんて姿勢は微塵もないんです。
むしろ全然、普通。
内容だけでなく、著者の人間性にも好意が持てる本です。
読み終わる頃には、序論に書かれていた結論が「こういうことか…」と自然に理解できていると思います。
主張や論理構成などが普段考えていることに比較的近く、また、経営的な思考方法にも通じるものがあるなど、受け取りやすいものでした。
また、この本を読むことによって、思考の一部に新しいエッセンスが加えられるとともに、具体化・言語化されて収斂されたような感覚がありました。あ、言語化という言葉を使いながら、感覚って言ってしまうと嘘ですね。
さて、その中で強く印象に残った箇所を3つ紹介します。
強く印象に残った点
色々と示唆に富む内容のなかで、次の3つの事が強く印象に残りました。
・優先順位をつけるということ
・可能性とは何か
・結局は、言葉の問題だと思う。
それぞれ、少しだけ紹介します。
まず一つ目です。
・優先順位をつけるということ
最も重要なことを見極める。このことが人生において最も大事なことである。
この本の中では「優先順位を見極めることが重要だ」という指摘が繰り返されます。その背景にあるのは、「人生そのものや、また、自分が得られるものも全てに限りがある」という考えです。
逆に言えば、全てが無限にあるのなら何も考えなくていいし、優先順位も不要。ということは、話を展開すると、優先順位を付けられていない状態は「時間や資本が無限にあるという夢想の中で過ごしている」ということです。
ところが自分を振り返ると、確かに仕事や作業では優先順位は意識することが多いけれど、こと私生活や人生の生き方というものに関しては、優先順位を明確には意識できていないように感じました。
痛烈な指摘を受けた気がして、背筋がぞっとしました。自分は、時間も物も無限にあるような錯覚の中で日々を過ごしていたのだと。
・可能性とは何か
可能性という言葉について次のように触れています。
可能性をいつまでも留保するということは、いつまでも選択しないということであり、それは可能性がないということだ。可能性を担保し続けることは、可能性を殺すことなのである。
この言葉も刺さりました…。
今までは「可能性」という言葉に対して、何となく万能なイメージを持っていました。可能性とは無限大であり、「選択肢が無限にある=多くの可能性がある」若い人間にはそれだけで無限の価値があるというような認識を持っていました。
こんな考えを押井さんは一蹴します。押井さんの「可能性」という言葉の概念は、私のそれとは異なり、「何かが選択される前の状態」でしかないのだと受け取りました。
ああ、自分は「可能性」という言葉に翻弄されていたのだなと、痛みを伴う救いを受けた気がしました。
さらに押井さんは続けます。
そして可能性とはすべてを選択できることではなく、たったひとつを選択できるということなのである。
可能性とは、「何かが選択される」という結果が生まれた事後に「可能性があったね」と表現されるようなものでしかないという意味だと理解しました。だとすると、私が考えていた可能性という言葉の認識は改めなければならないと感じました。
しかし、同時にモヤが薄れていくような感覚がありました。
自分は「可能性」という言葉に振り回されていたのかもしれないなあと。
可能性とは、選択して初めて生じる過去の残骸でしかないのだ、実行しない「可能性」には何の価値もないのだということを肝に命じます。
・結局は、言葉の問題だと思う。
自由、平等、平和……。そういう言葉に振り回され、本来の言葉の価値を毀損しているのが、今の日本人の姿である。
押井さんの指摘は、今の日本の人たちが言葉の本来の価値を忘れ、言葉尻や勝手に思い込んだイメージに振り回され、その結果、言葉に込められた本当の意味合いを見失っているということです。
この点もとても納得できるものです。
偶然かどうかは分かりませんが、筑波大学助教の落合陽一さんが著書「日本再興戦略」の中で同様の問題提起をしていました。「今の日本語には明治時代に急ごしらえで整えた翻訳言葉がいくつもあり、今の日本人の変な価値観を規定している」と。
この問題提起は自分にとって相当に啓蒙的なものでした。違和感はどこかに感じていたものの、はっきりと言語化できていなかった事柄だったからです。
おそらく押井さんも同じ問題意識を持っているのだと思います。
押井さんはこの本の中で「胸の中の核が命じるもの従ってそれに対峙していくしかない」と書いています。おそらく「胸の中の核が命じるもの」は、無意識であれ有意識であれ、感覚的なものとしてしか姿を表さないものです。それも日常的に顕在化しているのではなく、他の意識の裏側や深いところに隠れていて、ふとした時に何かの拍子で顕になるものだと思います。
だからそれを自分という意識が正確に掴むためには、「それ」を言語化するしかない。
ですが、この言語=言葉が人々を振り回すような曖昧なものでは、決して「それ」を明確に受け取ることができないという事です。
この問題を押井さんは「結局は、言葉の問題だと思う。」と締めくくりました。
とても重い指摘です。
この本を読んで得た気付き
このブログを書いている目的の一つは、自分の文章力の向上です。
「結局は、言葉の問題だと思う。」という押井さんの言葉に重みを感じたと同時に、自分に一つの方向性が開かれた気がしました。
言葉の問題であれば、言葉と向きあえばいい。
言葉と真摯に向かいあうことを自分に課していく。
そんな気付きがありました。
普段何気なく使っている言葉の意味を一つ一つ吟味し、自分の胸の感情をどのようにして言語化していくか、どんな言葉が最もそれを言い表し、かつ、他の人間に刺さるのか。
この本は、それを追求していこうという情熱を燃やしてくれました。
この出会いに感謝します。
ちょっと長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
タグ:押井守
2018年01月06日
自分が見ていたつもりの世界を大きく揺らす本!「サピエンス全史(上)(下) 文明の構造と人類の幸福」ユヴァル・ノア・ハラリ
サピエンスとはホモ・サピエンス、私達人類を指した生物名です。
今でこそ人類は地球上で最も力を持った生物で70億もの人口を誇っていますが、15万年前には、アフリカ大陸の一隅でほそぼそと暮らしていた人類の一つの種に過ぎなかったそうです。
そんな私たちの祖先「ホモ・サピエンス」が、どのような力により他の人類種や多くの動物種を滅ぼし、地上を制覇することが出来たのか?という疑問を投げかけるところからこの本は始まります。
ホモ・サピエンスという名前は知っていたものの、ネアンデルタール人などとの差異などは全然知らない私には、生物史的なロマンがあって面白そうな本だなあ・・・ということで読み始めたのですが、読み進めるほどにぐいぐいと筆者の世界に引き込まれ、読み終える頃には自分が見ているつもりだった「世界」の姿を大きく揺さぶられてしまうという(あるいは引っくり返されてしまう)、凄い本でした。
訳者あとがきに次の文章が書かれています。
全く同感です。
歴史学上の事実を元にした著者の鋭い観察眼による考察・指摘は、今までに私が触れたことのないものばかりで、読んでいく度に目から鱗がぽろぽろとこぼれ落ちていくのを感じました。
読み進めていくうちに、全く違う角度から照らし出された世界の姿が次第に見えてくるんですね。
あるいは、これまでに自分が読んでいた本や触れた知見、体験的に感じていたことが「物事の成り立ちからシンプルに考えると、それはこうなんだ」という本書がもたらすヒントによって再整理され、見たことのない形に変わっていくような体感がありました。
本書では、15万年前から現在に至るまでのサピエンスの歴史において、大きく影響を与えたものとして次の3つの革命が挙げられています。
・認知革命
・農業革命
・科学革命
この中で最も私が興味深かったのは「認知革命」でした。
認知革命とは7万年前から3万年前にかけて見られたと考えられている、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことだそうです。広く信じられている説としては、偶然の遺伝子の突然変異により(※)、サピエンスの脳内の配線が変わり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったということだそうです。
(※原則として、動物の行動は基本的に遺伝子にコーディングされている能力の範囲に留まるのだそうです。)
ここで筆者が注目したのは、「虚構について語る」能力でした。
「ライオンはわが部族の守護霊だ」という架空の物事について語る能力が特徴的で異彩を放つと筆者は言います。
なぜ虚構を語る能力が特徴的なのか?その問いに対しては「集団で虚構を共有することで、生物が持っている集団形成の限界を突破できた」と説明します。
社会学的には、サピエンスの本来の能力的には150人程度の集団行動が限界なのだそうです。
それが「虚構」を共有することでその限界を突破し、大規模な集団を形成して行動することが可能になり、他の種に対して圧倒的な優勢を持つことが出来たというのが筆者の仮説です。
虚構というのは社会であったり、国であったり、宗教であったり、貨幣であったりと様々な形を取りますが、筆者はいずれも自然には本来無い、人間の想像の中だけにある存在であると説明します。そして、それらは非常に効率的に作用する機能であり「想像上の現実」として力を持っていると続けます。
この考え方に触れた時、私は脳内に電流がスパークするような錯覚を覚えました。
自分にとって(おそらく多くの現代に生きる人間にとって)存在することが当たり前になっている国や宗教、社会、経済などあらゆるものがサピエンスが作り出した「虚構」であり、「想像上の現実」なのだということを告げられ、自分の世界が大きく揺さぶられたことを実感したからです。
例えるなら、映画「マトリックス」で死から復活したネオの目に世界が0と1というデジタル情報として見えたときのような・・・。
この考え方は実は色々な本で読んだことはありましたが、あくまで個人の考えのレベルであり「本当かなあ?」「そういう事もあるかもしれないけどなあ」と腑に落ちることはありませんでした。
しかしこの本では、生物学と歴史学、社会学など複数の視点から根拠と考察を重ね、客観的な視点から仮説を提案しています。
知識としてだけでなく、体感的に「分かった」とさせるほどの説得力を私は感じました。この本の凄いところです。
それ以外にも本書には目から鱗の内容が多く記載されています。
