2017年08月09日
公的には、「薩摩藩」も「土佐藩」も「長州藩」も存在しない
突然、歴史の話です
今日たまたま鹿児島出身のだんなと話している時に「薩摩藩」の話になったのですが、その時だんなに「薩摩藩は実際はなかったんだけどね」と言われ、びっくり。
「え、意味不明なんですけど」「どういうこと?」「薩摩藩って有名だよね」
そこでさっそく調べてみたら、本当に薩摩藩はなかったようです
もちろん土佐藩なんかも・・・
じゃあ教科書に載ってた「廃藩置県」ってなによ?
藩があったからこその廃藩置県でしょ?
などという疑問がすぐにわきましたが、それも含めて説明していきたいと思います。
江戸時代には「藩」がない
一般的に「藩」と思われているのと同じようなシステムはありました。
大名の領地を支配する組織です。
ただ当時は「藩」とは呼ばれていなかったですし、公的な「藩」というものはなかったのです。
小説を読んだりドラマや映画を観ていると「○○藩家老」「藩邸」「脱藩」「小藩」「藩主」「藩士」など、「藩」が付く言葉がたくさん出てきます。
当然「藩」という存在があるからこその言葉だと思いますよね。
でもそれは後世で便宜上使われている言葉であり、江戸時代にはなかった言葉です。
極々一部の人(学者など)には使われていたらしいですし、幕末からは少し広まったものの、どちらにしても公式には藩がないので、ただの通称・俗称です。
じゃあ当時は「藩」のことを何と呼んでいたのか
それについては、詳しく分かっていないそうです。
以下、ウィキペディアの引用です。
この藩について、当時の人々が実際に何と呼称していたかは詳しくはわかっていない。
幕府からの命令は藩主個人名(例えば長州藩の場合は「松平大膳大夫殿」)に宛てて出されており、各藩側も自藩と他藩の区別さえできれば良かったので「当家」「他家」などの呼称で十分だったと考えられている。
藩士についても「○○藩士」とは呼ばれず、例えば「仙台藩士」であれば公的には「松平陸奥守家来」と称された。
また「藩主」より、封地名に「侯」をつけて呼び現されることが多かった。
例えば「仙台侯」、「尾張侯」、「姫路侯」といった具合である。
でも明治時代の数年間だけ「藩」が存在した
【1868年(明治元年)】 →藩スタート
新政府が政体書を発布して大名領を「藩」とし、大名を藩知事に任命して、諸侯が統治する形にする。(府藩県三治制)
【1869年(明治2年)】
版籍奉還。
版籍奉還とは明治政府が行なった事業のひとつで、諸大名が天皇に領地を返還すること。
【1871年(明治4年)】 →藩おしまい
廃藩置県が行なわれ、府県制になる。
廃藩置県とは、「藩」が廃止されて府と県になる行政改革のこと。
ということで、廃藩置県の時には、確かに「藩」はありました。
それなら明治時代、薩摩藩も一瞬あったんだよね?
でも、薩摩藩も土佐藩も長州藩も、公式名称としては一度たりとも存在していないのです。
上記の通り、明治維新後は少しの間だけ公的に「藩」が存在する事になりますが、藩の名前は藩庁所在地によります。
だから今の鹿児島は「薩摩藩」ではなく、藩庁所在地のあった鹿児島にちなんで、「鹿児島藩」です。
長州藩と呼ばれているのは実際は山口藩、土佐藩と呼ばれているのは高知藩でした。
他の地域についてもそうです。(沖縄だけ少し違います)
まとめ
wikiで西郷隆盛を調べれば「薩摩藩士」、坂本竜馬を調べれば「土佐藩郷士」と書いてあります。
それでじゅうぶん意味は伝わるのですが、時代劇を見ているとあれだけ「藩」という言葉が頻出するというのに、まさか公式になかったどころか、そういう呼び方すら幕末までなかったということに驚きました。
明治政府になってたった数年間呼ばれただけで、その後、江戸時代の呼び方としてもすっかり定着したんですね。
結婚するまでは日本史が大の苦手でしたが、歴史好きのだんなと結婚して、ずいぶん興味を持つようになりました。
それまでは徳川幕府が何代まで何百年続いたのかも知らないどころか、「徳川家康って何代目?」と聞くほどの無知ぶりでしたが^^;
今はこんなことにまで興味を持つほど、成長しました(笑)
「藩」については世間一般でこれだけ広まっている言葉だと、今さら本当にあったかどうかは知らなくても話は通じるし、アホな子と思われることもなく生きていけるのですが、思い込んでいた常識を覆されるのもまた、楽しいものだと思います。
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