<< 2012年10月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
2021年06月(2)
2021年05月(8)
2021年04月(3)
2021年03月(3)
2021年02月(2)
2021年01月(2)
2020年06月(9)
2020年05月(15)
2020年04月(29)
2020年03月(15)
2020年02月(2)
2020年01月(6)
2019年12月(4)
2019年11月(2)
2019年10月(3)
2019年09月(1)
2019年08月(3)
2019年04月(1)
2019年03月(11)
2019年02月(2)
2019年01月(2)
2018年12月(3)
2018年11月(4)
2018年10月(3)
2018年09月(1)
2018年07月(1)
2018年06月(1)
2018年04月(2)
2018年03月(5)
2018年02月(8)
2018年01月(2)
2017年12月(4)
2017年11月(2)
2017年10月(3)
2017年09月(1)
2017年08月(1)
2017年07月(3)
2017年06月(9)
2017年05月(2)
2017年04月(2)
2017年03月(10)
2017年02月(6)
2017年01月(7)
2016年12月(2)
2016年11月(3)
2016年10月(2)
2016年09月(1)
2016年04月(5)
2016年03月(1)
2016年02月(1)
2016年01月(1)
2015年12月(2)
2015年11月(2)
2015年10月(2)
2015年09月(5)
2015年08月(3)
2015年07月(6)
2015年06月(13)
2015年05月(12)
2015年04月(7)
2015年03月(1)
2015年02月(8)
2015年01月(8)
2014年12月(1)
2014年11月(2)
2014年10月(9)
2014年09月(2)
2014年08月(1)
2014年07月(4)
2014年04月(1)
2014年03月(6)
2014年02月(6)
2013年10月(1)
2013年08月(4)
2013年07月(11)
2013年06月(1)
2013年05月(2)
2013年04月(1)
2013年03月(5)
2013年02月(2)
2013年01月(3)
2012年12月(7)
2012年11月(14)
2012年10月(8)
2012年09月(9)
2012年08月(15)
2012年07月(13)
2012年06月(23)
2012年05月(11)
2012年04月(13)
2012年03月(19)
2012年02月(9)
2012年01月(15)
2011年12月(12)
2011年11月(14)
2011年10月(9)
2011年09月(16)
2011年08月(7)
2011年07月(10)
2011年06月(10)

2012年10月15日

広島の助産婦の証言と福島からの手紙


http://onodekita.sblo.jp/article/58772559.html

広島の助産婦の証言




「ピカに灼かれて」第13集(ほぼ、全文)

 私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。
41歳でした。
その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、
だんだん少なくなりまして、
昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
 何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。
当時はABCCへ、
みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。
奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、
しなかったこともあります。

 一番多かったのは兎唇でございました。
それも口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。
お乳も飲めないような...それから肢指過剰ですね。
多指です。
それから鎖肛(正常な位置に肛門がなく、
直腸が盲端になっており、5千人に1人の確率で発病する)。
肛門のないのも多うございました。
兎唇や多指は数が多うございました。
分娩で頭の先がでましたら、今度も兎唇じゃないかしらと思ったら、
やはりそうで、そのたんびに憂いたことを覚えています。
あーどうしてこんなに兎唇が生まれるんかしらと思いました。

すぐ近所でございましたが、二軒に同じように
耳のない子が生まれました。
その1人の赤ちゃんのおばあさんは、
産婦人科の看護部長をしておられました。
奇形が生まれたということで、
すぐに病院に電話をされたれしいですが、
先生が来られたあくる朝、赤ちゃんは逝きましたからね。
もう一軒は可愛い女の子でございましたが、
おばあちゃんは「火葬場に持って行くまでは、
泣きだしはしませんから。」と言っておられました。
これは薬を使ったんだなと私は思いました。
もちろん、家族は何も言いませんし、私も聞きもしませんでした。
元気な子でしたがね。
そのおばあちゃんは生涯悩まれたそうです。
可愛い子だったですからね。
髪の毛でね、こうやって耳を隠していれば判りはしませんのにね。
耳がないんです。ツルッとしておりました、片方だけ。

それから、内蔵露出で、グルグルと腸が出ておりまして、
思い出してもひどいヘルニアだったんですね。
大学病院で手術をしてもらい、それはどうにか助かりました。
 
まだそれから、鎖肛、これはたくさんありました。
それから無脳症ですね。
終戦直後ではないから、2〜3年後だと思います。
母親は30代でした。
どうしても頭の位置がわかりませんのよ。
上の方にあるのは確かに臀部だがと思いましても、
頭部に触れませんのよ。
おかしいなと、みよりましたら、無脳症でございました。
氷を氷袋の中にいれて下げたらザラザラしますように、
頭蓋骨がぜんぜん固まっていない子でした。
だからそんな子が生まれたら、極秘にしてもらいたくてね。
こんな事は当時はとても言われませんでした。
全文−助産婦としての被爆後 

岡村ヒサ子(ピカに灼かれて第13集から)


私のところに2012年3月に来ました手紙から
−福島
奇形と分かったご家庭には、
保健師をはじめ次々と何人もで訪ねてくること。
妊娠中に突然、胎児の頭部が大きくなり、堕胎をすすめられた方。
口唇裂の赤ちゃんの診察のために病院に出かけた際、
「ひとに見られたくない、聞かれたくない」と
ひと目を気にする方には、病院の方から「お宅だけじゃないですよ。
気にしなくても大丈夫です」と声がかけられること。
実際、おなじ事情に苦悩する患者さんご家族どうしが、
「ごろごろと」隣り合って病院にいること…等々。

−関東 2012年7月
今月に入ってから、性別不明の児や21トリソミー、
複雑心奇形が生まれました。
今も引き続き週数に比べて体重が小さいIUGR,FGRと診断される
妊婦さんが後を絶ちません。

−熊本 2012年10月
遺伝子異常の赤ちゃんが増えている

非常にデリケートな問題ですので、
表には出てこないと思われます。

セミパラチンスク 18年後の現実〜カザフスタン核実験場跡〜 1-5

カザフスタン核実験場跡「18年後のセミパラチンスク」(全て文字起こし)

放射能で奇形児が生まれるのは、事実です。
そして、セミパラチンスクよりもチェルノブイリよりも
はるかに大量の放射能が降ったフクシマ・・

院長の独り言
プロフィール
リンク集
”さわやか暦”
最新コメント