最後まで興味深く読むことが出来ました。これまで自分が知っていると思っていた歴史や人類の発展とは全く違う視点で綴られた内容とその威力に、恥ずかしい話ですが読破した夜は高揚感で中々寝付けませんでした。
正月休みの間で良かったと思います。
万人に勧められるかどうかは分かりませんが、これは実りの大きな一冊です。
全ての章を通じて、筆者の考察は理性的で客観的だと感じました。
過去や現在を理想的に語るのではなく、事実をあくまで事実として捉え、自然は自然として捉えようとしていると感じました。
そうすることでサピエンスが急激な変化を遂げた原因と、それらがもたらした効果とを解き明かしていくことのみに集中したという印象です。
だからでしょうか。
筆者が何を考え、伝えようとしているのかということが読むだけで伝わってきたと感じました。
また、この本がなぜビジネス書のコーナーに並んでいたのか不思議に思っていました。
学術的コーナーじゃないのか?と本のタイトルと表紙を見た時には思ったものですが、読むとその理由が何となく分かりました。
ビジネス書は、大雑把に言えば「これからの世界をどう生き抜いていくか」というジャンルです。
このサピエンス全史は、学術的でありながら「この世界がどういう構造で成り立っているか」ということを書いた本であり、ビジネスのヒントになるエッセンスが十分以上に詰まった本だからビジネス書だ!という事なんだろうなあ、いうのが私が考えた理由です。
世界を知ることは、そこで生き抜くことの最も基本的で必要不可欠な事です。
この本を読んで世界の見方を変えてみることをお勧めします。
今でこそ人類は地球上で最も力を持った生物で70億もの人口を誇っていますが、15万年前には、アフリカ大陸の一隅でほそぼそと暮らしていた人類の一つの種に過ぎなかったそうです。
そんな私たちの祖先「ホモ・サピエンス」が、どのような力により他の人類種や多くの動物種を滅ぼし、地上を制覇することが出来たのか?という疑問を投げかけるところからこの本は始まります。
ホモ・サピエンスという名前は知っていたものの、ネアンデルタール人などとの差異などは全然知らない私には、生物史的なロマンがあって面白そうな本だなあ・・・ということで読み始めたのですが、読み進めるほどにぐいぐいと筆者の世界に引き込まれ、読み終える頃には自分が見ているつもりだった「世界」の姿を大きく揺さぶられてしまうという(あるいは引っくり返されてしまう)、凄い本でした。
訳者あとがきに次の文章が書かれています。
読書の醍醐味の一つは、自分の先入観や固定観念、常識を覆され、視野が拡がり、新しい目で物事を眺められるようになること、いわゆる「目から鱗が落ちる」体験をすることだろう。(中略)まさにそのような醍醐味を満喫させてくれるのが本書『サピエンス全史』だ。
全く同感です。
歴史学上の事実を元にした著者の鋭い観察眼による考察・指摘は、今までに私が触れたことのないものばかりで、読んでいく度に目から鱗がぽろぽろとこぼれ落ちていくのを感じました。
読み進めていくうちに、全く違う角度から照らし出された世界の姿が次第に見えてくるんですね。
あるいは、これまでに自分が読んでいた本や触れた知見、体験的に感じていたことが「物事の成り立ちからシンプルに考えると、それはこうなんだ」という本書がもたらすヒントによって再整理され、見たことのない形に変わっていくような体感がありました。
印象的だった内容「ホモ・サピエンスの認知革命と、虚構について語る能力」
本書では、15万年前から現在に至るまでのサピエンスの歴史において、大きく影響を与えたものとして次の3つの革命が挙げられています。
・認知革命
・農業革命
・科学革命
この中で最も私が興味深かったのは「認知革命」でした。
認知革命とは7万年前から3万年前にかけて見られたと考えられている、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことだそうです。広く信じられている説としては、偶然の遺伝子の突然変異により(※)、サピエンスの脳内の配線が変わり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったということだそうです。
(※原則として、動物の行動は基本的に遺伝子にコーディングされている能力の範囲に留まるのだそうです。)
ここで筆者が注目したのは、「虚構について語る」能力でした。
「ライオンはわが部族の守護霊だ」という架空の物事について語る能力が特徴的で異彩を放つと筆者は言います。
なぜ虚構を語る能力が特徴的なのか?その問いに対しては「集団で虚構を共有することで、生物が持っている集団形成の限界を突破できた」と説明します。
社会学的には、サピエンスの本来の能力的には150人程度の集団行動が限界なのだそうです。
それが「虚構」を共有することでその限界を突破し、大規模な集団を形成して行動することが可能になり、他の種に対して圧倒的な優勢を持つことが出来たというのが筆者の仮説です。
虚構というのは社会であったり、国であったり、宗教であったり、貨幣であったりと様々な形を取りますが、筆者はいずれも自然には本来無い、人間の想像の中だけにある存在であると説明します。そして、それらは非常に効率的に作用する機能であり「想像上の現実」として力を持っていると続けます。
この考え方に触れた時、私は脳内に電流がスパークするような錯覚を覚えました。
自分にとって(おそらく多くの現代に生きる人間にとって)存在することが当たり前になっている国や宗教、社会、経済などあらゆるものがサピエンスが作り出した「虚構」であり、「想像上の現実」なのだということを告げられ、自分の世界が大きく揺さぶられたことを実感したからです。
例えるなら、映画「マトリックス」で死から復活したネオの目に世界が0と1というデジタル情報として見えたときのような・・・。
この考え方は実は色々な本で読んだことはありましたが、あくまで個人の考えのレベルであり「本当かなあ?」「そういう事もあるかもしれないけどなあ」と腑に落ちることはありませんでした。
しかしこの本では、生物学と歴史学、社会学など複数の視点から根拠と考察を重ね、客観的な視点から仮説を提案しています。
知識としてだけでなく、体感的に「分かった」とさせるほどの説得力を私は感じました。この本の凄いところです。
それ以外にも本書には目から鱗の内容が多く記載されています。
最後まで興味深く読むことが出来ました。これまで自分が知っていると思っていた歴史や人類の発展とは全く違う視点で綴られた内容とその威力に、恥ずかしい話ですが読破した夜は高揚感で中々寝付けませんでした。
正月休みの間で良かったと思います。
万人に勧められるかどうかは分かりませんが、これは実りの大きな一冊です。
その他、感じたことの追記。
全ての章を通じて、筆者の考察は理性的で客観的だと感じました。
過去や現在を理想的に語るのではなく、事実をあくまで事実として捉え、自然は自然として捉えようとしていると感じました。
そうすることでサピエンスが急激な変化を遂げた原因と、それらがもたらした効果とを解き明かしていくことのみに集中したという印象です。
だからでしょうか。
筆者が何を考え、伝えようとしているのかということが読むだけで伝わってきたと感じました。
また、この本がなぜビジネス書のコーナーに並んでいたのか不思議に思っていました。
学術的コーナーじゃないのか?と本のタイトルと表紙を見た時には思ったものですが、読むとその理由が何となく分かりました。
ビジネス書は、大雑把に言えば「これからの世界をどう生き抜いていくか」というジャンルです。
このサピエンス全史は、学術的でありながら「この世界がどういう構造で成り立っているか」ということを書いた本であり、ビジネスのヒントになるエッセンスが十分以上に詰まった本だからビジネス書だ!という事なんだろうなあ、いうのが私が考えた理由です。
世界を知ることは、そこで生き抜くことの最も基本的で必要不可欠な事です。
この本を読んで世界の見方を変えてみることをお勧めします。
2017年08月25日
ドキドキしながら仕事してる?のキャッチコピーが笑えなくなる。「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」西野 亮廣
言わずと知れたキングコング西野さんの著書です。
実は私、西野さんのことをよく知りませんでした。
主にテレビなどでかじった情報から持っていた西野さんのイメージは、おおむねこのような感じでした。
・はねトびで有名になった。
・M1のファイナリスト
・アメトーークの「好感度低い芸人」に出演、いじられっぷりがめちゃくちゃ面白かった。
・ツイッターやブログがよく炎上する(させる?)。
・絵画の個展を開いたり、絵本を作ったりと芸人なのに芸術家気取り。
これらを通じて西野さんに抱いていた印象は、
”芸人なのに「ちょっと俺は違うんだよ」というスタイルを見せようとしている人”
ということでした。
その印象はアメトーーク!の「スゴイんだぞ!西野さん」の回で完成形を迎えました。
東野幸治さんが目をキラキラさせながら「ドキドキしながら仕事してる?」のキャッチコピーを読み上げた時には、「相当な破壊力を持ったギャグ」として完全に私の中にインプットされてしまいました。
ドキドキしながら仕事してる?(プッ・・・)
私もテレビの前で笑っていた一人です。
でもこの本を読んでからは全く笑えなくなりました。
なぜなら、言葉が刺さったからです。
このキャッチコピーは、西野さんが人生をかけて取り組んでいること、これから先の時代を見通そうとした鋭い観察眼から放たれる読者への問いかけ、一緒に行こうよという呼びかけ、それらの色々なエッセンスがぎゅっと濃縮されて・・・読者を撃ち抜くために狙いすまし、選び抜かれた一言でした。
というわけで少しだけ本の紹介をしたいと思います。
西野さんのストレートな思いが込められた本でした。
感じたのは、とにかく西野さんの姿勢が一貫しているんだなという事です。
それは「世界の誰も見たことがないモノを作りたい」「とにかく面白いことをしたい」という夢。
書中には色々なエピソードや、行動の裏にある西野さんの様々な考えが書かれています。
それらは全て西野さんに取っては手段であったり表現であったりするのですが、芯で支えとなっているのはこの2つの夢なんだなあということを感じるんですね。
そういえば書中に「魔法のコンパス」が何かということは具体的に触れられていなかったように思いました。
周囲の言動に左右されず、自分自身の夢や目的を明確に持つこと。
信じ抜くこと。動くこと。
