初めて試合に出場したのは県内の中学生が集まる練習試合でした。まだ1年生だった私はあまりの緊張で相手がどこの誰かも分からないまま試合に臨み、ラケットの先端が震えていたことをはっきりと覚えています。あっという間に試合終了、0−2であっさり負けました。試合終了後先輩から相手選手が現県チャンピオンであることを聞きましたが緊張で何も出来なかったことが悔しくてうわの空でした。その選手はその年の全中シングルスで優勝し、その後全日本チャンピオンにもなった選手なので、後で初めての試合が超大物選手だったと知り感慨深いものがありました。中学時はその後順調に上達し、市大会では優勝することも多くなりました。ある市大会の決勝でセットオールとなり、3セット目15−20の大ピンチになった場面をはっきり覚えています。そこから19−20になった内容は覚えていませんが、最後相手が回りこんでバック側からクロスにスマッシュを打ってきて、相手は多分これで勝ったと思ったと思いますが私はその相手の動きがスローモーションのようにはっきり見えて、そのスマッシュをストレートにブロックし逆転勝ちしました。私は中1から卓球を始めましたが相手選手は小学低学年から厳しい練習を積んでいた選手だったので相当悔しかっただろうと思います。その後私は県大会でも上位に入るようになり、中学九州大会、中学全国大会と出場しました。九州大会は第1シードだったんですがシード下の選手に敗れ(通称パッキン返し)散々でした。全中も調子は良かったんですが緊張であまり実力を出せず3回戦敗退となりました。高校時代もあまりぱっとせずインターハイにも出場できませんでした。高3の部活引退後から本格的に筋トレを始め、まためきめきと上達し始めました。大学2年時に全九州卓球選手権大会に初めて出場し、いきなり決勝戦まで勝ちあがることができました。決勝の相手は3学年上の選手で1セット目の中盤位から足がつって動けなくなっていたのにフォアを攻めずわざわざバッククロスで勝負してしまいました。決勝戦まで勝ちあがってきた同じ戦術を変えることが出来ず敗れ、全九州チャンピオンになるチャンスを逃してしまいました。残念でした。全九州学生選手権も春と秋の年2回開催されていましたので優勝するチャンスはあったんですが決勝や準決勝で手の内を知られている同じ大学の選手に敗れました。九州大会では優勝できなかったんですが大学4年の全日本学生選手権でベスト16に入れたことが唯一の喜びでした。
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