2012年09月22日
加賀街道を歩く
こちらは上越市に残る
「加賀街道」
です。
場所は国道8号線の国府交差点付近。
松並木は江戸時代からのものとのこと。
昭和10年頃は100本以上あったそうですが、今では20数本しかないようです。
松の多くの樹齢は170〜200年くらいだそうです。
写真右手の町名は「加賀町」。
写真の先には「加賀橋」があります。
付近の地名や橋の名前にも、当時の名残をとどめているんですね。
加賀街道の正式名称は「北国街道」。
北国街道とは、関ヶ原を出発点とし、越前、金沢、富山、糸魚川、越後と北陸を横断して、津軽半島にまで及ぶ街道のこと。
途中の高田で分かれ、善光寺を通り追分(軽井沢)まで続く山道も北国街道だったようです。
しかし、当時の高田では混乱を防ぐため、
・新潟方面の道は「奥州街道」
・善光寺方面の道は「善光寺街道」
・金沢方面の道は「加賀街道」
と呼んで区別していたようです。
松の中にはこんな、「く」の字の形をした松がありました。
一所懸命生きてきた感じがします。
高田地区の本町7丁目交差点付近にある「宇賀魂神社」境内には、江戸時代に建てられた加賀街道と奥州街道の分岐点を示す、石の道標が残されています。
道標には、
「右おゝしう道 左かゝ道」(右奥州道 左加賀道)
と書かれています。
もともとは、下の写真にある本町7丁目交差点にあったみたいですが、交通の障害となったことから、昭和10年頃に今の場所に移されたとのこと。
本町7丁目の交差点は、通常の交差点のような十字路とは違い、道が食い違っています。これは、城下の防備のためにあえてこのような道にしたそうです。
写真は直江津方面から本町7丁目交差点を見たところです。
交差点を右折して真っすぐに行くと、善光寺に向かう加賀街道(赤線)、交差点を右折してすぐに左折すると新潟に向かう奥州街道(青線)です。
道標には、右が奥州街道、左が加賀街道となっているので、善光寺方面から来た人から見た道標だったんでしょう。
高田は城下町だったせいか、道が真っすぐになっていない所が多いですね。