それが西野さんが言う「魔法のコンパス」なのだろうと思いました。
そのコンパスに支えられた西野さんのものの見方はとてもクールで面白く、かつ時代の的を得ているように感じました。
「目からウロコとはこのことか」と何度も感じさせられます。
ドキドキしてる?は、決してキザなギャグなんかじゃない。
真剣に生きようとする読者の心を刺してくる、実体験に支えられたスゴイ本でした。
まずは自分自身のコンパスをしっかりと心に持たなければならない、という気付きを得ました。
このことは、最近読んだ前田裕二さんの「人生の勝算」でも強く印象に残った事でした。
そのうえで時代や状況を見つめ、起きている現象を分析し、どんな手法が取れるかということを考え抜いていく必要があるということ。
そのためにはトコトン好きになること。
この3つの気付きが、読むことで得られたことの大きなモノだったと思います。
あとは、西野さん自身を知ることができました。これまでテレビを通じて持っていた印象とはまるで全う違う人物で、驚きました。
いやいや本当に、ちょっとテレビを見ているだけでは全然分からないことばかりです。西野さん相当凄いことをやっていますよ。
文章はとても読みやすく、分量はけして多くないので気軽に読める本ですから、リビングに置いておいてちょっと時間があるときに繰り返し読もうと思います。
表紙も洒落ているので丁度いいですね。
”炎上”イメージとは程遠い、本棚に飾っておくだけで希望と優しさが溢れてきそうな柔らかいイラスト。
情報化が一気に進み、人々の暮らしや行動が大きく変わっている中、これから先にどんな世界が待っているのかということに思いを馳せるときに是非読んで欲しい一冊です。
戸惑いや不安を抱えている人には特に読む価値があると思います。
面白いですよ。
ドキドキしたい。自分も。
実は私、西野さんのことをよく知りませんでした。
主にテレビなどでかじった情報から持っていた西野さんのイメージは、おおむねこのような感じでした。
・はねトびで有名になった。
・M1のファイナリスト
・アメトーークの「好感度低い芸人」に出演、いじられっぷりがめちゃくちゃ面白かった。
・ツイッターやブログがよく炎上する(させる?)。
・絵画の個展を開いたり、絵本を作ったりと芸人なのに芸術家気取り。
これらを通じて西野さんに抱いていた印象は、
”芸人なのに「ちょっと俺は違うんだよ」というスタイルを見せようとしている人”
ということでした。
その印象はアメトーーク!の「スゴイんだぞ!西野さん」の回で完成形を迎えました。
東野幸治さんが目をキラキラさせながら「ドキドキしながら仕事してる?」のキャッチコピーを読み上げた時には、「相当な破壊力を持ったギャグ」として完全に私の中にインプットされてしまいました。
ドキドキしながら仕事してる?(プッ・・・)
私もテレビの前で笑っていた一人です。
でもこの本を読んでからは全く笑えなくなりました。
なぜなら、言葉が刺さったからです。
このキャッチコピーは、西野さんが人生をかけて取り組んでいること、これから先の時代を見通そうとした鋭い観察眼から放たれる読者への問いかけ、一緒に行こうよという呼びかけ、それらの色々なエッセンスがぎゅっと濃縮されて・・・読者を撃ち抜くために狙いすまし、選び抜かれた一言でした。
というわけで少しだけ本の紹介をしたいと思います。
どんな本だった?
西野さんのストレートな思いが込められた本でした。
感じたのは、とにかく西野さんの姿勢が一貫しているんだなという事です。
それは「世界の誰も見たことがないモノを作りたい」「とにかく面白いことをしたい」という夢。
書中には色々なエピソードや、行動の裏にある西野さんの様々な考えが書かれています。
それらは全て西野さんに取っては手段であったり表現であったりするのですが、芯で支えとなっているのはこの2つの夢なんだなあということを感じるんですね。
そういえば書中に「魔法のコンパス」が何かということは具体的に触れられていなかったように思いました。
周囲の言動に左右されず、自分自身の夢や目的を明確に持つこと。
信じ抜くこと。動くこと。
それが西野さんが言う「魔法のコンパス」なのだろうと思いました。
そのコンパスに支えられた西野さんのものの見方はとてもクールで面白く、かつ時代の的を得ているように感じました。
「目からウロコとはこのことか」と何度も感じさせられます。
ドキドキしてる?は、決してキザなギャグなんかじゃない。
真剣に生きようとする読者の心を刺してくる、実体験に支えられたスゴイ本でした。
読むことで得られたもの
まずは自分自身のコンパスをしっかりと心に持たなければならない、という気付きを得ました。
このことは、最近読んだ前田裕二さんの「人生の勝算」でも強く印象に残った事でした。
そのうえで時代や状況を見つめ、起きている現象を分析し、どんな手法が取れるかということを考え抜いていく必要があるということ。
そのためにはトコトン好きになること。
この3つの気付きが、読むことで得られたことの大きなモノだったと思います。
あとは、西野さん自身を知ることができました。これまでテレビを通じて持っていた印象とはまるで全う違う人物で、驚きました。
いやいや本当に、ちょっとテレビを見ているだけでは全然分からないことばかりです。西野さん相当凄いことをやっていますよ。
こんな時にまた読みたい
文章はとても読みやすく、分量はけして多くないので気軽に読める本ですから、リビングに置いておいてちょっと時間があるときに繰り返し読もうと思います。
表紙も洒落ているので丁度いいですね。
”炎上”イメージとは程遠い、本棚に飾っておくだけで希望と優しさが溢れてきそうな柔らかいイラスト。
情報化が一気に進み、人々の暮らしや行動が大きく変わっている中、これから先にどんな世界が待っているのかということに思いを馳せるときに是非読んで欲しい一冊です。
戸惑いや不安を抱えている人には特に読む価値があると思います。
面白いですよ。
ドキドキしたい。自分も。
2017年07月09日
努力不要論――脳科学が解く! 「がんばってるのに報われない」と思ったら読む本 中野信子
脳科学者の中野信子さんの本です。
Amazonで検索したら自分が買った本と表紙が違っていました。手元の本を捲ってみると、内側にもう一つの表紙が。なるほどリメイクしたんですね。
新しい表紙は黄色をバックに「努力したら負け。」というフレーズが本の真ん中にタイトルよりも大きくバーンと書かれています。著者の中野さんの笑顔の写真も添えています。
一方、元々の表紙は紺色に「努力不要論」というタイトルを中心としたシンプルなもの。
こうやって比べて見てみると、その差は明らかです。
元々の表紙だったら書店で手にとっていなかもしれないですね。いやいや、ジャケットって大切ですね。
さて、本の内容です。
この本を書店で手に取ったとき、自分がどちらかというと「努力論者」かもしれないという考えが浮かびあがってきました。同時に、それが自分を窮屈にしている一つの要因かもしれないと連想しました。
「この真逆の考え方は、今の自分に必要な考えかもしれない」
「中野信子さんの分かりやすい解説なら読んでみたい」
書かれていた内容は、やはり今の自分にとって必要なエッセンスでした。
以下、感想です。
タイトルの「努力不要論」の意味するところとしては
・”無駄な”努力は不要だ
・努力のための努力は害だ
ということが大きいです。
「報われる努力(=成果が出ること)こそが本当の努力」だと中野さんは書いています。
目的の設定、戦略の立案、実行というプロセスがそのためには必要で、それをしない努力は間違いだと。
この当たり前とも言えること、でも日常の中で忘れがちであったり見過ごしがちであったりするこのことを、中野さんは指摘します。その根拠として挙げられているエピソードや、添えられる脳科学的エッセンスに「なるほどなあ」と納得させられてしまう構成です。
その中でも「努力中毒」「努力は人間をスポイルする」の解説は、まさに今の自分に刺さる内容でした。
今の自分は「努力中毒」の状態に近いものがあるかもしれないとじわりと汗をかきました。
「努力は尊いものだ」という思い込みのようなものが自分の中にあったことを気付かされました。
その思い込みは、何となくですが、日本の社会全体の中にもあるような気がします。
この観念を一旦ニュートラルに整え、成果を出すための本来の方法論はどうなのか?ということを考えるきっかけが出来たと思います。
「努力が尊いもの」という思い込みは、努力が本来どうあるべきかという観念から目を逸らさせ、ただただ目の前のことに取り組ませるという盲目的な姿勢になるのだなあと思い知らされました。
その背景にあるものが「成果を出す」という目的に向かってのものなら良いのですが、ただただ「自分は頑張っているんだという快感」を得るためのものにいつしかすり替わり、その結果、成果を得ることは難しくなるどころか、様々な弊害を生み出している・・・。
そんなの駄目じゃん!
思考のモヤが切り払われたような感覚すらありました。
努力という言葉、概念に惑わされては駄目。
「自分は頑張っている」という意識を持っている人、さらに言えば、「自分は頑張っているのに・・・」という不満を少しでも持ったことがある人・・・つまり今の自分自身に強くオススメできる本でした。
そういう事ってあるかも・・・と感じた人は、ぜひおすすめです。
中野さんの本は何冊か読みましたが、どれも分かりやすく、科学的な背景も添えられているのでとても面白く読める本ばかりです。凄いなあ。
Amazonで検索したら自分が買った本と表紙が違っていました。手元の本を捲ってみると、内側にもう一つの表紙が。なるほどリメイクしたんですね。
新しい表紙は黄色をバックに「努力したら負け。」というフレーズが本の真ん中にタイトルよりも大きくバーンと書かれています。著者の中野さんの笑顔の写真も添えています。
一方、元々の表紙は紺色に「努力不要論」というタイトルを中心としたシンプルなもの。
こうやって比べて見てみると、その差は明らかです。
元々の表紙だったら書店で手にとっていなかもしれないですね。いやいや、ジャケットって大切ですね。
さて、本の内容です。
この本を書店で手に取ったとき、自分がどちらかというと「努力論者」かもしれないという考えが浮かびあがってきました。同時に、それが自分を窮屈にしている一つの要因かもしれないと連想しました。
「この真逆の考え方は、今の自分に必要な考えかもしれない」
「中野信子さんの分かりやすい解説なら読んでみたい」
書かれていた内容は、やはり今の自分にとって必要なエッセンスでした。
以下、感想です。
どんな本だった?
タイトルの「努力不要論」の意味するところとしては
・”無駄な”努力は不要だ
・努力のための努力は害だ
ということが大きいです。
「報われる努力(=成果が出ること)こそが本当の努力」だと中野さんは書いています。
目的の設定、戦略の立案、実行というプロセスがそのためには必要で、それをしない努力は間違いだと。
この当たり前とも言えること、でも日常の中で忘れがちであったり見過ごしがちであったりするこのことを、中野さんは指摘します。その根拠として挙げられているエピソードや、添えられる脳科学的エッセンスに「なるほどなあ」と納得させられてしまう構成です。
その中でも「努力中毒」「努力は人間をスポイルする」の解説は、まさに今の自分に刺さる内容でした。
今の自分は「努力中毒」の状態に近いものがあるかもしれないとじわりと汗をかきました。
読むことで得られるもの&どんな人にオススメできる?
「努力は尊いものだ」という思い込みのようなものが自分の中にあったことを気付かされました。
その思い込みは、何となくですが、日本の社会全体の中にもあるような気がします。
この観念を一旦ニュートラルに整え、成果を出すための本来の方法論はどうなのか?ということを考えるきっかけが出来たと思います。
「努力が尊いもの」という思い込みは、努力が本来どうあるべきかという観念から目を逸らさせ、ただただ目の前のことに取り組ませるという盲目的な姿勢になるのだなあと思い知らされました。
その背景にあるものが「成果を出す」という目的に向かってのものなら良いのですが、ただただ「自分は頑張っているんだという快感」を得るためのものにいつしかすり替わり、その結果、成果を得ることは難しくなるどころか、様々な弊害を生み出している・・・。
そんなの駄目じゃん!
思考のモヤが切り払われたような感覚すらありました。
努力という言葉、概念に惑わされては駄目。
「自分は頑張っている」という意識を持っている人、さらに言えば、「自分は頑張っているのに・・・」という不満を少しでも持ったことがある人・・・つまり今の自分自身に強くオススメできる本でした。
そういう事ってあるかも・・・と感じた人は、ぜひおすすめです。
中野さんの本は何冊か読みましたが、どれも分かりやすく、科学的な背景も添えられているのでとても面白く読める本ばかりです。凄いなあ。
2017年01月31日
もし、一流の営業マンが陸上部の監督になったらをリアルでやったら的な・・・「逆転のメソッド 箱根駅伝もビジネスも一緒です」 原 晋
タイトルが長くなってしまいました。
今をときめく青山学院大学陸上部の原監督の本です。
恥ずかしながら今年の箱根駅伝をテレビで見たそのままの勢いで買ってしまいました。いわゆるミーハーです。
本の内容は、原監督の現在までの半生を振り返りながら、それぞれのポジションでどのようなことを考え、努力してきたかを書いたものです。読者はその追体験をしていくという感じで読み進めていくことができます。
実は、青山学院大学での指導に関する記載はそれほど多くはありません。
「指導方法の中身を知りたい!」という人にはひょっとすると物足りないかもしれません。
でも原監督の人となりというか、物事の捉え方・考え方を知りたいという人には、断然この本をおすすめできます。
例えばこんなエッセンスが紹介されています。
・情熱を持って商品に接し、理解し、それを顧客に直接伝える。
・売り手側の物の見方で接するのではなく、顧客の立場に立って考える。
・力を発揮するためには、人を作るのではなく、チームを作る。その過程で一人一人の向上を図っていく。
さて、タイトルにもある「逆転のメソッド」とは何でしょうか?
原監督は本書の中で「これまでの人生で何度も逆転して這い上がってきた」と語ります。
その秘訣といいますか、本質的な結論は、次のように書かれていました。
なんてシンプル!!
これが本質である・・・つまり、これを持たなければ逆転なんて出来ないというのが筆者の考えです。
私はこれを、
・悔しいと思う気持ちは窮地から這い上がるための原動力になる。
・あきらめないことは、必ず這い上がるという継続の決意になる。
と受け取りました。これらが両輪となり、やがて逆転という現象を起こすのだと。
どちらも今の自分には欠けている点かもしれない、と思いました。
悔しい時はむしろ「悲しい」という感情で過ごし、あきらめないというよりも「もう駄目かもしれない」という投げ出してしまう精神状態に傾きがちではないかと。
「悲しい」ではない。
「悔しい!」と考えるんだ。そして這い上がる決意にするんだ!
そんなメッセージを私は受け取りました。
「伝説の営業マン」が語ることですから、私のような者がどこまで実践できるかは不透明ですが、心のストックとして残しておくことにします。
今流行りの原監督の著書、なかなか面白い本でした。
今をときめく青山学院大学陸上部の原監督の本です。
恥ずかしながら今年の箱根駅伝をテレビで見たそのままの勢いで買ってしまいました。いわゆるミーハーです。
本の内容は、原監督の現在までの半生を振り返りながら、それぞれのポジションでどのようなことを考え、努力してきたかを書いたものです。読者はその追体験をしていくという感じで読み進めていくことができます。
実は、青山学院大学での指導に関する記載はそれほど多くはありません。
「指導方法の中身を知りたい!」という人にはひょっとすると物足りないかもしれません。
でも原監督の人となりというか、物事の捉え方・考え方を知りたいという人には、断然この本をおすすめできます。
例えばこんなエッセンスが紹介されています。
・情熱を持って商品に接し、理解し、それを顧客に直接伝える。
・売り手側の物の見方で接するのではなく、顧客の立場に立って考える。
・力を発揮するためには、人を作るのではなく、チームを作る。その過程で一人一人の向上を図っていく。
さて、タイトルにもある「逆転のメソッド」とは何でしょうか?
原監督は本書の中で「これまでの人生で何度も逆転して這い上がってきた」と語ります。
その秘訣といいますか、本質的な結論は、次のように書かれていました。
”第一にあきらめないこと、そして第二に悔しいと思える自分を持つことだ。”
なんてシンプル!!
これが本質である・・・つまり、これを持たなければ逆転なんて出来ないというのが筆者の考えです。
私はこれを、
・悔しいと思う気持ちは窮地から這い上がるための原動力になる。
・あきらめないことは、必ず這い上がるという継続の決意になる。
と受け取りました。これらが両輪となり、やがて逆転という現象を起こすのだと。
どちらも今の自分には欠けている点かもしれない、と思いました。
悔しい時はむしろ「悲しい」という感情で過ごし、あきらめないというよりも「もう駄目かもしれない」という投げ出してしまう精神状態に傾きがちではないかと。
「悲しい」ではない。
「悔しい!」と考えるんだ。そして這い上がる決意にするんだ!
そんなメッセージを私は受け取りました。
「伝説の営業マン」が語ることですから、私のような者がどこまで実践できるかは不透明ですが、心のストックとして残しておくことにします。
今流行りの原監督の著書、なかなか面白い本でした。
2016年11月23日
花を咲かせたいと思った時にきっと読むといい本「ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則」ジム・コリンズ
ビジネス書の中でもかなり有名な本ではないでしょうか。
実は1年以上前にAmazonで「面白そうだ」と興味本位で買ってはみたものの、届いた本を本棚に置いた時点で何か満足してしまい、それからは積ん読の見本のような存在になっていました。
こうなってしまうと「さあ、読もう!」という気持ちにはなりにくいのですが、思わぬことから急に読む気になりました。
それは、
「サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」
を読んでいるときに、その中で
と書かれていたからです。
「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、私にとって非常に多くの気付きを与えてくれる本でした。その筆者が「生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば」という前置きまで付けて勧める本とは、一体どれくらい素晴らしい本なのだろう?
これは読まなければという衝動に駆られ、早速Amazonで検索・・・をしようとしたのですが、本の名前がどこか記憶に引っかかりました。
しばらくして「1年以上前に買っていた本だったんじゃないか?」ということを思い出した、という訳です。
こういう事ってあるんですね。
この本「ビジョナリー・カンパニー2」がどれほど素晴らしい本なのかは、先程の「サーチ・インサイド・ユアセルフ」からの引用文が全てを語っているところですが、自分で整理を行うための作業として、自分なりの書評を以下に書くことにします。
経営関係の本では時々、「私はこうやって成功した!!」という全く個人的な経験に基づく方法論だったり精神論を書いた本を見かけます。
著者個人に興味がある場合はそれでも面白いですが、正直あまり参考にならない事が多いです。
この本は「調査で得られたデータから法則を見つけ出す」というアプローチで科学的に書かれています。
ここが大きな特徴です。
成功者や学者の個人的な経験や見識を根拠として書かれたものではありません。あくまで科学的な見地、つまりデータと分析によって書かれたものですから、「普遍的に共通する法則である可能性が高い」という期待を持って読むことができます。
次に、本の構成が素晴らしい。
調査によって導き出された法則を順序立てて説明していくのは勿論のこと、それらを「読み手に分かりやすいように」「理解してもらいやすいように」工夫して書かれています。法則をビジュアル化した図がとても分かりやすいと感じました。
”飛躍の法則”には幾つかの段階があり、一つ一つのステップがやがて大きな動きとなってその企業を「偉大な企業」へと変貌させていくという理論なのですが、章の冒頭にかかれている図の中で「今ここを説明している」ということがとても明確に分かります。
企業の経営について分析された本ですので、会社経営者でもなく、投資家でもない私が読んでも「これはすぐにでも使える」という内容は正直ありませんでした。
それならそもそも読まなくてもいいじゃないか・・・という自分自身の心の声も聴こえてきましたが、だからといって「知らなくていい」という事はないと思います。
今の社会を支えているのは国や自治体といった行政は勿論のこと、世の中に数多ある民間企業であることは疑いの余地がありません。
むしろ社会資本整備がある程度整ってきた今の日本では、直接的な恩恵を感じるのは主に民間企業のサービスによるところが大きいのではないでしょうか。
企業は今後も無くてはならない存在で、これからも色々な形で関わっていく訳ですから、企業経営についての分析結果を知ることは意味があるはずです。
また、企業経営に限らなくても、対象とする問題を自分の周りの環境や、個人的な目的の達成に置き換えた場合には、活用の方法がありそうです。
しかし、本書で2番目のエッセンスとして挙げられている「適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろす」という内容には少し苦味を覚えました。
参考になったというよりも、少し重荷を背負わされたというような表現が近い感覚でした。
0から物事を始める時には適用できそうですが、既に走り出しているバスから「降りろ」ということが難しい場合にはすぐには適用は難しそうです。
”偉大な企業”を目指すのでなければ、ただちに「降りろ」という必要はないということになるのでしょうけれども・・・
巻末のQ&Aにはこの問いに対して”達成までに時間をかける。”と応えられています。
これは、相当大変だなあという印象を持ちました。
ひょっとしたらこの事が、読むことで得られたことの中で一番大きなことかもしれません。
自分自身が「何かをやり遂げたい」という強い思いを抱いたとき、それを達成するためのヒントが込められているというのが、今の時点でのこの本の感想です。
だから、「何かをやり遂げたい」という思いを強く持ったとき、またこの本を開きたいと思いました。
この本を読み込んで細部までを理解するときは、まだ来ていないというのが、今の判断です。
また少しの間、本棚で休んでおいてもらおうと思います。
実は1年以上前にAmazonで「面白そうだ」と興味本位で買ってはみたものの、届いた本を本棚に置いた時点で何か満足してしまい、それからは積ん読の見本のような存在になっていました。
こうなってしまうと「さあ、読もう!」という気持ちにはなりにくいのですが、思わぬことから急に読む気になりました。
それは、
「サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」
を読んでいるときに、その中で
最後に大事なことを記しておく。私はすべての友人に、生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば、ジェームズ・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー2』を読むべきだと言っている。素晴らしい企業を経営することについて、私の知っているほかのどの本よりも多くを教えてくれる。
と書かれていたからです。
「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、私にとって非常に多くの気付きを与えてくれる本でした。その筆者が「生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば」という前置きまで付けて勧める本とは、一体どれくらい素晴らしい本なのだろう?
これは読まなければという衝動に駆られ、早速Amazonで検索・・・をしようとしたのですが、本の名前がどこか記憶に引っかかりました。
しばらくして「1年以上前に買っていた本だったんじゃないか?」ということを思い出した、という訳です。
こういう事ってあるんですね。
この本「ビジョナリー・カンパニー2」がどれほど素晴らしい本なのかは、先程の「サーチ・インサイド・ユアセルフ」からの引用文が全てを語っているところですが、自分で整理を行うための作業として、自分なりの書評を以下に書くことにします。
どんな本だった?
経営関係の本では時々、「私はこうやって成功した!!」という全く個人的な経験に基づく方法論だったり精神論を書いた本を見かけます。
著者個人に興味がある場合はそれでも面白いですが、正直あまり参考にならない事が多いです。
この本は「調査で得られたデータから法則を見つけ出す」というアプローチで科学的に書かれています。
ここが大きな特徴です。
成功者や学者の個人的な経験や見識を根拠として書かれたものではありません。あくまで科学的な見地、つまりデータと分析によって書かれたものですから、「普遍的に共通する法則である可能性が高い」という期待を持って読むことができます。
次に、本の構成が素晴らしい。
調査によって導き出された法則を順序立てて説明していくのは勿論のこと、それらを「読み手に分かりやすいように」「理解してもらいやすいように」工夫して書かれています。法則をビジュアル化した図がとても分かりやすいと感じました。
”飛躍の法則”には幾つかの段階があり、一つ一つのステップがやがて大きな動きとなってその企業を「偉大な企業」へと変貌させていくという理論なのですが、章の冒頭にかかれている図の中で「今ここを説明している」ということがとても明確に分かります。
読むことで得られたもの
企業の経営について分析された本ですので、会社経営者でもなく、投資家でもない私が読んでも「これはすぐにでも使える」という内容は正直ありませんでした。
それならそもそも読まなくてもいいじゃないか・・・という自分自身の心の声も聴こえてきましたが、だからといって「知らなくていい」という事はないと思います。
今の社会を支えているのは国や自治体といった行政は勿論のこと、世の中に数多ある民間企業であることは疑いの余地がありません。
むしろ社会資本整備がある程度整ってきた今の日本では、直接的な恩恵を感じるのは主に民間企業のサービスによるところが大きいのではないでしょうか。
企業は今後も無くてはならない存在で、これからも色々な形で関わっていく訳ですから、企業経営についての分析結果を知ることは意味があるはずです。
また、企業経営に限らなくても、対象とする問題を自分の周りの環境や、個人的な目的の達成に置き換えた場合には、活用の方法がありそうです。
しかし、本書で2番目のエッセンスとして挙げられている「適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろす」という内容には少し苦味を覚えました。
参考になったというよりも、少し重荷を背負わされたというような表現が近い感覚でした。
0から物事を始める時には適用できそうですが、既に走り出しているバスから「降りろ」ということが難しい場合にはすぐには適用は難しそうです。
”偉大な企業”を目指すのでなければ、ただちに「降りろ」という必要はないということになるのでしょうけれども・・・
巻末のQ&Aにはこの問いに対して”達成までに時間をかける。”と応えられています。
これは、相当大変だなあという印象を持ちました。
ひょっとしたらこの事が、読むことで得られたことの中で一番大きなことかもしれません。
こんな時にまた読みたい
自分自身が「何かをやり遂げたい」という強い思いを抱いたとき、それを達成するためのヒントが込められているというのが、今の時点でのこの本の感想です。
だから、「何かをやり遂げたい」という思いを強く持ったとき、またこの本を開きたいと思いました。
この本を読み込んで細部までを理解するときは、まだ来ていないというのが、今の判断です。
また少しの間、本棚で休んでおいてもらおうと思います。
2016年06月19日
”とことんやっていない自分”にはとてつもない痛みと救いとを投げかける本でした。「悩みどころと逃げどころ」ちきりん、梅原 大吾
”月間200万PV・社会派ブロガー”のちきりんさんと、”ギネス認定・世界一プロゲーマー”の梅原大吾さんとの対談本。
ブロガーとプロゲーマーというニッチな世界での第一人者的な存在となった2人の対談本ということで、それだけでもかなり興味をソソラれるのに、テーマは「学び」や「学校」となっています。
なんと!と驚くとともに、
なんで?という疑問が実直に湧いてきました。
ブロガーとかプロゲーマー、特にプロゲーマーなんて学校とは最も縁遠そうな世界なのに・・・とは思いましたが、そういえば前に「東大卒プロゲーマー」であるときどさんの本を読んだことも思い出し、きっと面白いに違いないと考え、読んでみました。
対談本ということで割とさらっと読むことができました。
しかしながら、内容は複雑で面白いです。
まず特徴として、「学校」というものを2人の真ん中に置いたとき、2人が全く対象的な立場にある人だということが挙げられます。
ちきりんさんは、学歴エリートとのこと。
梅原さんは、真反対で、学歴には縁が遠いとのこと。
そして共通項として、学校での学びという経験に対して「面白くない」「意味がない」と考えているということ。
そのキーワードとして”学校的価値観”という言葉が使われています。
梅原さんは学校で授業を聞かず、いつも寝ていたそうで、完全に学校という視点から見ればドロップアウト的な存在です。でも今はプロゲーマーとして世界のトップに君臨し、かつ、日本においても社会的に認められる存在となっています。
そんな人が「学校なんて意味がないよ」と言うのはよく分かる話なんですよね。学校で勉強なんてしなくてもこの道で俺は生きてきて、成功したんだから、という事ですから。
しかし逆に梅原さんは本書の中で「とりあえず大学は出た方が良い」なんて事も同時言っています。
「学校での学びに意味がない」のに「とりあえず大学を出た方が良い」というのは、表面的には全く真逆のことを言っているように聞こえてしまい、混乱を覚えました。
一方ちきりんさんは、自身で言われているのですが、学歴エリートであり、そのまま大企業へ就職するという”学校的価値観でいうエリート”的な存在でありながら、「大学をとりあえず出とおけばは有害」と言っている。
これもまた混乱を覚えました。
この2方面からの混乱が、対談を進めるなかで一つ一つが解き明かされていき、2人の考えている本当の事が分かっていくという、謎解き要素も入ったような、読者も考えさせられる良書だと思いました。
学校教育に対して感じている疑問点を”学校的価値観”として2人は話していました。それは次の言葉の中に表れていると感じました。
ちきりんさん:「あそこを目指せ、方法はこれだ」
梅原さん:「ゴールと方法論をセットで指し示されることで、自分で考え、悩んであがいた上での自己決定が出来なくなる」
私もこの本を読みながら、自分自身の経験を振り返り、確かにそういった面が学校教育にはあるかもしれないと考えさせられました。
私はどちらかというと、ちきりんさんに近いかもしれません。
ブロガーとしては月とスッポン、ちきりんさんは完全に雲の上の存在ですが、学歴に関してはエリートとは言えませんが準エリートみたいな感じかなあと思います。
学校を卒業し、社会人として生活を送っていくなかで、じゃあその”準エリート”として過ごした学校教育から得られたものがあったかどうかを冷静に振り返ると、おおよそ2人の意見に「大きく違っていない」という考えに至りました。
勿論得られたことも有ります。いわゆる勉強の方法論というものや、計算能力、知識で解決する問題に関しての”考える力”などは学校教育の勉強の中で培った基礎体力として今も生きていると思います。
しかし、人生を生きる力、生きている中で直面する答えの無い問題を”考える力”、道を歩んでいく力などは、正直なところ弱いのじゃないかと思います。
前に『ほぼ日手帳の「今日の一言」・・・正解病について』という記事で
というものが自分にあったことに気付いたということを書きましたが、これは正にちきりんさんが言う「あそこを目指せ、方法はこれだ」という学校的価値観に沿ったもので、多分に強く影響を受けていたんだなあ・・・とこの本を読んで改めて気付かされました。
この本の中で最も強く刺さったのは、梅原さんの話の中に出てくる次の言葉でした。
これ、正に今の自分自身のことじゃんかと。
気がついたら考えているんです。
「あの時にもっと真剣に◯◯していたら、もっと違うことができていたのかもしれないな」とか、「もし出来るならもう一度中学生に戻って、もっと一生懸命にやりたいな」とかいうことを。
受験勉強、部活、恋愛、バンド、、、
そして一番辛いのが、梅原さんがいう「敗北が受け入れられない」という事なんです。とことんやってないから、自分の器が分からない。
これがどういう事かというと、例えば誰か優れた人間と会ったときに、ほんのわずかでも「俺だってあのときにちゃんとやってればこれくらい出来てたんだけどな」という思考が浮かんでしまい、変な劣等感を抱いてしまうって事があるんですよね。そしてその劣等感の行き先は、相手に対する敵対心ではなく、「過去に頑張らなかった自分自身」なんです。
もし梅原さんが言うように「とことんやって」いれば、自分が精一杯頑張れってやれなかったことを他の人がやっているのだから、「自分がどうやっても出来なかったことをこの人はやっている。凄い」と敗北をすっと受け入れ、敬う気持ちまでもを持つことが出来るのかもしれないなと。
そう気付かされました。
この梅原さんの言葉は2つのことを気づかせてくれました。
「自分は何もとことんやっていなかった、甘い考えの人間だ」
→とことんやることの大事さ。
「とことんやっていない自分自身に後悔を残している」
→自分を超える存在に会ったときに感じる負の感情の原因は、過去の自分自身への後悔。だとしたらその感情に振り回されることに意味は無いのだから、敗北を素直に受け入れるよう努力しよう。
どう学ぶかということは、どう生きるかということなんですよね。
それは生きるために何を学び、どう考えていけばいいのかという風に言い換えることができるかもしれません。
この事に対して、著者の2人は、今の学校というものが”学校的価値観”を刷り込む場でしかなく、本当に生きるための力を付けることにはなっていないという考えを共通して持っています。
そういった視点を持つことは面白く、また、大事かもしれないと考えさせられました。
また、対談の内容から、学校というものは単純に学びの場であるだけでなく、日本という社会の中では様々な価値を付加するものであるという側面もあり、一概に否定ばかりをするものではないということも読み取れます。
何より「あがくことで自分の器が見えてくる」という梅原さんの言葉が強く刺さり、強烈な痛みを感じながらも、何か自分の精神面のコリが一つほぐされたような気もして、とても意味のある読書となりました。
面白い本でした。
少しでも興味があれば、ぜひ!
ブロガーとプロゲーマーというニッチな世界での第一人者的な存在となった2人の対談本ということで、それだけでもかなり興味をソソラれるのに、テーマは「学び」や「学校」となっています。
なんと!と驚くとともに、
なんで?という疑問が実直に湧いてきました。
ブロガーとかプロゲーマー、特にプロゲーマーなんて学校とは最も縁遠そうな世界なのに・・・とは思いましたが、そういえば前に「東大卒プロゲーマー」であるときどさんの本を読んだことも思い出し、きっと面白いに違いないと考え、読んでみました。
どんな本だった?
対談本ということで割とさらっと読むことができました。
しかしながら、内容は複雑で面白いです。
まず特徴として、「学校」というものを2人の真ん中に置いたとき、2人が全く対象的な立場にある人だということが挙げられます。
ちきりんさんは、学歴エリートとのこと。
梅原さんは、真反対で、学歴には縁が遠いとのこと。
そして共通項として、学校での学びという経験に対して「面白くない」「意味がない」と考えているということ。
そのキーワードとして”学校的価値観”という言葉が使われています。
梅原さんは学校で授業を聞かず、いつも寝ていたそうで、完全に学校という視点から見ればドロップアウト的な存在です。でも今はプロゲーマーとして世界のトップに君臨し、かつ、日本においても社会的に認められる存在となっています。
そんな人が「学校なんて意味がないよ」と言うのはよく分かる話なんですよね。学校で勉強なんてしなくてもこの道で俺は生きてきて、成功したんだから、という事ですから。
しかし逆に梅原さんは本書の中で「とりあえず大学は出た方が良い」なんて事も同時言っています。
「学校での学びに意味がない」のに「とりあえず大学を出た方が良い」というのは、表面的には全く真逆のことを言っているように聞こえてしまい、混乱を覚えました。
一方ちきりんさんは、自身で言われているのですが、学歴エリートであり、そのまま大企業へ就職するという”学校的価値観でいうエリート”的な存在でありながら、「大学をとりあえず出とおけばは有害」と言っている。
これもまた混乱を覚えました。
この2方面からの混乱が、対談を進めるなかで一つ一つが解き明かされていき、2人の考えている本当の事が分かっていくという、謎解き要素も入ったような、読者も考えさせられる良書だと思いました。
読むことで得られたもの
・2人が感じていた”学校的価値観”
学校教育に対して感じている疑問点を”学校的価値観”として2人は話していました。それは次の言葉の中に表れていると感じました。
ちきりんさん:「あそこを目指せ、方法はこれだ」
梅原さん:「ゴールと方法論をセットで指し示されることで、自分で考え、悩んであがいた上での自己決定が出来なくなる」
私もこの本を読みながら、自分自身の経験を振り返り、確かにそういった面が学校教育にはあるかもしれないと考えさせられました。
・自分を振り返って
私はどちらかというと、ちきりんさんに近いかもしれません。
ブロガーとしては月とスッポン、ちきりんさんは完全に雲の上の存在ですが、学歴に関してはエリートとは言えませんが準エリートみたいな感じかなあと思います。
学校を卒業し、社会人として生活を送っていくなかで、じゃあその”準エリート”として過ごした学校教育から得られたものがあったかどうかを冷静に振り返ると、おおよそ2人の意見に「大きく違っていない」という考えに至りました。
勿論得られたことも有ります。いわゆる勉強の方法論というものや、計算能力、知識で解決する問題に関しての”考える力”などは学校教育の勉強の中で培った基礎体力として今も生きていると思います。
しかし、人生を生きる力、生きている中で直面する答えの無い問題を”考える力”、道を歩んでいく力などは、正直なところ弱いのじゃないかと思います。
前に『ほぼ日手帳の「今日の一言」・・・正解病について』という記事で
「この世界に正解は必ずある」という自分自身を縛り付ける無意識下の思い込み
というものが自分にあったことに気付いたということを書きましたが、これは正にちきりんさんが言う「あそこを目指せ、方法はこれだ」という学校的価値観に沿ったもので、多分に強く影響を受けていたんだなあ・・・とこの本を読んで改めて気付かされました。
・とことんやってない
この本の中で最も強く刺さったのは、梅原さんの話の中に出てくる次の言葉でした。
敗北が受け入れられない人の多くは、とことんやってないんですよ。そして自分でもそれがわかってる。後悔が残るとしたらソコなんです。
これ、正に今の自分自身のことじゃんかと。
気がついたら考えているんです。
「あの時にもっと真剣に◯◯していたら、もっと違うことができていたのかもしれないな」とか、「もし出来るならもう一度中学生に戻って、もっと一生懸命にやりたいな」とかいうことを。
受験勉強、部活、恋愛、バンド、、、
そして一番辛いのが、梅原さんがいう「敗北が受け入れられない」という事なんです。とことんやってないから、自分の器が分からない。
これがどういう事かというと、例えば誰か優れた人間と会ったときに、ほんのわずかでも「俺だってあのときにちゃんとやってればこれくらい出来てたんだけどな」という思考が浮かんでしまい、変な劣等感を抱いてしまうって事があるんですよね。そしてその劣等感の行き先は、相手に対する敵対心ではなく、「過去に頑張らなかった自分自身」なんです。
もし梅原さんが言うように「とことんやって」いれば、自分が精一杯頑張れってやれなかったことを他の人がやっているのだから、「自分がどうやっても出来なかったことをこの人はやっている。凄い」と敗北をすっと受け入れ、敬う気持ちまでもを持つことが出来るのかもしれないなと。
そう気付かされました。
この梅原さんの言葉は2つのことを気づかせてくれました。
「自分は何もとことんやっていなかった、甘い考えの人間だ」
→とことんやることの大事さ。
「とことんやっていない自分自身に後悔を残している」
→自分を超える存在に会ったときに感じる負の感情の原因は、過去の自分自身への後悔。だとしたらその感情に振り回されることに意味は無いのだから、敗北を素直に受け入れるよう努力しよう。
まとめ
どう学ぶかということは、どう生きるかということなんですよね。
それは生きるために何を学び、どう考えていけばいいのかという風に言い換えることができるかもしれません。
この事に対して、著者の2人は、今の学校というものが”学校的価値観”を刷り込む場でしかなく、本当に生きるための力を付けることにはなっていないという考えを共通して持っています。
そういった視点を持つことは面白く、また、大事かもしれないと考えさせられました。
また、対談の内容から、学校というものは単純に学びの場であるだけでなく、日本という社会の中では様々な価値を付加するものであるという側面もあり、一概に否定ばかりをするものではないということも読み取れます。
何より「あがくことで自分の器が見えてくる」という梅原さんの言葉が強く刺さり、強烈な痛みを感じながらも、何か自分の精神面のコリが一つほぐされたような気もして、とても意味のある読書となりました。
面白い本でした。
少しでも興味があれば、ぜひ!
2016年05月22日
仕事は5年でやめなさい。 松田 公太
タリーズコーヒーを日本に根付かせた、タリーズコーヒージャパン創業者の松田公太さん。現在は参議院議員として政治の世界で奮闘されています。
出馬した参議院選挙での「美味しいコーヒー、飲んでますか?」というフレーズと、爽やかな笑顔がとても印象的だったことを思い出します。
さて、その松田公太さんが書いたこの本は「仕事は5年でやめなさい。」という挑戦的なタイトルです。松田さんという個人に興味を持っていたことから、読んでみることにしました。
まずタイトルの「仕事は5年でやめなさい。」というフレーズについて。
これは、
仕事なんか5年で止めなきゃ駄目だよ。さっさと、俺みたいに独立して起業しなくちゃダメ!!
という意味・・・ではありませんでした。
紛らわしい書き方ですみません。でも、挑戦的なタイトルと、松田さんが銀行を辞めて起業したという経緯を知っていたのとで、てっきりそんな内容なのかな?と読む前は思ってたんです。
本当の意味は、ずばりプロローグの章に書かれています。
最初に種明かしをしてテーマをはっきりと提示する構成手法はとても分かりやすいです。
プロローグにドンと書いてしまうことで、それ以降は「じゃあ実際にどういうことなのか、順を追って説明していきます」と話を展開しやすくなるし、読者にとっても読むための準備が出来る。
いい方法ですね!好感が持てます。
というわけで、第1章以降ではテーマの説明として、松田さんが「5年でやめなさい」と考える理由や、それを実践していくためのベースになる物の見方・考え方や、具体的な方法が紹介されています。
この本のテーマは先ほどの引用部分にある「バージョンアップしながら5年単位で成長し、本当の実力をつけていく」という事です。
そう私は読み取りましたが、これはつまり、
「自分自身が成長するための戦略・戦術の提示」
という事に他なりません。
その具体的な方法論として、時間や仕事に期限を打つことで成長速度を加速させるということができるということを松田さんは説明しています。
この裏付けにあるのは「自分自身の時間(生きられる時間)は限られている」という考え・体験です。
最初に読んだ時は「そうだよね。時間は限られているから、俺もそうやって頑張っていかなきゃなあ」と漠然と受け取りました。
でもその方向性が少し間違っていたことを、今日この記事を書いている時に改めて気が付きました。
こういうビジネス書と言えるものは、「仕事術」というように言い換えられるものが多いと思います。
「仕事術」という言葉の意味を、私は次のように考えていました。
仕事術=今の仕事や、将来取り組むことになるかもしれない仕事の質や処理速度を向上させるための技術や能力
これ自体は何も間違っていないと思います。でもこの考えの中に潜んでいる一つの思想に気づきました。
仕事術を身につけるのは、仕事のため
言い換えると、「自分が仕事術を身に付けることで達成される目的は”よりよい仕事の実現”である」という事です。こう書いてもそんなに間違ったことではないという印象を受けるかもしれません。少なくとも私自身はこれを当たり前の事だとして受け取っていました。
ですが松田さんが本書のテーマとして掲げていたのは、あくまで
”自分が成長し、本当の実力をつけていく”
ということです。
私が気付いたのは、松田さんのテーマの主体は「自分の成長」であり、「仕事の成長」ではないということです。
そして同時に自分自身が「仕事」という言葉に強く縛られていたという事でした。
その縛りは、自分よりも「仕事」を無意識に優先すること。
まず仕事が先にあり、自分の事はそのオマケ。
能力の向上は「仕事の達成」のためであり、そのために自分は力を付けなければならないんだという思い込み。
でも今日の気付きは、これが全くの逆だということ。
本来、能力の向上は「自分の成長のため」であり、その結果として「仕事が達成される」ということなんですよね。
この事に全く考えが及ばなかったのは、仕事に対する責任感や、思い入れ、組織の中で過ごした経験など色々なことが原因になっていたのかもしれませんが・・・大事なのは、考えが無意識化で縛られていた状態に今気付いたこと。
気付けば、それを改められる。
今この時から。
宣言します。
私のこれからの勉強や努力といったものは全て
「自分が成長し、本当の実力をつけていく」
ためにするのだと。
この結果として、仕事やそれ以外の活動をより良いものに変えていくのだと。
気付かさせてくれた松田公太さんには、勝手にお礼を言わさせていただきます。
ありがとうございました!
・・・という事で少々自分ワールドに入りすぎましたが、実はこの辺りのヒントも本書に書かれています。
それは”「目的」と「目標」を明確に区別する”の節です。
ここでは「目的」と「目標」のそれぞれの本来の意味を説明していて、そしてこの2つの意味を混同している人が多いと指摘しています。
まさに自分がその「混同している人」そのものでした。
この2つの言葉を明確に区別して、それぞれの内容をしっかりと考えたいと思います。
自分が成長し、本当の実力をつけていくために。
目の前の仕事に疑問を感じることは誰でもあると思います。
「この仕事をいつまでやるんだろう」
「この仕事の意味は何なんだろう」
私もそう考えることがありました。
そんな悩みや疑問を感じている人には得られるものが多いと思いますし、「私はこれからの人生の中でいろんなことを達成していきたい!」という熱い思いを持っている人にも大きなヒントになると思います。
・今の仕事に疑問や悩みを感じている人
・「自分を成長させたい」という思いを持つ全ての人
にオススメです。あ、それと、著者の松田公太さんはタリーズコーヒージャパンの創業者ですから、
・タリーズコーヒーが好きな人
にも、オススメですね!タリーズコーヒーへの思い入れが深まり、より素敵な時間を過ごせるようになると思います。
出馬した参議院選挙での「美味しいコーヒー、飲んでますか?」というフレーズと、爽やかな笑顔がとても印象的だったことを思い出します。
さて、その松田公太さんが書いたこの本は「仕事は5年でやめなさい。」という挑戦的なタイトルです。松田さんという個人に興味を持っていたことから、読んでみることにしました。
どんな本だった?
まずタイトルの「仕事は5年でやめなさい。」というフレーズについて。
これは、
仕事なんか5年で止めなきゃ駄目だよ。さっさと、俺みたいに独立して起業しなくちゃダメ!!
という意味・・・ではありませんでした。
紛らわしい書き方ですみません。でも、挑戦的なタイトルと、松田さんが銀行を辞めて起業したという経緯を知っていたのとで、てっきりそんな内容なのかな?と読む前は思ってたんです。
本当の意味は、ずばりプロローグの章に書かれています。
いわば自分のそれまで5年間のやり方を変え、考え方を変え、バージョンアップしながら5年単位で成長し、本当の実力をつけていく。私の言いたい「仕事は5年でやめなさい」とはそういう意味です。
最初に種明かしをしてテーマをはっきりと提示する構成手法はとても分かりやすいです。
プロローグにドンと書いてしまうことで、それ以降は「じゃあ実際にどういうことなのか、順を追って説明していきます」と話を展開しやすくなるし、読者にとっても読むための準備が出来る。
いい方法ですね!好感が持てます。
というわけで、第1章以降ではテーマの説明として、松田さんが「5年でやめなさい」と考える理由や、それを実践していくためのベースになる物の見方・考え方や、具体的な方法が紹介されています。
読むことで得られるもの
この本のテーマは先ほどの引用部分にある「バージョンアップしながら5年単位で成長し、本当の実力をつけていく」という事です。
そう私は読み取りましたが、これはつまり、
「自分自身が成長するための戦略・戦術の提示」
という事に他なりません。
その具体的な方法論として、時間や仕事に期限を打つことで成長速度を加速させるということができるということを松田さんは説明しています。
この裏付けにあるのは「自分自身の時間(生きられる時間)は限られている」という考え・体験です。
最初に読んだ時は「そうだよね。時間は限られているから、俺もそうやって頑張っていかなきゃなあ」と漠然と受け取りました。
でもその方向性が少し間違っていたことを、今日この記事を書いている時に改めて気が付きました。
こういうビジネス書と言えるものは、「仕事術」というように言い換えられるものが多いと思います。
「仕事術」という言葉の意味を、私は次のように考えていました。
仕事術=今の仕事や、将来取り組むことになるかもしれない仕事の質や処理速度を向上させるための技術や能力
これ自体は何も間違っていないと思います。でもこの考えの中に潜んでいる一つの思想に気づきました。
仕事術を身につけるのは、仕事のため
言い換えると、「自分が仕事術を身に付けることで達成される目的は”よりよい仕事の実現”である」という事です。こう書いてもそんなに間違ったことではないという印象を受けるかもしれません。少なくとも私自身はこれを当たり前の事だとして受け取っていました。
ですが松田さんが本書のテーマとして掲げていたのは、あくまで
”自分が成長し、本当の実力をつけていく”
ということです。
私が気付いたのは、松田さんのテーマの主体は「自分の成長」であり、「仕事の成長」ではないということです。
そして同時に自分自身が「仕事」という言葉に強く縛られていたという事でした。
その縛りは、自分よりも「仕事」を無意識に優先すること。
まず仕事が先にあり、自分の事はそのオマケ。
能力の向上は「仕事の達成」のためであり、そのために自分は力を付けなければならないんだという思い込み。
でも今日の気付きは、これが全くの逆だということ。
本来、能力の向上は「自分の成長のため」であり、その結果として「仕事が達成される」ということなんですよね。
この事に全く考えが及ばなかったのは、仕事に対する責任感や、思い入れ、組織の中で過ごした経験など色々なことが原因になっていたのかもしれませんが・・・大事なのは、考えが無意識化で縛られていた状態に今気付いたこと。
気付けば、それを改められる。
今この時から。
宣言します。
私のこれからの勉強や努力といったものは全て
「自分が成長し、本当の実力をつけていく」
ためにするのだと。
この結果として、仕事やそれ以外の活動をより良いものに変えていくのだと。
気付かさせてくれた松田公太さんには、勝手にお礼を言わさせていただきます。
ありがとうございました!
・・・という事で少々自分ワールドに入りすぎましたが、実はこの辺りのヒントも本書に書かれています。
それは”「目的」と「目標」を明確に区別する”の節です。
ここでは「目的」と「目標」のそれぞれの本来の意味を説明していて、そしてこの2つの意味を混同している人が多いと指摘しています。
まさに自分がその「混同している人」そのものでした。
この2つの言葉を明確に区別して、それぞれの内容をしっかりと考えたいと思います。
自分が成長し、本当の実力をつけていくために。
どんな人にオススメできる?
目の前の仕事に疑問を感じることは誰でもあると思います。
「この仕事をいつまでやるんだろう」
「この仕事の意味は何なんだろう」
私もそう考えることがありました。
そんな悩みや疑問を感じている人には得られるものが多いと思いますし、「私はこれからの人生の中でいろんなことを達成していきたい!」という熱い思いを持っている人にも大きなヒントになると思います。
・今の仕事に疑問や悩みを感じている人
・「自分を成長させたい」という思いを持つ全ての人
にオススメです。あ、それと、著者の松田公太さんはタリーズコーヒージャパンの創業者ですから、
・タリーズコーヒーが好きな人
にも、オススメですね!タリーズコーヒーへの思い入れが深まり、より素敵な時間を過ごせるようになると思います。
2016年04月18日
社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年 木村 元彦
「スポーツ・マネジメント事業の基礎知識」を読んで以来、自分のなかでJリーグに関する事柄に関心が高まり、サッカービジネスに関する本を何冊か購入しました。
その中の一冊として購入した本です。
大分トリニータの事はこれまで全然知りませんでしたが、書評レビューで国家公務員だった溝畑宏さんが中心となってチームを牽引していたというような事が書かれていたことを見て、面白そうだなと思いました。
また、タイトルが秀逸です。
天国と地獄。
大分トリニータの15年間に一体どんな物語があったのか、興味を持ちながらページを捲りました。
どんな本だった?
どんな本だったかという言葉よりも、一つの事実を述べたいと思います。
僕はこの本を読んで、泣きました。
移動中のバスの中でしたが、溢れる感情を堪え切れず、ハンカチで目頭を抑えました。
まさかサッカービジネスの本で涙を流すなんて、自分でも思いもしませんでした。
涙してしまったその訳は、本書で書かれている溝畑さんの「大分トリニータ」についての情熱と、それに裏打ちされた数々の行動です。
まるで「それが自分の全て」とでも言わんばかりの行動がこの書中では描かれていて、私は驚きとともに感動を覚えました。
チームを愛するとともに、自分、そしてチームに力を貸してくれた人間を大事にする。今の世の中で「人間関係が希薄化している」とメディアで囁かれるなか、あくまで義理人情を大事にする溝畑さんの生き様に感銘を覚えました。
朝日ソーラーのこと、ペイントハウスのこと、マルハンのこと、小室哲哉のこと。チームを救ったスポンサーとのやりとりとエピソードはずしりと心に響きます。
一方で、営業・接待の席での振る舞いのエピソードにも別の意味で驚愕しました。
私にとってこの本は、「真剣に生きるということは、こういうことなんだ」ということを強く突き付けてくる本でした。
自分を振り返り、どこまで真剣に生きているのか・・・と改めて自分を顧みるきっかけになる本だと思います。
読むことで得られるもの
Jリーグのクラブチームの経営について、経営者の観点から大分トリニータの歴史を題材に追体験することができるこの本は、まず読み物として十分に面白いです。
次に、自分を顧みずに「社会のため」「人のため」の行動に没頭することの美しさ、その凄さと苦しさとを感じる事ができます。
これ以外にも、プロスポーツのチームを地域で支えていくためのヒント、今の流行で言えば「地方創生」のヒントを得ることが出来る本ではないかな、と思いました。
兎にも角にも、著者の木村元彦さんの取材力、構成力に脱帽です。
相当面白いですよ、この本。
どんな人にオススメできる?
サッカー好きな人、スポーツ好きな人。
地元にJリーグクラブチームがある人。
仕事への情熱の出し方が分からなくなってしまった人、生き方が分からずに悩んでいる人にもヒントになるんじゃないかと思います。
興味が出て、「大分トリニータ」について検索してみたところ、現在はJ3のチームになっていました。
あれだけ一人の個人が情熱を傾け、周りが支え、そしてJ1昇格とナビスコカップ優勝までこぎつけたチームがJ3まで降格しているというのは、何とも寂しい気持ちです。
何かが象徴されているかのような気もしますが・・・。
2016年04月03日
サッカービジネスの基礎知識―「Jリーグ」の経営戦略とマネジメント 広瀬 一郎
金森喜久男氏の「スポーツ事業マネジメントの基礎知識」が思いのほか面白く、サッカービジネス関係の本をAmazonで探したところこの本を見付けました。
著者は電通出身でワールドカップ日本招致にも携わったなどサッカーに深いかかわりがある人との事。
「そういえばJリーグというものは一体どのような経緯で、何を目的に創設されたんだろうか?」という素朴な疑問を感じたことから、購入して読んでみました。
「Jリーグが出来た最初はすごいサッカーが盛り上がっていたよな・・・」と懐かしい気持ちを思い出しながらページを捲りました。
どんな本だった?
”サッカービジネスの基礎知識”というタイトルのとおり、現在までの日本サッカー界についての経緯をまとめつつ、世界のサッカーの中での日本サッカーの位置づけ、そもそもの世界サッカーであるFIFAから始まるサッカー界の構造や、選手・クラブを取り巻く経営的なトピックまで網羅された、かなり内容の濃い本でした。
Jリーグの構想から創設に至るまでのプロセスは読み物としても単純に面白く、著者の分析力・構成力・表現力に舌を巻きながら、楽しく読むことが出来ました。Jリーグが立ち上げられた経緯、その手法がスポーツ界の中でも独特なものであったこと、サッカースタジアムとサッカークラブの関係など、一つ一つのトピックに血が通っているような生々しさがあり、強い臨場感がありました。
私自身、なんちゃってサッカーファンです。
Jリーグが出来た頃ににわかサッカーファンとなり、カズのセリエAでの活躍で世界のサッカーを知り、ワールドカップやJリーグの試合を一時期食い入るように見ていました。
「キャプテン翼」や「シュート」、「俺たちのフィールド」などのサッカー漫画に心を熱くしたこともあります。
でも、書中で紹介されている”ボスマン判決”のことは聞いたことがありませんでしたし、”マードック化現象”という言葉も知りませんでした。
ですが著者の広瀬さんは、これらの事項は「サッカービジネスの基礎知識である」と明言します。
自分はサッカーというものを知ったつもりになっていたけれど、その実は全然知らなかったんだなということを痛感させられました。そしてサッカーの奥深さ・面白さの一端を新たに知りました。
例えば、この書中で元日本代表監督の岡田武史さんの言葉が紹介されていました。
「(前略)最後に残ったのが、クラブ経営者のプロ化だ。これにはまだ時間がかかるだろうが、次の10年でこの問題を解決しないことには、Jは本物のプロリーグにはなり得ない」
この言葉を聞いてはっとしました。
岡田さんは現在、愛媛のFC今治というチームのオーナーとなり、Jリーグでの優勝争いに向けてチームの経営に取り組んでいます。
最初にこのニュースを聞いた時には「岡田さんも随分と酔狂なことを始めたものだなあ」と思っていました。
しかし、この本に引用されていた言葉からは、酔狂でも何でもなく、真剣にサッカー界のことを考えた「自分自身がJのクラブ経営者のプロになる」という行動なんだなということが感じられました。
この本を読んだ影響として、今後の岡田さんとFC今治の動向をしっかり注目していきたいと思いました。
読むことで得られるもの
サッカーというスポーツを、競技的な側面ではない「ビジネスとしてのサッカー」という別の側面をこの本で見ることができます。
ファンとしてはただ「面白い試合」を見るだけでも十分かもしれませんが、このサッカーという文化、Jリーグというプロリーグが今後日本で続いていくかどうかということを考えるためには、ビジネスとしての側面からもサッカーを考えてみる必要があるのだなと感じました。
「ひょっとすると、自分の地元のJリーグチームは十年程度先には無くなってしまうのかもしれないのでは?」という危機感を感じているファンの人には、必読の書ですね。
なぜクラブ経営が苦しいのだろうか、なぜファンが増えないのだろうかというもやもやした疑念のようなものが、この本を読むことで少し形を持った具体性のある問題として捉えることが出来るかもしれません。
少なくとも最初の一歩を踏み出すきっかけにはなるはずです。
どんな人にオススメできる?
サッカーに関わりがある、関心が有る人。
「将来地元のJリーグチームは潰れてしまうのではないか」という危機感を持っているファンの人。
固い話も多く、気軽にさらっと読める本ではありませんが、スポーツが好き・スポーツに興味があるという人にはこんな本は必読かもしれないなと思います。
教養としても知っておいて損はないことが、ぎっしりと詰め込まれていますから。